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翌朝。
私は目の下に薄っすらと隈を作り、フラフラと中庭へ足を運んだ。
「……計算が合わない」
手には愛用の魔導計算機。
だが、画面に表示されているのは『エラー』の文字だ。
昨夜、ベッドの中で「カシウス公爵への好感度と心拍数の相関関係」を数式化しようと試みたのだが、変数が多すぎて計算機がオーバーヒートしてしまったのだ。
中庭では、黒狼騎士団の面々が朝の稽古を終え、休憩していた。
「あ、姉御! おはようございますッス!」
副団長のガストンが私に気づき、元気よく手を振った。
彼らは上半身裸で汗を拭き、プロテイン(私が配合を指導した特製ドリンク)を飲んでいる。
「おはよう、ガストン。……少し、相談があるのだけれど」
「相談? へへっ、また掃除の指令ッスか? 今日はどこのドブをさらいましょうか!」
「いいえ。……医学的な相談よ」
「医学?」
騎士たちがキョトンとして顔を見合わせる。
私は彼らの近くのベンチに座り、重々しく口を開いた。
「実はここ数日、私の体に原因不明の不具合(バグ)が発生しているの」
「不具合? 風邪ッスか?」
「症状を説明するわ。メモを取って」
私は指を折って数え上げた。
「一、特定の個人(ターゲット)を目視すると、心拍数が通常時の二倍に跳ね上がる」
「二、その対象と接触すると、体温が急上昇し、顔面紅潮が見られる」
「三、思考回路にノイズが走り、簡単な暗算すらミスをするようになる」
「四、夜、その対象のことばかり考えてしまい、睡眠効率が低下する」
私は深刻な顔で騎士たちを見渡した。
「……これはいったい、何の病気だと思う? 自律神経失調症か、あるいは新手の呪いか……」
騎士たちがポカンと口を開けている。
そして数秒後。
彼らはニヤニヤと目配せをし始めた。
「……姉御」
ガストンが代表して口を開いた。
「その『特定の個人』ってのは、もしかして……我らがボス(カシウス閣下)のことじゃないッスか?」
「ッ……!? な、なぜそれを……」
私は動揺した。
個人情報は伏せていたはずなのに、なぜ特定されたのか。
「いや、バレバレっスよ」
「で、姉御。その病気の正体を知りたいんスね?」
「ええ。早急に特定し、ワクチンを投与しないと業務に支障が出るわ」
「ワクチンねぇ……」
ガストンは頭をポリポリとかき、他の騎士たちと顔を見合わせた。
そして、全員で声を揃えて言った。
「姉御。……そりゃあ、『恋』ってもんですよ」
「……はい?」
私は瞬きをした。
今、何と言った?
「コイ? 鯉ですか? 淡水魚の?」
「違いますよ! LOVEの恋! 惚れた腫れたの恋ッスよ!」
「……馬鹿な」
私は即座に否定した。
「前提条件が間違っています。私は感情を排除した合理主義者です。恋愛などという非生産的で、コストパフォーマンスの悪い活動に、私が従事するはずがありません」
「いやいや、姉御。その『非生産的なこと』を考えちまうのが恋なんスよ」
ガストンがニカッと笑い、自分の胸を叩いた。
「俺らも戦場でボスに命預けてる身だ。ボスを見て胸が熱くなることはあるが……姉御のそれは、もっとこう、ピンク色のアレですよ」
「ピンク色……色彩感覚の欠如ですね。私の視界は正常です」
「あーもう! 理屈じゃねぇんスよ!」
騎士の一人が身を乗り出した。
「いいですか、姉御。その人と一緒にいたいと思うか? その人が他の女と笑ってたらムカつくか? その人のために何かしてやりたいと思うか?」
「……」
私は思考した。
一緒にいたいか? ……業務効率の観点からはイエスだ。
他の女と? ……アラン氏の時のカシウスの態度を思い出すと、逆の立場で想像した場合、胸がモヤモヤする。
何かしてやりたい? ……彼の屋敷を黒字化させたい。
「……すべてイエスですが、それはビジネスパートナーとしての信頼関係であり……」
「それを世間じゃ『愛』って呼ぶんでさぁ!」
騎士たちが一斉にツッコミを入れた。
あまりの音圧に、私がのけぞる。
「姉御、諦めなせぇ。あんたはボスに惚れてるんだ」
「観念して楽になっちまいな。恋は病気じゃねぇ、栄養剤だ」
「ボスとお似合いッスよ! 『狂犬』と『計算機』、最強のカップル誕生だ!」
騎士たちが口笛を吹き、ヒューヒューと囃し立てる。
「……静粛に!」
私は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「認めません! そのような非論理的な診断結果、セカンドオピニオンを要求します!」
「誰に聞いても同じッスよ~」
「うるさい! 貴方たちの脳内は筋肉で埋まっているから、そんな短絡的な結論になるのです!」
私は踵を返し、逃げるようにその場を去ろうとした。
これ以上ここにいると、私の論理的思考(ロジック)が彼らの熱気に溶かされてしまう。
だが。
振り返った先に、その「原因」が立っていた。
「……よぉ、メリアドール。朝から随分と盛り上がってるな」
カシウスだ。
朝の鍛錬を終えたのか、汗で濡れたシャツが体に張り付き、男らしい肉体美を強調している。
前髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべて私を見ている。
ドクンッ!!
