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ドサッ。
「……カモミール?」
シルベスターの腕の中で、私の意識はプツリと途切れた。
最後に見たのは、いつもの余裕綽々な魔王の顔が、見たこともないほど狼狽し、恐怖に歪む瞬間だった。
「おい! どうした! カモミール! しっかりしろ!」
遠くで、獣のような咆哮が聞こえた気がした。
けれど、私は深い闇の底へと沈んでいった。
それは安眠などという生易しいものではなく、もっと根源的な『強制シャットダウン』だった。
***
「……ん……」
次に私が目を覚ました時、視界に入ってきたのは、見慣れた『翡翠の間』の天井……ではなく、シルベスターの寝室の天蓋だった。
(……私、どうしたんだっけ?)
体を起こそうとする。
不思議なことに、体は羽のように軽かった。
ここ数日の激務(主にツッコミと移動)による疲労が嘘のように消え去り、指先まで力が満ち溢れている。
まるで、全身の細胞が生まれ変わり、魔力回路が拡張されたような感覚だ。
「……これが、『魔力酔い』からの順応……?」
私はぼんやりと自分の手を見つめた。
シルベスターという規格外の魔力発生源のそばに居続けたことで、私の体質が変化し、彼の魔力に耐えうる『魔王仕様』にアップデートされたらしい。
「よく寝た……。今何時かしら?」
私は伸びをして、横を見た。
いつもなら、そこには私の専属抱き枕(シルベスター)がいるはずだ。
しかし、ベッドの隣は空っぽだった。
「……シルベスター様?」
嫌な予感がした。
私はベッドから飛び降り、部屋を見渡した。
いない。
部屋の空気は冷え切り、重苦しい静寂が支配している。
ガチャリ。
扉を開け、廊下に出る。
「セバスチャン! マリー! 誰かいないの!」
私の声に、廊下の向こうからセバスチャンが転がるように走ってきた。
「お、お嬢様! お目覚めになられたのですか!?」
彼の顔はやつれ、目の下にクマができている。
「セバスチャン、私、どれくらい寝ていたの?」
「丸三日でございます。高熱と魔力暴走で、一時はどうなることかと……」
「三日!? そんなに……」
「しかし、顔色はよろしいようで。後遺症もなさそうで安心いたしました」
「ええ、むしろ絶好調よ。……それより、シルベスター様は? 姿が見えないけれど」
私が尋ねると、セバスチャンは悲痛な面持ちで俯いた。
「……閣下は、執務室におられます」
「執務室? 仕事をしているの?」
「いいえ。……お嬢様が倒れられてから、閣下は一睡もされておりません」
「は?」
「『俺の魔力がカモミールを壊した』とご自身を責められ、片時もそばを離れず、ご自身の魔力を分け与え続けて……お嬢様の熱が下がったのを見届けてから、ふらふらと執務室へ……」
「一睡もしていない……? 三日間?」
私の背筋が凍った。
シルベスターは極度の不眠症だ。
私という「薬」があって初めて眠れるようになった彼が、三日も徹夜?
しかも、魔力を放出し続けた状態で?
「……馬鹿じゃないの」
私は悪態をつき、走り出した。
「お嬢様! まだ安静に!」
「うるさい! 私の安眠グッズが壊れたらどうしてくれるのよ!」
私はドレスの裾を捲り上げ、廊下を疾走した。
すれ違う騎士たちも、メイドたちも、みんな沈んだ顔をしている。
城全体が、主人の不調に共鳴して悲鳴を上げているのだ。
バンッ!!
