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「……はぁ。お茶会というものが、これほどまでに『戦い』だったとは知りませんでしたわ」
リディアは、離宮のテラスに置かれた素朴な木製の椅子に深く腰掛けた。
彼女の目の前には、王宮のような金縁の磁器ではなく、ヨハンが手作りしたという無骨な木の器が並んでいる。
しかし、そこから立ち上る香りは、王都のどのお茶会よりも芳醇で、食欲をダイレクトに刺激するものだった。
「何を言っているの、リディア様。お茶会は本来、心身を滋養するための神聖な儀式よ。ただお喋りをして、お腹にたまらない焼き菓子を突っつくだけなんて、食材への冒涜だわ」
アルカは手慣れた手つきで、北の森で採れた野いちごを煮詰めたソースを、焼き立てのガレットにたっぷりとかけていた。
「さあ、試作第一号の『雪解けベリーのガレット・地獄の重圧仕立て』よ。召し上がれ」
「名前が物騒ですわ! ……でも、この香ばしいバターの匂い。抗えませんわ……」
リディアはフォークを取り、思い切りガレットを頬張った。
「……っ! ……んん~! サクサクですわ! 中のカスタードがとろりと溶け出して、ベリーの酸味と喧嘩せず、見事に握手していますわ!」
「いい表現ね。昨日のパン生地叩きつけで鍛えたリディア様の腕力が、この生地の層を完璧に作り上げたのよ」
「私、ガレットのために生まれてきたのかもしれませんわ……」
リディアは恍惚とした表情で、さらに一口。
かつては王太子の婚約者の座を争っていた二人の令嬢が、今は泥のついたエプロン姿で、新作スイーツの出来栄えに一喜一憂している。
カインが静かに、琥珀色の温かいお茶を二人のカップに注いだ。
「お嬢様。リディア様。こちら、森で見つけたハーブを独自に焙煎した『安らぎの苦味茶』でございます。ガレットの甘さを引き立てるよう、配合を調整いたしました」
「流石ね、カイン。……ねえ、リディア様。王都での生活、懐かしくないの?」
アルカがふと、茶杯を置いてリディアを見つめた。
リディアは咀嚼を止め、少しだけ遠い目をした。
「……懐かしい、ですか。そうですね。あそこにいた頃は、毎日鏡を見て、髪一本の乱れを気にして、誰かが自分を笑っていないか怯えて……。正直、お腹が空いたと感じる暇もありませんでしたわ」
リディアは自分の少し荒れた指先を見つめ、ふっと笑った。
「でも、今は違います。お腹が空くのが楽しみなんです。頑張って働いて、お腹が空いて、アルカ様の料理を食べる。……私、あんなに欲しがっていた『王太子妃』という肩書きよりも、今この瞬間の『満腹感』の方が、ずっと誇らしいですわ」
「……リディア様、あなた、いい悪役令嬢になれるわよ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
かつてのドロドロとした陰謀劇など、今となっては隠し味にもならないほど些細なことだ。
「ところで、アルカ様。さっきから気になっていたのですが……あちらの大きな樽は何ですの? なんだか、地響きのような音が聞こえる気がするのですが」
リディアが指差した先には、テラスの隅に置かれた巨大な木樽があった。
アルカは不敵な笑みを浮かべ、ガレットの最後の一切れを口に放り込んだ。
「あれ? あれはね、今朝から仕込んでいる『熟成肉の強制発酵・ドラミング・プロトタイプ』よ」
「……名前からして嫌な予感しかしませんわ」
「中に大きな石と肉を入れて、交互に揺らすことで繊維を強制的に破壊し、短期間で極上の柔らかさを引き出す実験中なの。ヨハンにお願いして、自動で揺れる仕掛けを作ってもらったわ」
「アルカ様……それ、もう料理の域を超えて工学の世界に入っていませんか?」
「美味しければ何でもいいのよ。さあ、お茶が終わったら、次はあの樽の中身を確認するわよ! リディア様、重いわよ、覚悟して!」
「……やはり、安らぎは一瞬でしたわね」
リディアはため息をつきながらも、どこか楽しそうに立ち上がった。
北の離宮の午後。かつての宿敵同士によるティータイムは、いつの間にか「新作食材の実験実習」へと姿を変えていた。
カインは空になった皿を片付けながら、主人の暴走がまた一段階加速したことを確信し、密かに胃薬の在庫を確認するのだった。
