え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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「……閣下。一つ、質問よろしいでしょうか」

「なんだ」

「この衣装、重すぎませんか? 装飾のビーズだけで推定三キログラムはあります。機動力が著しく低下するのですが」

夜の王宮。

その大広間へと続く回廊で、私は自分のドレスの裾を忌々しげに見下ろした。

今夜は、隣国との通商条約締結を記念した外交パーティーが開かれている。

本来なら、裏方である私が参加する必要はないはずだ。

だが、私の隣には、今夜の主役であるアイザック宰相が涼しい顔で立っていた。

「我慢しろ。それは我が国の一流デザイナーが、私の指示通りに仕立てた最高傑作だ」

「指示通り? 『戦闘服』とオーダーしたのですか?」

「『私の隣に立っても見劣りせず、かつ他の男を寄せ付けない鉄壁のドレス』と注文した」

「……なるほど。確かにこの襟元の詰まり具合と、背中の露出ゼロの防御力は、プレートメイル並みですね」

私は、深いミッドナイトブルーのドレスに身を包んでいた。

肌の露出は極限まで抑えられているのに、身体のラインが美しく強調されるカッティング。

髪はアップにまとめられ、ダイヤモンドの髪飾りが煌めいている。

鏡で見た自分は、いつもの「眉間に皺を寄せた事務官」ではなく、どこぞの高貴な公爵夫人のようだった。

「それに、その色は君に似合う」

アイザック宰相が、私の腰に手を回した。

彼もまた、私のドレスと同じ色のタキシードを着こなしている。

いわゆる『リンクコーデ』というやつだ。

「……お揃いですか。周囲に誤解を与えませんか?」

「誤解? 何をだ」

「私たちが……その、特別な関係であるとか」

「事実だろう」

「はい?」

私が目を丸くすると、彼はニヤリと笑った。

「君は私の『特別』な部下だ。他に代わりはいない。違うか?」

「あ、ああ……業務上の話ですね。びっくりしました」

私は胸を撫で下ろした。

一瞬、変な動悸がしたが、過労のせいにしておく。

「さあ、行くぞ。ナギー」

「はい、閣下。……転んだら支えてくださいね」

「任せろ。君ごと抱えて運んでやる」

巨大な扉が開かれる。

その瞬間、まばゆい光と音楽、そして数百人の視線が私たちに降り注いだ。

「宰相閣下の入場です!」

従僕の声が響く。

通常なら、ここで拍手と歓声が上がるはずだ。

だが。

今夜は違った。

ザワッ……。

会場の空気が、一瞬にしてさざ波立った。

「おい、あれを見ろ……」

「宰相閣下の隣にいるのは……まさか」

「ナギー・ベルシュタイン嬢!?」

「先日の婚約破棄騒動の!」

「悪役令嬢じゃないか! なぜあんなところに!?」

ヒソヒソ、ヒソヒソ。

扇子で口元を隠した貴婦人たちや、グラスを傾ける貴族たちの視線が、針のように突き刺さる。

好奇心、嘲笑、軽蔑。

クラーク王子に捨てられた「傷モノ」の令嬢が、あろうことか国のナンバー2である宰相のエスコートで現れたのだ。

格好のゴシップネタである。

(……うるさいですね)

私は心の中で舌打ちした。

これだからパーティーは嫌いなのだ。

生産性のない噂話と、マウントの取り合い。

酸素の無駄遣いだ。

「聞こえるか? 『厚顔無恥』だそうよ」

「『捨てられた腹いせに叔父上をたぶらかした』とも言っていますね」

私は冷静に周囲の声を分析した。

「閣下、私が反論してきましょうか? マイクを借りて、先日の婚約破棄の正当性と、私の再就職の経緯をプレゼンすれば、三分で黙らせる自信がありますが」

私が袖をまくろう(ドレスだからできないが)とすると、アイザック宰相がそれを制した。

「必要ない」

「しかし、閣下の評判に傷が」

「私の評判など、これ以上下がりようがない。『冷血』『人でなし』『氷の彫像』……散々な言われようだからな」

彼は自嘲気味に笑うと、私の手を強く握った。

「それに。……雑音を消すのは、上司の役目だ」

「え?」

アイザック宰相が、会場を見渡した。

ゆっくりと。

左から、右へ。

その動作は優雅だったが、彼が放つ『圧』は違った。

スッ……。

眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が、嘲笑していた貴族たちを射抜く。

ただ、見ているだけだ。

怒鳴りもしない。

睨みつけもしない。

口元には、優雅で、それでいて絶対零度の冷気を孕(はら)んだ微笑みを浮かべている。

(……うわぁ)

私は隣で震え上がった。

あれは、『この予算案を通さないと、お前の領地の橋を爆破するぞ』と脅す時の、外交用の笑顔だ。

効果は絶大だった。

「ひっ……!」

「め、目が合った……」

「殺される……!」

ヒソヒソ話をしていた貴族たちが、次々と顔面蒼白になり、目を逸らして沈黙していく。

まるで波が引くように、会場から悪意ある囁きが消え失せた。

十秒後。

そこには、完全なる静寂と秩序が生まれていた。

「……静かになったな」

アイザック宰相が満足げに呟く。

「すごい……。覇王色の覇気ですか?」

「いや、ただの『人事考課(さて、来年の査定はどうしてやろうか)』という視線だ」

「一番怖いやつじゃないですか」

彼は何食わぬ顔で、再び歩き出した。

静まり返った人混みが、モーセの海割りのように左右に開く。

私たちはその中央を、悠然と進んだ。

誰も文句を言わない。

誰も指を差さない。

アイザック・ル・グランという男の隣に立つということは、彼の不可侵領域(サンクチュアリ)に入ることと同義なのだと、誰もが本能で悟ったからだ。

「ナギー」

「はい」

「堂々としていろ。君は、この国で最も優秀な私のパートナーだ。恥じることなど何一つない」

彼の低い声が、耳元で甘く響く。

私の背筋がスッと伸びた。

そうか。

私は「捨てられた女」ではない。

私は「選ばれた女」なのだ。

この、国一番の偏屈で、優秀で、顔が良い男に。

「……承知しました。では、胸を張って歩きます」

私は顎を上げた。

かつて王子に向けられていた蔑みの視線に耐えていた頃とは違う。

今は、羨望と畏怖の視線を感じる。

(悪くない気分ですね)

