塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「で、慰謝料はいくら取れるんだ?」

夕食の席に着くや否や、弟のマカダが肉を切り分けながら尋ねてきた。

マカダ・ナッツ。

我が家の長男であり、次期侯爵。

まだ十五歳だが、その思考回路はすでに古漬けのタクアンのように枯れている。

私はナイフを置き、ナプキンで口元を拭った。

「マカダ。食事中に金の話は行儀が悪いわよ」

「姉上が出戻ってきたせいで、僕の資産計画に修正が必要になったんだ。重要な問題だよ」

「修正なんて必要ないわ。むしろプラスよ。あちらの有責だから、かなりの額を請求しておいたわ」

「ほう。具体的には?」

「王都の屋敷が一軒買えるくらいかしら」

マカダの手が止まる。

彼は無表情のまま、ゆっくりと頷いた。

「……悪くない。姉上の『中古価格』としては破格だね」

「マカダ、あとで裏庭に来なさい。姉として教育的指導(物理)をしてあげる」

「冗談だよ。姉上の価値はプライスレスだ。特にその、可愛げのない性格はね」

弟はさらりと流し、再び肉を頬張った。

ナッツ家の食卓は、いつもこんな調子だ。

正面には父、ピスタチオ侯爵。

隣には母、クルミ(ウォールナッツ)夫人が座っている。

母は優雅にワイングラスを傾けながら、まるで明日の天気を話題にするような口調で言った。

「それにしても、あの王子も見る目がないわね。カシューのような『噛めば噛むほど味が出る女』を手放すなんて」

「お母様、それ褒めてます?」

「もちろんよ。あのマシュとかいう綿菓子みたいな娘、すぐに飽きられるわ。男というのはね、最終的には歯ごたえのある肴(つまみ)に戻ってくるものなのよ」

母の持論は、常に酒のつまみが基準だ。

この人もまた、筋金入りの酒豪である。

「まあ、よかったじゃないか。あの軟弱な王子と結婚していたら、カシューが過労で倒れるか、あるいはストレスで王城を爆破していただろうからな」

父が笑いながら言う。

「爆破なんてしませんよ。……せいぜい、柱の二、三本をへし折るくらいです」

「ほら見ろ。王家の安泰のためにも、婚約破棄は正解だったんだ」

カチャン、と食器の音が響く。

普通、娘が婚約破棄をされたら、家の中はお通夜状態になるものだ。

「これからどうするの?」とか「世間体が……」とか、嘆き悲しむのが一般的だろう。

しかし、ナッツ家に「湿っぽい空気」は存在しない。

あるのは、乾いた笑いと、現実的な損得勘定だけだ。

「それで、カシュー。明日には隣国へ発つのだろう?」

父が思い出したように言った。

「はい。お父様が仰った通り、ロースト公爵からの招待をお受けすることにしました」

「うむ。隣国のロースト公爵領は、食文化が発達していると聞く。特に燻製技術は大陸一だそうだ」

「燻製……」

「土産はわかっているな? 宝石やドレスはいらん。極上のスモークチーズと、珍しいスパイスだ」

「私も! 私は年代物のワインがいいわ!」

母が便乗してくる。

「僕は現金がいいな。あちらの通貨レートを確認しておきたい」

弟まで夢のないことを言う。

私はため息をつきつつも、どこか安心していた。

「……わかったわよ。期待して待ってなさい」

この家族の前では、悲劇のヒロインを演じる必要もない。

それが何よりも心地よかった。

   *   *   *

食後、私は自室に戻り、旅の支度を始めた。

メイドのソルトが、すでにトランクを広げて待機している。

「お嬢様、お荷物の確認を」

「ええ、お願い」

ソルトがテキパキと荷物を詰め込んでいく。

ドレス、靴、化粧品。

それらは最小限だ。

代わりに、トランクの半分を占めているものがある。

「……ソルト。これは何?」

私が指差したのは、木箱に入った大量の瓶だ。

「岩塩、ブラックペッパー、山椒、七味唐辛子、そして特製の辛味噌です」

「なんで調味料セット?」

「隣国の料理が甘すぎた場合の保険です。お嬢様は甘い味付けが続くと、ちゃぶ台をひっくり返す癖がおありですから」

「ちゃぶ台なんてひっくり返さないわよ。……まあ、テーブルクロスを引っこ抜いたことはあるけど」

「同じです。精神安定剤としてお持ちください」

ソルトは真顔で言い切ると、さらに奇妙なものを詰め込み始めた。

「あと、こちらは『携帯用スルメ』と『非常用サラミ』です」

「遠足に行くの?」

「道中、小腹が空いた時や、イライラした時に齧ってください。硬いものを噛むと脳が活性化し、ストレス解消になります」

「……ありがとう。助かるわ」

否定できないのが悔しい。

私はナッツ家の人間だ。

ストレスが溜まると無性に硬いものを噛み砕きたくなるのは、遺伝子レベルの習性なのだ。

「それと、こちらをお持ちください」

ソルトが差し出したのは、一本の短剣だった。

鞘にはナッツ家の紋章が刻まれている。

「護身用ですか?」

「はい。それと、もし隣国の公爵様が『甘ったるい軟弱男』だった場合、これで威嚇してください」

「物騒ね」

「ナッツ家の家訓。『甘い男と腐った肉は、即座に切り捨てよ』。お忘れなく」

「……肝に銘じておくわ」

私は苦笑しながら短剣を受け取り、腰のベルトに装着した。

準備は万端だ。

   *   *   *

翌朝。

屋敷の玄関には、家族全員が見送りに来ていた。

「カシュー、気をつけてな。変な男に捕まるなよ」

父が私の肩を叩く。

「ええ。もし変な男だったら、ソルトに貰ったこの短剣で……」

「いや、短剣を使う前に、まず『言葉のナイフ』で刺せ。お前のツッコミの切れ味なら、大抵の男は失血死する」

「……褒め言葉として受け取っておきます」

「カシュー、日焼けには気をつけるのよ。それと、ワインリストを忘れないでね」

母が手を振る。

「姉上、いってらっしゃい。あっちの物価指数のレポート、期待しているよ」

弟が冷めた目で見送る。

涙の別れなど微塵もない。

「じゃあ、行ってきます」

私は馬車に乗り込み、窓から顔を出した。

「皆様も、お元気で。……せいぜい、塩分の摂りすぎには気をつけて」

「お前もな!」

馬車が動き出す。

ガタゴトと揺れる車内で、私は遠ざかる屋敷を眺めた。

これでしばらく、このドライで居心地の良い家ともお別れだ。

寂しさはない。

むしろ、これから始まる新しい生活への期待(主に食への期待)で胸が膨らんでいた。

「さて……」

私は懐から、一枚の手紙を取り出した。

ロースト公爵からの招待状だ。

『親愛なるカシュー・ナッツ嬢へ。
 君のその、岩のように硬い精神と、噛みごたえのある性格に惚れ込んだ。
 ぜひ我が領地へ来て、私の晩酌の肴……いや、話し相手になってほしい』

改めて読むと、本当に失礼な手紙だ。

「肴って何よ、肴って」

私は手紙を指で弾き、フンと鼻を鳴らした。

「いいでしょう。望み通り、最高の『おつまみ』になってあげるわ。……その代わり、私の口に合わなかったら、容赦なく塩対応してやるんだから」

馬車は国境へ向かって進んでいく。

その先に待つのが、とんでもない「変人公爵」だとも知らずに。

私はトランクからスルメを取り出し、その硬さを確かめるように強く噛み締めた。
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