え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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「……ハックション!」

宰相官邸の執務室に、可愛らしいくしゃみが響いた。

「大丈夫か、ナギー」

アイザック宰相が、心配そうに私の顔を覗き込む。

昨夜の雨の中の相合い傘。

彼が上着を貸してくれたおかげで、私はほとんど濡れなかったはずだが、どうやら少し冷えてしまったらしい。

「問題ありません、閣下。ただの生理現象です。業務に支障はありません」

私は鼻をすすり、分厚いファイルをめくった。

「それより閣下、お熱はありませんか? 昨夜はずぶ濡れでしたから」

「私は頑丈だ。それに……」

彼は口元を緩めた。

「君の淹れてくれた生姜湯が効いたようだ」

「それは何よりです。……ですが、あまり無理はしないでくださいね。閣下が倒れたら、私はまた『ブラック職場』に逆戻りですから」

「ふっ、君のためにも健康管理は徹底しよう」

平和だ。

外は快晴。

室内は適温。

上司との関係は良好。

このまま穏やかな午後が続くと思っていた。

その時までは。

コンコン。

控えめなノック音がした。

「入れ」

アイザック宰相が許可を出すと、入ってきたのは衛兵……ではなく、深々とフードを被った怪しい老人だった。

「……誰だ?」

アイザック宰相の目が鋭くなる。

老人はゆっくりとフードを取った。

そこに現れたのは、白髪の上品な紳士。

よく見れば、その顔立ちはクラーク王子を百倍賢くし、渋みを加えたような……。

「……国王陛下?」

私が呟くと、老人は「しーっ」と人差し指を口に当てた。

「お忍びじゃよ、ナギーちゃん。アイザック」

この国の最高権力者、国王陛下その人であった。

私たちは慌てて立ち上がり、最敬礼をした。

「へ、陛下! 御前失礼いたしました! しかし、なぜこのような場所に護衛もつけずに?」

アイザック宰相が驚きを隠せない様子で問う。

国王陛下は、よろよろとソファーに倒れ込んだ。

「……逃げてきたんじゃ」

「逃げてきた? 誰からですか? 暗殺者ですか?」

「いや」

国王陛下は、遠い目をして言った。

「『請求書』からじゃ」

「……はい?」

「財務大臣がな、鬼の形相でわしの寝室まで追いかけてくるんじゃよ。『陛下! もう金がありません! このままでは国が破産します!』とな……」

国王陛下は、懐からクシャクシャになった羊皮紙を取り出し、テーブルに放り投げた。

「これを見てくれ」

私とアイザック宰相は、顔を見合わせてからその紙を覗き込んだ。

そこには、『今月の臨時支出一覧』と書かれていた。

項目を目で追う。

『1.ミルキー男爵令嬢のドレス代(ピンク色のみ):金貨三千枚』
『2.ミルキー男爵令嬢の靴代(リボン付き):金貨五百枚』
『3.クラーク王子の慰めパーティー費用:金貨一万枚』
『4.王子の執務室の改修費(池に落ちた王璽の捜索費用含む):金貨二千枚』

ここまでは、まあ想定の範囲内だ(酷いけれど)。

問題は、その下だった。

『5.隣国からの最高級カカオ豆輸入契約(誤発注):金貨十万枚』

「……じゅ、十万枚!?」

私が素っ頓狂な声を上げると、国王陛下がガクリと項垂(うなだ)れた。

「クラークのやつがな……『ナギーがいないから寂しい。甘いものが食べたい』と言って、貿易書類に適当にサインしおったんじゃ」

「……」

「本来なら『一〇〇袋』と書くべきところを、涙で手が滑ったのか、ゼロを三つ多く書き足して『一〇〇〇〇〇袋』にしおった」

「……」

「おかげで、来月にはこの王都がカカオ豆で埋め尽くされることになる。キャンセル料だけで国庫が空になるわい」

沈黙。

私とアイザック宰相は、同時に天を仰いだ。

バカだ。

想像を絶するバカだ。

桁間違いなど、新人事務官でもやらない初歩的ミスである。

「さらにじゃ」

国王陛下は泣きそうな顔で続けた。

「ミルキー嬢が『私、王妃様になったらお城をピンク色に塗りたいの♡』と言い出してな。業者がすでに見積もりを出して工事に着手しておる」

「止めてください! 今すぐ!」

私が叫ぶと、陛下は首を振った。

「止めようとしたんじゃが、クラークが『ミルキーの夢を壊すな! パパの意地悪!』と暴れて、王璽(予備)を勝手に押してしまってな……」

「……あのバカ王子、王璽をオモチャか何かだと思っているのですか?」

アイザック宰相の声が、地獄の底から響くように低い。

「叔父として、一度あやつの首をねじ切っておくべきだったか」

「同感です閣下。ですが、今は殺意よりも対策が必要です」

私は冷静に『支出一覧』を分析した。

「……詰んでますね」

「えっ」

「現状の歳入では、この負債をカバーできません。増税すれば暴動が起きます。借金をすれば属国化します。……詰み(チェックメイト)です」

「そ、そんなぁ……!」

国王陛下がテーブルに突っ伏して泣き出した。

「わしの代で王国が終わるのか……! 歴史書に『カカオ豆で滅んだ国』と書かれるのか……! 嫌じゃあぁぁ!」

一国の王が、孫の前で泣く祖父のように取り乱している。

正直、同情はする。

あの息子を持ったことが、陛下の最大の不幸だ。

だが。

「……陛下」

私は冷ややかに告げた。

「お言葉ですが、これは『王家の問題』です。一介の宰相補佐官である私には、どうすることもできません」

「冷たいこと言わんでくれ、ナギーちゃん!」

陛下が私の手にすがりついた。

「君しかおらんのじゃ! あのバカ息子の尻拭いを十年も完璧にこなしてきた君なら、この危機もなんとかできるはずじゃ!」

「できますが、やりません」

私は手を振りほどいた。

「私はクビになった身です。いまさら泥船に乗る趣味はありません」

「そ、そこをなんとかならんか! ボーナス出すから! 勲章もあげるから!」

「勲章など食べられません」

「アイザック! お前からも言ってやってくれ!」

陛下が宰相に助けを求める。

アイザック宰相は腕を組み、冷徹に言い放った。

「陛下。私はナギーの意思を尊重します。彼女にこれ以上の負担を強いるなら、私が陛下を敵に回します」

「うぐっ……! 叔父と甥でわしをいじめるのか……!」

陛下がシクシクと泣く。

カオスだ。

この国のトップたちが、揃いも揃ってこれでは。

私はため息をつき、もう一度あの『支出一覧』を見た。

カカオ豆十万枚。

確かに絶望的な数字だ。

だが、私の脳内計算機(スーパー・ナギー・コンピューター)が、チロチロと解法を弾き出し始めていた。

(……待てよ?)

十万枚のカカオ。

普通に考えれば在庫過多の不良債権だ。

だが、もしこれを逆に利用したら?

カカオ相場は現在、北方の国々では高騰しているはず。

そして、ミルキー嬢が発注したというピンク色のペンキ。

あれも、顔料として分解すれば、染料不足に悩む織物産業へ転売できるのでは?

(……いける)

ピンチはチャンス。

ゴミを黄金に変えるのが、私の錬金術(事務処理能力)だ。

それに。

もし国が破産すれば、私の愛する宰相官邸も閉鎖され、アイザック閣下も失職する。

それだけは阻止せねばならない。

私の「快適な職場ライフ」を守るために。

「……はぁ」

私はわざとらしく、深いため息をついた。

「陛下」

「ナ、ナギーちゃん?」

「条件があります」

「条件?」

陛下が涙目で顔を上げる。

私はニヤリと笑った。

悪役令嬢らしい、ふてぶてしく、計算高い笑みを浮かべて。

「この国を救って差し上げても構いません。ですが、タダではありませんよ?」

「な、なんでも言うことを聞く! 金か? 領地か? それともクラークの首か?」

「クラーク殿下の首はいりません。生ゴミの処理に困りますから」

私はアイザック宰相を振り返った。

彼は、私が何を言い出すか察しているのか、面白そうに口角を上げている。

「私の要求は三つです」

私は指を三本立てた。

「一つ。今回の事態収拾における『全権委任』を私に与えること。王族だろうが大臣だろうが、私の指示には絶対服従です」

「う、うむ。認めよう」

「二つ。事態収拾後、クラーク殿下とミルキー男爵令嬢には、相応の『罰』を受けていただくこと。二度と私の視界に入らない場所へ飛ばしていただきます」

「……わかった。あやつらには教育が必要じゃ」

「そして、三つ目」

私はアイザック宰相の手を取り、陛下の前に引き寄せた。

「これが一番重要です」

「な、なんじゃ?」

私は高らかに宣言した。

「私とアイザック・ル・グラン宰相との『婚約』を、国王陛下の名において正式に許可してください」

「……は?」

陛下がポカンとする。

アイザック宰相が、驚いたように私を見た。

「ナギー……?」

「いいえ、許可だけでは足りませんね」

私はさらに畳み掛けた。

「結婚式の仲人は陛下にお願いします。そして、新婚旅行の費用は全額国庫負担。これが条件です。……いかがですか?」

沈黙。

そして。

「……ぶっ」

アイザック宰相が吹き出した。

「く、くくく……! 新婚旅行は国庫負担か! 君らしい!」

彼は腹を抱えて笑い出した。

陛下も、目を白黒させた後、やがてパッと顔を輝かせた。

「そ、それでいいのか!?」

「はい。国を救う対価としては、破格の安さだと思いますが」

「安いもんじゃ! 即決じゃ! なんなら今すぐここで式を挙げてもいい!」

陛下がガッツポーズをする。

「よし! 交渉成立です!」

私は袖をまくり上げた。

「では、始めましょうか。ナギー・ベルシュタインによる『王国大赤字解消&ざまぁプロジェクト』、始動です!」

私の目には、炎が宿っていた。

カカオ豆も、ピンクのペンキも、バカ王子も。

すべて、私の計算の上で踊らせてやる。

そして、最高のハッピーエンド(結婚)を勝ち取るのだ。

「行くぞ、ナギー。私も全力でサポートする」

「はい、閣下! まずはカカオ豆の転売ルートの確保からですよ!」

宰相官邸の執務室が、再び熱気に包まれる。

これが、伝説となる『ナギーの財政改革』の幕開けであった。
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