10 / 28
10
しおりを挟む
王宮での「魔窟」訪問から数日。
ベルシュタイン公爵邸の平和は、またしても地響きのような轟音によって破られた。
ローゼンがテラスで優雅に(半分死んだような目で)紅茶を啜っていると、庭の向こうから、土煙を上げて巨大な「何か」が迫ってきた。
「……ねえ、マリー。あれは何かしら。岩石の化け物か、あるいは新型の攻城兵器?」
「お嬢様、落ち着いてよくご覧ください。あれは、先日『普通の隣人』を目指すと宣言された、わが国の次期国王陛下でございます」
土煙が晴れた後に立っていたのは、かつての優美な面影をかなぐり捨てた、筋骨隆々のアルフレッドだった。
彼は「普通の男」を意識したのか、飾り気のない麻のシャツを着ていたが、あまりにも発達しすぎた大胸筋と広背筋に耐えきれず、布地が悲鳴を上げて四分五裂している。
「……殿下、その格好は一体どうされたのですか?」
「待たせたね、ローゼン! 見てくれ、これが私の到達した『対・ローゼン専用防護肉体』だ!」
アルフレッドは庭の中央で、頼んでもいないのにサイドチェストのポーズを決めた。
バキバキと音を立てて筋肉がうねり、周囲の空気が物理的な熱量を帯びて陽炎のように揺れる。
「……普通の隣人になるとおっしゃったはずでは?」
「そうだ! だが、冷静に考えてみてほしい。君という超常の美を放つ存在の隣に、ただの軟弱な人間が立てるはずがないだろう! 君の輝き(フォトン)に焼かれず、君の慈愛の重圧に押し潰されないためには、最低でも鋼鉄を素手で引きちぎる程度の筋密度が必要だという結論に至ったんだ!」
アルフレッドは額に浮き出た血管をピクピクさせながら、爽やかな笑顔(ただし顔面にも筋肉がついている)で言い放った。
「お嬢様、殿下は『普通』という言葉の定義を、辞書から抹殺されたようです。現在、彼の脳内では『普通=最強』という変換が行われております」
マリーが冷たく解説する中、アルフレッドはさらに一歩、ローゼンに詰め寄った。
「見てくれ、ローゼン。この大腿四頭筋の躍動を! これがあれば、君がどんなに不意に微笑みかけてきても、膝から崩れ落ちることなく、毅然として隣に立ち続けることができる! 今、私はついに、君と対等に呼吸をする権利を手に入れたんだ!」
「……その、暑苦しいですわ」
「暑苦しい!? ああ、それは私の魂の燃焼温度が、君への愛ゆえに限界を突破している証拠だ! さあ、ローゼン! 遠慮はいらない、私のこの大胸筋の上に座ってみてくれないか! どんな最高級のソファよりも安定した座り心地を約束しよう!」
「座るわけないでしょう! 殿下、いい加減にしてください。私は筋肉と話したいのではありません。以前のような、スマートで理性的だったあなたに戻ってほしいと言っているのですわ」
ローゼンが本気で嫌そうな顔をすると、アルフレッドは一瞬、ハッとしたようにポーズを解いた。
「……スマート? ああ……なるほど。君は『見せる筋肉』ではなく、『実用的な筋肉』を求めていたんだね! 確かに、ただ膨らませるだけでは知性に欠ける。わかった、明日からは忍術と暗殺術を組み込み、筋肉を極限まで圧縮して『一見すると普通だが、実は全身がバネ』という究極のスマート・マッスルを目指すよ!」
「聞きなさいよ! 私の話を! 筋肉から離れなさい!」
ローゼンの叫びは、アルフレッドの耳には「もっと鍛えて!」という熱い応援歌として届いたようだった。
「安心したまえ、ローゼン。君を愛し、君を崇め、かつ君を護り抜く。そのためには、私は人間を卒業してでも強くなってみせるよ! では、私はこれから滝に打たれながら、君の名前を十万回唱えてくる!」
アルフレッドは凄まじい脚力で地面を蹴り、一跳びで公爵邸の壁を飛び越えて去っていった。
残されたのは、ボロボロになった庭の芝生と、深い溜息をつくローゼン、そして無言で砂時計を確認するマリーだけだった。
「……ねえ、マリー。あの人、もう修復不可能かしら」
「お嬢様、悲しいお知らせですが、殿下は現在『努力という名の暴走』を最も楽しんでいらっしゃるフェーズにあります。こうなると、外部からの説得はすべて筋トレのガソリンにしかなりません」
「……次は、どう来るかしら」
「おそらく、気配を完全に消した『透明な筋肉』を引っさげて、お嬢様の背後に音もなく現れるようになるかと」
「ホラーじゃないのよ!!」
ローゼンは空になった茶碗を見つめ、いつになったら自分の人生から「不条理」という文字が消えるのか、遠い空に問いかけるのであった。
ベルシュタイン公爵邸の平和は、またしても地響きのような轟音によって破られた。
ローゼンがテラスで優雅に(半分死んだような目で)紅茶を啜っていると、庭の向こうから、土煙を上げて巨大な「何か」が迫ってきた。
「……ねえ、マリー。あれは何かしら。岩石の化け物か、あるいは新型の攻城兵器?」
「お嬢様、落ち着いてよくご覧ください。あれは、先日『普通の隣人』を目指すと宣言された、わが国の次期国王陛下でございます」
土煙が晴れた後に立っていたのは、かつての優美な面影をかなぐり捨てた、筋骨隆々のアルフレッドだった。
彼は「普通の男」を意識したのか、飾り気のない麻のシャツを着ていたが、あまりにも発達しすぎた大胸筋と広背筋に耐えきれず、布地が悲鳴を上げて四分五裂している。
「……殿下、その格好は一体どうされたのですか?」
「待たせたね、ローゼン! 見てくれ、これが私の到達した『対・ローゼン専用防護肉体』だ!」
アルフレッドは庭の中央で、頼んでもいないのにサイドチェストのポーズを決めた。
バキバキと音を立てて筋肉がうねり、周囲の空気が物理的な熱量を帯びて陽炎のように揺れる。
