え、追放してくれるんですか?じゃあ退職金代わりにその冷徹宰相をください

黒猫かの

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チュン、チュン……。

小鳥のさえずりと共に、私は目を覚ました。

見慣れない高い天井。

肌触りの良すぎるシルクのシーツ。

そして、漂ってくる焼きたてのパンとコーヒーの香り。

「……はっ!」

私はガバッと飛び起きた。

時計(魔導式)を確認する。

午前六時三十分。

「寝坊した!?」

私の体内時計は常に午前五時起床にセットされているはずだ。

それが一時間半もオーバーしている。

これは緊急事態だ。

私は慌ててベッドから降りようとして、ふと気づいた。

「……あ、そうでした」

ここ王宮の倉庫のような私の官舎ではない。

ここは、宰相アイザック・ル・グランの私邸。

そして私は昨夜、彼と「生涯雇用契約(婚約)」を結び、そのまま拉致されるようにして連れ帰られたのだった。

「……夢じゃ、なかったんですね」

私は左手の薬指を見た。

そこには、昨夜彼が「とりあえずの仮押さえだ」と言って私の指にはめた、魔石の指輪が光っていた。

その魔石は、安眠効果と疲労回復効果がある最高級品だとか。

おかげで、十年ぶりに泥のように眠ってしまったらしい。

「……不覚です。完全に『餌付け』されています」

私は苦笑しながら、身支度を整えた。

用意されていたドレス(なぜか私のサイズぴったり)に着替え、部屋を出る。

階段を降りると、ダイニングルームからアイザック宰相の声が聞こえてきた。

「……ナギーはまだか? 起こすなよ。彼女の睡眠は国益に関わるからな」

「おはようございます、閣下」

私が姿を現すと、彼は新聞を置いて立ち上がった。

「おはよう、ナギー。よく眠れたか?」

「ええ、おかげさまで。魔石の効果は絶大ですね。目覚めがスッキリしすぎて、逆に不安になるレベルです」

「それはよかった。さあ、座ってくれ。朝食だ」

テーブルには、これまた完璧な朝食が並んでいた。

彩り豊かなサラダ、ふわふわのオムレツ、そして私が愛してやまないクロワッサン。

「……閣下。これ、誰が作ったのですか?」

「私だ」

「……はい?」

「使用人はまだ出勤前だからな。君の好みを熟知している私が作った方が、栄養バランス的にも確実だ」

「……」

スペックが高すぎる。

この国の宰相は、料理までプロ級なのか。

私は席に着き、コーヒーを一口飲んだ。

完璧な温度。

「美味しいです。……悔しいですが、胃袋を完全に掌握されました」

「ふっ、計算通りだ」

彼は満足げに微笑み、自分の席に着いた。

そして、ふと真顔になり、指先でテーブルをトントンと叩いた。

「ところで、ナギー」

「はい、なんでしょう。今日のスケジュール確認ですか?」

「いや。契約の履行についてだ」

「契約?」

彼は懐から、昨夜サインしたあの『決算書の裏紙』を取り出した。

「条項を確認しよう。追記部分だ。『乙(ナギー)は、甲(アイザック)に対し、毎日のおはようのキスを要求する』……だったな?」

「……あ」

私はパンを持ったまま固まった。

確かに言った。

昨夜の私は、ブランデーと雰囲気に酔って、勢いでそんな恥ずかしい条件を突きつけたのだ。

「えっと……それは、その……」

「契約は絶対だ。君が一番よく知っているはずだろう?」

アイザック宰相が、悪戯っぽく、しかし逃がさないという強い瞳で私を見る。

「それとも、契約不履行で違約金を払うか?」

「……ぐぬぬ」

論理(ロジック)で攻められると弱い。

私は観念して、フォークを置いた。

「わかりました。履行します」

「うむ」

「ですが、効率性を重視してください。時間は三分以内。接触面積は最小限に……」

私がブツブツ言い訳をしている間に、彼は身を乗り出し、テーブル越しに私の頬に手を添えた。

「……ん」

触れるだけの、優しいキス。

朝の光の中で、彼の整った顔が目の前にある。

眼鏡を外したその瞳が、とろけるように甘く細められている。

ドクン、ドクン。

心臓が跳ねる。

たった数秒の出来事なのに、体感時間は永遠のように長く感じられた。

「……ぷはっ」

彼が唇を離すと、私は茹でダコのように真っ赤になっていた。

「……こ、これで満足ですか!」

「ああ。最高の朝だ」

彼は涼しい顔でコーヒーを啜った。

「血糖値が上がった気がする。これで今日も戦えるな」

