悪役令嬢は、婚約破棄の慰謝料計算に忙しい。

猫宮かろん

文字の大きさ
21 / 28

21

しおりを挟む
翌朝。
私は目の下に薄っすらと隈を作り、フラフラと中庭へ足を運んだ。

「……計算が合わない」

手には愛用の魔導計算機。
だが、画面に表示されているのは『エラー』の文字だ。
昨夜、ベッドの中で「カシウス公爵への好感度と心拍数の相関関係」を数式化しようと試みたのだが、変数が多すぎて計算機がオーバーヒートしてしまったのだ。

中庭では、黒狼騎士団の面々が朝の稽古を終え、休憩していた。

「あ、姉御! おはようございますッス!」

副団長のガストンが私に気づき、元気よく手を振った。
彼らは上半身裸で汗を拭き、プロテイン(私が配合を指導した特製ドリンク)を飲んでいる。

「おはよう、ガストン。……少し、相談があるのだけれど」

「相談? へへっ、また掃除の指令ッスか? 今日はどこのドブをさらいましょうか!」

「いいえ。……医学的な相談よ」

「医学?」

騎士たちがキョトンとして顔を見合わせる。
私は彼らの近くのベンチに座り、重々しく口を開いた。

「実はここ数日、私の体に原因不明の不具合(バグ)が発生しているの」

「不具合? 風邪ッスか?」

「症状を説明するわ。メモを取って」

私は指を折って数え上げた。

「一、特定の個人(ターゲット)を目視すると、心拍数が通常時の二倍に跳ね上がる」
「二、その対象と接触すると、体温が急上昇し、顔面紅潮が見られる」
「三、思考回路にノイズが走り、簡単な暗算すらミスをするようになる」
「四、夜、その対象のことばかり考えてしまい、睡眠効率が低下する」

私は深刻な顔で騎士たちを見渡した。

「……これはいったい、何の病気だと思う? 自律神経失調症か、あるいは新手の呪いか……」

騎士たちがポカンと口を開けている。
そして数秒後。
彼らはニヤニヤと目配せをし始めた。

「……姉御」

ガストンが代表して口を開いた。

「その『特定の個人』ってのは、もしかして……我らがボス(カシウス閣下)のことじゃないッスか?」

「ッ……!? な、なぜそれを……」

私は動揺した。
個人情報は伏せていたはずなのに、なぜ特定されたのか。

「いや、バレバレっスよ」

「で、姉御。その病気の正体を知りたいんスね?」

「ええ。早急に特定し、ワクチンを投与しないと業務に支障が出るわ」

「ワクチンねぇ……」

ガストンは頭をポリポリとかき、他の騎士たちと顔を見合わせた。
そして、全員で声を揃えて言った。

「姉御。……そりゃあ、『恋』ってもんですよ」

「……はい?」

私は瞬きをした。
今、何と言った?

「コイ? 鯉ですか? 淡水魚の?」

「違いますよ! LOVEの恋! 惚れた腫れたの恋ッスよ!」

「……馬鹿な」

私は即座に否定した。

「前提条件が間違っています。私は感情を排除した合理主義者です。恋愛などという非生産的で、コストパフォーマンスの悪い活動に、私が従事するはずがありません」

「いやいや、姉御。その『非生産的なこと』を考えちまうのが恋なんスよ」

ガストンがニカッと笑い、自分の胸を叩いた。

「俺らも戦場でボスに命預けてる身だ。ボスを見て胸が熱くなることはあるが……姉御のそれは、もっとこう、ピンク色のアレですよ」

「ピンク色……色彩感覚の欠如ですね。私の視界は正常です」

「あーもう! 理屈じゃねぇんスよ!」

騎士の一人が身を乗り出した。

「いいですか、姉御。その人と一緒にいたいと思うか? その人が他の女と笑ってたらムカつくか? その人のために何かしてやりたいと思うか?」

「……」

私は思考した。
一緒にいたいか? ……業務効率の観点からはイエスだ。
他の女と? ……アラン氏の時のカシウスの態度を思い出すと、逆の立場で想像した場合、胸がモヤモヤする。
何かしてやりたい? ……彼の屋敷を黒字化させたい。

「……すべてイエスですが、それはビジネスパートナーとしての信頼関係であり……」

「それを世間じゃ『愛』って呼ぶんでさぁ!」

騎士たちが一斉にツッコミを入れた。
あまりの音圧に、私がのけぞる。

「姉御、諦めなせぇ。あんたはボスに惚れてるんだ」

「観念して楽になっちまいな。恋は病気じゃねぇ、栄養剤だ」

「ボスとお似合いッスよ! 『狂犬』と『計算機』、最強のカップル誕生だ!」

騎士たちが口笛を吹き、ヒューヒューと囃し立てる。

「……静粛に!」

私は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「認めません! そのような非論理的な診断結果、セカンドオピニオンを要求します!」

