婚約破棄された悪役令嬢ですが、毒を盛る暇があるならお肉を焼きたい。

黒猫かの

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王宮の大食堂は、かつてない熱気に包まれていた。


王妃イザベラがマンモスの肉を骨までしゃぶり尽くし、貴族たちが「北の咆哮スープ」のあまりの旨さに涙を流す中、一人、複雑な表情でフォークを動かしている男がいた。


第一王子、ジュリアンである。


彼は目の前の、完璧な火入れがなされたマンモス肉のステーキを見つめ、静かに悟った。


……私は、負けたのだ。この肉の、暴力的なまでの香ばしさに。そして、それを作り出した女に。


「……殿下、手が止まっていますわよ。そのお肉、冷めると脂が固まって、せっかくの『マンモスの記憶』が薄れてしまいますわ」


背後から、聞き慣れた、しかし今は王宮の最高料理責任者という威厳(?)を纏った声が聞こえた。


アルカが、予備のソースボートを手に立っていた。


「……アルカ。君は、最初からこの光景が見えていたのか?」


「まさか。私はただ、一番美味しい状態で食べさせたかっただけですわ。結果として、王宮の連中が全員、涎を垂らす獣になったのは副産物です」


アルカは平然と言い放ち、ジュリアンの皿に、さらに濃厚なトリュフと魔界唐辛子のソースを追い掛けした。


「……っ! この追撃は……反則だ。胃袋が、もう白旗を上げているというのに、脳が『もっと食わせろ』と叫んでいる……!」


ジュリアンは震える手で肉を口に運び、絶頂の表情を浮かべた。


その時、会場の隅で、失脚したはずの宰相ゼノスが、衛兵の目を盗んで何やら怪しい小瓶を王妃のワインに注ごうとしているのが見えた。


「……ふん、料理で勝てぬなら、物理的に排除するまで。この『沈黙のしずく』を飲めば、王妃もアルカも……」


「……あら、宰相閣下。まだいらしたんですか」


アルカの声が、ゼノスの耳元で響いた。


「な、ななな……!? いつの間に!」


「その小瓶の中身、見せてくださる? ……ふむ、なるほど。これは『痺れ茸の濃縮エキス』ですね。確かに強力な毒ですが、分量が少なすぎますわ」


アルカはゼノスの手から瓶をひったくると、あろうことか、それを近くにあった特大のパエリア鍋にドボドボと注ぎ込んだ。


「な、何を!? 毒を自ら入れるなど、正気か!」


「毒も使いようによっては、最高の『隠し味』になるのよ。痺れ茸の成分は、加熱して柑橘類の酸と合わせると、舌を刺激して味覚を敏感にさせる『痺れスパイス』に変貌するんですもの」


アルカはパエリアを豪快に混ぜ合わせると、それを山盛りにして、近くにいたジュリアンの前に置いた。


「殿下、仕上げです。これを食べて、感想を聞かせて」


「……毒ではないのか?」


「私の計算に間違いはありません。さあ、一気に!」


ジュリアンは、もはやアルカを信じ切っていた。彼はパエリアを一口食べ……。


「……ッ!! なんだ、この、舌が痺れるような快感は! その後に来る、魚介の爆発的な旨味……! 先ほどまでの満腹感が、一瞬で消し飛んだぞ!」


「成功ね。……さて、ゼノス。あなたの用意した毒は、私の料理の『最高の引き立て役』として消費されました。これにて、あなたの陰謀も『完食』ですわ。カイン、このゴミを片付けてちょうだい」


「御意」


カインが静かにゼノスを引きずり出していく。


騒動が収まり、再び静かになった食卓で、ジュリアンはアルカの手を強く掴んだ。


「……アルカ。私は、今まで大きな勘違いをしていた」


「あら、今さら何を? マンモスの焼き加減でも間違えましたかしら」


「違う。……私は、君を『悪役令嬢』という枠にはめて、排除しようとしていた。だが、それは私の最大の失策だったのだ」


ジュリアンは立ち上がり、周囲の視線が集まるのも構わず、アルカの目を真っ直ぐに見つめた。


「……私は、もう君なしでは生きていけない。君の作る、この狂気じみた美味さがなければ、私の人生はただの『味気ないスープ』だ」


「殿下、何をおっしゃって……」


「アルカ・フォン・ベルム! もう一度、私の婚約者になってくれ! いや、私の生涯の……私の胃袋の専属統治者になってほしい!」


会場に、どよめきが走った。一度は捨てた婚約者への、まさかの公開プロポーズである。


リディアがパンを噛み締めながら、「あら、殿下もついに降参ですわね」とニヤリと笑う。


レオンハルトは「くっ、先に言われたか!」と悔しがり、ガラン卿は「愛のプロテインだ!!」と叫んで筋肉を震わせた。


アルカは、驚いたように瞬きを数回し、やがてジュリアンを冷めた目で見つめた。


「……殿下。今のプロポーズ、本気ですの?」


「ああ、本気だ。私の名誉と、胃袋にかけて誓おう」


「……わかりました。では、私の出す『条件』、飲んでいただけますか?」
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