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王宮の夜は早い。
公務員たちが定時で帰宅し、静寂に包まれた廊下を、私は一人で歩いていた。
時刻は二十一時。
今日は珍しく、結婚式の引き出物選定(カタログギフトの原価比較)に熱中してしまい、少し遅くなってしまった。
「ふあぁ……。明日は早めに出勤して、引き出物の発注を確定させないと」
私はあくびを噛み殺し、愛用の計算機をポケットにしまった。
カツ、カツ、カツ。
私の足音だけが響く廊下。
しかし、私の「管理者としての勘」が、背後に妙な気配を感じ取っていた。
(……足音?)
不規則で、何かを引きずるような音。
そして、荒い呼吸音。
私は立ち止まり、背後の角を曲がろうとした――その瞬間だった。
「――そこまでだ、メメリア!!」
暗闇から飛び出してきた影が、私の行く手を塞いだ。
「エリオット殿下?」
そこにいたのは、ボロボロの皿洗い服を着て、手には麻袋(ジャガイモが入っていたもの)を握りしめた、元婚約者だった。
髪は脂ぎり、目の下には濃い隈ができている。
その姿は、一国の王子というより、路地裏の追い剥ぎに近い。
「こんな時間に何ですか? 厨房のシフトはまだ残っているはずですが」
私が冷静に尋ねると、エリオット殿下は血走った目で叫んだ。
「うるさい! もう限界だ! あんな地獄、一秒たりとも耐えられない!」
「それは契約不履行です。違約金が発生しますよ」
「金、金、金! 貴様はそればかりだ!」
エリオット殿下はジリジリと私に近づいてくる。
「いいか、メメリア。僕は決めたんだ。……貴様を力ずくで連れ帰る!」
「力ずく?」
「そうだ! この麻袋に貴様を詰め込み、馬車に乗せて国境を越える! そしてオランヌに戻ったら、地下牢に閉じ込めて、死ぬまで僕の借金返済計画書を書かせてやる!」
あまりにも短絡的かつ犯罪的な計画。
私は呆れてため息をついた。
「殿下。その計画には、重大な欠陥(バグ)が三つあります」
私は指を折って数えた。
「一つ、王宮内での誘拐は重罪であり、即時処刑のリスクがあること。二つ、私を連れ帰っても、私が協力しなければ借金は減らないこと。そして三つ……」
私はポケットに手を入れ、愛用の計算機を握りしめた。
「私が『無抵抗なか弱い令嬢』だと、誤った見積もりをしていることです」
「はんっ! 口で勝てると思うなよ! こっちは男だ、力なら負けない!」
エリオット殿下は、私のアドバイスを無視して飛びかかってきた。
「大人しく袋に入れぇぇぇ!!」
麻袋を広げ、私の頭から被せようとする。
その動きは、悲しいほどに直線的で、隙だらけだった。
「……計算通り(想定内)です」
私はスッと半歩下がり、懐から取り出した「それ」を、振りかぶった。
そして。
ガッ!!!