「誰に聞いても同じッスよ~」

「うるさい! 貴方たちの脳内は筋肉で埋まっているから、そんな短絡的な結論になるのです!」

私は踵を返し、逃げるようにその場を去ろうとした。
これ以上ここにいると、私の論理的思考(ロジック)が彼らの熱気に溶かされてしまう。

だが。
振り返った先に、その「原因」が立っていた。

「……よぉ、メリアドール。朝から随分と盛り上がってるな」

カシウスだ。
朝の鍛錬を終えたのか、汗で濡れたシャツが体に張り付き、男らしい肉体美を強調している。
前髪をかき上げ、不敵な笑みを浮かべて私を見ている。

ドクンッ!!

「うっ……!」

私の心臓が、跳ね馬のように暴れ出した。
さっきまで騎士たちを見ていても何ともなかったのに、カシウスを見た瞬間、これだ。

「ど、どうした? また不整脈か?」

カシウスがわざとらしく心配するフリをして、近づいてくる。
その目は完全に面白がっている。

「……来ないでください!」

私は後退った。

「半径三メートル以内の接近を禁止します! 感染リスクがあります!」

「感染? 俺がか?」

「貴方が病原体(ウイルス)です!」

「ひでぇな。……だが、治療法ならあるぞ?」

カシウスが一歩踏み込む。

「抱きしめて、キスすれば治るらしい」

「どこの民間療法ですか! 医学的根拠(エビデンス)を出しなさい!」

「俺の直感だ」

カシウスは捕食者の目で私を追い詰める。
私は完全にパニックに陥っていた。
計算機も役に立たない。論理も通じない。
ただ、心臓だけがうるさく警鐘を鳴らしている。

『警告:恋です。これは恋です。降伏してください』

「い、嫌ぁぁぁっ!」

私は悲鳴を上げ、全力疾走で中庭から逃げ出した。
背後で、騎士たちとカシウスの爆笑する声が聞こえる。

「あはは! 姉御、可愛いとこあるなぁ!」
「逃げ足は速いな。……ま、じっくり追い詰めるさ」

私は自室に飛び込み、ベッドにダイブして布団を被った。

「……違う。絶対に違うわ」

暗闇の中で、私は呟いた。

「私が恋なんて……そんな計算できないこと、するはずがない」

けれど、布団の中で赤くなった私の顔は、どんな言葉よりも雄弁に真実を語っていた。
私の「合理的な鉄壁」は、今や完全に崩壊寸前(ボロボロ)だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】監視される悪役令嬢、自滅するヒロイン

curosu
恋愛
【書きたい場面だけシリーズ】 タイトル通り

〘完結〛わたし悪役令嬢じゃありませんけど?

桜井ことり
恋愛
伯爵令嬢ソフィアは優しく穏やかな性格で婚約者である公爵家の次男ライネルと順風満帆のはず?だった。

冷遇妃マリアベルの監視報告書

Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。 第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。 そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。 王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。 (小説家になろう様にも投稿しています)

婚約者様への逆襲です。

有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。 理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。 だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。 ――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」 すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。 そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。 これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。 断罪は終わりではなく、始まりだった。 “信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

人生の全てを捨てた王太子妃

八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。 傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。 だけど本当は・・・ 受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。 ※※※幸せな話とは言い難いです※※※ タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。 ※本編六話+番外編六話の全十二話。 ※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。

《本編完結》あの人を綺麗さっぱり忘れる方法

本見りん
恋愛
メラニー アイスナー子爵令嬢はある日婚約者ディートマーから『婚約破棄』を言い渡される。  ショックで落ち込み、彼と婚約者として過ごした日々を思い出して涙していた───が。  ……あれ? 私ってずっと虐げられてない? 彼からはずっと嫌な目にあった思い出しかないんだけど!?  やっと自分が虐げられていたと気付き目が覚めたメラニー。  しかも両親も昔からディートマーに騙されている為、両親の説得から始めなければならない。  そしてこの王国ではかつて王子がやらかした『婚約破棄騒動』の為に、世間では『婚約破棄、ダメ、絶対』な風潮がある。    自分の思うようにする為に手段を選ばないだろう元婚約者ディートマーから、メラニーは無事自由を勝ち取る事が出来るのだろうか……。

【完結】お飾り妃〜寵愛は聖女様のモノ〜

恋愛
今日、私はお飾りの妃となります。 ※実際の慣習等とは異なる場合があり、あくまでこの世界観での要素もございますので御了承ください。

処理中です...