貴様のような悪女とは婚約破棄だ!と言われたので、全力で帰ります。

黒猫かの

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「……ふんッ!」

バキベキッ!!

「あ」

乾いた破壊音が、平穏な午後のティールームに響いた。

私の手の中には、無惨にもひしゃげた銀製のスプーンがあった。
そして目の前には、硬いことで有名な『岩クルミ』が、粉々になって散らばっている。

「……またやってしまった」

私は呆然と自分の手を見つめた。
ただ、おやつにクルミを食べようと思っただけなのだ。
クルミ割りが近くになかったので、「まあ、少し力を入れれば割れるかな?」と思って指先で挟んだら、クルミごとスプーンまで飴細工のように捻じ曲げてしまった。

(私の握力、どうなってるの……?)

連日の魔導鍬による農作業。
熊肉によるタンパク質補給。
そして、アレクセイ様による過剰な餌付け。

結果、私の体は『見た目は深窓の令嬢、中身はゴリラ』というキメラ生物へと進化を遂げていた。

「すごいな、カトレア」

向かいの席で、アレクセイ様が感心したように拍手している。

「素手で岩クルミを粉砕するとは。……我が騎士団でも、それができるのは団長クラスだけだ」

「褒めないでください! お嫁に行けなくなります!」

「何を言う。私の妻になるのだから問題ないだろう」

「さらっとプロポーズしないでください!」

アレクセイ様は涼しい顔で紅茶を啜っている。
壁ドン事件以降、彼は私の怪力を「チャームポイント」として受け入れ(むしろ喜んで)おり、事あるごとに「今の握り、良かったぞ」などと褒めてくるのだ。
感覚がズレているにも程がある。

そんな夫婦漫才(?)を繰り広げていた時だった。

「報告ゥゥゥッ!!」

ドタドタドタッ!
廊下を駆け抜けてきたのは、モヒカン庭師だった。
息を切らし、サングラスがズレている。

「て、敵襲です! いや、ある意味、敵襲よりタチが悪ぃ……!」

「なんだ。ドラゴンでも出たか」

「いえ、王家の使いです! 王宮からの使者が、城門に来てやす!」

ピタリ。
アレクセイ様の手が止まった。
私も息を呑んだ。

王家の使い。
ついに来てしまったのだ。
先日燃やした手紙への、督促かもしれない。あるいは、命令書を燃やしたことへの断罪か。

「……通せ」

アレクセイ様の声が、絶対零度まで下がる。

「応接間へ案内しろ。……粗相のないようにな」



応接間には、張り詰めた空気が漂っていた。

ソファーに座る私とアレクセイ様。
そして対面には、ガタガタと震える小太りの男。
王宮の文官だ。

無理もない。
今のこの部屋の状況は、彼にとって地獄だろう。

部屋の四隅には、武装した強面使用人たちが立ち並び、文官を睨みつけている。
そして正面には、不機嫌オーラ全開の『氷の閣下』。
隣には、緊張で目つきが限界突破している『悪役令嬢(ゴリラ)』。

「ひっ、ひぃぃ……」

文官はハンカチで額の汗を拭いながら、震える手で封書を差し出した。

「こ、国王陛下……並びに、ジェラルド王太子殿下からの……書状でございます……」

「……」

アレクセイ様が無言で顎をしゃくる。
執事が封書を受け取り、ペーパーナイフで開封して中身を改めた。
毒や危険物がないことを確認し、アレクセイ様に手渡す。

アレクセイ様は手紙を一読した。
その表情が、見る見るうちに険しくなる。
部屋の温度が下がり、窓ガラスにピキピキと霜が張り付いていく。

「……ふざけた真似を」

彼は吐き捨てるように言い、手紙を私に回した。
私は恐る恐る文面に目を落とす。

『建国記念大夜会への招待状』

『オーベルヌ公爵令嬢カトレアへ。
来たる建国記念の日、王城にて開催される夜会への参加を命じる。
これは王命である。
なお、当日は元婚約者であるジェラルド王太子より、重大な発表があるため、遅刻なきよう』

(……王命)

その二文字が、重くのしかかる。
ただの招待状なら「風邪を引きました(仮病)」で欠席できる。
しかし、王命となれば話は別だ。
拒否すれば、実家のオーベルヌ公爵家にまで迷惑がかかる。
最悪、反逆罪に問われる可能性もある。

「こ、これは……絶対参加、ということですよね?」

私が小声で尋ねると、文官がビクリと震えて答えた。

「は、はい……! 殿下は『カトレアは必ず来るはずだ』と……その、復縁を……ご期待されているようで……」

「復縁?」

私が眉をひそめると(鬼の形相になった)、文官は「ひいっ! 私はただの使いっ走りです! 殺さないで!」と椅子から転げ落ちた。

(復縁なんて、死んでも嫌だわ)

あの場所に戻るの?
私を嘲笑う貴族たちの視線。
ミナ様の嘘泣き。
ジェラルド殿下の勘違い発言。
あの胃がキリキリする地獄へ?

