悪役令嬢、自由になれたので憧れの田舎暮らしを満喫しようとしたら拾われた。

黒猫かの

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「――離せ! 僕は王子だぞ! こんなボロ馬車に乗れるか!」

「嫌よ! 私のドレスが汚れるじゃない! エドワード様、なんとかしてよ!」

王宮の裏門。

そこには、華やかなパレードとは正反対の、みすぼらしい護送用馬車が一台停まっていた。

その周りで、かつての王国のスターだった二人が、子供のような駄々をこねている。

エドワード殿下と、リリーナ男爵令嬢だ。

二人は粗末な平民の服に着替えさせられ(殿下いわく『雑巾みたい』、リリーナ嬢いわく『呪いの装備』)、北の最果てにある修道院へと送られるところだった。

「見苦しいですね」

私はアレクセイ公爵の隣で、その光景を見送っていた。

「自業自得だ。……陛下は温情をかけられた方だ。本来なら処刑されてもおかしくない罪なのだから」

公爵が冷ややかに言う。

彼らの処分は「修道院での強制労働による借金返済」。

期限は、8,000万ゴールドを完済するまで。

私の計算では、彼らが真面目に働いたとしても、完済予定日は約二百五十年後だ。

事実上の無期懲役である。

「ジョ、ジョアンナ!」

私に気づいた殿下が、鉄格子の嵌まった馬車の窓から顔を出した。

「助けてくれ! 僕が悪かった! 君の言う通りにする! だから、ここから出してくれ!」

涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている。

かつての「太陽の王子」の面影はゼロだ。

「殿下。……いいえ、エドワードさん」

私は静かに近づいた。

「そこは空気も美味しいし、自然も豊かだそうです。私の憧れのスローライフ(強制労働付き)ですよ。羨ましいです」

「嫌味か! 君なら計算でなんとかできるだろう!? 僕の借金を帳消しにする魔法とか!」

「ありません。魔法は使えませんが、これを差し上げます」

私は懐から、一冊のノートを取り出した。

「な、なんだこれは?」

「『はじめての家計簿』です」

私は鉄格子の隙間からノートを差し入れた。

「私が夜なべして作りました。収入と支出の書き方から、節約レシピ(主に野草)、そして『なぜ借金をしてはいけないか』という道徳的なコラムまで載っています」

「い、いらない! こんなもの!」

「持っていってください。これをつけて、毎月末に私に郵送すること。……もし計算が1ゴールドでも合わなければ、修道院長に連絡して、夕食を抜いてもらいます」

「鬼! 悪魔! 元婚約者!」

殿下が絶叫する。

隣のリリーナ嬢も、私を睨みつけていた。

「……覚えてなさいよ、ジョアンナ! 私がいつか這い上がって、あなたを見返してやるんだから!」

「その意気です、リリーナさん」

私はニッコリと笑った。

「這い上がるには、まず労働です。修道院では畑仕事がメインだそうですから、その綺麗な手で土を耕してください。……ネイルアートは禁止ですよ?」

「キーッ!!」

リリーナ嬢が発狂しそうになる中、御者が鞭を鳴らした。

馬車がガタゴトと動き出す。

「ジョアンナぁぁぁ! 愛してたぁぁぁ!」

「私の人生返してぇぇぇ!」

二人の悲痛な叫び声を乗せて、馬車は土煙の向こうへと消えていった。

周囲で見守っていた近衛兵や使用人たちが、一斉に安堵の息を漏らす。

「……終わったな」

公爵が呟いた。

「ええ。騒がしい日々でした」

「これで、私の周りから『無能』が一掃されたわけだ」

公爵は満足げに伸びをした。

「さて、ジョアンナ。凱旋だ。……屋敷に戻って、祝杯でもあげるか?」

「いいえ、閣下」

私は即答した。

「祝杯はお預けです。……忘れていませんか? 彼らが残していった『負の遺産』の処理がまだです」

「あ」

「殿下の借金の債権者リストの作成、リリーナ嬢が勝手に契約した宝石店への返品交渉、そして王室予備費の補填計画……。山積みです」

私は指折り数えた。

「これからが本番です。感傷に浸っている暇はありません」

