19 / 28
19
しおりを挟む
「カトレア! よくぞ来た!」
大広間の喧騒を切り裂いて、王太子ジェラルドの声が響いた。
金髪を揺らし、自信満々の笑みを浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。
その背後には、お決まりのように腰巾着の貴族たちと、ピンク色のドレスを着たミナ様が控えている。
私は反射的に身構えた。
(来た……! 私の平和な日常を壊す元凶!)
緊張で胃が収縮し、呼吸が浅くなる。
無意識にアレクセイ様の腕をギュッと掴んでしまう。
「……大丈夫だ」
アレクセイ様が、私にだけ聞こえる声で囁いた。
その腕から伝わる体温が、凍りついた私の心を少しだけ溶かしてくれる。
ジェラルド殿下は、私たちの目の前で立ち止まった。
そして、勝ち誇ったように腕を組んだ。
「ふん。やはり来たか。王命を出されては、さすがの君も意地を張ってはいられまい」
彼は私を上から下までジロジロと眺めた。
「ほう……。今日はまた、ずいぶんと……派手なドレスだな」
彼の視線が、私の真紅のドレスに釘付けになる。
その目は「悪くない」と言いたげだが、口からは嫌味が飛び出す。
「『血の色』とはな。僕への当てつけか? それとも、反省の意を表して、返り血を浴びた罪人のつもりか?」
周囲から「プッ」と失笑が漏れる。
殿下の取り巻きたちだ。
(違うわよ! これは『情熱の薔薇』よ! マダム・ポンパドールの最高傑作をバカにしないで!)
反論したい。
しかし、喉がカラカラで声が出ない。
結果として、私は無言で彼を見つめ返すことしかできなかった。
瞬き一つせず。
瞳孔を開ききった状態で。
「……ッ」
ジェラルド殿下の頬が、ピクリと引きつった。
「な、なんだその目は。……まさか、まだ不服があると言うのか?」
(不服しかありません。帰りたいです)
「……」
私の沈黙(威圧)に、殿下がたじろぐ。
すると、彼の背後からミナ様が顔を出した。
「きゃっ! 怖いぃ~! ジェラルド様ぁ、カトレア様が睨んでますぅ!」
ミナ様はわざとらしく震えて見せた。
今日の彼女は、フリル全開の甘ったるいピンクのドレス。
私の深紅のドレスとは対照的だ。
「カトレア様、そんなに怒らないでくださいよぉ。ミナ、仲直りしたくて呼んであげたのにぃ」
「そうだぞカトレア! ミナの優しさを踏みにじる気か!」
ジェラルド殿下が勢いを取り戻し、一歩前に出る。
「君が田舎で反省していると聞いたから、こうしてチャンスを与えてやったんだ。……さあ、今すぐここで跪け」
「……へ?」
思わず変な声が出た。
跪け? ここで?
「僕とミナへの謝罪だ。皆の前で土下座をして、これまでの非礼を詫びろ。そうすれば、側室として迎える話を正式に進めてやる」
(……正気?)
私は呆気にとられた。
この男の脳内はどうなっているのだろう。
私が喜んで側室になりたがっているという前提が、一ミリも揺らいでいない。
怒りを通り越して、哀れみすら感じる。
しかし、その前に空腹が限界を訴えた。
『グゥゥゥゥ……』
私の腹の虫が、低い唸り声を上げた。
よりによって、この静まり返ったタイミングで。
「!?」
ジェラルド殿下がビクッと跳ね上がった。
「な、なんだ今の音は!? 唸り声!? 貴様、猛獣でも飼っているのか!?」
(私の胃袋です)
恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
しかし、周囲の解釈は違った。
「おい聞いたか……今の地鳴りのような音……」
「カトレア嬢の腹の底から響いてきたぞ……」
「『殺す』って言ったんじゃないか?」
「いや、あれは『呪ってやる』という怨念の響きだ……!」
私の空腹音が、呪詛の詠唱に変換されている。
「……ふっ」
隣で、アレクセイ様が小さく笑った。
彼は一歩前に出ると、私を背に隠すようにして殿下と対峙した。
「……王太子殿下。お言葉ですが」
低く、よく通る声。
大広間の空気が一変する。
『氷の閣下』の登場に、ジェラルド殿下が初めてその存在を直視した。