嫌だ。怖い。
ここの暮らしが快適すぎて、あんな戦場には二度と戻りたくない。

私の手が震え始めた。
無意識に、スプーンを捻じ曲げた時のように拳を握りしめてしまう。
もし行ってしまったら、今度は精神的に耐えられるだろうか。
それとも、カッとなってジェラルド殿下を物理的に粉砕してしまうのではないか(それはそれで問題だ)。

「……カトレア」

温かい手が、私の拳を包み込んだ。
アレクセイ様だ。
彼の大きな手が、私の震えを止めるように優しく握りしめてくれる。

「顔色が悪いぞ」

「アレクセイ様……私、行きたくありません。でも、王命では……」

「ああ、拒否権はない。行かねば、君の実家に累が及ぶ」

絶望だ。
私は目の前が真っ暗になった。
せっかく手に入れたスローライフが。
私の熊肉生活が。

「……だが」

アレクセイ様は、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
それは『氷の閣下』の名にふさわしい、美しくも恐ろしい捕食者の笑みだった。

「『一人で行け』とは書いていないな」

「え?」

「招待状には『パートナー同伴可』とある。……むしろ、夜会とはパートナーと共に行くものだ」

彼は立ち上がり、文官を見下ろした。

「伝令。王太子に伝えろ」

「は、はいっ!」

「カトレア嬢は参加する。……この、アレクセイ・フォン・ヴォルグがエスコートしてな」

「ええええええっ!?」

私と文官の声が重なった。

「ア、アレクセイ様が!? 夜会など、最も嫌っておられるのでは!?」

執事までもが驚いている。
アレクセイ様は社交界嫌いで有名だ。
「くだらん腹の探り合いをするくらいなら、魔物を狩る方がマシだ」と言って、何年も王都の夜会には顔を出していないはず。

「カトレアをあの魔窟(王宮)に一人で放り込めるわけがない。……私が付いていく」

彼は私に向き直り、片膝をついた。
まるで騎士の誓いのように。

「カトレア。私を利用しろ」

「り、利用?」

「そうだ。君の盾になり、剣になろう。誰一人、君を嘲笑うことなどさせない。……君が顔を上げて歩けるよう、私が露払いをしよう」

その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
王太子の権力も、貴族社会のしがらみも、全てねじ伏せて守り抜くという強固な意志。

「私と一緒なら……あの王都も、少しはマシな場所に思えるかもしれんぞ?」

彼が少し悪戯っぽく微笑む。

(……ああ)

私は胸が熱くなるのを感じた。
怖い。王都は怖い。
でも。
この最強の(そして少し過保護すぎる)人が隣にいてくれるなら。
あの強面の部下たちが味方でいてくれるなら。

「……はい」

私は彼の手に、自分の手を重ねた。

「お願いします、アレクセイ様。……私を、守ってください」

「御意」

彼は私の口癖を真似て、手の甲にキスをした。

その光景を見ていた文官は、あまりの迫力と美しさに、泡を吹いて気絶した。
使用人たちは「うおおお! カチコミだァァァ!」「王都へ殴り込みじゃあ!」「姐さんの晴れ姿だぞ!」と、なぜか戦争に行くようなテンションで盛り上がっている。

「さて、決まりだな」

アレクセイ様が立ち上がる。

「カトレア。君には最高に美しいドレスが必要だ。王都の連中が腰を抜かすような、圧倒的なドレスがな」

「はい! ……あ、でも」

私は小声で付け加えた。

「サイズは……今のサイズで入るものでお願いします」

「安心しろ。布はたっぷりと用意させる」

こうして、私たちの「王都殴り込み(夜会参加)」が決まった。
それは、かつて「悪女」と呼ばれた私と、「魔王」と呼ばれる彼が、初めて公の場にカップルとして姿を現す、歴史的な一夜となるはずだった。

ジェラルド殿下、ミナ様。
首を洗って……いいえ、ハンカチを用意して待っていてください。
辺境で鍛え上げられた(物理的にも精神的にも)私が、最強のパートナーを連れて帰りますから。
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