塩対応の悪役令嬢は砕けない!

猫宮かろん

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「さあ、乗りなさいカシュー。今日は『教育』の時間よ」

翌日の午後。

屋敷の玄関には、カカオ男爵令嬢が漆黒の馬車と共に待っていた。

馬車の装飾はシックで、窓にはスモークガラスが張られている。

いかにも「悪い遊び」に行きそうな雰囲気だ。

「教育ですか? 鞭の使い方は習っていませんが」

「違うわよ。舌の教育よ。……本物の『苦味』を教えてあげる」

カカオ様が妖艶に笑う。

私は興味津々で馬車に乗り込もうとした。

その時、背後から「待った!」と声がかかった。

「私も行くぞ! カシューを夜の街に連れ出すなんて、保護者として見過ごせん!」

アーモンド公爵だ。

彼は勝手についてこようとしたが、カカオ様が持っていた扇子で、彼の額をパシンと叩いた。

「お断りよ。今日は『女子会』なの。男は立ち入り禁止」

「なんだと!? 私のカシューに変なことを吹き込む気だろう!」

「ええ。あんたの過去の女関係とか、寝相の悪さとか、全部暴露してあげるわ」

「やめろ! それは国家機密だ!」

「行ってきます、アーモンド」

私は彼に軽く手を振り、馬車に乗り込んだ。

「お土産は『苦いチョコ』でいい?」

「君が無事に帰ってくることが一番の土産だ……!」

アーモンドの悲痛な叫びを残し、馬車は走り出した。

   *   *   *

馬車の中には、なぜかもう一人、先客がいた。

「……なんで貴女がいるの?」

「ついてきちゃいましたぁ!」

ピンク色のドレスを着たマシュ・マロが、ふんぞり返って座っていた。

「カシュー様が悪の道に染まらないように、私が監視役として同行しますぅ!」

「……カカオ様、これ(マシュ)降ろしていいですか?」

「いいわよ。走行中だけど」

「ひどいですぅ! 私だって女子ですよぉ!」

マシュが泣きつくので、仕方なく連れて行くことになった。

馬車は石畳を抜け、街の裏通りへと入っていく。

やがて、看板のない重厚な扉の前で止まった。

「着いたわ。会員制サロン『ノワール』よ」

「……雰囲気がありますね」

「ここはね、カカオ含有率70%以上のものしか出さない店よ。子供と甘党はお断り」

カカオ様が扉を開けると、店内は薄暗く、ジャズが静かに流れていた。

漂うのは、深煎りのコーヒー豆と、上質な煙草の香り。

まさに大人の隠れ家だ。

「うっ……暗いですぅ。お化け屋敷ですかぁ?」

マシュが私の袖を摘む。

「静かにして。空気が濁るわ」

私たちは奥のボックス席に通された。

ソファは革張りで、座ると体が沈み込む。

「マスター。いつもの」

カカオ様が短く注文する。

「カシュー、あなたはどうする?」

「そうですね。……エスプレッソのダブルと、塩味の強いナッツを」

「わかってるじゃない。……そこのピンクは?」

マシュはメニュー表(文字が小さくて読みにくい)を見て、目を白黒させた。

「えっとぉ……いちごミルクはありますかぁ?」

マスター(髭の似合う渋い紳士)が、無言で首を横に振った。

「じゃあ、キャラメルマキアート……生クリーム増し増しで……」

マスターの眉間に皺が寄る。

カカオ様がため息をついた。

「マスター、こいつにはホットミルクを出してあげて。砂糖なしで」

「かしこまりました」

「えぇーっ! そんなの赤ちゃんじゃないですかぁ!」

文句を言うマシュを無視して、やがて注文の品が運ばれてきた。

私の前には、真っ黒な液体が入った小さなカップ。

カカオ様の前には、漆黒のチョコレートケーキ。

そしてマシュの前には、湯気の立つホットミルク。

「乾杯しましょうか。……甘くない人生に」

カカオ様がカップを掲げる。

「甘くない人生に」

私も掲げる。

「私だけ仲間外れですぅ~!」

マシュがミルクをすする。

私はエスプレッソを口に含んだ。

ガツンとした苦味が舌を打ち、その後に豊かな香りが鼻に抜ける。

「……美味しい」

「でしょう? 甘さで誤魔化さない、豆本来の味よ」

カカオ様はチョコレートを優雅に口に運んだ。

「人生も同じよ。甘いだけの男なんて、すぐに飽きるわ。……噛みごたえがあって、少し苦いくらいがちょうどいいの」

「同感です。……ピーナン殿下は、砂糖の塊みたいでしたから」

「あはは! あいつは最悪ね。私も挨拶された時、虫歯になるかと思ったわ」

私たちは顔を見合わせて笑った。

初対面とは思えないほど、波長が合う。

「ねえ、カシュー。あんた、アーモンドのどこが気に入ったの?」

カカオ様が唐突に聞いてきた。

「気に入ったというか……消去法でマシだったというか」

「素直じゃないわね。……あいつ、変人だけど、味覚だけは確かでしょう?」

「ええ。それだけは認めます」

「あいつね、昔からそうなの。自分が『いい』と思ったものには、一直線にのめり込む。周りに何と言われようとね」

カカオ様は目を細め、懐かしそうに語り出した。

