婚約破棄された悪役令嬢ですが、毒を盛る暇があるならお肉を焼きたい。

黒猫かの

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ガタガタと激しく揺れていた馬車が、ようやくその動きを止めた。


「お嬢様、到着いたしました。ここが北の離宮……貴女様の新たな『領地』でございます」


カインが扉を開けると、そこには王都の華やかさとは無縁の、白銀の世界が広がっていた。


目の前にそびえ立つのは、石造りの古びた屋敷。


壁には蔦が絡まり、窓枠は少し歪んでいるが、その荒々しさが逆に力強さを感じさせる。


「……寒い。なんて素晴らしい寒さなの、カイン!」


アルカは馬車から飛び出すなり、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「普通、令嬢ならばここで絶望して泣き崩れる場面ですが」


「何を言っているの? この気温を見てちょうだい。天然の巨大冷蔵庫じゃない! これなら肉の熟成も、デリケートな菓子の保管も思いのままよ!」


アルカは目を輝かせながら、積もった雪を指で掬い取った。


「不純物も少なそうね。これで冷製スープの器を作ったら素敵だわ。……ところでカイン、あそこに見える煙突は何?」


「あれは離宮に併設された燻製小屋でございます。先代が狩猟を嗜んでいた名残かと」


「燻製小屋! 最高じゃない! 今すぐ火を入れて、ベーコンの試作を始めたいわ!」


アルカが鼻息荒く小屋へ駆けだそうとしたその時、屋敷の重い扉がギギィと音を立てて開いた。


現れたのは、熊のように大柄で、不愛想な髭面をした老人だった。


「……誰だ、こんな雪深い場所に来る物好きは。ここは王都を追放された罪人が来る場所だぞ」


老人の冷ややかな視線がアルカを射抜く。


しかし、アルカはその視線を無視して、老人の背後にあるものに釘付けになった。


「……おじ様。その腰に下げているものは何?」


「これか? ……ただの『氷結ウサギ』だ。この辺りの森にしかいねえ、肉が締まりすぎてて食えたもんじゃねえ硬い獣だよ」


老人は忌々しげに、凍ったウサギの死骸を放り投げた。


アルカはそれを素早くキャッチすると、食い入るように観察し始めた。


「肉が締まっている……? それはつまり、噛めば噛むほど旨味が溢れ出すポテンシャルを秘めているということよ! おじ様、これをどう調理したの?」


「あ? ……適当に火で炙って、塩を振っただけだ。硬くて歯が折れそうになったから、あとは犬の餌にするつもりだったんだが」


「なんて勿体ないことを! この筋肉の質を見る限り、これは赤ワインで三日三晩煮込むか、あるいは極薄にスライスしてルイベにするべき食材よ!」


アルカの剣幕に、老人は一歩後ずさった。


「な、なんだこの女……。追放されて狂ったのか?」


「狂ってなどいません。私はアルカ・フォン・ベルム。今日からこの離宮の主です。おじ様、名前は?」


「……ヨハンだ。ここの管理人をやってる」


「ヨハン、今すぐ台所へ案内して。あと、あなたの持っているそのウサギ、私が買い取るわ。代わりに王都から持ってきた高級スパイスをあげる」


「スパイスだと? ……おい、本気か?」


「ええ。カイン、荷解きを急いで! まずはこの『氷結ウサギ』の解体から始めるわよ!」


「御意。まな板と骨スキ包丁を用意いたします」


カインは手慣れた様子で、山のような荷物の中から銀色に光る包丁セットを取り出した。


ヨハンは呆然とした様子で、自分の住処へ突き進んでいく令嬢と、その従者の後ろ姿を見送った。


「……ここはパラダイスね、カイン」


台所に足を踏み入れたアルカは、煤けた竈門を愛おしそうになでながら呟いた。


「王宮のキッチンは綺麗すぎて落ち着かなかったけれど、ここはいいわ。使い込まれた道具の匂い、そして窓の外には無限の食材……」


アルカは窓を開け、遠くに広がる深い森を睨み据えた。


「待ってなさい、スノーベア。私が最高のコンフィにしてあげるから!」


その声は、北風に乗って森の奥深くまで響き渡った。


こうして、アルカの「追放生活」という名の「美食探求」が、いよいよ本格的に幕を開けたのである。
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