鈍い音が、静寂な廊下に響き渡った。
「あ、ぐっ……!?」
エリオット殿下が、苦悶の声を上げて立ち止まる。
彼の額には、私が振り下ろした「特注計算機」の角が、深々とめり込んでいた。
「な、なんだ……それは……!?」
殿下はふらつきながら、私の手にある武器(計算機)を凝視した。
それは、ただの計算機ではない。
オルコット公爵家御用達の職人が、最高硬度のミスリル合金を削り出して作った、重量1キログラムの鈍器……もとい、事務用品だ。
四隅の角は鋭利に加工されており、いざという時は窓ガラスを割って脱出するため(という名目だが、実際は護身用)の仕様になっている。
「ご紹介しましょう。私の相棒、『利益確定くん一号』です」
私は計算機についた皮脂をハンカチで拭き取った。
「本来は数字を叩くものですが、時には『売掛金を踏み倒そうとする悪質な顧客』の頭を叩くのにも使用します。……威力は、ご覧の通り」
「ぶ、武器……だと……!?」
「いいえ、文房具です。正当防衛ですので、過剰防衛には当たりません」
エリオット殿下は額を押さえ、後ずさった。
「き、貴様……可愛げがないにも程があるぞ! 女なら、キャーと言って震えていろ!」
「震えている暇があったら、反撃の機会利益(チャンス)を計算します」
私は計算機を構え直し、一歩踏み出した。
「さて、殿下。これ以上の抵抗は、医療費の増大を招くだけですが……まだやりますか?」
私の冷たい瞳と、鈍く光るミスリル合金の輝き。
エリオット殿下は「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。
しかし、彼もまた追い詰められたネズミだ。
「く、くそぉぉ! こうなったら!」
殿下は懐から、厨房から盗んできたであろう、一本のナイフ(果物用)を取り出した。
「脅しは終わりだ! 手足の一本くらい傷つけても、連れて帰ればこっちのものだ!」
キラリと光る刃物。
流石に、これはまずい。
計算機のリーチ(攻撃範囲)では、ナイフには勝てない。
(……逃げるが勝ち、ね)
私が戦略的撤退を計算し、後ろに下がろうとした時だった。
「――そこまでだ、下種(げす)野郎」
廊下の奥から、地獄の底から響くような、低く、怒りに満ちた声が聞こえた。
エリオット殿下がビクリと震えて動きを止める。
「だ、誰だ!?」
闇の中から現れたのは、漆黒のコートを翻した、ギルバート殿下だった。
その手には剣など持っていない。
しかし、全身から立ち上る殺気は、鋭利な刃物以上に空気を切り裂いていた。
「……私の婚約者に、その汚いナイフを向けたな?」
ギルバート殿下の瞳が、青白く光っているように見える。
「その罪……万死に値すると思え」
圧倒的な強者のオーラ。
エリオット殿下の持つ果物ナイフが、爪楊枝のように頼りなく見えた。
「ギ、ギルバート……!?」
「メメリア、下がっていろ。……返り血がつくと、クリーニング代がかかるだろう?」
ギルバート殿下は、私に向かって優しく、しかし有無を言わせぬ笑顔を向けた。
「あとは私が処理(始末)する。……コストはかからない。一瞬で終わるからな」
宰相閣下が、ゆっくりと手袋を脱ぎ捨てる。
それは、完全なる「処刑」の合図だった。
公務員たちが定時で帰宅し、静寂に包まれた廊下を、私は一人で歩いていた。
時刻は二十一時。
今日は珍しく、結婚式の引き出物選定(カタログギフトの原価比較)に熱中してしまい、少し遅くなってしまった。
「ふあぁ……。明日は早めに出勤して、引き出物の発注を確定させないと」
私はあくびを噛み殺し、愛用の計算機をポケットにしまった。
カツ、カツ、カツ。
私の足音だけが響く廊下。
しかし、私の「管理者としての勘」が、背後に妙な気配を感じ取っていた。
(……足音?)
不規則で、何かを引きずるような音。
そして、荒い呼吸音。
私は立ち止まり、背後の角を曲がろうとした――その瞬間だった。
「――そこまでだ、メメリア!!」
暗闇から飛び出してきた影が、私の行く手を塞いだ。
「エリオット殿下?」
そこにいたのは、ボロボロの皿洗い服を着て、手には麻袋(ジャガイモが入っていたもの)を握りしめた、元婚約者だった。
髪は脂ぎり、目の下には濃い隈ができている。
その姿は、一国の王子というより、路地裏の追い剥ぎに近い。
「こんな時間に何ですか? 厨房のシフトはまだ残っているはずですが」
私が冷静に尋ねると、エリオット殿下は血走った目で叫んだ。
「うるさい! もう限界だ! あんな地獄、一秒たりとも耐えられない!」
「それは契約不履行です。違約金が発生しますよ」
「金、金、金! 貴様はそればかりだ!」
エリオット殿下はジリジリと私に近づいてくる。
「いいか、メメリア。僕は決めたんだ。……貴様を力ずくで連れ帰る!」
「力ずく?」
「そうだ! この麻袋に貴様を詰め込み、馬車に乗せて国境を越える! そしてオランヌに戻ったら、地下牢に閉じ込めて、死ぬまで僕の借金返済計画書を書かせてやる!」
あまりにも短絡的かつ犯罪的な計画。
私は呆れてため息をついた。
「殿下。その計画には、重大な欠陥(バグ)が三つあります」
私は指を折って数えた。
「一つ、王宮内での誘拐は重罪であり、即時処刑のリスクがあること。二つ、私を連れ帰っても、私が協力しなければ借金は減らないこと。そして三つ……」
私はポケットに手を入れ、愛用の計算機を握りしめた。
「私が『無抵抗なか弱い令嬢』だと、誤った見積もりをしていることです」
「はんっ! 口で勝てると思うなよ! こっちは男だ、力なら負けない!」
エリオット殿下は、私のアドバイスを無視して飛びかかってきた。
「大人しく袋に入れぇぇぇ!!」
麻袋を広げ、私の頭から被せようとする。
その動きは、悲しいほどに直線的で、隙だらけだった。
「……計算通り(想定内)です」
私はスッと半歩下がり、懐から取り出した「それ」を、振りかぶった。
そして。
ガッ!!!
