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光学包囲網を脱した翌日、ローゼンは最後にして最大の賭けに出ることにした。
彼女は、王宮の裏庭で「ローゼンが踏んだ土」を丁寧に小瓶に詰めていたアルフレッドを呼び出した。
「アルフレッド殿下。……わたくし、決めましたわ。あなたと再婚約をしてもよろしいです」
「……なっ!? ろ、ローゼン! 今、何と言ったんだい!? 私の鼓膜が、君の愛の周波数に耐えきれずに歓喜の悲鳴を上げているのだが、聞き間違いではないね!?」
アルフレッドは持っていた小瓶を放り出し、ローゼンの足元に飛び込もうとしたが、彼女はそれを鋭い視線で制した。
「ただし、条件があります。わたくしが出す『普通の男になるための最終試験』に合格してください。もし失敗したら、今度こそこの国からわたくしの存在を消し去りますわ」
「何でも言いたまえ! 君のためなら、隣国の領土をすべて君の庭に変えることも、太陽に君の顔を彫ることも容易い御用だ!」
「そういうのがダメだって言っているんですのよ! ……試験の内容は極めて簡単です。今から市場へ行き、わたくしのために『普通のパン』を一つ買ってきてください。……いいですか、護衛なし、魔法なし、筋肉アピールなし、そしてポエムも禁止ですわ。ただの男として、店主に代金を払い、パンを受け取って帰ってくる。それだけです」
「……パンを、一つ……。ただ、買うだけ……?」
アルフレッドは、かつてないほどの困惑の表情を浮かべた。
彼にとって、愛する人への貢物とは、常に命がけで手に入れる伝説の産物であるべきだったからだ。
「わかりました、ローゼン! 君がそこまで言うなら、私は『究極の普通』を君に見せてあげよう! 待っていてくれ、私が世界で一番『普通』なパンを君の元へ届けてみせる!」
アルフレッドはそう言い残すと、凄まじい脚力で(普通の男はそんな跳躍はしないが)市場の方角へと消えていった。
「……マリー。わたくしの指示、間違っていなかったわよね? ただのパンよ? 失敗する要素なんてないはずだわ」
「お嬢様。……殿下の脳内では、現在『パン』という言葉が、何らかの高度な比喩として解析されている可能性が九十九パーセントでございます。……あ、既に市場から『巨大な金色の何かが店をなぎ倒して進んでいる』という通報が入りました」
二時間後。
公爵邸の門を揺るがす地響きと共に、アルフレッドが帰還した。
その姿を見たローゼンは、手に持っていた扇子を二つに叩き折った。
「……殿下。……何ですの、その後ろに引きずっている、山のような大きさの『トカゲ』は」
「ハァ……ハァ……! 見てくれ、ローゼン! 君の言う『パン』……すなわち、パン・ドラ山脈に棲息する伝説の火龍、サラマンダーのタマゴ(の形をした肉)だ! 君が『パン』と言ったのは、その龍の鱗が焼き立てのパンのような香ばしさを放つからだね!? 私は君の期待に応えるため、素手でこの龍を屠り、その最も美味な部位を確保してきたぞ!」
アルフレッドは、もはや布地が一切残っていない上半身(龍の火炎で焼失したらしい)を晒し、返り血と煤でドロドロになりながら、誇らしげに龍の首をローゼンの前に置いた。
「普通にパン屋で買えと言ったでしょうが!! 誰が龍を倒せと言いましたの!」
「だって、君のような女神が求めるパンが、そこら辺の麦で作った安物であるはずがないだろう! この龍の肉こそが、君という真理に相応しい『生命のパン』だ! さあ、今すぐこれを焼いて食べよう! 私の筋肉も、この激戦を終えて最高のスパイスになっているぞ!」
「食べませんわよ! 気持ち悪いですわ! あと、その格好は何ですの! 全裸に近いではありませんか!」
「服など、君への情熱の前では紙切れ同然だ! 見てくれ、この龍の爪で刻まれた私の背筋を! これも一つの、君への愛の詩ではないか!」
「お嬢様、失礼いたします。……殿下、あちらをご覧ください。殿下が龍を追いかけて山を一つ粉砕したせいで、王都の小麦相場が暴騰し、本物のパンが街から消え失せましたが、よろしいのですか?」
マリーが提示した経済新聞を見たアルフレッドは、ハッとしたように固まった。
「……なっ……!? 私が、パンを滅ぼしてしまったのか……!? ローゼンが食べたがっていたパンを、私がこの手で……!」
「そうですわよ! あなたが余計な伝説を作ったせいで、わたくしの夕食のクロワッサンが届かなくなったんですのよ!」
「ああ……あああああ!! 私はなんて罪深いんだ! ローゼンの胃袋を悲しませるなど、王太子失格だ!!」
アルフレッドは再びその場に膝をつき、龍の首を枕にして号泣し始めた。
「……マリー。もう、再婚約の話はなかったことにしてよろしいかしら」
「お嬢様。……殿下は現在、あまりのショックに『パンそのものになる』という新しい修行を始めようとしているようですので、止めるなら今でございます」
「パンになる!? 意味がわからないわよ!!」
ローゼンの「普通の結婚」への道は、伝説の龍の犠牲と共に、粉々に砕け散った。
彼女は、黄金色に輝くバキバキの筋肉を持つ男が、龍の死骸の横で「私がパンになる……私が小麦粉からやり直すんだ……!」と呟いているのを見て、ついに天を仰いだ。