「うっ……!」
私の心臓が、跳ね馬のように暴れ出した。
さっきまで騎士たちを見ていても何ともなかったのに、カシウスを見た瞬間、これだ。
「ど、どうした? また不整脈か?」
カシウスがわざとらしく心配するフリをして、近づいてくる。
その目は完全に面白がっている。
「……来ないでください!」
私は後退った。
「半径三メートル以内の接近を禁止します! 感染リスクがあります!」
「感染? 俺がか?」
「貴方が病原体(ウイルス)です!」
「ひでぇな。……だが、治療法ならあるぞ?」
カシウスが一歩踏み込む。
「抱きしめて、キスすれば治るらしい」
「どこの民間療法ですか! 医学的根拠(エビデンス)を出しなさい!」
「俺の直感だ」
カシウスは捕食者の目で私を追い詰める。
私は完全にパニックに陥っていた。
計算機も役に立たない。論理も通じない。
ただ、心臓だけがうるさく警鐘を鳴らしている。
『警告:恋です。これは恋です。降伏してください』
「い、嫌ぁぁぁっ!」
私は悲鳴を上げ、全力疾走で中庭から逃げ出した。
背後で、騎士たちとカシウスの爆笑する声が聞こえる。
「あはは! 姉御、可愛いとこあるなぁ!」
「逃げ足は速いな。……ま、じっくり追い詰めるさ」
私は自室に飛び込み、ベッドにダイブして布団を被った。
「……違う。絶対に違うわ」
暗闇の中で、私は呟いた。
「私が恋なんて……そんな計算できないこと、するはずがない」
けれど、布団の中で赤くなった私の顔は、どんな言葉よりも雄弁に真実を語っていた。
私の「合理的な鉄壁」は、今や完全に崩壊寸前(ボロボロ)だった。
私は目の下に薄っすらと隈を作り、フラフラと中庭へ足を運んだ。
「……計算が合わない」
手には愛用の魔導計算機。
だが、画面に表示されているのは『エラー』の文字だ。
昨夜、ベッドの中で「カシウス公爵への好感度と心拍数の相関関係」を数式化しようと試みたのだが、変数が多すぎて計算機がオーバーヒートしてしまったのだ。
中庭では、黒狼騎士団の面々が朝の稽古を終え、休憩していた。
「あ、姉御! おはようございますッス!」
副団長のガストンが私に気づき、元気よく手を振った。
彼らは上半身裸で汗を拭き、プロテイン(私が配合を指導した特製ドリンク)を飲んでいる。
「おはよう、ガストン。……少し、相談があるのだけれど」
「相談? へへっ、また掃除の指令ッスか? 今日はどこのドブをさらいましょうか!」
「いいえ。……医学的な相談よ」
「医学?」
騎士たちがキョトンとして顔を見合わせる。
私は彼らの近くのベンチに座り、重々しく口を開いた。
「実はここ数日、私の体に原因不明の不具合(バグ)が発生しているの」
「不具合? 風邪ッスか?」
「症状を説明するわ。メモを取って」
私は指を折って数え上げた。
「一、特定の個人(ターゲット)を目視すると、心拍数が通常時の二倍に跳ね上がる」
「二、その対象と接触すると、体温が急上昇し、顔面紅潮が見られる」
「三、思考回路にノイズが走り、簡単な暗算すらミスをするようになる」
「四、夜、その対象のことばかり考えてしまい、睡眠効率が低下する」
私は深刻な顔で騎士たちを見渡した。
「……これはいったい、何の病気だと思う? 自律神経失調症か、あるいは新手の呪いか……」
騎士たちがポカンと口を開けている。
そして数秒後。
彼らはニヤニヤと目配せをし始めた。
「……姉御」
ガストンが代表して口を開いた。
「その『特定の個人』ってのは、もしかして……我らがボス(カシウス閣下)のことじゃないッスか?」
「ッ……!? な、なぜそれを……」
私は動揺した。
個人情報は伏せていたはずなのに、なぜ特定されたのか。
「いや、バレバレっスよ」
「で、姉御。その病気の正体を知りたいんスね?」
「ええ。早急に特定し、ワクチンを投与しないと業務に支障が出るわ」
「ワクチンねぇ……」
ガストンは頭をポリポリとかき、他の騎士たちと顔を見合わせた。
そして、全員で声を揃えて言った。
「姉御。……そりゃあ、『恋』ってもんですよ」
「……はい?」
私は瞬きをした。
今、何と言った?