鈍い音が、静寂な廊下に響き渡った。
「あ、ぐっ……!?」
エリオット殿下が、苦悶の声を上げて立ち止まる。
彼の額には、私が振り下ろした「特注計算機」の角が、深々とめり込んでいた。
「な、なんだ……それは……!?」
殿下はふらつきながら、私の手にある武器(計算機)を凝視した。
それは、ただの計算機ではない。
オルコット公爵家御用達の職人が、最高硬度のミスリル合金を削り出して作った、重量1キログラムの鈍器……もとい、事務用品だ。
四隅の角は鋭利に加工されており、いざという時は窓ガラスを割って脱出するため(という名目だが、実際は護身用)の仕様になっている。
「ご紹介しましょう。私の相棒、『利益確定くん一号』です」
私は計算機についた皮脂をハンカチで拭き取った。
「本来は数字を叩くものですが、時には『売掛金を踏み倒そうとする悪質な顧客』の頭を叩くのにも使用します。……威力は、ご覧の通り」
「ぶ、武器……だと……!?」
「いいえ、文房具です。正当防衛ですので、過剰防衛には当たりません」
エリオット殿下は額を押さえ、後ずさった。
「き、貴様……可愛げがないにも程があるぞ! 女なら、キャーと言って震えていろ!」
「震えている暇があったら、反撃の機会利益(チャンス)を計算します」
私は計算機を構え直し、一歩踏み出した。
「さて、殿下。これ以上の抵抗は、医療費の増大を招くだけですが……まだやりますか?」
私の冷たい瞳と、鈍く光るミスリル合金の輝き。
エリオット殿下は「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。
しかし、彼もまた追い詰められたネズミだ。
「く、くそぉぉ! こうなったら!」
殿下は懐から、厨房から盗んできたであろう、一本のナイフ(果物用)を取り出した。
「脅しは終わりだ! 手足の一本くらい傷つけても、連れて帰ればこっちのものだ!」
キラリと光る刃物。
流石に、これはまずい。
計算機のリーチ(攻撃範囲)では、ナイフには勝てない。
(……逃げるが勝ち、ね)
私が戦略的撤退を計算し、後ろに下がろうとした時だった。
「――そこまでだ、下種(げす)野郎」
廊下の奥から、地獄の底から響くような、低く、怒りに満ちた声が聞こえた。
エリオット殿下がビクリと震えて動きを止める。
「だ、誰だ!?」
闇の中から現れたのは、漆黒のコートを翻した、ギルバート殿下だった。
その手には剣など持っていない。
しかし、全身から立ち上る殺気は、鋭利な刃物以上に空気を切り裂いていた。
「……私の婚約者に、その汚いナイフを向けたな?」
ギルバート殿下の瞳が、青白く光っているように見える。
「その罪……万死に値すると思え」
圧倒的な強者のオーラ。
エリオット殿下の持つ果物ナイフが、爪楊枝のように頼りなく見えた。
「ギ、ギルバート……!?」
「メメリア、下がっていろ。……返り血がつくと、クリーニング代がかかるだろう?」
ギルバート殿下は、私に向かって優しく、しかし有無を言わせぬ笑顔を向けた。
「あとは私が処理(始末)する。……コストはかからない。一瞬で終わるからな」
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