歓喜!婚約破棄で田舎へ逃亡します!

黒猫かの

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「……アレック王子ですね。あの無駄に派手な馬車は間違いありません」


私は窓から見下ろす景色に、冷ややかな視線を送った。


城門の前で、王家の紋章を掲げた馬車が立ち往生している。


門番の騎士たちが槍を交差させ、通行を阻止しているようだ。


遠目にも、馬車から降りた金髪の男が何か喚き散らしているのが見える。


「……排除するか?」


隣に立つシルベスターが、低い声で言った。


彼の手には、いつの間にか漆黒の魔力が集束し、バチバチと不穏な音を立てている。


「あの距離なら、『極大消滅魔法(ヴォイド・ブラスト)』で馬車ごと塵にできるぞ」


「やめてください。国際問題になります」


私は慌てて彼の手を押さえた。


魔王公爵は冗談が通じないから困る。


「それに、塵にしたら掃除が大変です。セバスチャンの負担を増やさないでください」


「では、どうする? 城に入れるか?」


「嫌です。せっかくの素晴らしい朝の余韻が台無しになります」


私はきっぱりと首を横に振った。


昨夜も(不本意ながら)シルベスターと添い寝をしたおかげで、私のコンディションは絶好調だ。


そこへあの騒音公害のような王子を招き入れるなど、淹れたてのハーブティーに泥水を混ぜるようなものだ。


「無視しましょう。門番には『狂犬注意。餌を与えないでください』と伝えておけば、そのうち帰るでしょう」


「……なるほど。放置か。合理的だな」


シルベスターは魔力を霧散させ、ニヤリと笑った。


「だが、城にいると奴の叫び声が聞こえてくるかもしれない。それは俺の安眠……いや、平穏な休日を妨げる」


「確かに。耳障りですね」


「ならば、出かけよう」


「へ?」


「城下町への視察だ。……いや、デートと言った方が正しいか」


シルベスターは私の腰を引き寄せた。


「お前のパジャマが、まだあの地味なジャージしかないのが気になっていた。王都から取り寄せた最高級品もいいが、実際に触れて選びたい」


「……お買い物、ですか?」


「ああ。ついでに、より快適な枕やアロマも探そう。俺たちの安眠環境を極めるために」


その提案は、私の心に深く刺さった。


アレック王子の相手をするのと、最高級の寝具を探しに行くのと、どちらが有意義か。


比べるまでもない。


「……行きましょう。裏門から抜け出せば、王子に見つからずに済みます」


「よし。エスコートしよう」


私たちは共犯者のような笑みを交わし、執務室を後にした。


***


常闇の城の城下町は、想像以上に賑わっていた。


辺境とはいえ、軍事拠点であり交易の要衝でもあるため、人と物が溢れている。


しかし、私たちが歩き出すと、その喧騒が一瞬で静まり返った。


サァァァッ……。


まるで海が割れるように、人波が左右に分かれていく。


「……見ろ、閣下だ……」


「魔王様がお降りになったぞ……」


「隣にいるのは誰だ? 連れ去られた生贄か?」


「いや、噂の『安眠の女神』らしいぞ……」


住民たちは、畏怖と好奇心が入り混じった視線で私たちを見つめ、深々と頭を下げていく。


シルベスターは黒いロングコートに身を包み、私はフードを目深に被っているが、彼の隠しきれない魔王オーラで正体はバレバレだ。


「……目立ちますね」


「そうか? いつも通りだが」


シルベスターは気にする様子もなく、私の手を取って大通りを歩く。


彼にとっては、これが通常の『散歩』なのだろう。


「ここだ」


彼が足を止めたのは、街一番の大きな寝具店だった。


看板には『羊の見た夢亭』と書かれている。


「入るぞ」


カランコロン♪


ドアを開けると、店主らしき中年の男性が飛び出してきた。


「い、いらっしゃいませぇっ! こ、こ、これはナイトメア公爵閣下! 本日はどのようなご用件で……!?」


店主はガタガタと震えながら、額を床に擦り付けんばかりに平伏した。


「楽にしろ。今日は公務ではない。私的な買い物だ」


「は、はいっ! し、私的……?」


「寝具を探している。最高級のものを」


「さ、最高級……! ございます! 当店自慢の品々が!」


店主は這うようにして案内を始めた。


店内には、様々な素材の枕、布団、シーツが所狭しと並べられている。


私にとっては宝の山だ。


「わぁ……この羽毛、五層構造になっているわ」


「こちらのシルクは肌触りが違いますね。摩擦係数がゼロに近いです」


私が商品を手に取って目を輝かせていると、シルベスターが真剣な顔で枕コーナーに立っていた。


彼は一つの枕を手に取り、親指でグッと押し込んだ。


「……反発が遅い。これでは寝返りを打った際、首への追従性が〇・五秒遅れる」


「は、はあ……」


「こっちは硬すぎる。俺の筋肉が緊張状態になる。敵襲と勘違いして魔法を放ちかねない」


「そ、それは困りますぅ!」


店主が悲鳴を上げる。


シルベスターの基準は、一般人のそれとは次元が違った。


彼は枕選びを、まるで武器の選定のように厳格に行っていた。


「カモミール、ちょっと来い」


「はい?」


私が近づくと、彼はいきなり私の頬に、ふわふわのクッションを押し当てた。


「むぐっ」


「……ふむ。やはり、お前の頬の柔らかさには劣るな」


「何と比較しているんですか」


「店主。この女の二の腕と同じ弾力、かつ、この女の髪のような滑らかさを持つ枕はないか?」


シルベスターは真顔で店主に問うた。


店主は目を白黒させ、私とシルベスターを交互に見た。


そして、何かを察したように顔を赤らめた。


「あ、ああ~! なるほど、そういうご関係で! いやはや、閣下もお熱いですねぇ!」


「熱い? いや、体温の話なら、カモミールは平熱だ。むしろ低血圧で手足が冷えやすい」


「いえいえ、愛の熱量のお話ですよ! 恋人同士のラブラブな空間作り、お任せください!」


店主は勘違いしたまま、奥の棚からピンク色の包みを取り出した。


「こちらは『新婚さんいらっしゃいセット』です! ダブルサイズの枕に、二人がくっついて寝ても蒸れない通気性抜群のシーツ! さらに、愛の営みを盛り上げるアロマキャンドルもお付けします!」


