塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「ズ~ル~イ~で~す~ぅ~!!」

感動的な救出劇と、いい雰囲気になりかけたその瞬間。

空気を読まない(あるいは読みすぎて破壊する)ピンク色の声が、市場の喧騒を切り裂いた。

私とアーモンド公爵が繋いでいた手の間に、マシュ・マロが頭から突っ込んできた。

「離れてください! 公爵様は私のもの……じゃなかった、殿下の敵ですぅ!」

「痛っ」

頭突きを食らったアーモンドが、大袈裟にのけぞる。

「なんだ、このピンク色の弾丸は。私の愛の逃避行を邪魔するな」

「逃避行じゃありません。買い物です」

私は冷静に訂正し、マシュの頭を押さえて距離を取った。

その後ろから、息を切らせたピーナン殿下が追いついてくる。

「はぁ、はぁ……。マシュ、待て……。そんなに走ると、昨日の激辛料理が逆流しそうだ……」

「殿下! しっかりしてください! 浮気現場を押さえましたよ!」

「浮気じゃない。そもそも、お前らは別れただろう」

アーモンドが冷ややかに指摘するが、マシュは聞く耳を持たない。

彼女は仁王立ちになり、鼻息荒く宣言した。

「こうなったら監視します! ダブルデートです!」

「……は?」

「私たちもついて行きます! カシュー様が公爵様に『変な店』に連れ込まれないように、私が見張っててあげますからねっ!」

大きなお世話だ。

しかし、この粘着質を追い払うのも面倒だ。

私はアーモンドと顔を見合わせた。

彼は肩をすくめ、ニヤリと笑った。

『いいのかい? 今日の目的地は、彼らには刺激が強すぎるぞ』

『構いません。自滅するのを見るのも一興です』

目と目で会話が成立する。

どうやら私たち、本当に相性がいいらしい。

「わかりました。ついて来たいならどうぞ。……ただし、文句は受け付けませんよ」

「望むところですぅ!」

   *   *   *

十分後。

私たちは、市場の最奥にある一角に立っていた。

そこは、他のエリアとは明らかに異質なオーラを放っていた。

華やかな果物や花の香りは一切しない。

漂うのは、潮の香りと、熟成された醤油の匂い、そして独特の香ばしさ。

看板には『乾物専門店・カピカピ屋』と書かれている。

「……く、臭いですぅ」

マシュが鼻をつまんだ。

「なんですの、この枯れた匂いは! おじいちゃんの家の箪笥みたいな匂いがします!」

「失礼な。これは『旨味が凝縮された香り』だ」

アーモンド公爵は深呼吸をし、恍惚の表情を浮かべた。

「ああ、素晴らしい……。太陽と風の恵みを浴びて、水分という水分を抜き取られた食材たちの魂の叫びが聞こえるようだ」

「詩人ですね。でも同意します。この『出汁の香り』だけで白飯がいけます」

私とアーモンドは頷き合い、店の中へと足を踏み入れた。

店内は薄暗く、天井からは無数の「干物」が吊るされている。

干しダラ、スルメ、干し貝柱、そして謎の干し肉。

まるで魔女の実験室のような光景に、ピーナン殿下が青ざめた。

「こ、怖い……。なんだあのミイラみたいな魚は……」

「殿下、あれは『棒鱈(ぼうだら)』です。水で戻して煮込むと絶品ですよ」

私が解説しても、殿下は「ひぃっ」と怯えるばかりだ。

一方で、アーモンド公爵のテンションは最高潮に達していた。

「カシュー! 見ろ! このホタテの干し貝柱を!」

彼が瓶詰めされた黄金色の物体を指差す。

「サイズが違う! これは『SSサイズ』どころか『王様サイズ』だ! このひび割れ一つない完璧なフォルム……まるで宝石のようだ!」

「本当ですね。アメ色に輝いています。これを一晩水につけて、その戻し汁で炊き込みご飯を作ったら……」

「犯罪的だ! 旨味の暴力だ!」

「そのまま齧ってもいいですね。歯が折れるかどうかの瀬戸際を楽しむのが、通の嗜みです」