彼女は、王宮の裏庭で「ローゼンが踏んだ土」を丁寧に小瓶に詰めていたアルフレッドを呼び出した。
「アルフレッド殿下。……わたくし、決めましたわ。あなたと再婚約をしてもよろしいです」
「……なっ!? ろ、ローゼン! 今、何と言ったんだい!? 私の鼓膜が、君の愛の周波数に耐えきれずに歓喜の悲鳴を上げているのだが、聞き間違いではないね!?」
アルフレッドは持っていた小瓶を放り出し、ローゼンの足元に飛び込もうとしたが、彼女はそれを鋭い視線で制した。
「ただし、条件があります。わたくしが出す『普通の男になるための最終試験』に合格してください。もし失敗したら、今度こそこの国からわたくしの存在を消し去りますわ」
「何でも言いたまえ! 君のためなら、隣国の領土をすべて君の庭に変えることも、太陽に君の顔を彫ることも容易い御用だ!」
「そういうのがダメだって言っているんですのよ! ……試験の内容は極めて簡単です。今から市場へ行き、わたくしのために『普通のパン』を一つ買ってきてください。……いいですか、護衛なし、魔法なし、筋肉アピールなし、そしてポエムも禁止ですわ。ただの男として、店主に代金を払い、パンを受け取って帰ってくる。それだけです」
「……パンを、一つ……。ただ、買うだけ……?」
アルフレッドは、かつてないほどの困惑の表情を浮かべた。
彼にとって、愛する人への貢物とは、常に命がけで手に入れる伝説の産物であるべきだったからだ。
「わかりました、ローゼン! 君がそこまで言うなら、私は『究極の普通』を君に見せてあげよう! 待っていてくれ、私が世界で一番『普通』なパンを君の元へ届けてみせる!」
アルフレッドはそう言い残すと、凄まじい脚力で(普通の男はそんな跳躍はしないが)市場の方角へと消えていった。
「……マリー。わたくしの指示、間違っていなかったわよね? ただのパンよ? 失敗する要素なんてないはずだわ」
「お嬢様。……殿下の脳内では、現在『パン』という言葉が、何らかの高度な比喩として解析されている可能性が九十九パーセントでございます。……あ、既に市場から『巨大な金色の何かが店をなぎ倒して進んでいる』という通報が入りました」
二時間後。
公爵邸の門を揺るがす地響きと共に、アルフレッドが帰還した。
その姿を見たローゼンは、手に持っていた扇子を二つに叩き折った。
「……殿下。……何ですの、その後ろに引きずっている、山のような大きさの『トカゲ』は」
「ハァ……ハァ……! 見てくれ、ローゼン! 君の言う『パン』……すなわち、パン・ドラ山脈に棲息する伝説の火龍、サラマンダーのタマゴ(の形をした肉)だ! 君が『パン』と言ったのは、その龍の鱗が焼き立てのパンのような香ばしさを放つからだね!? 私は君の期待に応えるため、素手でこの龍を屠り、その最も美味な部位を確保してきたぞ!」
アルフレッドは、もはや布地が一切残っていない上半身(龍の火炎で焼失したらしい)を晒し、返り血と煤でドロドロになりながら、誇らしげに龍の首をローゼンの前に置いた。
「普通にパン屋で買えと言ったでしょうが!! 誰が龍を倒せと言いましたの!」
「だって、君のような女神が求めるパンが、そこら辺の麦で作った安物であるはずがないだろう! この龍の肉こそが、君という真理に相応しい『生命のパン』だ! さあ、今すぐこれを焼いて食べよう! 私の筋肉も、この激戦を終えて最高のスパイスになっているぞ!」
「食べませんわよ! 気持ち悪いですわ! あと、その格好は何ですの! 全裸に近いではありませんか!」
「服など、君への情熱の前では紙切れ同然だ! 見てくれ、この龍の爪で刻まれた私の背筋を! これも一つの、君への愛の詩ではないか!」
「お嬢様、失礼いたします。……殿下、あちらをご覧ください。殿下が龍を追いかけて山を一つ粉砕したせいで、王都の小麦相場が暴騰し、本物のパンが街から消え失せましたが、よろしいのですか?」
マリーが提示した経済新聞を見たアルフレッドは、ハッとしたように固まった。
「……なっ……!? 私が、パンを滅ぼしてしまったのか……!? ローゼンが食べたがっていたパンを、私がこの手で……!」
「そうですわよ! あなたが余計な伝説を作ったせいで、わたくしの夕食のクロワッサンが届かなくなったんですのよ!」
「ああ……あああああ!! 私はなんて罪深いんだ! ローゼンの胃袋を悲しませるなど、王太子失格だ!!」
アルフレッドは再びその場に膝をつき、龍の首を枕にして号泣し始めた。
「……マリー。もう、再婚約の話はなかったことにしてよろしいかしら」
「お嬢様。……殿下は現在、あまりのショックに『パンそのものになる』という新しい修行を始めようとしているようですので、止めるなら今でございます」
「パンになる!? 意味がわからないわよ!!」
ローゼンの「普通の結婚」への道は、伝説の龍の犠牲と共に、粉々に砕け散った。
彼女は、黄金色に輝くバキバキの筋肉を持つ男が、龍の死骸の横で「私がパンになる……私が小麦粉からやり直すんだ……!」と呟いているのを見て、ついに天を仰いだ。
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