「……ほう」


シルベスターが興味深そうに頷く。


「二人がくっついても蒸れない……それは重要だ。カモミールは暑がりだからな」


「ちょっと閣下! 変な納得の仕方をしないでください!」


私は慌てて彼の袖を引いた。


「新婚さんセットなんて買いませんよ! 私たちはビジネスパートナーです!」


「だが、機能性は高そうだぞ。それに、このアロマ……」


シルベスターはキャンドルの香りを嗅いだ。


「……悪くない。お前の匂いに少し似ている」


「似てません! それはイランイランの香りです! 催淫効果があるやつです!」


「催淫……? よく分からんが、よく眠れそうだ」


「眠るどころか目が冴える香りですよ! もう、私が選びますから黙っていてください!」


私は顔から火が出る思いで、シルベスターを売り場の隅に追いやった。


結局、私は自分用のシンプルなパジャマと、シルベスター用の抱き枕(代用品として使わせるため)を購入することにした。


「これらを屋敷に送っておいてくれ」


シルベスターが金貨を一枚、カウンターに置いた。


「お釣りはいらん」


「い、一枚!? これでは店ごと買えてしまいますが!?」


「手間賃だ。俺の『大事なパートナー』に合う品を揃えてくれた礼だ」


シルベスターは私の腰に手を回し、店主にウインク(のような瞬き)をした。


店主は「ひゃあああ! ありがとうございますぅぅ!」と拝み倒していた。


店を出ると、外の空気はすっかり秋めいていた。


「……買いすぎましたね」


「そうか? 俺としては、お前専用のオーダーメイド枕も作りたかったのだが」


「それはまた今度です。お腹が空きました」


「では、昼食にしよう。この近くに、隠れ家的なレストランがある」


シルベスターに連れられて入ったのは、路地裏にある小さな店だった。


そこでは、地元の食材を使った素朴だが温かいシチューと、焼きたてのパンが出された。


「……美味しい」


一口食べて、私は思わず頬を緩めた。


王宮の豪華な料理よりも、ずっと体に染み渡る味だ。


「そうだろう。俺が唯一、一人で来られる店だ」


シルベスターも満足げにスープを飲んでいる。


ふと、彼が私を見つめているのに気づいた。


「……なんですか? 口に何かついていますか?」


「いや。……お前がそんな風に笑うのを、初めて見た気がしてな」


「え?」


「いつもは眠そうな顔か、怒った顔か、呆れた顔ばかりだろう。……笑うと、可愛いな」


彼はさらりと、爆弾のようなセリフを落とした。


私はスプーンを取り落としそうになった。


「……っ、からかわないでください。不意打ちは反則です」


「事実を言っただけだ。それに、お前が笑っていると、俺も心が安らぐ。……眠くなるほどにな」


シルベスターは目を細めた。


その表情は、とても穏やかで、優しかった。


私は胸の奥がトクン、と跳ねるのを感じた。


これは何だろう。


不整脈だろうか。それとも、カフェインの摂りすぎだろうか。


(……違う。これは……)


私はあえてその正体を突き止めないことにした。


今はまだ、『安眠コンサルタント』と『雇用主』の関係でいい。


この心地よい距離感を、壊したくないから。


「……早く食べて帰りましょう。食べ終わったら、昼寝の時間ですよ」


私は照れ隠しにそう言って、パンをかじった。


「ああ、そうだな。帰りの馬車で寝るとするか」


「馬車じゃなくて、ちゃんとベッドで寝てください」


私たちは穏やかな時間を過ごした。


王都の喧騒も、激務の日々も、すべてが遠い過去のようだ。


しかし。


そんな平和な時間は、長くは続かなかった。


買い物を終え、満足した気分で裏門から城に戻ると、そこにはセバスチャンが青い顔で待ち構えていた。


「お、お嬢様! 閣下! 大変でございます!」


「どうした、騒々しい」


シルベスターが眉をひそめる。


セバスチャンは震える指で、城の正門の方角を指差した。


「あ、アレック殿下が……強行突破されました!」


「は?」


「門番が止めるのも聞かず、『カモミールに会わせろ!』と喚きながら、城壁をよじ登って侵入されたのです!」


「……よじ登った?」


私は耳を疑った。


あのひ弱なボンボン王子が、垂直に近い城壁を?


「執念ですね……」


「愛の力だと言っておりました」


「いいえ、それは労働力不足による狂気です」


私は冷静に分析した。


「現在、殿下は中庭で暴れておられます! 騎士団が取り押さようとしていますが、『私は王太子だぞ! 無礼者!』と暴れて手がつけられません!」


「……チッ。やはり消滅させておくべきだったか」


シルベスターが舌打ちをし、殺気立った魔力を放ち始めた。


「待ってください。ここで殺すと、本当に戦争になります」


私は彼を制止した。


ついに、来てしまったか。


避けては通れない、元婚約者との直接対決。


私は深呼吸をし、買ってきたばかりのパジャマの包みをセバスチャンに預けた。


「シルベスター様。行きましょう」


「……会うのか?」


「ええ。逃げ回っていても、私の安眠は確保できません」


私はキッと顔を上げた。


眠そうな半眼は、今はもうない。


そこにあるのは、かつて王城で数々の修羅場を潜り抜けてきた、『鉄の女』の瞳だった。


「はっきりと言ってやります。二度と私の枕元に現れるな、と」


「……いいだろう。俺も同席する」


シルベスターが私の肩に手を置いた。


「俺の抱き枕……いや、大事な部下を脅かす害虫駆除だ。手伝ってやる」


「心強いですね。では、参りましょう」


私たちは並んで中庭へと向かった。


そこでは、泥だらけになった王子が、私の名前を叫び続けていた。


私の、そして私たちの『安眠』を守るための戦いが、今始まる。
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