「……普通の隣人になるとおっしゃったはずでは?」
「そうだ! だが、冷静に考えてみてほしい。君という超常の美を放つ存在の隣に、ただの軟弱な人間が立てるはずがないだろう! 君の輝き(フォトン)に焼かれず、君の慈愛の重圧に押し潰されないためには、最低でも鋼鉄を素手で引きちぎる程度の筋密度が必要だという結論に至ったんだ!」
アルフレッドは額に浮き出た血管をピクピクさせながら、爽やかな笑顔(ただし顔面にも筋肉がついている)で言い放った。
「お嬢様、殿下は『普通』という言葉の定義を、辞書から抹殺されたようです。現在、彼の脳内では『普通=最強』という変換が行われております」
マリーが冷たく解説する中、アルフレッドはさらに一歩、ローゼンに詰め寄った。
「見てくれ、ローゼン。この大腿四頭筋の躍動を! これがあれば、君がどんなに不意に微笑みかけてきても、膝から崩れ落ちることなく、毅然として隣に立ち続けることができる! 今、私はついに、君と対等に呼吸をする権利を手に入れたんだ!」
「……その、暑苦しいですわ」
「暑苦しい!? ああ、それは私の魂の燃焼温度が、君への愛ゆえに限界を突破している証拠だ! さあ、ローゼン! 遠慮はいらない、私のこの大胸筋の上に座ってみてくれないか! どんな最高級のソファよりも安定した座り心地を約束しよう!」
「座るわけないでしょう! 殿下、いい加減にしてください。私は筋肉と話したいのではありません。以前のような、スマートで理性的だったあなたに戻ってほしいと言っているのですわ」
ローゼンが本気で嫌そうな顔をすると、アルフレッドは一瞬、ハッとしたようにポーズを解いた。
「……スマート? ああ……なるほど。君は『見せる筋肉』ではなく、『実用的な筋肉』を求めていたんだね! 確かに、ただ膨らませるだけでは知性に欠ける。わかった、明日からは忍術と暗殺術を組み込み、筋肉を極限まで圧縮して『一見すると普通だが、実は全身がバネ』という究極のスマート・マッスルを目指すよ!」
「聞きなさいよ! 私の話を! 筋肉から離れなさい!」
ローゼンの叫びは、アルフレッドの耳には「もっと鍛えて!」という熱い応援歌として届いたようだった。
「安心したまえ、ローゼン。君を愛し、君を崇め、かつ君を護り抜く。そのためには、私は人間を卒業してでも強くなってみせるよ! では、私はこれから滝に打たれながら、君の名前を十万回唱えてくる!」
アルフレッドは凄まじい脚力で地面を蹴り、一跳びで公爵邸の壁を飛び越えて去っていった。
残されたのは、ボロボロになった庭の芝生と、深い溜息をつくローゼン、そして無言で砂時計を確認するマリーだけだった。
「……ねえ、マリー。あの人、もう修復不可能かしら」
「お嬢様、悲しいお知らせですが、殿下は現在『努力という名の暴走』を最も楽しんでいらっしゃるフェーズにあります。こうなると、外部からの説得はすべて筋トレのガソリンにしかなりません」
「……次は、どう来るかしら」
「おそらく、気配を完全に消した『透明な筋肉』を引っさげて、お嬢様の背後に音もなく現れるようになるかと」
「ホラーじゃないのよ!!」
ローゼンは空になった茶碗を見つめ、いつになったら自分の人生から「不条理」という文字が消えるのか、遠い空に問いかけるのであった。
0
あなたにおすすめの小説
あなたに嘘を一つ、つきました
小蝶
恋愛
ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…
最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】美しい人。
❄️冬は つとめて
恋愛
「あなたが、ウイリアム兄様の婚約者? 」
「わたくし、カミーユと言いますの。ねえ、あなたがウイリアム兄様の婚約者で、間違いないかしら。」
「ねえ、返事は。」
「はい。私、ウイリアム様と婚約しています ナンシー。ナンシー・ヘルシンキ伯爵令嬢です。」
彼女の前に現れたのは、とても美しい人でした。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【完結】あなたを忘れたい
やまぐちこはる
恋愛
子爵令嬢ナミリアは愛し合う婚約者ディルーストと結婚する日を待ち侘びていた。
そんな時、不幸が訪れる。
■□■
【毎日更新】毎日8時と18時更新です。
【完結保証】最終話まで書き終えています。
最後までお付き合い頂けたらうれしいです(_ _)
側妃の愛
まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。
王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。
力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。
Copyright©︎2025-まるねこ
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
婚約破棄、ありがとうございます
奈井
恋愛
小さい頃に婚約して10年がたち私たちはお互い16歳。来年、結婚する為の準備が着々と進む中、婚約破棄を言い渡されました。でも、私は安堵しております。嘘を突き通すのは辛いから。傷物になってしまったので、誰も寄って来ない事をこれ幸いに一生1人で、幼い恋心と一緒に過ごしてまいります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる