悪役令嬢は、その婚約破棄(ボーナス)を待っていた!

黒猫かの

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王宮の大広間に、よく通る声が響き渡った。

「メメリア・オルコット公爵令嬢! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」

音楽が止まり、ダンスを楽しんでいた貴族たちの視線が一斉に一点へと集中する。

声の主は、この国の第一王子、エリオット・バーンシュタイン殿下。

金髪碧眼の美しい容姿をしているが、残念なことに頭の中身は綿菓子のようにふわふわとしていることで有名だ。

その隣には、小動物のように震える男爵令嬢、ミナが寄り添っている。

「……婚約破棄、でございますか?」

名を呼ばれた私は、手に持っていたグラスを給仕の盆に静かに戻した。

扇を優雅に開き、口元の笑みを隠す。

しかし、その実、私の口角は重力に逆らうように吊り上がりそうになっていた。

(やっと……! やっと来たわ!)

心の中で、盛大なファンファーレが鳴り響く。

長かった。本当に長かった。

この馬鹿……いえ、エリオット殿下の浪費癖と、壊滅的な事務処理能力の無さに胃を痛め続けた五年間。

ようやく解放される時が来たのだ。

私は呼吸を整え、努めて冷静な声を装った。

「エリオット殿下。それは、正式な王家からの通達ということでよろしいのでしょうか?」

「くっ、あくまでシラを切るつもりか! 貴様が裏でミナに行ってきた数々の悪行、私が知らないとでも思ったか!」

エリオット殿下は、守るようにミナの肩を抱き寄せた。

ミナは上目遣いで私を見て、わざとらしく涙ぐんでみせる。

「うぅ……メメリア様、怖いですぅ……」

「大丈夫だ、ミナ。僕が君を守る。……聞け、皆の者! この女は、未来の王妃となるべき慈悲の心を持たず、か弱いミナを執拗にいじめ抜いた『悪役令嬢』なのだ!」

ざわめきが広がる。

「悪役令嬢」というレッテル貼りに、私は内心で鼻を鳴らした。

いじめ? 慈悲がない?

とんでもない言いがかりだ。

私はゆっくりと、しかし会場の隅々まで聞こえるようにはっきりと口を開く。

「殿下。具体的に、わたくしがどのような『悪行』を働いたと仰るのですか?」

「とぼけるな! 先月、ミナが王宮の廊下で転んだ際、貴様は見下ろして笑っただろう!」

「それは事実誤認ですわ。わたくしは笑ったのではなく、『床のワックスが経費削減で安物に変更されたため滑りやすくなっている』という事実を確認し、転倒事故の発生率(リスク)を計算していただけです」

「屁理屈を! なら、ミナが大切にしていた手作りのクッキーを、貴様がゴミ箱に捨てさせたのはどうだ!」

「あれはクッキーではありません。炭化した小麦粉の塊です。衛生管理基準法に基づき、王族に健康被害を及ぼす可能性のある危険物は速やかに処分させました。むしろ感謝していただきたいくらいですわ」

「なっ……!?」

エリオット殿下が言葉に詰まる。

私は扇を閉じ、さらに追撃の手を緩めない。

「それに、いじめとおっしゃいますが……わたくしがミナ嬢に接触したのは、彼女が殿下の執務室に無断侵入し、重要書類の上に紅茶をこぼした際、損害賠償請求書をお渡しした時だけですが?」

会場の空気が少し変わる。

貴族たちの視線が、私への軽蔑から、エリオット殿下とミナへの疑惑へと変わり始めた。

しかし、恋に盲目な殿下には、その空気の変化が読めないらしい。

「そ、そうだ! その請求書だ! か弱い少女に、法外な金額を請求するなど、血も涙もない悪魔の所業! ミナはショックで三日も寝込んだのだぞ!」

「法外? いいえ、適正価格です。あの書類の再発行にかかる人件費、およびインク代、紙代、そして業務遅延による損失額。すべて正確に算出し、一リエル単位まで切り捨てて請求いたしました」

私はドレスの隠しポケットから、常に携帯している愛用の小型計算機(特注品)を取り出した。

「そもそも、殿下が公務をサボってミナ嬢とピクニックに行かれた際にかかった費用、あれも王宮予算の『予備費』から使い込まれていましたよね? わたくし、あの分の補填をするために、どれだけ私財を投じたかご存知で?」

パチパチパチ、と私が計算機を叩く音が、静まり返った広間に響く。

「うっ……そ、それは……後で返すつもりだった……」

「『いつか返す』は、返さない人間の常套句です。殿下のこれまでの未払い金、および私が立て替えた慰謝料、違約金、その他諸々の経費……これらは『愛』などという不確定な資産では相殺できません」

私は一歩、前に踏み出した。

その迫力に、エリオット殿下がたじろぐ。

「わたくしは、公爵家の娘として、そして未来の国母となるべく教育を受けた者として、不正と無駄を許さないだけです。それを『悪役』と呼ぶのであれば、甘んじて受け入れましょう」

言い切った私に、会場のどこかから、ほう、と感嘆の声が漏れた。

しかし、エリオット殿下は顔を真っ赤にして叫んだ。

「だ、黙れ黙れ! 金、金、金! 貴様のような守銭奴は、僕の隣にはふさわしくない! やはり婚約は破棄だ! 今すぐにこの国から出て行け!」

決定的な言葉。

私はその言葉を待っていた。

今ここで、公衆の面前で、王族の口から「出て行け」と言質を取ること。

それが、私の完全なる勝利条件(ゴール)だったのだから。

私はすっと表情を和らげ、これまでで一番美しく、優雅なカーテシー(膝礼)を披露した。

「――謹んで、お受けいたします」

「えっ?」

予想外の反応だったのか、エリオット殿下が間抜けな声を出す。

私は顔を上げ、満面の笑みを向けた。

それは、愛する人に送る微笑みではない。

商談が成立し、莫大な利益が確定した時に商人が浮かべる、極上の「営業スマイル」だ。

「エリオット殿下、並びにミナ様。どうぞ末長くお幸せに。このメメリア、お二人の愛の障害とならぬよう、速やかに、かつ迅速に、この場から退場させていただきます」

「あ、ああ……? わ、わかればいいのだ……」

殿下は拍子抜けした顔をしている。

私が泣いて縋ると思っていたのだろうか。おめでたい頭だ。

私はくるりと背を向け、出口へと歩き出した。

(やった……! やったわ! 自由よ! これであの膨大な書類整理からも、殿下の尻拭いからも、ミナ嬢の巻き添え事故からもおさらばね!)

足取りが軽い。

ドレスが重いはずなのに、背中に羽が生えたように軽い。

会場の扉を開ける直前、私は一度だけ振り返った。

呆然と立ち尽くす元婚約者と、状況が飲み込めていない浮気相手に向かって、最後の言葉を贈る。

「ああ、そうですわ殿下。婚約破棄の『慰謝料』と、これまでの『立替経費』につきましては……後ほど、きっちりと請求させていただきますので、ご覚悟を」

私はニッコリと微笑み、分厚い扉を閉めた。

扉が閉まった瞬間、私はドレスの裾をまくり上げ、廊下を全力疾走した。

早く屋敷に帰って荷造りをしなければ。

気が変わったと言われる前に、国境を越えなければならない。

「お父様! 馬車を回して! 最高速度で!」

待っていろ、私の自由な新生活。

そして震えて眠れ、エリオット殿下。

私の請求書は、王宮のどの剣よりも鋭く、重いのだから。
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