「わかる! 口の中で唾液を含ませて、少しずつふやかしていく瞬間の背徳感たるや!」

「わかります。じわじわと旨味が染み出してくるあの感覚……一種のサウナですね」

「その通りだ! カシュー、君とは前世で同じ乾物だったのかもしれない!」

私たちは手を取り合って盛り上がった。

完全に二人の世界だ。

マシュと殿下が、ポカンと口を開けてこちらを見ている。

「……なんなんですか、あの会話」

「わからん。だが、あんなに楽しそうなカシューは見たことがない……」

マシュが悔しそうに地団駄を踏んだ。

「ムカつきますぅ! 私だって、アーモンド様と楽しくお話ししたいですぅ!」

彼女は店先に並んでいた『巨大な干しシイタケ』を手に取り、アーモンドに駆け寄った。

「アーモンド様ぁ! 見てくださいぃ! これ、私の帽子みたいで可愛くないですかぁ?」

彼女はシイタケを頭に乗せて、ぶりっ子ポーズを決めた。

しかし、アーモンドの反応は冷酷だった。

「……やめろ」

「え?」

「神聖なドコ(冬菇)シイタケを玩具にするな。それに、そのシイタケは傘が開いていない最高級品だ。君の体温で湿気るだろうが」

「ひどっ!?」

「貸せ」

アーモンドはマシュからシイタケを奪い取ると、愛おしそうに撫でた。

「いい傘の巻き具合だ。……カシュー、これをどう思う?」

「焼きシイタケにして、カボスを搾って醤油を一滴。軸の部分は手で裂いて、バターで炒めましょう」

「結婚しよう」

「調理の話です」

一瞬の隙もない連携。

マシュは「うきーっ!」と奇声を上げて、ピーナン殿下の元へ戻った。

「殿下ぁ! あいつら、頭おかしいですぅ! 乾物変態ですぅ!」

「しっ、声が大きいぞマシュ。……しかし、確かに私も気分が悪くなってきた。この店の匂いは、高貴な私の鼻には刺激が強すぎる」

殿下がハンカチで口元を覆う。

私はそんな二人に、冷ややかな視線を送った。

「嫌なら外で待っていてください。私たちはこれから『スルメイカの選定』という重要な儀式がありますので」

「儀式……?」

「ええ。肉厚で、炙った時に丸まらない、根性のあるイカを見極めるのです」

「……もう勝手にしてくれ」

殿下は白旗を上げた。

結局、マシュと殿下は店の外に避難し、私とアーモンドはそこから一時間、たっぷりと買い物を堪能した。

店を出る頃には、従者たちの荷物は倍に膨れ上がっていた。

「いやあ、いい買い物をした」

アーモンドが満足げに笑う。

「特にあの『幻のからすみ』。あれは家宝にしよう」

「食べるんでしょ?」

「君と一緒にね」

彼は自然に私の手を握った。

今度は、マシュも割って入ってこなかった。

彼女は店の外で、あまりの疎外感にすっかり萎びてしまっていたからだ。

「……もう帰りますぅ」

マシュが涙目で呟いた。

「ここは私の戦う場所じゃありませんでしたぁ……」

「賢明な判断ね。お疲れ様」

私が言うと、彼女は「次は負けませんからね!」と捨て台詞を吐いて、殿下を引きずって去っていった。

嵐が去った後の市場。

夕暮れの風が心地よく吹き抜ける。

「……カシュー」

「はい」

「楽しかったな」

「……ええ。まあまあ、悪くなかったです」

素直に「最高でした」と言うのは癪なので、少しだけツンとしておく。

でも、繋いだ手から伝わる彼の体温は、私の心までじんわりと温めていた。

「帰ろう、我が家へ。……今夜は干物パーティーだ」

「焼き加減にはうるさいですよ、私」

「望むところだ」

二つの影が長く伸びて、一つに重なる。

私たちの関係は、まるで乾物のように、噛めば噛むほど味が出るものになっていく。

……そんな予感がした、市場デートの帰り道だった。
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