私は執務室の扉を蹴破った。
「シルベスター様!」
室内は、酷い有様だった。
書類が散乱し、魔力の残滓が黒い霧となって漂っている。
その中心、執務机に突っ伏すようにして、彼はいた。
「……シルベスター様!」
私は駆け寄り、彼の肩を揺さぶった。
反応が鈍い。
ゆっくりと顔を上げた彼の姿を見て、私は息を呑んだ。
「……か、もミール……?」
酷い顔だった。
以前の不眠症時代よりもさらに悪化している。
頬はこけ、目の下にはどす黒いクマが刻まれ、瞳は虚ろで光がない。
肌は土気色で、唇はカサカサに乾いている。
生命力の灯火が、今にも消えそうだ。
「……生きて……たか……」
彼は震える手で、私の頬に触れようとした。
「……よかった……俺のせいで……お前が……」
「馬鹿っ!」
私は彼の手をパシンと叩いた。
「なにしてるんですか! 私が寝ている間に、貴方が死にかけてどうするんですか!」
「……だめだ……俺の魔力は……毒だ……」
彼はうわ言のように呟く。
「お前を……これ以上……汚染したくない……離れろ……」
彼は私を突き放そうとした。
その力は弱々しく、赤子でも振り払えそうだった。
「……ふざけないで」
私の奥底で、何かが燃え上がった。
怒りだ。
自分の体を粗末にし、勝手に絶望し、あまつさえ私を遠ざけようとするこの不器用な魔王への、猛烈な怒り。
そして、それ以上に――彼をここまで追い詰めてしまった自分への不甲斐なさへの怒り。
「……離れません」
私は彼の胸ぐらを掴み、無理やり引き寄せた。
「誰が離れるもんですか。私は『安眠コンサルタント』ですよ? 顧客を見殺しにして逃げるような無責任な仕事はしません!」
「……カモミール……」
「いいですか、よく聞いてください。私の体はもう、貴方の魔力に順応しました。アップデート完了です。毒だなんだとウジウジ悩むのはお門違いです!」
私は彼の顔を両手で挟み、強引に上を向かせた。
「見てください、この肌艶! 三日寝ただけでプルプルですよ! 貴方の魔力は毒じゃなくて、極上の美容液だったんです!」
「……び、美容液……?」
「そうです! だから責任を感じる必要はありません! むしろ感謝してください!」
私は啖呵を切った。
「それより問題なのは貴方です! 鏡を見なさい! ゾンビ映画のエキストラでも、もう少しまともな顔色をしていますよ!」
「……俺は……眠れない……お前がいないと……」
「私がいるじゃないですか! 目の前に!」
「……幻覚じゃ……ないのか?」
「幻覚に胸ぐらを掴まれて説教される魔王がどこにいますか!」
私は深呼吸をした。
このままでは埒が明かない。
彼の精神は限界を超え、正常な判断ができなくなっている。
なら、私がやるしかない。
「……セバスチャン! ノーマン! 騎士団長!」
私は叫んだ。
「は、はいっ!」
扉の外で様子を伺っていた幹部たちが、ビシッと整列する。
「総員に告ぐ! これより『魔王強制睡眠作戦』を決行する!」
私は高らかに宣言した。
「第一部隊、寝室のベッドを最高出力で温めなさい! 第二部隊、ホットミルクとアロマの準備! 第三部隊、城内の半径一キロ以内の騒音を遮断せよ! 鳥のさえずりすら許しません!」
「イエス・マム!」
彼らは軍隊のような統率で動き出した。
私の『覚醒』した魔力が、言葉に言霊(強制力)を乗せているのかもしれない。
「そして貴方は!」
私はシルベスターに向き直った。
「今すぐ寝室へ行きます。歩けますか?」
「……無理だ……足が……」
「チッ、仕方ないですね」
私は腕まくりをした。
そして、魔力を練り上げる。
「『身体強化(フィジカル・ブースト)』! 『重量軽減(ゼロ・グラビティ)』!」
私はシルベスターの巨体を、いわゆる『お姫様抱っこ』で抱え上げた。
「なっ……!?」
周囲の使用人たちが目を剥く。
シルベスターも、虚ろな目を丸くしている。
「か、カモミール……? お前……?」
「私の抱き枕が壊れたら困るんです。修理(睡眠)が必要なら、工場(ベッド)まで運ぶのが管理者の義務でしょう?」
私はニヤリと笑った。
かつての『か弱い公爵令嬢』はもういない。
ここにいるのは、魔王すらも抱えて歩く、最強の悪役令嬢だ。
「さあ、行きますよ。暴れないでくださいね」
私は彼を抱えたまま、廊下を堂々と歩き出した。
「……強いな……お前は……」
シルベスターが私の首に腕を回し、弱々しく笑った。
「……俺の……完敗だ……」
「勝負じゃありません。共同作業です」
寝室に到着すると、すでにベッドは完璧に整えられていた。
私は彼を丁寧にベッドに下ろし、布団をかけた。
「さあ、目を閉じて」
「……まだだ……」
シルベスターが私の袖を掴んだ。
「……お前も……」
「はいはい、分かっています」
私は靴を脱ぎ、彼の隣に潜り込んだ。
「逃げませんよ。貴方が元気になるまで、ずっとここにいます」
私は彼の頭を抱き寄せ、自分の胸元に押し付けた。
いわゆる『腕枕』ならぬ『胸枕』だ。
「……いい匂いだ……」
シルベスターが安堵の息を漏らした。
「……カモミール……ごめん……」
「謝罪は起きてからにしてください。今は寝ることだけが仕事です」
私は彼のごわごわした髪を優しく撫でた。
「『痛いの痛いの飛んでいけ』……『辛いの辛いの飛んでいけ』……」
幼い頃、母にしてもらったように、リズムよく背中を叩く。
(……ああ、本当に)
私は彼を見下ろしながら思った。
この人は、魔王なんて呼ばれているけれど、中身はただの寂しがり屋で、誰よりも優しい人なのだ。
私を守ろうとして、自分の身を削ってまで。
そんな彼を、愛しくないわけがない。
「……おやすみなさい、シルベスター」
私の声に応えるように、彼の呼吸が深く、ゆっくりとしたものに変わっていった。
三日ぶりの、安息。
彼の顔から険しさが消え、穏やかな寝顔に戻っていく。
それを見届けた私は、ようやく肩の力を抜いた。
「……ふぅ。世話が焼けるわ」
私もまた、心地よい疲労感に包まれていた。
彼の体温が、私の魔力回路を満たしていく。
もはや、どちらが抱き枕か分からない。
互いが互いを必要とし、補完し合う関係。
(……これを『運命』と呼ぶなら、悪くないかもしれないわね)
私はそっと彼の額にキスを落とし、自身もまた眠りの世界へと落ちていった。
翌朝。
シルベスターは完全復活を遂げた。
「おはよう、カモミール! 力が漲る! 山一つなら消し飛ばせそうだ!」
「やめてください。山は自然保護区です」
朝から元気すぎる彼の姿を見て、私は呆れつつも安堵した。
だが、私たちの休息も束の間。
執務室には、新たな「トラブルの種」が届けられていた。
それは、王家からの正式な召喚状。
『カモミール・スリープ嬢、およびシルベスター・ナイトメア公爵。
直ちに王都へ出頭せよ。
これに応じぬ場合は、国家反逆罪とみなす』
署名は国王本人。
そして、その横には見慣れない紋章――隣国の『帝国』の紋章が押されていた。
「……どうやら、アレック殿下ごときの手には負えない事態になっているようですね」
私が手紙を弾くと、シルベスターは凶悪な笑みを浮かべた。
「いいだろう。俺の昼寝を邪魔した代償、国ごと払ってもらおうか」
「国は払えません。……でも、決着をつける時が来たようですね」
覚醒した悪役令嬢と、完全復活した魔王公爵。
最強(最恐)のカップルが、いよいよ王都へと乗り込む時が来た。
「……カモミール?」
シルベスターの腕の中で、私の意識はプツリと途切れた。
最後に見たのは、いつもの余裕綽々な魔王の顔が、見たこともないほど狼狽し、恐怖に歪む瞬間だった。
「おい! どうした! カモミール! しっかりしろ!」
遠くで、獣のような咆哮が聞こえた気がした。
けれど、私は深い闇の底へと沈んでいった。
それは安眠などという生易しいものではなく、もっと根源的な『強制シャットダウン』だった。
***
「……ん……」
次に私が目を覚ました時、視界に入ってきたのは、見慣れた『翡翠の間』の天井……ではなく、シルベスターの寝室の天蓋だった。
(……私、どうしたんだっけ?)