「な、なんだ貴様は。……ヴォルグ辺境伯か」
「お初にお目にかかります。……と言いたいところですが、挨拶よりも先に訂正させていただきたい」
アレクセイ様は優雅に、しかし威圧的に微笑んだ。
「カトレア嬢は、謝罪に来たのではありません。……私の『婚約者』として、紹介に来たのです」
「……は?」
ジェラルド殿下の動きが止まった。
ミナ様の笑顔が凍りついた。
会場中の貴族たちが、一斉に口を開けた。
「こ、婚約者だと……?」
「ええ。オーベルヌ公爵家とも話はついております。……彼女は今、私の領地で暮らしています」
「な……ななな……」
ジェラルド殿下の顔が、赤から青、そして白へと信号機のように変わっていく。
「ふ、ふざけるな! カトレアは僕の側室になるんだ! そういう約束だ!」
「約束? ……破棄されたのは殿下の方では?」
「ぐっ……! だ、だが! 王命だぞ! 王命で呼んだんだ!」
「ええ、ですから参りました。……パートナーとして」
アレクセイ様は私の腰を引き寄せ、見せつけるように抱き寄せた。
「私の大事な未来の妻に、『跪け』など……いささか無礼が過ぎるのでは?」
ゴゴゴゴゴ……。
アレクセイ様から放たれる覇気が、物理的なプレッシャーとなって殿下に襲いかかる。
周囲の温度が急激に下がる。
シャンデリアがカタカタと揺れる。
「ひぃっ……!」
殿下が後ずさる。
ミナ様も「冷たいっ!」と悲鳴を上げて腕をさする。
「お、おい衛兵! この無礼者を捕らえろ! 王族に対する不敬だぞ!」
殿下が叫ぶが、衛兵たちは動かない。
いや、動けないのだ。
アレクセイ様の眼光に射すくめられ、全員が石像のように硬直している。
「……無駄ですよ」
アレクセイ様は静かに言った。
「私は北の国境を守る辺境伯。……私を敵に回せば、北の防衛線がどうなるか……賢明な殿下ならお分かりでしょう?」
それは、明らかな脅しだった。
『俺を怒らせたら、国境を開放して魔物を王都に流し込むぞ』という、国家レベルの脅迫だ。
「くっ……!」
ジェラルド殿下は唇を噛み締め、悔しそうに私を睨んだ。
「カトレア……! 貴様、こんな野蛮な男を……!」
(野蛮? いいえ、最高に頼もしい騎士様です)
私は心の中で反論した。
そして、勇気を出して一歩踏み出した。
空腹で震える足を、ドレスの中で踏ん張る。
「……ジェラルド様」
「!」
私が口を開くと、殿下はビクリと肩を震わせた。
私はできるだけ優雅に、かつ冷ややかに(見えるように)微笑んだ。
「お招きいただき光栄ですわ。……でも、側室のお話は謹んで辞退させていただきます」
「な、なんだと……?」
「私は今、とても幸せですので」
言い切った。
言えた。
熊肉と農作業の幸せを、オブラートに包んで伝えたのだ。
「し、幸せだと……? あんな、何もない極寒の地でか!?」
「ええ。……あそこには、美味しいものがたくさんありますから」
私の目がギラリと輝いた(食欲で)。
「……っ!」
殿下は何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこないようだった。
私の気迫(食い意地)と、アレクセイ様の殺気に挟まれ、完全に気圧されている。
そこへ、助け舟という名の爆弾が投下された。
「あら~? カトレアお姉様ったら、強がり言っちゃってぇ」
ミナ様だ。
彼女は空気を読まない天才だった。
アレクセイ様の殺気にも気づかない鈍感さで、前に出てきた。
「本当は寂しいんでしょ? だってぇ、辺境なんて田舎、ドレスも宝石もないじゃないですかぁ。毎日泥だらけで畑仕事してるって噂、聞いてますよぉ?」
クスクスと、取り巻きの令嬢たちが笑う。
「畑仕事ですって!」
「公爵令嬢が泥まみれ?」
「やっぱり落ちぶれたのね」
嘲笑の空気が広がる。
私は唇を噛んだ。
畑仕事をバカにするな。
土に触れる喜びを知らない貴族たちめ。
私が言い返そうとした時、アレクセイ様が動こうとした。
しかし、それよりも早く、予想外の方向から援護射撃が飛んできた。
「……泥だらけ、ですか」
凛とした老婦人の声。
群衆が割れ、一人の女性が進み出てきた。
白髪を美しく結い上げ、杖をついた老婦人。
そのドレスには、王家すら凌ぐほどの高貴な紋章が刺繍されている。
「お、お祖母様……!?」
ジェラルド殿下が目を見開いた。
現れたのは、王太后(おうたいごう)陛下だった。
現国王の母であり、この国で最も恐れられている『ゴッドマザー』だ。
「久しいな、カトレア」
「王太后陛下……!」
私は慌ててカーテシーをした。
アレクセイ様も深々と頭を下げる。
王太后陛下は、私の前に立つと、しわがれた手で私の手を取った。
「……良い手だ」
「え?」
「節くれ立ち、皮が厚くなっている。……これは、ただ座って茶を飲んでいた手ではない。自ら働き、何かを守ろうとした者の手だ」
彼女は私の手を撫で、そして周囲を一喝した。
「恥を知りなさい!」
ドスッ! と杖が床を突く。
会場が静まり返る。
「労働を、土を笑うなど……貴族として恥ずべきことです。我々の着るドレスも、食べるパンも、全ては土から生まれるのです。それを忘れ、着飾ることしか知らぬ者こそ、なんと浅ましい!」
王太后陛下の言葉に、ミナ様や令嬢たちが顔を真っ赤にして俯く。
「カトレア。私はお前のその手を、美しいと思いますよ」
「……陛下……」
涙が出そうになった。
私のゴリラ化した手……じゃなくて、農作業で荒れた手を、肯定してくれた。
「それに、ヴォルグ辺境伯。……良い男を見つけたね」
「はっ。もったいないお言葉です」
アレクセイ様が恭しく答える。
「北の守護者が選んだ相手だ。……文句のある者は、前に出なさい。私が相手になりますよ」
王太后陛下がニヤリと笑う。
最強の助っ人登場に、ジェラルド殿下とミナ様は完全に孤立した。
「くっ……くそっ……!」
「な、なんであんな女の味方するんですかぁ……」
形勢逆転。
ざまぁの第一波が完了した。
だが、これで終わるはずがない。
ジェラルド殿下のプライドはズタズタだ。
そしてミナ様の「悲劇のヒロイン」スイッチが入ろうとしている。
「……許さない」
ミナ様がボソリと呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「絶対に……許さないんだから……!」
彼女の目が、ドス黒く濁る。
次の瞬間、彼女は何もないところで足を絡ませ――。
「きゃああああああああ!!」
盛大な悲鳴と共に、私の足元へダイブしてきた。
(来たッ! 必殺『自作自演・転び』!)
王都で何度もやられた手口だ。
転んで怪我をして、「カトレア様に突き飛ばされた!」と泣き喚くパターン。
しかし。
今の私は、かつての私ではない。
辺境で鍛えられた反射神経と、アレクセイ様という鉄壁の盾がある。
さあ、どう出る?
私の「勘違い」と「物理」が火を噴く時だ。
大広間の喧騒を切り裂いて、王太子ジェラルドの声が響いた。
金髪を揺らし、自信満々の笑みを浮かべてこちらへ歩み寄ってくる。
その背後には、お決まりのように腰巾着の貴族たちと、ピンク色のドレスを着たミナ様が控えている。
私は反射的に身構えた。
(来た……! 私の平和な日常を壊す元凶!)
緊張で胃が収縮し、呼吸が浅くなる。
無意識にアレクセイ様の腕をギュッと掴んでしまう。
「……大丈夫だ」
アレクセイ様が、私にだけ聞こえる声で囁いた。
その腕から伝わる体温が、凍りついた私の心を少しだけ溶かしてくれる。
ジェラルド殿下は、私たちの目の前で立ち止まった。
そして、勝ち誇ったように腕を組んだ。
「ふん。やはり来たか。王命を出されては、さすがの君も意地を張ってはいられまい」
彼は私を上から下までジロジロと眺めた。
「ほう……。今日はまた、ずいぶんと……派手なドレスだな」
彼の視線が、私の真紅のドレスに釘付けになる。
その目は「悪くない」と言いたげだが、口からは嫌味が飛び出す。
「『血の色』とはな。僕への当てつけか? それとも、反省の意を表して、返り血を浴びた罪人のつもりか?」
周囲から「プッ」と失笑が漏れる。
殿下の取り巻きたちだ。
(違うわよ! これは『情熱の薔薇』よ! マダム・ポンパドールの最高傑作をバカにしないで!)
