貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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「カトレア・フォン・オーベルヌ公爵令嬢! 貴様のような性根の腐った悪女とは、今この時をもって婚約破棄とする!!」

王城の大広間。
数百の貴族たちが集う煌びやかな夜会の最中に、その絶叫は響き渡った。

シャンパングラスの触れ合う音も、楽団が奏でていた優雅なワルツも、全てが氷結したように止まる。

集まった視線の中心にいるのは、壇上で鼻息を荒くしているこの国の王太子ジェラルド。
そして、その彼に指を突きつけられている私、カトレアだった。

「……」

私は瞬きを一つして、目の前の男を見つめる。

金髪碧眼。
白馬の王子様を絵に描いたような容姿。
しかし、その顔は怒りで真っ赤に染まり、わなわなと震えている。

(……ええと、なにごと?)

私の心中は、その一言に尽きた。
正直に言えば、状況が全く飲み込めていない。

今日は王家主催の夜会だ。
王太子の婚約者である私は、慣例通り彼のエスコートを受けるはずだった。
しかし開始時間になっても彼は現れず、仕方なく一人で会場入りしたのだ。

壁の花として大人しく過ごし、隙を見て美味しいと評判のローストビーフを確保しようと画策していた矢先のことである。

突然現れたかと思えば、壇上からこの叫び声だ。
悪女? 婚約破棄?
単語の意味はわかるが、なぜそれが私に向けられているのかが分からない。

私は困惑し、首を傾げようとした。
しかし、緊張で体が強張って動かない。

結果として、私の顔は微動だにせず、ただ無表情にジェラルド殿下を見据える形になった。

「ひっ……!」

ジェラルド殿下が、なぜか小さな悲鳴を上げて一歩後ずさる。

会場の空気が、さらに凍りついた。
周囲の貴族たちが、さざ波のように囁き合う声が聞こえてくる。

「見ろ、あの顔……」

「なんと恐ろしい。殿下の断罪を受けてなお、眉一つ動かさないとは」

「まるで汚物を見るような目だわ。王太子殿下を相手に、あの威圧感……」

「まさに『氷の悪女』。噂は本当だったのね」

(違います。ただ緊張で顔面筋が死んでいるだけです)

私は心の中で必死に弁明した。

私の名前はカトレア。
由緒正しき公爵家の娘だが、生まれつき目つきが凶悪なまでに鋭かった。
加えて極度の人見知りで口下手ときている。

黙っていれば「不機嫌」、見つめれば「威嚇」、微笑めば「殺害予告」と受け取られる人生を送ってきたのだ。
今日も今日とて、ただ立ち尽くしているだけで周囲に恐怖の結界を張ってしまっているらしい。

「だ、黙っていないで何か言ったらどうなんだ! この男爵令嬢、ミナへの数々の嫌がらせ! 知らぬ存ぜぬとは言わせないぞ!」

ジェラルド殿下が、背後に隠れていた小柄な少女を抱き寄せる。
ピンク色のふわふわした髪に、あどけない顔立ち。
最近、王宮でよく見かける男爵令嬢のミナ様だ。

彼女は私の顔を見るなり、「キャッ!」と可愛らしい悲鳴を上げて殿下の胸に顔を埋めた。

「怖い……! ジェラルド様、カトレア様の目が……私を刺し殺そうとしていますぅ!」

「大丈夫だミナ! 僕が守る! おいカトレア、その凶悪な眼光を今すぐやめろ!」

(いや、これがデフォルトなんですけど!?)

生まれたままの顔に対して「やめろ」とは、あまりに理不尽ではないだろうか。
そもそも、嫌がらせなどした覚えは全くない。

「貴様がミナの教科書を破り捨てたことは分かっている!」

(破ってません。風で飛んできたのを拾って渡そうとしたら、ミナ様が悲鳴を上げて逃げたから、手元に残っただけです)

「階段から突き落とそうとしたこともな!」

(違います。ミナ様が自分で足をもつれさせたから、支えようと手を伸ばしただけです。結局、私の手が届く前に尻餅をついて自滅されてましたが)

「お茶会でミナを無視し続けたこともだ! この冷血女め!」

(それは……単に何を話せばいいか分からなくて、頭の中で会話シミュレーションをしていたらお茶会が終わっていただけです……!)

