悪役令嬢は、その婚約破棄(ボーナス)を待っていた!

黒猫かの

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「ひっ……!」

ギルバート殿下の放つ殺気に、エリオット殿下は後ずさった。

手にした果物ナイフが、小刻みに震えている。

「く、来るな! 近づいたら刺すぞ! 僕は本気だ!」

エリオット殿下が叫ぶが、ギルバート殿下は歩みを止めない。

武器も持たず、優雅に、しかし捕食者が獲物を追い詰めるような足取りで近づいていく。

「刺す? その果物ナイフでか?」

ギルバート殿下は冷笑した。

「やってみるといい。だが、私の体に傷一つでもつければ……それはオランヌ王国による『宣戦布告』とみなす」

「せ、宣戦布告……!?」

「我が国の軍事力は、貴国の十倍だ。私が指を鳴らせば、明日にはオランヌの王都は灰になり、貴様の父王は路頭に迷うことになるだろう。……それでもいいなら、刺せ」

ギルバート殿下は、あえて無防備に胸を晒した。

「さあ、どうした? ナイフが重くなったか?」

「あ、あぁ……」

エリオット殿下の顔から血の気が引いていく。

一時の感情でナイフを振るえば、国が滅ぶ。

その重圧(プレッシャー)に、彼の膝がガクガクと笑い始めた。

カラン……。

乾いた音がして、ナイフが床に落ちた。

「……賢明な判断だ」

ギルバート殿下は、落ちたナイフを靴のつま先で蹴り飛ばし、エリオット殿下の胸ぐらを片手で掴み上げた。

「ぐぇっ!?」

「さて、本題だ。……貴様はメメリアを『返せ』と言ったな?」

「そ、そうだ! 彼女は僕の婚約者だったんだ! 僕のために尽くす義務がある!」

エリオット殿下は宙ぶらりんになりながらも喚いた。

「僕には彼女が必要なんだ! 彼女がいれば、借金も消えるし、面倒な書類仕事もしなくて済む! 彼女は最高の『便利な女』なんだよ!」

その言葉を聞いた瞬間。

私のこめかみに青筋が立ったが、それよりも早く、ギルバート殿下の瞳が凍りついた。

「……便利な女、か」

低い、地を這うような声。

「貴様は何もわかっていない。彼女の価値を、何一つ理解していない」

ギルバート殿下は、エリオット殿下をゴミのように投げ捨てた。

「がはっ!」

床に転がる元婚約者を見下ろし、殿下は静かに語り始めた。

「メメリアは、ただ事務処理が得意なだけの女ではない」

殿下は私の方を振り返り、その瞳に熱い光を宿して言った。

「彼女の計算機が弾き出す数字は、未来を予見する預言書だ。彼女がペンを走らせれば、赤字国債は消滅し、死んでいた事業が蘇る」

「えっ……?」

私は目を瞬かせた。

(……いや、そこまで大層なことはしてませんが。ただ無駄を削ってるだけで……)

しかし、殿下の演説は止まらない。

「彼女の徹底した合理主義は、腐敗した組織にメスを入れる名医の手技だ。そして何より……」

殿下は私の元へ歩み寄り、私の肩を抱いた。

「彼女は、私に『定時退社』という人間の尊厳を思い出させてくれた。彼女の淹れるコーヒーだけが、私の張り詰めた神経を癒してくれる。……彼女は我が国の、いや、私の『至宝』だ」

「し、至宝……?」

エリオット殿下が呆然と呟く。

「そうだ。彼女の経済効果(バリュー)は、貴様の国の国家予算を軽く超える。それを『便利な女』呼ばわりだと? ……笑わせるな」

ギルバート殿下は、私を宝物のように抱きしめながら、エリオット殿下に言い放った。

「貴様のような、彼女を『道具』として消費することしかできない無能に、彼女を所有する資格はない。彼女は、正当な対価(あい)と尊敬(リスペクト)を払える者だけが、隣に立つことを許されるのだ」

完璧な論破。

そして、恥ずかしいほどの公開プロポーズ。

私は殿下の腕の中で、顔が熱くなるのを感じた。

(……言い過ぎです、殿下。これじゃ私の時給がさらに高騰してしまうじゃないですか)

しかし、悪い気はしない。

自分の能力を正当に、いや過剰なほど評価してくれる上司(こんやくしゃ)。

これ以上の好条件はない。

エリオット殿下は、完全に言葉を失っていた。

「か、勝てない……」

彼はガックリと項垂れた。

武力でも、権力でも、そしてメメリアへの理解度でも、完敗したことを悟ったのだろう。

「……連れて行け」

ギルバート殿下が短く命じると、闇の中から控えていた護衛騎士たちが現れ、エリオット殿下を取り押さえた。

「は、離せ! 僕は王子だぞ!」

「不法侵入および誘拐未遂、さらに凶器所持の現行犯です。……地下牢で頭を冷やしていただきましょう」

騎士たちに引きずられていくエリオット殿下。

その情けない背中を見送りながら、私はふぅと息を吐いた。

「……お見事でした、殿下。私の株価をあそこまで吊り上げてくださるとは」

私が言うと、殿下はいつもの穏やかな顔に戻って、私の頭を撫でた。

「事実を述べたまでだ。……怪我はないか?」

「ええ。ですが……」

私はポケットから「利益確定くん一号(計算機)」を取り出した。

「計算機の角に、少し傷がつきました。……エリオット殿下の頭蓋骨、意外と硬かったみたいで」

ミスリル合金の角に、わずかな凹みがある。

それを見た殿下は、一瞬きょとんとして、それからお腹を抱えて笑い出した。

「くっ……ははは! まさか、あの状況で計算機で殴るとは! しかも傷を気にするのがそっちか!」

「商売道具ですから。減価償却費を請求しないと」

「わかった、わかったよ。新しいのを……いや、もっと頑丈な『ダイヤモンド製』の計算機を特注してやろう」

「ダイヤモンド? 硬度は十分ですが、光の反射で数字が見にくくなるリスクが……」

私たちがそんな平和な(?)会話をしていると、廊下の角から、小さな影がこっそりと逃げ出そうとしているのが見えた。

「……あ」

ミナ嬢だ。

エリオット殿下の誘拐計画を陰から見ていて、失敗したと悟るや否や、逃亡を図ったらしい。

「逃がしませんよ、共犯者」

私が声をかけると、ミナ嬢はビクリと肩を震わせ、ぎこちなく振り返った。

「あ、あはは……散歩してたらぁ、迷子になっちゃってぇ……」

苦しい言い訳。

ギルバート殿下の目が、再び冷たく細められた。

「……散歩か。なら、私の執務室まで案内しようか? 君にも聞きたいことが山ほどある」

「ひぃっ!?」

ミナ嬢の顔が引きつる。

「さて、メメリア。今夜は長い夜になりそうだ。……残業に付き合ってくれるか?」

殿下がニヤリと笑う。

私は肩をすくめ、愛用の(少し傷ついた)計算機をポケットにしまった。

「ええ、喜んで。深夜手当と危険手当、きっちり計上させていただきますわ」

私たちは逃げようとするミナ嬢を挟み撃ちにするように、ゆっくりと歩み寄った。

悪役令嬢と鉄血宰相。

この最強コンビに目をつけられた時点で、彼らの運命(破産)は確定していたのである。
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