婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。

黒猫かの

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劇場『黄金のツバメ』の楽屋裏。


私はハンスから借りた質素な、しかし動きやすいシャツに袖を通していた。
鏡に映る自分は、もはや公爵令嬢の面影はない。
だが、その表情は王宮にいた頃よりもずっと生き生きとしている。


そこへ、場違いなほど高級な馬車の音が聞こえてきた。


現れたのは、オルブライト公爵家の顧問弁護士、マクガイヤー氏だ。
彼は深々と帽子を脱ぎ、葬式に参列するかのような暗い顔で私を見た。


「……エリー様。大変心苦しいのですが、閣下より『最終通告』を預かってまいりました」


マクガイヤー氏が恭しく差し出したのは、公爵家の紋章が刻印された分厚い封筒だ。
中には、私を正式に貴族籍から抹消し、親子の縁を切るという「絶縁状」が入っているはず。


私はそれを受け取ると、あえてその場で封を切り、大声で読み上げ始めた。


「『一、エリー・オルブライトはその不遜なる言動により、家名を汚した。よって本日を以て勘当とする』……あら、お父様にしては簡潔で良い文章ですわね! いつもポエムで鍛えている甲斐がありましたわ!」


「えっ、エ、エリー様!? これ、公式な書類ですよ? もっと深刻に受け止めていただかないと……」


困惑するマクガイヤー氏を無視して、私はさらに読み進める。


「『二、今後、公爵家はいかなる金銭的援助も行わない。また、エリーが公爵家の名を騙ることを一切禁ずる』。はい、承知いたしました! むしろこちらから願い下げですわ。あんな成金趣味の紋章、私のセンスに合いませんもの」


「……あ、あの、エリー様。閣下は、もし貴女様が今すぐ土下座して謝るなら、修道院への寄付という形で命だけは……」


「マクガイヤーさん。あなたのその『申し訳なさそうな顔』、演技点としては十点ですわよ」


私は絶縁状をパサリと閉じ、彼に詰め寄った。


「まず、眉間にシワを寄せすぎて、せっかくの理知的なお顔が台無しです。それに、声が震えすぎですわ。これでは『私はお父様のパペット(操り人形)です』と宣伝しているようなものです。もっと堂々と『お前はクビだ!』と叫んでくださらないと、こちらとしても辞め甲斐がありませんわ!」


「な、何を……私は、貴女様の身を案じて……!」


「案じる暇があったら、お父様の高血圧対策でも考えてあげてくださいな。……さて、書類の内容は確認しました。サインはここでよろしいかしら?」


私は手早くペンを走らせ、絶縁状の余白に巨大なサインを書き込んだ。
ついでに「追伸:お父様のカツラの新調をお勧めします」という一筆も添えて。


「はい、完了です! これでお父様とは赤の他人。私はただのエリー。……ああ、なんて身体が軽いの! まるで背中に羽が生えた気分ですわ!」


私はその場でくるりと一回転した。
マクガイヤー氏は、信じられないものを見るような目で私を見つめている。


「……信じられません。公爵令嬢の地位を捨てて、これほど喜ぶ方がいらっしゃるとは」


「地位なんて、喋りたいことも喋れない呪いのようなものですわ。……あ、マクガイヤーさん。帰る前に一つだけガヤを入れてもよろしい?」


「は、はい……?」


「その馬車の御者さん、右側の手綱の握り方が少し甘いですわよ。帰り道、右に曲がる時にちょっと膨らみすぎるはずです。お気をつけて!」


私がそう告げると、遠くで待機していた御者が「ヒッ」と短く悲鳴を上げた。
図星だったらしい。


マクガイヤー氏はふらふらとした足取りで馬車に乗り込み、去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は大きく伸びをした。


「さて! これで名実ともに自由の身ね!」


「おい、エリー。準備はいいか? もうすぐ幕が上がるぞ」


ハンスが舞台の袖から顔を出した。


「ええ、完璧ですわ。今日の演目は何でしたっけ?」


「『純愛の騎士と囚われの姫』だ。……まあ、ぶっちゃけ脚本がクソ真面目すぎて、最近客の入りが悪いんだよな」


「ふふふ。なら、私の出番ですわね。その『純愛』とやらに、現実という名のスパイスをたっぷり振りかけて差し上げますわ!」


私は意気揚々と、スポットライトの当たらない「舞台の端」へと向かった。
そこが、私の新しい主戦場だ。


暗転した舞台に、騎士役の男が登場する。
彼は大真面目な顔で、窓辺の姫に向かって叫んだ。


「ああ、愛しのマリアンヌ! 君のためなら、私は地の果てまで駆けていこう!」


私は間髪入れずに、客席の後方から叫び返した。


「地の果てに行く前に、その浮いた腰の防具を直したらいかが! 馬に乗るたびにカチャカチャ鳴って、愛の告白が台無しですわよ!」


客席から、ドッと笑いが起きた。
物語が、そして私の新しい人生が、今度こそ本番を迎えたのだ。
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