婚約破棄だ!と言われ実家に帰ったら、最推しに餌付けされます

黒猫かの

文字の大きさ
5 / 28

5

しおりを挟む
アースガルド公爵邸の朝食風景。

それは、端的に言って「地獄の晩餐会」のようだった。

長い、長すぎるダイニングテーブル。

その上座に鎮座するのは、「氷の公爵」ルーク様。

そして、その右隣(通常は夫人が座る席)に座らされているのは、「悪役令嬢」こと私、ノエル。

部屋には数十人の給仕たちが控えているが、誰一人として物音を立てない。

いや、立てられないのだ。

彼らは壁の花のように直立不動で、顔面蒼白になりながら、私たちの一挙手一投足を見守っている。

カチャ……。

私がフォークを置く音が、静寂の空間に銃声のように響いた。

給仕の一人が「ヒッ」と息を呑む。

(……静かだ)

私は内心で冷や汗をかいていた。

気まずい。あまりにも気まずい。

昨日の契約で「公爵の視界に入って飯を食う」ことが業務になったわけだが、まさかこんなに近い距離で、ガン見されながら食事をするとは思わなかった。

ルーク様は、自分の皿にはほとんど手をつけず、私の咀嚼をじっと観察している。

その眉間には、例によって深いシワが刻まれている。

(なんだろう。私の食べ方が汚いのだろうか? それとも、『そのパン一つの原価がお前の時給だぞ』という無言の圧力?)

私は恐る恐る、視線を上げた。

ルーク様と目が合う。

バチッ、と火花が散った(ように周囲には見えた)。

「……」

「……」

沈黙。

ルーク様の眼光が鋭くなる。

私は負けじと、目力を強めて見つめ返した。

ここで視線を逸らせば、ローゼン侯爵家の娘としてのプライドが許さない。

睨まれたら睨み返す。これが私の流儀だ。

「……味は」

低い、地を這うような声が問う。

私は口元のナプキンを優雅に使い、即答した。

「最高です。特にこのオムレツの火加減、絶妙ですね。シェフの腕が良いのでしょう」

真顔で、抑揚なく答える。

するとルーク様は「ふん」と鼻を鳴らし、わずかに口角を上げた(ように見えたが、実際は引きつっただけ)。

「……そうか。なら、もっと食え」

ルーク様は無言で、自分の皿に乗っていた極厚のベーコンを、私の皿にドンと移した。

「……閣下。これは?」

「俺は朝は小食だ。……残すとシェフが泣く」

「だからといって、私のカロリー摂取量を倍増させるのは労働基準法違反では?」

「残業代だ(カロリー的な意味で)」

「……御意」

私は無表情でベーコンにナイフを入れた。

その光景を見ていた給仕長が、よろよろと崩れ落ちた。

「お、恐ろしい……。あのような殺伐とした会話……まるで裏社会の取引だ……」

「『消せ』『御意』って聞こえましたよね?」

「公爵様が肉を与えたぞ……あれは『よくやった、褒美だ』という意味か?」

「いや、『餌を食わせて太らせてから食う』という魔女への宣戦布告では?」

ヒソヒソ話が聞こえてくるが、あいにく私の耳はそれらをシャットアウトするスキルを持っている。

          ***

朝食後。

私はルーク様と共に、廊下を歩いていた。

目的地は執務室。

今日から本格的に「通訳」としての業務が始まる。

廊下を行くメイドたちが、私たちの姿を見るなり「きゃあ!」と蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

あるいは、壁際にへばりついて「石になれ、石になれ」と念じている。

「……人気がないですね、閣下」

「……お前もな」

「否定はしません。おかげで歩きやすくて助かります」

私たちは誰もいない赤絨毯の上を、カツカツと足音を響かせて進んだ。

その姿は、完全に「悪の組織のボスと幹部」の巡回だった。

執務室に入ると、そこにはすでに一人の老紳士が待っていた。

この屋敷を取り仕切る家令(執事長)のセバスだ。

彼は唯一、ルーク様を前にしても震えない古株だが、今日は困り顔で書類を抱えていた。

「旦那様、少しよろしいでしょうか」

「……なんだ」

ルーク様が革張りの椅子に座り、足を組む。

セバスは一枚の請求書を差し出した。

「実は、西の森の開拓事業について、業者から追加予算の請求が来ておりまして……。資材が高騰したとのことですが、少々額が大きすぎるのではないかと」

ルーク様がその紙を受け取る。

ジッと見る。

眉間のシワが限界突破しそうなくらい深くなる。

沈黙。

一分経過。

セバスの額に冷や汗が浮かぶ。

「あ、あの……旦那様? やはり却下でしょうか? それとも業者を呼び出して問い詰めますか?」

ルーク様は答えない。

ただ、紙を睨みつけ、指先でトントンと机を叩いている。

そのリズムが速くなる。

セバスが助けを求めるように私を見た。

(なるほど。これが私の仕事ね)

私は一歩前へ出ると、ルーク様の手からヒョイと紙を取り上げた。

「……おい」

ルーク様が不機嫌そうに私を見る。

私はその紙を一瞥し、そしてルーク様の顔を見た。

彼の目は語っていた。

『……字が小さすぎて読めん』

『あと、計算が合っているのか暗算するのが面倒くさい』

『誰か、三行でまとめてくれ』

長年の「上司の顔色伺いスキル」と、昨日の契約条項第六条(通訳業務)が発動する。

私はセバスに向き直り、涼しい顔で言った。

「セバスさん。閣下はこう仰っています。『この業者は、木材の単価を市場価格の三倍で計上している。我々を素人だと思って足元を見ているのか? 舐めるなよ』と」

「えっ!?」

セバスが驚愕する。

「そ、そこまで読み取られたのですか!? 一言も発していないのに!?」

「ええ。閣下の『トントン』という指のリズムは、モールス信号に近い独自の暗号です。『ふざけるな』と仰っています」

私は適当なことを言った。

しかし、ルーク様を見ると、「お、おう……そうだ」と言わんばかりに深く頷いている。

(当たってた)

私はさらに続ける。

「それから、『この見積もりの七行目、人件費の水増しがある。前回の工事日報と照らし合わせれば矛盾は明白だ。突き返せ』とのことです」

「な、なんと……! そこまで見抜かれるとは、さすが旦那様!」

セバスは感動に打ち震え、ルーク様に深々と頭を下げた。

「申し訳ありません、私の目が節穴でした! 直ちに業者を呼び出し、契約を破棄させます!」

セバスは「すぐに手配を!」と叫びながら、部屋を飛び出していった。

パタン、と扉が閉まる。

静寂が戻った部屋で、ルーク様がポツリと言った。

「……すげえ」

「お褒めにあずかり光栄です」

「なぜわかった? 俺はただ、『老眼かな……』と思っていただけなんだが」

「はい?」

私はズッコケそうになった。

「老眼!? 二十四歳で!?」

「最近、細かい数字を見ると目がチカチカする。……疲れ目か?」

「ブルーベリーを摂取してください。あとで厨房にタルトを作らせます」

「頼む」

ルーク様は切実な顔で頷いた。

「しかし、助かった。……あの業者は以前から怪しいと思っていた。お前のおかげで切る口実ができた」

「偶然の一致ですね。あの見積書、どう見ても偽造の痕跡がありましたから」

私は元・社畜の勘で気づいていたのだ。

「……やはり、お前は有能だ」

ルーク様が立ち上がり、私の前に立った。

そして、大きな手で、私の頭をポンポンと撫でた。

「……良い相棒を持った」

その手は相変わらず不器用で、力が強すぎて頭蓋骨が軋んだが、不思議と悪い気はしなかった。

「……髪が乱れます、閣下」

「あ、すまん」

慌てて手を引っ込めるルーク様。

その耳が、またしても茹でダコのように赤くなっているのを見て、私は確信した。

(この人、チョロい……いや、扱いやすいかもしれない)

こうして私は、アースガルド公爵家における絶対的な地位――「公爵の言葉を唯一理解する女」としてのポジションを、着々と確立していったのである。

一方その頃。

王都のクレイス殿下のもとには、私が送りつけた『請求書第一弾』が届き、王城が揺れるほどの絶叫が上がっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄される前に、帰らせていただきます!

パリパリかぷちーの
恋愛
ある日、マリス王国の侯爵令嬢クロナは、王子が男爵令嬢リリィと密会し、自分を「可愛げのない女」と罵り、卒業パーティーで「婚約破棄」を言い渡そうと画策している現場を目撃してしまう。 普通なら嘆き悲しむ場面だが、クロナの反応は違った。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

悪役令嬢は推し活中〜殿下。貴方には興味がございませんのでご自由に〜

みおな
恋愛
 公爵家令嬢のルーナ・フィオレンサは、輝く銀色の髪に、夜空に浮かぶ月のような金色を帯びた銀の瞳をした美しい少女だ。  当然のことながら王族との婚約が打診されるが、ルーナは首を縦に振らない。  どうやら彼女には、別に想い人がいるようで・・・

逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?

魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。 彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。 国外追放の系に処された。 そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。 新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。 しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。 夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。 ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。 そして学校を卒業したら大陸中を巡る! そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、 鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……? 「君を愛している」 一体なにがどうなってるの!?

2度目の人生は好きにやらせていただきます

みおな
恋愛
公爵令嬢アリスティアは、婚約者であるエリックに学園の卒業パーティーで冤罪で婚約破棄を言い渡され、そのまま処刑された。 そして目覚めた時、アリスティアは学園入学前に戻っていた。 今度こそは幸せになりたいと、アリスティアは婚約回避を目指すことにする。

いいえ、ただ私は婚約破棄されたいだけなんです!

鏡おもち
恋愛
伯爵令嬢ロニエ・エヴァンズには、ささやかな野望があった。それは、ハイスペックすぎて重すぎる愛を持つ婚約者、第一王子アレンから「婚約破棄」を突きつけられ、実家の離れで一生ダラダラと昼寝をして過ごすこと。 ロニエは学園入学を機に、あの手この手で「嫌われる努力」を開始する。

婚約破棄、承りました!悪役令嬢は面倒なので認めます。

パリパリかぷちーの
恋愛
「ミイーシヤ! 貴様との婚約を破棄する!」 王城の夜会で、バカ王子アレクセイから婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢ミイーシヤ。 周囲は彼女が泣き崩れると思ったが――彼女は「承知いたしました(ガッツポーズ)」と即答!

冤罪で家が滅んだ公爵令嬢リースは婚約破棄された上に、学院の下働きにされた後、追放されて野垂れ死からの前世の記憶を取り戻して復讐する!

山田 バルス
恋愛
婚約破棄された上に、学院の下働きにされた後、追放されて野垂れ死からの前世の記憶を取り戻して復讐する!

処理中です...