「昔、あいつが初めて燻製を作った時、領民全員に配って回ったのよ。『これを食ってくれ!』って。……貴族のくせに、煤だらけになってね」

「……想像できます」

「馬鹿よね。でも、そういう真っ直ぐなところが、あいつの『旨味』なのよ」

カカオ様は私を見て、ニヤリと笑った。

「あんたのことも、そうやって見つけたんでしょうね。『これだ!』って」

「……食材扱いですけどね」

「いいじゃない。愛されてる証拠よ」

私はカップの縁を指でなぞった。

確かに、アーモンドは真っ直ぐだ。

鬱陶しいほどに。

でも、その真っ直ぐさが、私の頑なな心を少しずつ溶かしているのかもしれない。

「……カカオ様は、アーモンドのことが好きなんですか?」

私が意地悪く聞くと、彼女はケラケラと笑った。

「好きよ。……手のかかる弟としてね。あいつと結婚したら、私が世話係になって一生を終えるわ。ごめん被るわね」

「それは私も同感です」

「あはは! 押し付け合いね!」

私たちは盛り上がった。

と、そこで。

「うぅ……苦いですぅ……」

マシュ・マロが、カカオ様のチョコレートを勝手に食べて、悶絶していた。

「な、なんなんですかこれぇ! 土ですか!? 泥ですか!?」

「カカオ99%よ。お子様には毒だったかしら?」

「こんなの食べ物じゃありません! 甘くないチョコなんて、愛のない結婚と同じですぅ!」

マシュは涙目で水をがぶ飲みしている。

「マシュ男爵令嬢。貴女、少しは黙りなさい」

私がたしなめると、彼女はふくれっ面をした。

「だってぇ! 二人が仲良すぎて入れないんですもん! 私だって女子会したいですぅ! 恋バナとか!」

「じゃあ聞くけど」

カカオ様が頬杖をついてマシュを見た。

「あんた、その殿下のどこがいいの? 王子って肩書き以外で」

「えっ……」

マシュが言葉に詰まる。

「そ、それは……優しいですしぃ、私の言うこと何でも聞いてくれますしぃ……」

「それ、都合がいいだけじゃない?」

「違いますぅ! ……あ、あと、顔も……まあまあですし……」

「歯切れが悪いわね」

カカオ様がバッサリ切る。

「あんた、本当は気づいてるんじゃない? その甘い関係が、実は空っぽだってことに」

「……っ!」

マシュの動きが止まった。

図星だったのかもしれない。

カカオ様は畳み掛ける。

「いい? 本当の愛っていうのはね、苦いコーヒーを飲みながらでも、沈黙を共有できる関係のことよ。……あんたたちみたいに、常に『好き』って言い合わないと不安になるのは、ただの依存よ」

サロンの空気が重くなる。

マシュは唇を噛み締め、俯いた。

そして、ポツリと漏らした。

「……だってぇ。そうしないと、殿下がどこか行っちゃいそうで、怖いんですもん」

意外な本音だった。

あのポジティブモンスターにも、不安はあったらしい。

私は少しだけ、彼女の見方が変わった。

「……マシュ。貴女、意外と苦労してるのね」

私が言うと、彼女はパッと顔を上げた。

「同情しないでください! 私は幸せなんですぅ!」

「はいはい。……マスター、ミルクのおかわりを。今度は蜂蜜を入れてあげて」

「……かしこまりました」

運ばれてきた甘いミルクを飲んで、マシュは少しだけ落ち着いたようだった。

「……カシュー様、意外と優しいんですね」

「気まぐれよ」

「ツンデレですねぇ」

「違うわよ」

それから私たちは、日が暮れるまで語り合った。

カカオ様の「過去の男・失敗談」や、私の「ナッツ家の変な家訓」の話で盛り上がり、マシュも最後には「殿下の寝言がうるさい」という愚痴で参加してきた。

店を出る頃には、私たちは奇妙な連帯感で結ばれていた。

「楽しかったわ、カシュー。また飲みましょう」

馬車の前で、カカオ様が手を差し出した。

「ええ。ぜひ」

私たちはガッチリと握手をした。

「そこのピンクも、まあ、賑やかしにはなったわ」

「賑やかし扱いですかぁ!? でも、あのチョコは二度と食べませんからね!」

マシュが叫ぶ。

屋敷に戻ると、門の前でアーモンド公爵が犬のように待っていた。

「カシュー! お帰り! 無事か!? 変な男に絡まれなかったか!?」

「ただいま、アーモンド。楽しかったわよ」

私が笑顔で言うと、彼はキョトンとした。

「……なんか、雰囲気が変わったな。一皮剥けたというか、より『香ばしく』なった気がする」

「そうかもね。……最強の味方を手に入れたから」

私はカカオ様がくれたお土産(カカオ豆の麻袋)を掲げてみせた。

「さあ、晩酌の時間よ。今日はこの豆を焙煎しながら、夜通し語り明かしましょう」

「お、お手柔らかに頼む……」

アーモンドが少し怯えつつも、嬉しそうに私の荷物を持ってくれた。

こうして私は、この地でかけがえのない親友を得た。

マシュ・マロとの戦いはまだ続きそうだが、カカオ様という後ろ盾があれば、もう怖いものはない。

私の「おつまみライフ」は、ますます味わい深くなっていきそうだった。
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