私たちは会場の中央まで進み、そこで立ち止まった。

音楽が再開され、パーティーが本来の華やかさを取り戻していく。

「さて、挨拶回りは後だ。まずは腹ごしらえといこう」

アイザック宰相が、ビュッフェ台の方へ私を誘導する。

「え、いいのですか? 外交パーティーですよ?」

「腹が減っては戦(外交)はできん。それに、君はドレスの締め付けで酸欠気味だろう? 血糖値を上げておけ」

「……お見通しですか」

「君の顔色を見ればわかる。呼吸が浅い」

彼は手際よく皿を取り、一口サイズのカナッペやローストビーフを盛り付けていく。

「ほら、あーん」

「っ!? か、閣下! 公衆の面前です!」

「誰も見ていない。みんな怖がってこっちを見ないからな」

確かに。

周囲の人々は、私たちから半径五メートル以内の『絶対防衛圏』には近づこうとしない。

遠巻きにチラチラ見ているだけだ。

「自分で食べます!」

私は皿を奪い取り、ローストビーフを口に放り込んだ。

美味しい。

王家のシェフの本気を感じる。

「……ふふっ」

アイザック宰相が笑った。

「なんだ、その顔は。リスみたいだぞ」

「失敬な。咀嚼(そしゃく)の効率化を図っているだけです」

「可愛いと言っているんだ」

「……ブッ!」

私は危うく肉を喉に詰まらせそうになった。

「な、何を不意打ちで……!」

「事実を述べたまでだ。君は、仕事をしている時と食べている時が一番輝いている」

彼はナプキンで私の口元を拭ってくれた。

その手つきがあまりに自然で、あまりに優しくて。

私は再び、原因不明の動悸に襲われた。

(おかしい。この会場の空調、設定温度が高すぎるのでは?)

私が顔を扇子で仰いでいると、アイザック宰相がふと視線を鋭くした。

「……来たか」

「え?」

彼の視線の先。

会場の入り口が再び開き、ざわめきが起こっていた。

「クラーク殿下の御到着です!」

そのアナウンスと共に現れたのは。

目も当てられないほど派手な衣装をまとった、我らが元婚約者だった。

「……うわぁ」

私は思わず声を漏らした。

今日の王子は、全身金色のタキシードだった。

歩く金塊。あるいは成金趣味の仏像。

隣には、フリル過多のピンクのドレスを着たミルキー男爵令嬢がへばりついている。

「みんなぁ~! 主役の登場だよぉ~!」

ミルキーが高い声で叫ぶが、会場の反応は冷ややかだ。

「……あれが次期国王か?」

「センスが……」

「ナギー様がいなくなってから、タガが外れたな」

そんな陰口が聞こえてくる。

王子はそれに気づかず、キョロキョロと会場を見渡し……そして、私たちを見つけた。

「あっ! ナギー! 叔父上!」

王子の顔がパッと輝いた。

「見つけたぞ! やっぱり来ていたんだな!」

彼はズカズカと、私たちの『絶対防衛圏』を土足で踏み荒らして近づいてきた。

「やれやれ……」

アイザック宰相が、やれやれと肩をすくめる。

「静かなディナータイムは終了のようだな」

「迎撃しますか?」

「いや、自滅するのを待とう。……見ろ、あの顔を」

王子の顔には、なぜか自信満々の笑みが張り付いていた。

手には、一輪の赤い薔薇を持っている。

(……嫌な予感しかしません)

私は最後のローストビーフを飲み込み、戦闘態勢(ビジネススマイル)を作った。

「ナギー! 寂しかっただろう! 僕が迎えに来てやったぞ!」

王子が大声で叫んだ。

音楽が止まる。

全会場の注目が、再び私たちに集まった。

「……迎え?」

私が冷ややかに聞き返すと、王子は薔薇を突き出して言った。

「そうだ! 今夜のダンスパートナーの座を、特別に君に譲ってやる! 光栄に思え!」

「……」

会場中が凍りついた。

誰もが思っただろう。

(この王子、空気が読めないにも程がある)

私は深いため息をついた。

せっかくの美味しい料理の後味が、台無しである。

「殿下。お断りします」

「え?」

「私は今、業務中です。ダンスという非生産的な運動に割くカロリーはありません」

「ぎょ、業務!? こんな華やかな場所で何を!?」

「『害虫駆除』です」

私はニッコリと笑った。

「貴方様のような、勘違いした虫を追い払うのが、今の私の仕事ですので」

「なっ……!?」

王子が絶句する。

その横で、アイザック宰相が眼鏡を押し上げ、静かに告げた。

「聞いたか、クラーク。彼女は忙しい。……それとも、私が相手をしてやろうか? ダンスのかわりに、『予算審議の舞(説教)』でも」

「ひぃッ!」

王子が青ざめて後ずさる。

夜会はまだ始まったばかり。

波乱の予感しかしなかった。
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