反論したい。
声を大にして、誤解だと叫びたい。

しかし、幼少期からの「喋ると余計に怖がられる」というトラウマと、現在の異常な注目度が、私の喉をキュッと締め上げる。

「あ、あ……」

口を開こうとするが、乾いた音しか出てこない。
そのわずかな挙動さえも、周囲には脅威と映ったようだ。

「くっ、何か呪文を唱える気か!?」

ジェラルド殿下が腰の剣に手をかける。
それを見て、私は悟った。

(あ、これ無理だ。会話が成立しない)

こちらの事情を察する知能もなければ、歩み寄る気配もない。
私が何を言っても、彼らの都合の良いように脳内変換される未来しか見えない。

「もうよい! 貴様のような聞く耳持たぬ傲慢な女、もはや王太子の妃にふさわしくない! これをもって婚約を破棄し、王都からの追放を命じる!!」

ビシッ、と指を突きつけられる。
追放。
その言葉が、私の脳内でリフレインする。

王都からの追放。
つまり、実家の領地に帰れるということ?

王太子妃教育という名の地獄のようなマナー講座からも、毎日のように届くわけのわからないお茶会の招待状からも、この胃が痛くなるような夜会からも……。

全て解放されるということ!?

(やったあああああああああああああああああ!!)

私の心の中で、盛大なファンファーレが鳴り響いた。
正直、ジェラルド殿下との婚約は重荷でしかなかったのだ。
話は合わないし、ナルシストだし、私の顔を見ては「ふん、僕の美しさが引き立つな」とか言ってくるし。

それが向こうから願い下げてくれるという。
しかも追放というオマケ付きで。
これほど喜ばしいことがあろうか。

「……」

歓喜のあまり、私の顔はさらに強張ったらしい。
周囲からは「怒りで鬼の形相になっている」と見えたようで、悲鳴があちこちから上がる。

「さあ出て行け! 二度と僕とミナの前に顔を見せるな!」

ジェラルド殿下が勝ち誇ったように叫ぶ。

私は深く息を吸い込んだ。
本来なら、ここでしおらしく「承知いたしました」と涙の一つでも流して去るのが、悲劇のヒロインの作法だろう。

だが、今の私は嬉しすぎてテンションがおかしい。
それに、コミュ障特有の「焦ると変な言葉が出る」という悪癖が、この極限状態で鎌首をもたげた。

(早く帰りたい。早く帰ってお母様に報告したい。早くこの場を去らなきゃ。返事をしなきゃ。イエス。了解。承知。わかった。ウィー。ラジャー。アイアイサー)

様々な肯定の言葉が脳内で激しく衝突し、混ざり合い、そして化学反応を起こす。

私はドレスの裾を掴み、背筋を伸ばし、腹の底からありったけの声を出した。

「御意(ぎょい)ィィィィィッ!!!」

「は?」

殿下の間の抜けた顔。
ミナ様のポカンとした顔。
会場中の貴族たちの時が止まった顔。

それら全てを置き去りにして、私はきびすを返した。
ドレスなどお構いなし。
ヒールを脱ぎ捨てなかっただけ褒めてほしい。

私はかつてないほどの瞬発力で床を蹴った。
王妃教育で培われた無駄に美しい姿勢のまま、猛烈なダッシュで大広間の出口へと疾走する。

「え、あ、待っ……」

背後で殿下が何か言っていた気がするが、知ったことではない。

私は扉を開け放ち、夜の廊下へと飛び出した。
風が心地よい。
自由の風だ。

「帰れる! 私、実家に帰れるんだわ!」

走りながら、頬が緩むのを止められなかった。
きっと今、私の顔は誰が見ても分かるほどの満面の笑みを浮かべているはずだ。
(※実際には、夜闇の中で獲物を狙う猛獣のように口角が吊り上がり、衛兵たちが腰を抜かして道を開けるほどの恐怖映像となっていたのだが、本人は知る由もない)

こうして私の、冤罪による婚約破棄騒動は幕を閉じた。
そしてここから、私の勘違いだらけの辺境ライフが幕を開けることになるのである。

まさかあんな、ゴリラ……いえ、素敵な方と出会うことになるなんて、この時の私はまだ知らなかったのだから。
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