リディアは、離宮のテラスに置かれた素朴な木製の椅子に深く腰掛けた。
彼女の目の前には、王宮のような金縁の磁器ではなく、ヨハンが手作りしたという無骨な木の器が並んでいる。
しかし、そこから立ち上る香りは、王都のどのお茶会よりも芳醇で、食欲をダイレクトに刺激するものだった。
「何を言っているの、リディア様。お茶会は本来、心身を滋養するための神聖な儀式よ。ただお喋りをして、お腹にたまらない焼き菓子を突っつくだけなんて、食材への冒涜だわ」
アルカは手慣れた手つきで、北の森で採れた野いちごを煮詰めたソースを、焼き立てのガレットにたっぷりとかけていた。
「さあ、試作第一号の『雪解けベリーのガレット・地獄の重圧仕立て』よ。召し上がれ」
「名前が物騒ですわ! ……でも、この香ばしいバターの匂い。抗えませんわ……」
リディアはフォークを取り、思い切りガレットを頬張った。
「……っ! ……んん~! サクサクですわ! 中のカスタードがとろりと溶け出して、ベリーの酸味と喧嘩せず、見事に握手していますわ!」
「いい表現ね。昨日のパン生地叩きつけで鍛えたリディア様の腕力が、この生地の層を完璧に作り上げたのよ」
「私、ガレットのために生まれてきたのかもしれませんわ……」
リディアは恍惚とした表情で、さらに一口。
かつては王太子の婚約者の座を争っていた二人の令嬢が、今は泥のついたエプロン姿で、新作スイーツの出来栄えに一喜一憂している。
カインが静かに、琥珀色の温かいお茶を二人のカップに注いだ。
「お嬢様。リディア様。こちら、森で見つけたハーブを独自に焙煎した『安らぎの苦味茶』でございます。ガレットの甘さを引き立てるよう、配合を調整いたしました」
「流石ね、カイン。……ねえ、リディア様。王都での生活、懐かしくないの?」
アルカがふと、茶杯を置いてリディアを見つめた。
リディアは咀嚼を止め、少しだけ遠い目をした。
「……懐かしい、ですか。そうですね。あそこにいた頃は、毎日鏡を見て、髪一本の乱れを気にして、誰かが自分を笑っていないか怯えて……。正直、お腹が空いたと感じる暇もありませんでしたわ」
リディアは自分の少し荒れた指先を見つめ、ふっと笑った。
「でも、今は違います。お腹が空くのが楽しみなんです。頑張って働いて、お腹が空いて、アルカ様の料理を食べる。……私、あんなに欲しがっていた『王太子妃』という肩書きよりも、今この瞬間の『満腹感』の方が、ずっと誇らしいですわ」
「……リディア様、あなた、いい悪役令嬢になれるわよ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
かつてのドロドロとした陰謀劇など、今となっては隠し味にもならないほど些細なことだ。
「ところで、アルカ様。さっきから気になっていたのですが……あちらの大きな樽は何ですの? なんだか、地響きのような音が聞こえる気がするのですが」
リディアが指差した先には、テラスの隅に置かれた巨大な木樽があった。
アルカは不敵な笑みを浮かべ、ガレットの最後の一切れを口に放り込んだ。
「あれ? あれはね、今朝から仕込んでいる『熟成肉の強制発酵・ドラミング・プロトタイプ』よ」
「……名前からして嫌な予感しかしませんわ」
「中に大きな石と肉を入れて、交互に揺らすことで繊維を強制的に破壊し、短期間で極上の柔らかさを引き出す実験中なの。ヨハンにお願いして、自動で揺れる仕掛けを作ってもらったわ」
「アルカ様……それ、もう料理の域を超えて工学の世界に入っていませんか?」
「美味しければ何でもいいのよ。さあ、お茶が終わったら、次はあの樽の中身を確認するわよ! リディア様、重いわよ、覚悟して!」
「……やはり、安らぎは一瞬でしたわね」
リディアはため息をつきながらも、どこか楽しそうに立ち上がった。
北の離宮の午後。かつての宿敵同士によるティータイムは、いつの間にか「新作食材の実験実習」へと姿を変えていた。
カインは空になった皿を片付けながら、主人の暴走がまた一段階加速したことを確信し、密かに胃薬の在庫を確認するのだった。
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