「……君は本当に、ロマンスの欠片もないな」

公爵が苦笑する。

「だが、それがいい。……さあ、帰ろう。私の『最強の右腕』」

私たちは並んで歩き出した。

          ◇

公爵邸に戻ると、そこはパラダイスだった。

エドワード殿下からのストーカー被害もなく、リリーナ嬢の陰湿な嫌がらせもない。

あるのは、静寂と、山積みの書類と、美味しいおやつだけ。

「素晴らしい……! これぞ私が求めていた環境!」

私は執務室のデスクに座り、書類の山(殿下の尻拭い案件)を愛おしそうに撫でた。

「敵は数字だけ。人間関係のストレスゼロ。最高です」

「そうか。それはよかったな」

向かいの席で、公爵が書類にサインをしながら言った。

「だが、一つ問題がある」

「なんでしょう? 計算ミスですか?」

「いや。……世間がうるさいのだ」

公爵が一枚の新聞を投げ渡してきた。

『氷の公爵と鉄の悪女、愛の勝利!』

『国を救った最強カップル、ついに結婚秒読みか!?』

そんな見出しが踊っている。

「……またですか」

私は頭を抱えた。

「誤解が解けたと思ったら、今度は『美談』として捏造されていますね」

「まあ、悪女と呼ばれるよりはマシだろう。それに、民衆はこういうサクセスストーリーが好きだ」

「迷惑です。私はただの事務員として生きたいのに」

「諦めろ。君はもう有名人だ」

公爵は楽しそうに笑った。

「王宮の顧問官であり、私のパートナーだ。……これからは、舞踏会や式典への出席も増えるぞ」

「えっ、嫌です。残業手当出ますか?」

「出る。タルト食べ放題もつける」

「……検討します」

私は渋々ながらも、条件に釣られた。

こうして、私の「悪役令嬢」としての破滅フラグは完全にへし折られ、代わりに「公爵家の実質的な支配者(事務的な意味で)」としての地位が確立された。

エドワード殿下とリリーナ嬢の失脚により、私の周りには平和が訪れた……はずだった。

だが。

障害物がなくなったことで、別の問題が浮上し始めていた。

それは、アレクセイ公爵との距離感だ。

「……ジョアンナ」

「はい?」

「ここの計算、合っているか見てくれ」

公爵が手招きする。

私は席を立ち、彼の後ろから書類を覗き込んだ。

「どれですか? ……あ、ここですね。小数点以下の処理が……」

私が説明しようとすると、公爵がふっと顔を上げた。

至近距離。

鼻先が触れそうな距離で、彼の氷のような瞳と目が合う。

「……近いですね、閣下」

「そうか? 老眼で見えにくくてな(嘘)」

「まだ二十代でしょう。……それに、腰に手を回すのは業務に関係ありません」

「転倒防止だ。床のワックスが効きすぎているかもしれない」

公爵は悪びれもせず、私の腰を抱き寄せたまま言った。

「……君の香水、変えたか?」

「変えていません。石鹸の匂いです」

「いい匂いだ。……落ち着く」

公爵が私の肩に頭を預けてくる。

重い。

大型犬が甘えているような重さだ。

以前なら「セクハラです」と突き放していた。

でも、今はなぜか、突き放す気になれない。

むしろ、彼の体温が心地よく感じてしまう自分がいる。

(……変ね。また不整脈かしら)

私は胸の鼓動を、必死に「計算への興奮」だと誤認しようと努めた。

敵はいなくなった。

仕事は順調だ。

待遇も最高だ。

すべてが合理的で、計算通りに進んでいるはずなのに。

私の心の中にある「恋の計算式」だけが、どうしても解けないまま、エラーを出し続けていた。

「……平和になりましたね、閣下」

「ああ。……だが、これからが大変だぞ」

公爵が意味深に囁く。

「何がですか?」

「私と君の『未来の設計図』を作らねばならんからな」

「未来? 来年度の予算案ですか?」

「……鈍感なやつだ」

公爵は呆れたように笑い、私の髪に口付けた。

こうして、私の「事務員生活」は、新たなステージへと突入した。

それは、数字では割り切れない、甘くて厄介な日々の始まりだった。
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