え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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「閣下。郵便です。しかも、極めて不吉な気配がする封筒です」

午後のティータイムが終わった頃。

私は、執務室のトレイに置かれた一通の手紙を、汚物でもつまむかのように指先で持ち上げた。

王家の紋章が入った、無駄に豪華な封筒。

そして、そこから漂う強烈な薔薇の香水の匂い。

「……臭いな」

アイザック宰相が露骨に顔をしかめる。

「鼻が曲がりそうだ。換気扇を回せ」

「同感です。この悪趣味な香りのチョイス、送り主は一人しか心当たりがありません」

私はペーパーナイフを取り出し、慎重に封を切った。

中から出てきたのは、厚手の便箋が三枚。

予想通り、クラーク王子からの親書だった。

「読んでみろ。どうせろくな内容ではないだろうが」

「はい。音読しますか?」

「いや、要約してくれ。原文を聞くと蕁麻疹(じんましん)が出そうだ」

「承知しました」

私は眼鏡の位置を直し、手紙に目を通し始めた。

最初は無表情で。

次第に眉間に皺が寄り。

最後には、般若のような形相になった。

「……」

「どうした、ナギー。顔が怖いぞ」

「閣下。これは……テロです」

「テロ?」

「『知性に対するテロ行為』です。私の脳細胞が、この文章のあまりの拙劣(せつれつ)さに死滅しそうです」

私は手紙を机に叩きつけた。

「要約します。内容は以下の三点です」

私は指を三本立てた。

「一、『お前が泣いて詫びている夢を見た。可哀想だから許してやる』」

「……は?」

アイザック宰相が呆れ顔になる。

「二、『宰相のところは激務だろう。僕のところなら楽ができるぞ』」

「……ふん」

「三、『愛するミルキーも、お前をメイドとして雇ってもいいと言っている。感謝して戻ってこい』」

「……」

部屋の温度が氷点下まで下がった。

アイザック宰相の背後から、黒いオーラが立ち上っているのが見える。

「……ナギー」

「はい」

「その紙切れを焼却炉へ。灰すら残すな」

「お待ちください閣下。燃やすのは簡単ですが、それではこちらの『教育的指導』が伝わりません」

私はニヤリと笑った。

悪役令嬢スイッチ、オン。

「売られた喧嘩は買います。そして、倍額の請求書をつけて送り返すのが私の流儀です」

私は引き出しから、一本のペンを取り出した。

鮮血のように赤いインクが出る、特注の赤ペンだ。

「な、何をするつもりだ?」

「添削です」

私は手紙を机に広げた。

「元・教育係として、この壊滅的な文章を看過することはできません。徹底的に赤(朱)を入れて、現実というものを教えて差し上げます」

カチッ。

ペンのキャップを外す音が、処刑執行の合図のように響いた。

「まずはここ! 冒頭の『愛しきナギーへ』!」

シュバッ!

私は躊躇なく赤線を引いた。

「形容詞の誤用! 『愛しき』ではなく『便利な』が正解です! 事実を歪曲してはいけません!」

「……厳しいな」

「次! 『僕わ、君がいないと寂しい』!」

シュバッ! グシャグシャッ!

「『わ』じゃなくて『は』です! 助詞の使い分けもできないのですか! 幼児教育からやり直し!」

私のペンは止まらない。

王子の手紙は、見る見るうちに赤く染まっていく。

「『君が謝るなら、許してあげなくもない』……この二重否定かつ上から目線の構文、論理破綻しています!」

私は余白に大きく書き込んだ。

『※修正案:私が悪かったです。靴を舐めるので戻ってきてください』

「『ミルキーは天使だ』……主観的記述です。客観的事実に基づき修正!」

『※修正案:ミルキーは歩く災害(ハザード)だ』

「そしてここ! 『宰相なんて堅物の眼鏡男より、僕の方がカッコいいだろう?』」

ピタリ。

私の手が止まった。

チラリと、目の前の「堅物の眼鏡男」を見る。

アイザック宰相は、不敵な笑みを浮かべていた。

「……ほう。そう書いてあるのか」

「はい。視力検査が必要なレベルの誤認ですね」

私はその一行を、ペン先が折れるほどの筆圧で塗りつぶした。

グリグリグリグリッ!!

「削除! 抹消! 事実無根の虚偽記載につき、公文書偽造の罪に問われる可能性があります!」

「そうだ、もっとやれ。原型がなくなるまで塗りつぶせ」

「お任せを!」

三分後。

そこには、もとの文章が判読不可能なほど真っ赤に修正された、呪いの紙片が完成していた。

余白という余白に、私のダメ出しが書き殴られている。

『漢字の間違い:15箇所』
『文法ミス:23箇所』
『論理の飛躍:測定不能』
『字の汚さ:解読班を要請するレベル』

そして、最後に特大の文字で総合評価を記した。

『評価:F(論外)』
『コメント:日本語(国語)がおかしいです。出直してください。なお、再提出は受け付けません』

「ふぅ……」

私はペンを置き、額の汗を拭った。

「完成しました」

「見事だ。まるで血染めの果たし状だな」

アイザック宰相が、感心したように赤ペンまみれの手紙を覗き込む。

「これを送り返すのか?」

「ええ。使者の者に持たせます」

私は手紙を丁寧に折りたたまず、三つ折りにして封筒にねじ込んだ。

「これを見れば、殿下も少しは己の無知蒙昧(むちもうまい)さを恥じることでしょう」

「恥じる知能があればいいがな」

「なければ、トラウマとして刻み込まれるだけです」

私はベルを鳴らし、待機していた王家の使者を呼びつけた。

入ってきたのは、初老の侍従だった。

彼は私が手紙を受け取ったと聞いて、期待に満ちた顔をしていた。

「ナ、ナギー様! お返事をいただけるのですか!? では、王城へお戻りに……!?」

「いいえ」

私は冷酷に告げ、赤く染まった手紙を突き出した。

「これを殿下にお渡しください。私の『添削結果』です」

「て、添削……?」

「『もっと勉強しましょう』とお伝えください。以上」

侍従は震える手で手紙を受け取り、その禍々(まがまが)しいオーラに青ざめながら退室していった。

「……気持ちいいな」

私は椅子に深く腰掛けた。

「十年分のストレスを、赤ペンに乗せて放出しました。便秘が解消したような気分です」

「例えが汚いぞ、レディ」

アイザック宰相が笑う。

「だが、これで少しは静かになるだろう。……さて、仕事に戻るか」

「はい。あ、その前に手を洗ってきます。王子の『バカ菌』が感染(うつ)るといけませんので」

「徹底しているな。消毒液も使えよ」

***

一方、その頃。

王宮の第一王子執務室。

「き、きた! ナギーからの返事だ!」

クラーク王子は、侍従が持ち帰った手紙を見て、ぱぁっと顔を輝かせた。

「やっぱりナギーも寂しかったんだ! すぐに返事をくれるなんて、僕のことが好きでたまらないんだな!」

彼はウキウキと封筒を受け取った。

隣では、ミルキー男爵令嬢が不満そうに頬を膨らませている。

「えぇ~? ナギーお姉様、帰ってくるのぉ? 私、いじめられるぅ~」

「大丈夫だよミルキー。僕が言い聞かせてあるから、これからは君のメイドとして働くはずさ」

「ホントぉ? じゃあ、私の靴下洗わせよっと!」

「ああ、そうするといい。さて、愛の言葉を拝見しようか」

王子は期待に胸を膨らませ、封筒から手紙を取り出した。

そして。

「……ひっ」

短い悲鳴を上げて、手紙を取り落とした。

ヒラヒラと床に落ちたその紙は、まるで殺人現場のように赤かった。

「な、ななな、なんだこれはぁぁぁ!?」

王子は腰を抜かし、後ずさった。

そこにあるのは、愛の言葉ではない。

無慈悲な『ダメ出し』の嵐だった。

『字が汚い』
『文法ミス』
『論理破綻』
『F(論外)』

その赤い文字たちが、王子の脳裏に眠る『トラウマ』を呼び覚ました。

幼少期。

ナギーに家庭教師をされていた頃の記憶。

『殿下、この計算は間違っています。やり直し』
『殿下、漢字の書き取りが雑です。あと百回』
『殿下、逃げないでください。勉強が終わるまでおやつは抜きです』

あの冷徹な鬼教師ナギーの再来。

「い、いやだぁぁぁ! 勉強はいやだぁぁぁ!」

王子は頭を抱えて錯乱した。

「僕は王になるんだ! 勉強なんてしなくても偉いんだ! 赤ペン怖い! 赤ペン怖い!」

「きゃあ! クラーク様が壊れちゃったぁ!」

ミルキーが叫ぶ。

「見てぇ~、この手紙、真っ赤で綺麗なお花畑みたぁ~い!」

「違うよ! それは僕の血判状みたいなもんだよ!」

「あ、ここに『堅物の眼鏡男より僕の方がカッコいい』って書いてあるの消されてるぅ。その横に『寝言は寝て言え』って書いてあるぅ~。キャハハ、ウケるぅ~」

「笑うな! 読むな! 捨てろ! 燃やせ!」

王子は涙目で叫んだ。

「戻ってこいなんて言わなきゃよかった! ナギーは……ナギーは、離れていても僕を叱りに来る悪魔だぁぁぁ!」

彼はガタガタと震え、机の下に潜り込んだ。

その日。

王宮の第一王子執務室からは、深夜まで王子のすすり泣く声と、ミルキーの能天気な笑い声が聞こえていたという。

ナギー・ベルシュタインの『赤ペン攻撃』。

その威力は、物理攻撃をも凌駕する精神破壊力を持っていたのである。

一方、攻撃した当の本人は。

「はぁ、スッキリしました」

宰相官邸で、美味しい紅茶を飲みながら、優雅に微笑んでいたのだった。
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