「コイ? 鯉ですか? 淡水魚の?」
「違いますよ! LOVEの恋! 惚れた腫れたの恋ッスよ!」
「……馬鹿な」
私は即座に否定した。
「前提条件が間違っています。私は感情を排除した合理主義者です。恋愛などという非生産的で、コストパフォーマンスの悪い活動に、私が従事するはずがありません」
「いやいや、姉御。その『非生産的なこと』を考えちまうのが恋なんスよ」
ガストンがニカッと笑い、自分の胸を叩いた。
「俺らも戦場でボスに命預けてる身だ。ボスを見て胸が熱くなることはあるが……姉御のそれは、もっとこう、ピンク色のアレですよ」
「ピンク色……色彩感覚の欠如ですね。私の視界は正常です」
「あーもう! 理屈じゃねぇんスよ!」
騎士の一人が身を乗り出した。
「いいですか、姉御。その人と一緒にいたいと思うか? その人が他の女と笑ってたらムカつくか? その人のために何かしてやりたいと思うか?」
「……」
私は思考した。
一緒にいたいか? ……業務効率の観点からはイエスだ。
他の女と? ……アラン氏の時のカシウスの態度を思い出すと、逆の立場で想像した場合、胸がモヤモヤする。
何かしてやりたい? ……彼の屋敷を黒字化させたい。
「……すべてイエスですが、それはビジネスパートナーとしての信頼関係であり……」
「それを世間じゃ『愛』って呼ぶんでさぁ!」
騎士たちが一斉にツッコミを入れた。
あまりの音圧に、私がのけぞる。
「姉御、諦めなせぇ。あんたはボスに惚れてるんだ」
「観念して楽になっちまいな。恋は病気じゃねぇ、栄養剤だ」
「ボスとお似合いッスよ! 『狂犬』と『計算機』、最強のカップル誕生だ!」
騎士たちが口笛を吹き、ヒューヒューと囃し立てる。
「……静粛に!」
私は顔を真っ赤にして立ち上がった。
「認めません! そのような非論理的な診断結果、セカンドオピニオンを要求します!」
「誰に聞いても同じッスよ~」
「うるさい! 貴方たちの脳内は筋肉で埋まっているから、そんな短絡的な結論になるのです!」
私は踵を返し、逃げるようにその場を去ろうとした。
これ以上ここにいると、私の論理的思考(ロジック)が彼らの熱気に溶かされてしまう。
だが。
振り返った先に、その「原因」が立っていた。
「……よぉ、メリアドール。朝から随分と盛り上がってるな」
カシウスだ。
朝の鍛錬を終えたのか、汗で濡れたシャツが体に張り付き、男らしい肉体美を強調している。
前髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべて私を見ている。
ドクンッ!!
「うっ……!」
私の心臓が、跳ね馬のように暴れ出した。
さっきまで騎士たちを見ていても何ともなかったのに、カシウスを見た瞬間、これだ。
「ど、どうした? また不整脈か?」
カシウスがわざとらしく心配するフリをして、近づいてくる。
その目は完全に面白がっている。
「……来ないでください!」
私は後退った。
「半径三メートル以内の接近を禁止します! 感染リスクがあります!」
「感染? 俺がか?」
「貴方が病原体(ウイルス)です!」
「ひでぇな。……だが、治療法ならあるぞ?」
カシウスが一歩踏み込む。
「抱きしめて、キスすれば治るらしい」
「どこの民間療法ですか! 医学的根拠(エビデンス)を出しなさい!」
「俺の直感だ」
カシウスは捕食者の目で私を追い詰める。
私は完全にパニックに陥っていた。
計算機も役に立たない。論理も通じない。
ただ、心臓だけがうるさく警鐘を鳴らしている。
『警告:恋です。これは恋です。降伏してください』
「い、嫌ぁぁぁっ!」
私は悲鳴を上げ、全力疾走で中庭から逃げ出した。
背後で、騎士たちとカシウスの爆笑する声が聞こえる。
「あはは! 姉御、可愛いとこあるなぁ!」
「逃げ足は速いな。……ま、じっくり追い詰めるさ」
私は自室に飛び込み、ベッドにダイブして布団を被った。
「……違う。絶対に違うわ」
暗闇の中で、私は呟いた。
「私が恋なんて……そんな計算できないこと、するはずがない」
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