「私はオーバーヒートしそうです……」

「慣れろ。死ぬまで続くんだぞ」

「……前言撤回します。この契約、ハードすぎます」

「返品不可だ」

私たちは笑い合った。

甘い。

砂糖を入れすぎていないか心配になるほど、この空間は甘かった。

***

一時間後。

私たちは王宮へと出勤した。

同じ馬車に乗り、同じ回廊を歩く。

いつも通りの光景だが、周囲の反応は劇的に変わっていた。

「あ、宰相閣下とナギー様だ……」

「最強のカップルだぞ……」

「目を合わせるな、予算を削られるぞ……」

すれ違う貴族や文官たちが、モーセの海割りのように道を開ける。

畏怖と、尊敬と、そして諦め。

彼らは悟ったのだ。

この二人が手を組んだ今、もはやこの国に「無駄」や「非効率」が存在する余地はないと。

「……なんだか、皆さん避けて通りませんか?」

「気のせいだろう。あるいは、私たちのオーラが眩しすぎるのかもしれない」

アイザック宰相は堂々と胸を張り、執務室へと入った。

そこには、山積みの書類……ではなく、一人の人物が待ち構えていた。

「お待ちしておりました! お二人とも!」

派手なスーツを着た、恰幅の良い男。

王室御用達のイベントプランナー、ロバート氏だ。

「ロバート? なぜここに」

「もちろん! 結婚式の打ち合わせですよ!」

ロバート氏は、机の上に分厚いカタログをドンと広げた。

「国王陛下より『国を挙げて盛大に祝え』と仰せつかっております! さあ、会場は? ドレスは? 招待客は千人? 二千人?」

彼は目を輝かせてまくし立てた。

「ナギー様のドレスは、最高級のシルクで! 裾は十メートル! お色直しは五回! ケーキは十段重ねで!」

「……」

「……」

私とアイザック宰相は顔を見合わせた。

そして、同時に眼鏡の位置を直した。

「却下だ」

「却下です」

声がハモる。

ロバート氏がキョトンとする。

「えっ?」

「裾が十メートル? 歩行の妨げになります。転倒リスクを考慮してゼロにしてください」

私が指摘する。

「お色直し五回? その間、主役が不在になるのは時間の無駄だ。一回でいい」

アイザック宰相が続く。

「ケーキ十段? 倒壊の危険があります。平積みで十分です」

「招待客二千人? 挨拶だけで日が暮れる。関係者のみ、三百人に絞れ」

「えぇぇぇ!?」

ロバート氏は頭を抱えた。

「で、でも! 一生に一度の晴れ舞台ですよ!? ロマンは!? 夢は!?」

「ロマンより予算です」

「夢より実益だ」

私たちは、最強のタッグ(合理主義者コンビ)だった。

「ロバートさん。貴方のプランは『映え』を意識しすぎて、運用面(オペレーション)が破綻しています」

私は赤ペンを取り出し、彼のカタログに修正を入れ始めた。

「ここの動線が悪い。配膳スタッフと新郎新婦が衝突します。修正」

「ここの照明演出、電力の無駄だ。自然光を活かせ」

「引き出物は重いカタログではなく、実用的な商品券……いえ、図書カードにしましょう」

シュババババッ!

赤ペンが走る。

ロバート氏の顔色が青ざめていく。

「こ、こんな結婚式……聞いたことがない……! まるで『軍事作戦』の会議だ……!」

「その通りです」

私はニヤリと笑った。

「結婚式とは、一種の『プロジェクト』です。納期(挙式日)までに、限られた予算とリソースで、最大の顧客満足度(ハッピー)を引き出す。それが私の仕事です」

「ナギーの言う通りだ。我々の式に、無駄な装飾はいらん。必要なのは……」

アイザック宰相が、私の腰を引き寄せた。

「お互いの存在と、誓いの言葉。それだけで十分だ」

「……閣下」

「……ナギー」

見つめ合う二人。

背景には、赤ペンで真っ赤に修正されたカタログと、白目を剥いて倒れそうなプランナー。

「……わかりましたよぉ! やればいいんでしょう、やれば!」

ロバート氏がヤケクソ気味に叫んだ。

「お二人の『超・効率的結婚式』! 業界の伝説にしてやりますよ!」

「期待しています。納期厳守でお願いしますね」

こうして。

私たちの結婚式に向けた、怒涛の準備期間が幕を開けた。

それは、甘いマリッジ・ブルーなど入り込む隙もない、激動の『プロジェクトX(エックス)』の始まりでもあった。

私の答え?

もちろん、「イエス」だ。

だって、こんなに刺激的で、退屈しない相手は、世界中探しても彼しかいないのだから。
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