悪役令嬢は、その婚約破棄(ボーナス)を待っていた!

黒猫かの

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「――只今より、ギルバート・フォン・アルカディア第一王子殿下、ならびにメメリア・オルコット様、ご入場です!」

王宮の大広間。

衛兵の高らかなアナウンスと共に、重厚な扉がゆっくりと開かれた。

その瞬間、数百人の視線という名のスポットライトが、私たちに突き刺さる。

(ふん、悪くないわね)

私はギルバート殿下の腕に手を添えながら、内心で冷静に分析していた。

(入場料を取れるレベルの注目度だわ。視線一つにつき1ルピ徴収できれば、今のランチ代くらいにはなるのに)

今日の私は、殿下から「支給」されたロイヤルブルーのドレスに身を包んでいる。

髪はプロの美容師(特別経費計上済み)によって結い上げられ、首元にはサファイアが輝く。

隣を歩く殿下もまた、漆黒の礼服に身を包み、その美貌は凶器レベルだ。

「……緊張しているか? メメリア」

殿下が小声で囁く。

「いいえ。緊張よりも計算に忙しくて」

私は扇で口元を隠し、小声で返した。

「天井のシャンデリア、あれだけの魔石を使っていたら維持費が莫大ですわ。それにあの生花、季節外れのバラを大量に使っていますね。輸送コストを考えると頭が痛くなります」

「……君は、こんな時まで予算の心配か」

殿下は苦笑したが、その表情はどこか誇らしげだった。

私たちは赤絨毯の上を歩き、会場の中央へと進む。

周囲からは、ひそひそとした囁き声が波のように押し寄せてくる。

「あの方が噂の……?」
「隣国から来たという『氷の宰相』の新しい補佐官か?」
「なんて美しいんだ……あの冷酷な殿下が、あんなに優しくエスコートするなんて」
「あのドレス、見たか? 王室の至宝級のサファイアだぞ……」

羨望、嫉妬、好奇心。

様々な感情が渦巻いているが、私にとっては全て「雑音(ノイズ)」だ。

私の今日のミッションは明確。

第一に、殿下のパートナーとして恥じない振る舞いをすること(契約不履行の回避)。

第二に、この場の有力者たちとコネを作り、将来の顧客リストを作成すること。

「さあ、まずはダンスだ。……私のリードに任せてくれればいい」

音楽が変わり、ワルツの調べが流れる。

殿下が恭しく手を差し出した。

「喜んで。――残業代分の働きはさせていただきます」

私はその手を取り、ダンスフロアへと滑り出した。

ワン、ツー、スリー。

ワン、ツー、スリー。

私のステップは完璧だ。

幼少期、ダンスの先生に「間違えたらおやつ抜き」と言われて叩き込まれたリズム感は、今でも健在だ。

殿下のリードもまた、完璧だった。

力強く、それでいて強引すぎない。私の動きを先読みし、流れるように誘導してくれる。

(へえ……。仕事だけじゃなくて、ダンスも一流なのね)

意外な発見だ。

くるくると回りながら、私たちは至近距離で見つめ合う。

「……君と踊ると、不思議と心が安らぐな」

殿下が吐息混じりに言う。

「そうですか? 私は心拍数を一定に保つのに必死ですが」

「照れなくていい。……今夜の君は、この会場の誰よりも美しい」

「照明効果と、ドレスの素材の勝利ですね」

「素直じゃないな。そういうところも好きだが」

甘い言葉が飛んでくるが、私は全て論理の盾で弾き返した。

ここで顔を赤らめたら、私の負け(ペースに乗せられる)だ。

曲が終わり、私たちは拍手の中でフロアを降りた。

その直後だった。

「やあやあ、ギルバート殿下! そして麗しの淑女よ!」

見るからに脂ぎった、派手な衣装の男が近寄ってきた。

恰幅が良く、指には下品なほど大きな指輪をはめている。

「……ドノバン伯爵か」

殿下の眉がピクリと動く。声の温度が一度下がった。

「いやあ、素晴らしいダンスでしたぞ! それにしても、このような美女を独り占めとは、殿下も罪作りですなぁ!」

ドノバン伯爵は、ねっとりとした視線で私を上から下まで舐め回した。

「お嬢さん、次は私と一曲どうです? 我が領地の特産品について、個室でゆっくりとお話ししたいものですなぁ」

(……出たわね、セクハラおやじ)