反論したい。
しかし、喉がカラカラで声が出ない。
結果として、私は無言で彼を見つめ返すことしかできなかった。
瞬き一つせず。
瞳孔を開ききった状態で。
「……ッ」
ジェラルド殿下の頬が、ピクリと引きつった。
「な、なんだその目は。……まさか、まだ不服があると言うのか?」
(不服しかありません。帰りたいです)
「……」
私の沈黙(威圧)に、殿下がたじろぐ。
すると、彼の背後からミナ様が顔を出した。
「きゃっ! 怖いぃ~! ジェラルド様ぁ、カトレア様が睨んでますぅ!」
ミナ様はわざとらしく震えて見せた。
今日の彼女は、フリル全開の甘ったるいピンクのドレス。
私の深紅のドレスとは対照的だ。
「カトレア様、そんなに怒らないでくださいよぉ。ミナ、仲直りしたくて呼んであげたのにぃ」
「そうだぞカトレア! ミナの優しさを踏みにじる気か!」
ジェラルド殿下が勢いを取り戻し、一歩前に出る。
「君が田舎で反省していると聞いたから、こうしてチャンスを与えてやったんだ。……さあ、今すぐここで跪け」
「……へ?」
思わず変な声が出た。
跪け? ここで?
「僕とミナへの謝罪だ。皆の前で土下座をして、これまでの非礼を詫びろ。そうすれば、側室として迎える話を正式に進めてやる」
(……正気?)
私は呆気にとられた。
この男の脳内はどうなっているのだろう。
私が喜んで側室になりたがっているという前提が、一ミリも揺らいでいない。
怒りを通り越して、哀れみすら感じる。
しかし、その前に空腹が限界を訴えた。
『グゥゥゥゥ……』
私の腹の虫が、低い唸り声を上げた。
よりによって、この静まり返ったタイミングで。
「!?」
ジェラルド殿下がビクッと跳ね上がった。
「な、なんだ今の音は!? 唸り声!? 貴様、猛獣でも飼っているのか!?」
(私の胃袋です)
恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
しかし、周囲の解釈は違った。
「おい聞いたか……今の地鳴りのような音……」
「カトレア嬢の腹の底から響いてきたぞ……」
「『殺す』って言ったんじゃないか?」
「いや、あれは『呪ってやる』という怨念の響きだ……!」
私の空腹音が、呪詛の詠唱に変換されている。
「……ふっ」
隣で、アレクセイ様が小さく笑った。
彼は一歩前に出ると、私を背に隠すようにして殿下と対峙した。
「……王太子殿下。お言葉ですが」
低く、よく通る声。
大広間の空気が一変する。
『氷の閣下』の登場に、ジェラルド殿下が初めてその存在を直視した。
「な、なんだ貴様は。……ヴォルグ辺境伯か」
「お初にお目にかかります。……と言いたいところですが、挨拶よりも先に訂正させていただきたい」
アレクセイ様は優雅に、しかし威圧的に微笑んだ。
「カトレア嬢は、謝罪に来たのではありません。……私の『婚約者』として、紹介に来たのです」
「……は?」
ジェラルド殿下の動きが止まった。
ミナ様の笑顔が凍りついた。
会場中の貴族たちが、一斉に口を開けた。
「こ、婚約者だと……?」
「ええ。オーベルヌ公爵家とも話はついております。……彼女は今、私の領地で暮らしています」
「な……ななな……」
ジェラルド殿下の顔が、赤から青、そして白へと信号機のように変わっていく。
「ふ、ふざけるな! カトレアは僕の側室になるんだ! そういう約束だ!」
「約束? ……破棄されたのは殿下の方では?」
「ぐっ……! だ、だが! 王命だぞ! 王命で呼んだんだ!」
「ええ、ですから参りました。……パートナーとして」
アレクセイ様は私の腰を引き寄せ、見せつけるように抱き寄せた。
「私の大事な未来の妻に、『跪け』など……いささか無礼が過ぎるのでは?」
ゴゴゴゴゴ……。
アレクセイ様から放たれる覇気が、物理的なプレッシャーとなって殿下に襲いかかる。
周囲の温度が急激に下がる。
シャンデリアがカタカタと揺れる。
「ひぃっ……!」
殿下が後ずさる。