体を起こそうとする。
不思議なことに、体は羽のように軽かった。
ここ数日の激務(主にツッコミと移動)による疲労が嘘のように消え去り、指先まで力が満ち溢れている。
まるで、全身の細胞が生まれ変わり、魔力回路が拡張されたような感覚だ。
「……これが、『魔力酔い』からの順応……?」
私はぼんやりと自分の手を見つめた。
シルベスターという規格外の魔力発生源のそばに居続けたことで、私の体質が変化し、彼の魔力に耐えうる『魔王仕様』にアップデートされたらしい。
「よく寝た……。今何時かしら?」
私は伸びをして、横を見た。
いつもなら、そこには私の専属抱き枕(シルベスター)がいるはずだ。
しかし、ベッドの隣は空っぽだった。
「……シルベスター様?」
嫌な予感がした。
私はベッドから飛び降り、部屋を見渡した。
いない。
部屋の空気は冷え切り、重苦しい静寂が支配している。
ガチャリ。
扉を開け、廊下に出る。
「セバスチャン! マリー! 誰かいないの!」
私の声に、廊下の向こうからセバスチャンが転がるように走ってきた。
「お、お嬢様! お目覚めになられたのですか!?」
彼の顔はやつれ、目の下にクマができている。
「セバスチャン、私、どれくらい寝ていたの?」
「丸三日でございます。高熱と魔力暴走で、一時はどうなることかと……」
「三日!? そんなに……」
「しかし、顔色はよろしいようで。後遺症もなさそうで安心いたしました」
「ええ、むしろ絶好調よ。……それより、シルベスター様は? 姿が見えないけれど」
私が尋ねると、セバスチャンは悲痛な面持ちで俯いた。
「……閣下は、執務室におられます」
「執務室? 仕事をしているの?」
「いいえ。……お嬢様が倒れられてから、閣下は一睡もされておりません」
「は?」
「『俺の魔力がカモミールを壊した』とご自身を責められ、片時もそばを離れず、ご自身の魔力を分け与え続けて……お嬢様の熱が下がったのを見届けてから、ふらふらと執務室へ……」
「一睡もしていない……? 三日間?」
私の背筋が凍った。
シルベスターは極度の不眠症だ。
私という「薬」があって初めて眠れるようになった彼が、三日も徹夜?
しかも、魔力を放出し続けた状態で?
「……馬鹿じゃないの」
私は悪態をつき、走り出した。
「お嬢様! まだ安静に!」
「うるさい! 私の安眠グッズが壊れたらどうしてくれるのよ!」
私はドレスの裾を捲り上げ、廊下を疾走した。
すれ違う騎士たちも、メイドたちも、みんな沈んだ顔をしている。
城全体が、主人の不調に共鳴して悲鳴を上げているのだ。
バンッ!!
私は執務室の扉を蹴破った。
「シルベスター様!」
室内は、酷い有様だった。
書類が散乱し、魔力の残滓が黒い霧となって漂っている。
その中心、執務机に突っ伏すようにして、彼はいた。
「……シルベスター様!」
私は駆け寄り、彼の肩を揺さぶった。
反応が鈍い。
ゆっくりと顔を上げた彼の姿を見て、私は息を呑んだ。
「……か、もミール……?」
酷い顔だった。
以前の不眠症時代よりもさらに悪化している。
頬はこけ、目の下にはどす黒いクマが刻まれ、瞳は虚ろで光がない。
肌は土気色で、唇はカサカサに乾いている。
生命力の灯火が、今にも消えそうだ。
「……生きて……たか……」
彼は震える手で、私の頬に触れようとした。
「……よかった……俺のせいで……お前が……」
「馬鹿っ!」
私は彼の手をパシンと叩いた。
「なにしてるんですか! 私が寝ている間に、貴方が死にかけてどうするんですか!」
「……だめだ……俺の魔力は……毒だ……」
彼はうわ言のように呟く。
「お前を……これ以上……汚染したくない……離れろ……」
彼は私を突き放そうとした。
その力は弱々しく、赤子でも振り払えそうだった。
「……ふざけないで」
私の奥底で、何かが燃え上がった。
怒りだ。
自分の体を粗末にし、勝手に絶望し、あまつさえ私を遠ざけようとするこの不器用な魔王への、猛烈な怒り。
そして、それ以上に――彼をここまで追い詰めてしまった自分への不甲斐なさへの怒り。
「……離れません」
私は彼の胸ぐらを掴み、無理やり引き寄せた。
「誰が離れるもんですか。私は『安眠コンサルタント』ですよ? 顧客を見殺しにして逃げるような無責任な仕事はしません!」
「……カモミール……」
「いいですか、よく聞いてください。私の体はもう、貴方の魔力に順応しました。アップデート完了です。毒だなんだとウジウジ悩むのはお門違いです!」
私は彼の顔を両手で挟み、強引に上を向かせた。
「見てください、この肌艶! 三日寝ただけでプルプルですよ! 貴方の魔力は毒じゃなくて、極上の美容液だったんです!」
「……び、美容液……?」
「そうです! だから責任を感じる必要はありません! むしろ感謝してください!」
私は啖呵を切った。
「それより問題なのは貴方です! 鏡を見なさい! ゾンビ映画のエキストラでも、もう少しまともな顔色をしていますよ!」
「……俺は……眠れない……お前がいないと……」
「私がいるじゃないですか! 目の前に!」
「……幻覚じゃ……ないのか?」
「幻覚に胸ぐらを掴まれて説教される魔王がどこにいますか!」
私は深呼吸をした。
このままでは埒が明かない。
彼の精神は限界を超え、正常な判断ができなくなっている。
なら、私がやるしかない。
「……セバスチャン! ノーマン! 騎士団長!」
私は叫んだ。
「は、はいっ!」
扉の外で様子を伺っていた幹部たちが、ビシッと整列する。
「総員に告ぐ! これより『魔王強制睡眠作戦』を決行する!」
私は高らかに宣言した。
「第一部隊、寝室のベッドを最高出力で温めなさい! 第二部隊、ホットミルクとアロマの準備! 第三部隊、城内の半径一キロ以内の騒音を遮断せよ! 鳥のさえずりすら許しません!」
「イエス・マム!」
彼らは軍隊のような統率で動き出した。
私の『覚醒』した魔力が、言葉に言霊(強制力)を乗せているのかもしれない。
「そして貴方は!」
私はシルベスターに向き直った。
「今すぐ寝室へ行きます。歩けますか?」
「……無理だ……足が……」
「チッ、仕方ないですね」
私は腕まくりをした。
そして、魔力を練り上げる。
「『身体強化(フィジカル・ブースト)』! 『重量軽減(ゼロ・グラビティ)』!」
私はシルベスターの巨体を、いわゆる『お姫様抱っこ』で抱え上げた。
「なっ……!?」
周囲の使用人たちが目を剥く。
シルベスターも、虚ろな目を丸くしている。
「か、カモミール……? お前……?」
「私の抱き枕が壊れたら困るんです。修理(睡眠)が必要なら、工場(ベッド)まで運ぶのが管理者の義務でしょう?」
私はニヤリと笑った。
かつての『か弱い公爵令嬢』はもういない。
ここにいるのは、魔王すらも抱えて歩く、最強の悪役令嬢だ。
「さあ、行きますよ。暴れないでくださいね」
私は彼を抱えたまま、廊下を堂々と歩き出した。
「……強いな……お前は……」
シルベスターが私の首に腕を回し、弱々しく笑った。
「……俺の……完敗だ……」
「勝負じゃありません。共同作業です」
寝室に到着すると、すでにベッドは完璧に整えられていた。
私は彼を丁寧にベッドに下ろし、布団をかけた。
「さあ、目を閉じて」
「……まだだ……」
シルベスターが私の袖を掴んだ。
「……お前も……」
「はいはい、分かっています」
私は靴を脱ぎ、彼の隣に潜り込んだ。
「逃げませんよ。貴方が元気になるまで、ずっとここにいます」
私は彼の頭を抱き寄せ、自分の胸元に押し付けた。
いわゆる『腕枕』ならぬ『胸枕』だ。
「……いい匂いだ……」
シルベスターが安堵の息を漏らした。
「……カモミール……ごめん……」
「謝罪は起きてからにしてください。今は寝ることだけが仕事です」
私は彼のごわごわした髪を優しく撫でた。
「『痛いの痛いの飛んでいけ』……『辛いの辛いの飛んでいけ』……」
幼い頃、母にしてもらったように、リズムよく背中を叩く。
(……ああ、本当に)
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この人は、魔王なんて呼ばれているけれど、中身はただの寂しがり屋で、誰よりも優しい人なのだ。
私を守ろうとして、自分の身を削ってまで。
そんな彼を、愛しくないわけがない。
「……おやすみなさい、シルベスター」
私の声に応えるように、彼の呼吸が深く、ゆっくりとしたものに変わっていった。
三日ぶりの、安息。
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それを見届けた私は、ようやく肩の力を抜いた。
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もはや、どちらが抱き枕か分からない。
互いが互いを必要とし、補完し合う関係。
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翌朝。
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そして、その横には見慣れない紋章――隣国の『帝国』の紋章が押されていた。
「……どうやら、アレック殿下ごときの手には負えない事態になっているようですね」
私が手紙を弾くと、シルベスターは凶悪な笑みを浮かべた。
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覚醒した悪役令嬢と、完全復活した魔王公爵。
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