私の脳内ブラックリストに『ドノバン伯爵』の名が即座に登録された。

断ろうと口を開きかけた時、殿下がスッと私の前に立った。

「断る」

氷点下の声。

「伯爵。彼女は私のパートナーだ。そして今夜は、私の公務の補佐で来ている。君のような暇人とは違う」

「ひ、暇人とは失礼な! 私はただ、外交の一環として……」

「外交? 君の領地の特産品は『不正会計』と『横領』だろう? 先日の監査報告書、まだ読んでいないとでも?」

「ひっ……!?」

殿下の目が、物理的に人を殺せそうなほど鋭く光った。

ドノバン伯爵は「ヒィッ!」と悲鳴を上げ、逃げるように去っていった。

「……ふん。害虫駆除完了だ」

殿下は吐き捨てるように言い、私の方へ振り返った。

その顔には、まだ怒りの色が残っている。

「……殿下、ありがとうございます。ですが、あそこまで言わなくても」

「いいや、足りないくらいだ。あんな男に君を触らせるものか」

殿下は私の手首を掴むと、そのままスタスタと歩き出した。

「え、殿下? どこへ?」

「ここじゃ人が多すぎる。……少し、風に当たりたい」

連れて行かれたのは、会場の端にあるテラスだった。

夜風が心地よい。

月明かりの下、庭園の噴水が綺麗に見える。

(ああ、ここはいいわね。静かだし、資産価値の高そうな彫刻もあるし)

私が呑気に景色を眺めていると、突然、殿下が私の前に立ちはだかった。

そして。

ドンッ!

低い音が響いた。

私の背後の柱に、殿下の右手が叩きつけられたのだ。

いわゆる、『壁ドン』というやつだ。

「……殿下?」

私は目を瞬かせた。

殿下の顔が近い。

普段の冷静な宰相の顔ではなく、熱を帯びた雄の顔をしている。

「……メメリア」

「はい。……あの、柱の塗装が剥げるので、もう少し優しく……」

「黙って聞け」

殿下はもう片方の手も壁につき、私を完全に両腕の中に閉じ込めた。

逃げ場はない。

「さっきの男のような輩が、君を見るのが気に入らない」

「はあ。視界に入るのは不可抗力かと」

「他の男と話すのも、笑いかけるのも嫌だ。……君を、私だけのものにしたい」

真剣な声。

甘く、低く、重い、独占欲の塊のような声。

普通の令嬢なら、ここで腰を抜かして「喜んで!」と答える場面だろう。

しかし。

私の脳裏に浮かんだのは、ときめきではなく『法律用語』だった。

私は冷静に、殿下の胸元に人差し指を立てた。

「殿下。その発言は、公正取引委員会的にアウトです」

「……は?」

殿下の動きが止まった。

「『私だけのものにする』。つまり市場の独占(モノポリー)ですよね? 一人の供給者(わたし)を特定の消費者(でんか)が囲い込む行為は、健全な競争を阻害し、市場価格の硬直化を招きます」

「……市場価格?」

「ええ。私の価値は、多くの需要(オファー)があってこそ高まるものです。それを殿下が独占しようとするのは、いわば『不当な取引制限』に当たります。独占禁止法違反で訴えますよ?」

私の流れるような反論に、殿下はポカンと口を開けた。

数秒の沈黙の後。

殿下は壁から手を離し、ガクッと膝をついた。

「……くっ、くくっ……ははははは!!」

夜空に向かって、殿下は大爆笑した。

「あー……腹が痛い。壁ドンをして、独占禁止法を持ち出されたのは初めてだ」

「当然です。私は自由経済の信奉者ですから」

「参ったな。……愛の告白すら、君には『商取引』に聞こえるのか」

殿下は涙を拭いながら立ち上がり、再び私を見た。

その目は、先ほどまでの激情は消え、代わりに深く優しい光を湛えていた。

「わかったよ、メメリア。独占は諦めよう。……だが」

殿下は私の手を取り、指先にそっと口づけを落とした。

「『優先交渉権』くらいは、認めてくれるだろう? 最大出資者(スポンサー)として」

その言葉に、私は思わずニヤリと笑ってしまった。

上手い。

私の言語(ルール)に合わせてくるとは。

「……ええ、認めましょう。今のところ、殿下が一番の『優良顧客』であることは間違いありませんから」

「光栄だ。では、引き続き投資を続けさせてもらおうか」

「高利回りで運用させていただきますわ」

私たちは月明かりの下、共犯者のように笑い合った。

ロマンチックなムードは微塵もない。

けれど、この奇妙な距離感が、私には何より心地よかった。

「さて、そろそろ戻りましょうか。デザートビュッフェの原価計算がまだ残っていますので」

「……君は本当に、ブレないな」

殿下は呆れつつも、しっかりと私の手を握り、エスコートしてくれた。

その手が、先ほどよりも強く、温かく感じられたのは……きっと気温のせいだけではないだろう。

(まあ、悪くない契約先(パートナー)ね)

私は心の中で、殿下の評価ランクを『A』から『S』へとこっそり格上げした。

もちろん、本人には絶対に言わないけれど。
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