ミナ様も「冷たいっ!」と悲鳴を上げて腕をさする。
「お、おい衛兵! この無礼者を捕らえろ! 王族に対する不敬だぞ!」
殿下が叫ぶが、衛兵たちは動かない。
いや、動けないのだ。
アレクセイ様の眼光に射すくめられ、全員が石像のように硬直している。
「……無駄ですよ」
アレクセイ様は静かに言った。
「私は北の国境を守る辺境伯。……私を敵に回せば、北の防衛線がどうなるか……賢明な殿下ならお分かりでしょう?」
それは、明らかな脅しだった。
『俺を怒らせたら、国境を開放して魔物を王都に流し込むぞ』という、国家レベルの脅迫だ。
「くっ……!」
ジェラルド殿下は唇を噛み締め、悔しそうに私を睨んだ。
「カトレア……! 貴様、こんな野蛮な男を……!」
(野蛮? いいえ、最高に頼もしい騎士様です)
私は心の中で反論した。
そして、勇気を出して一歩踏み出した。
空腹で震える足を、ドレスの中で踏ん張る。
「……ジェラルド様」
「!」
私が口を開くと、殿下はビクリと肩を震わせた。
私はできるだけ優雅に、かつ冷ややかに(見えるように)微笑んだ。
「お招きいただき光栄ですわ。……でも、側室のお話は謹んで辞退させていただきます」
「な、なんだと……?」
「私は今、とても幸せですので」
言い切った。
言えた。
熊肉と農作業の幸せを、オブラートに包んで伝えたのだ。
「し、幸せだと……? あんな、何もない極寒の地でか!?」
「ええ。……あそこには、美味しいものがたくさんありますから」
私の目がギラリと輝いた(食欲で)。
「……っ!」
殿下は何かを言い返そうとしたが、言葉が出てこないようだった。
私の気迫(食い意地)と、アレクセイ様の殺気に挟まれ、完全に気圧されている。
そこへ、助け舟という名の爆弾が投下された。
「あら~? カトレアお姉様ったら、強がり言っちゃってぇ」
ミナ様だ。
彼女は空気を読まない天才だった。
アレクセイ様の殺気にも気づかない鈍感さで、前に出てきた。
「本当は寂しいんでしょ? だってぇ、辺境なんて田舎、ドレスも宝石もないじゃないですかぁ。毎日泥だらけで畑仕事してるって噂、聞いてますよぉ?」
クスクスと、取り巻きの令嬢たちが笑う。
「畑仕事ですって!」
「公爵令嬢が泥まみれ?」
「やっぱり落ちぶれたのね」
嘲笑の空気が広がる。
私は唇を噛んだ。
畑仕事をバカにするな。
土に触れる喜びを知らない貴族たちめ。
私が言い返そうとした時、アレクセイ様が動こうとした。
しかし、それよりも早く、予想外の方向から援護射撃が飛んできた。
「……泥だらけ、ですか」
凛とした老婦人の声。
群衆が割れ、一人の女性が進み出てきた。
白髪を美しく結い上げ、杖をついた老婦人。
そのドレスには、王家すら凌ぐほどの高貴な紋章が刺繍されている。
「お、お祖母様……!?」
ジェラルド殿下が目を見開いた。
現れたのは、王太后(おうたいごう)陛下だった。
現国王の母であり、この国で最も恐れられている『ゴッドマザー』だ。
「久しいな、カトレア」
「王太后陛下……!」
私は慌ててカーテシーをした。
アレクセイ様も深々と頭を下げる。
王太后陛下は、私の前に立つと、しわがれた手で私の手を取った。
「……良い手だ」
「え?」
「節くれ立ち、皮が厚くなっている。……これは、ただ座って茶を飲んでいた手ではない。自ら働き、何かを守ろうとした者の手だ」
彼女は私の手を撫で、そして周囲を一喝した。
「恥を知りなさい!」
ドスッ! と杖が床を突く。
会場が静まり返る。
「労働を、土を笑うなど……貴族として恥ずべきことです。我々の着るドレスも、食べるパンも、全ては土から生まれるのです。それを忘れ、着飾ることしか知らぬ者こそ、なんと浅ましい!」
王太后陛下の言葉に、ミナ様や令嬢たちが顔を真っ赤にして俯く。
「カトレア。私はお前のその手を、美しいと思いますよ」
「……陛下……」
涙が出そうになった。
私のゴリラ化した手……じゃなくて、農作業で荒れた手を、肯定してくれた。
「それに、ヴォルグ辺境伯。……良い男を見つけたね」
「はっ。もったいないお言葉です」
アレクセイ様が恭しく答える。
「北の守護者が選んだ相手だ。……文句のある者は、前に出なさい。私が相手になりますよ」
王太后陛下がニヤリと笑う。
最強の助っ人登場に、ジェラルド殿下とミナ様は完全に孤立した。
「くっ……くそっ……!」
「な、なんであんな女の味方するんですかぁ……」
形勢逆転。
ざまぁの第一波が完了した。
だが、これで終わるはずがない。
ジェラルド殿下のプライドはズタズタだ。
そしてミナ様の「悲劇のヒロイン」スイッチが入ろうとしている。
「……許さない」
ミナ様がボソリと呟いたのを、私は聞き逃さなかった。
「絶対に……許さないんだから……!」
彼女の目が、ドス黒く濁る。
次の瞬間、彼女は何もないところで足を絡ませ――。
「きゃああああああああ!!」
盛大な悲鳴と共に、私の足元へダイブしてきた。
(来たッ! 必殺『自作自演・転び』!)
王都で何度もやられた手口だ。
転んで怪我をして、「カトレア様に突き飛ばされた!」と泣き喚くパターン。
しかし。
今の私は、かつての私ではない。
辺境で鍛えられた反射神経と、アレクセイ様という鉄壁の盾がある。
さあ、どう出る?
私の「勘違い」と「物理」が火を噴く時だ。
0
あなたにおすすめの小説
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁
柴田はつみ
恋愛
王国の公爵令嬢セレーネは、家を守るために王太子レオニスとの政略結婚を命じられる。
婚約の儀の日、彼が告げた冷酷な一言——「心配するな。俺の好きな人は別にいる」。
その言葉はセレーネの心を深く傷つけ、王宮での新たな生活は噂と誤解に満ちていく。
好きな人が別にいるはずの彼が、なぜか自分にだけ独占欲を見せる。
嫉妬、疑念、陰謀が渦巻くなかで明らかになる「真実」。
契約から始まった婚約は、やがて運命を変える愛の物語へと変わっていく——。
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
一年後に離婚すると言われてから三年が経ちましたが、まだその気配はありません。
木山楽斗
恋愛
「君とは一年後に離婚するつもりだ」
結婚して早々、私は夫であるマグナスからそんなことを告げられた。
彼曰く、これは親に言われて仕方なくした結婚であり、義理を果たした後は自由な独り身に戻りたいらしい。
身勝手な要求ではあったが、その気持ちが理解できない訳ではなかった。私もまた、親に言われて結婚したからだ。
こうして私は、一年間の期限付きで夫婦生活を送ることになった。
マグナスは紳士的な人物であり、最初に言ってきた要求以外は良き夫であった。故に私は、それなりに楽しい生活を送ることができた。
「もう少し様子を見たいと思っている。流石に一年では両親も納得しそうにない」
一年が経った後、マグナスはそんなことを言ってきた。
それに関しては、私も納得した。彼の言う通り、流石に離婚までが早すぎると思ったからだ。
それから一年後も、マグナスは離婚の話をしなかった。まだ様子を見たいということなのだろう。
夫がいつ離婚を切り出してくるのか、そんなことを思いながら私は日々を過ごしている。今の所、その気配はまったくないのだが。
王子は婚約破棄を泣いて詫びる
tartan321
恋愛
最愛の妹を失った王子は婚約者のキャシーに復讐を企てた。非力な王子ではあったが、仲間の協力を取り付けて、キャシーを王宮から追い出すことに成功する。
目的を達成し安堵した王子の前に突然死んだ妹の霊が現れた。
「お兄さま。キャシー様を3日以内に連れ戻して!」
存亡をかけた戦いの前に王子はただただ無力だった。
王子は妹の言葉を信じ、遥か遠くの村にいるキャシーを訪ねることにした……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる