悪役令嬢は、婚約破棄に舞い踊る!

猫宮かろん

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「では、会議室へ案内しよう」


ヴォルフの低い声が響く。


迎賓館のエントランスでの睨み合い(一方的な威圧)の後、私たちは建物の中へと足を踏み入れた。


廊下を歩く隊列は、異様なものだった。


先頭に、私とヴォルフ。


背後には、ヴォルテア帝国の屈強な近衛兵たち。


そして、その後ろを、やつれ果てたギルバート王子と、能天気にキョロキョロしているミミ、そして生気のない祖国の騎士たちがゾロゾロとついてくる。


「ねえねえギル様ぁ、ここのシャンデリア、埃被ってますよぉ」


「しっ、静かにしなさいミミ。……くそ、なんだこの敗北感は」


ギルバートが小声で毒づくのが聞こえる。


「なぜ僕が、あんな野蛮な男の後ろを歩かねばならんのだ。本来なら、シュークは僕の三歩後ろを歩くべきなのに」


まだ言っているのか。


私はチラリと後ろを振り返り、冷ややかに告げた。


「殿下。廊下では静かになさってください。響きますので」


「なッ……! 命令するな!」


「マナーの指導です」


私がピシャリと言うと、ギルバートは「ぐぬぬ」と黙り込んだ。


以前なら、私が何を言っても「生意気だ」と怒鳴り返してきた彼が、今の私(と、隣にいる筋肉の要塞)には明らかに怯えている。


(……変わったわね)


私は前を向き直った。


以前の私は、彼のご機嫌を損ねないよう、常に言葉を選び、顔色を窺っていた。


けれど今は、言いたいことを言える。


これが「後ろ盾(物理)」があるという安心感か。


「シューク」


ヴォルフが私の腰に手を回し、耳元で囁いた。


「あいつ、隙あらばお前の腕を掴もうとしているぞ。気をつけろ」


「大丈夫ですよ。私の動体視力は、ハエを箸で掴めるレベルまで向上していますから」


「……いつの間にそんな修行を?」


「冗談です。でも、触れさせませんよ。菌が移りますから」


「フッ、言うようになったな」


会議室に到着した。


中央に長方形の巨大なテーブルが置かれている。


ヴォルフは上座の椅子を引き、私を座らせた。


そして自分は、私の真横にドカッ! と座る。


「……おい」


ギルバートが対面の席に座りながら、不満げに声を上げた。


「その男はなんだ。これは王族間の話し合いだぞ。部外者は退室したまえ」


「部外者?」


ヴォルフが片眉を上げる。


「俺はヴォルテア皇帝、ヴォルフ・レギオン・ヴォルテアだ。この国の最高責任者として、この場にいる権利がある」


「こ、皇帝だと!?」


ギルバートが椅子から転げ落ちそうになった。


「嘘だ! そんな筋肉ダルマが皇帝なわけがない! 皇帝とはもっとこう、肥え太った爺さんか、神経質なガリ勉だと相場が決まっている!」


「偏見がひどいな」


ヴォルフは呆れつつ、懐から国璽(こくじ)を取り出し、テーブルの上にドン! と置いた。


重厚な黄金の印章。それは疑いようのない皇帝の証だ。


「……ひっ」


ギルバートの顔色から、サーッと血の気が引いていく。


「ほ、本物……? じゃあ、シュークを連れ去ったのは、山賊ではなく皇帝……?」


「人聞きが悪いな。『保護』したと言え」


ヴォルフは組んだ腕の筋肉をピクつかせた。


「それで? 俺に出て行けと言うのか? 隣国の王子風情が、この俺に?」


「い、いえ! 滅相もございません!」


ギルバートは即座に掌を返した。権力には弱い男だ。


「だ、だが……これでは話しにくい。シュークと二人きりで、腹を割って話したいのだが……」


彼はチラチラと私を見る。


その目は「二人きりになれば、なんとかなる(丸め込める)」という甘い期待に満ちている。


「お断りします」


私が答える前に、ヴォルフが遮った。


「二度と、この俺の前でシュークを孤立させると思うな」


「な……」


「お前たちが過去、彼女をどう扱ってきたか、俺は知っている。密室で多勢に無勢、言葉の暴力で追い詰め、精神を削ってきたのだろう?」


ヴォルフの声には、静かな、けれど煮えたぎるような怒りが込められていた。


「俺は、二度とそんな真似はさせん。彼女と話したければ、まず俺を通せ。俺の筋肉というフィルターを通して、無害化された言葉だけを彼女に届けろ」


「筋肉フィルター……?(困惑)」


ヴォルフは私の方を向き、その表情を和らげた。


「シューク。お前はただ座っていればいい。嫌なこと、不快なこと、理不尽な要求は、すべて俺が握りつぶす」


「……ヴォルフさん」


「だが、最後の決断はお前がしろ。お前がどうしたいか。それだけが重要だ」


彼の言葉が、私の胸に深く突き刺さる。


守られている。


でも、ただ守られているだけではない。私の意思を尊重してくれている。


(……ああ、そうか)


私は悟った。


これは「決戦」なのだ。


ギルバート王子との戦いではない。


「過去の自分」との決戦だ。


NOと言えなかった自分。周りの顔色ばかり窺っていた自分。自己犠牲を美徳と勘違いしていた自分。


それらすべてと決別し、新しい人生を勝ち取るための戦い。


「……分かりました」


私は深く息を吸い込み、テーブルの下で拳を握りしめた。


そして、顔を上げる。


そこにはもう、迷いはない。


「ギルバート殿下。話し合いを始めましょう」


私の声は、驚くほど落ち着いていた。


「ただし、時間の無駄は嫌いです。単刀直入にお願いします。……私に何をさせたくて、ここまで来たのですか?」


ギルバートがビクリと肩を震わせる。


私の瞳に宿る光が、かつてとは違う「強者」のそれであることに、彼も気づいたようだ。


「……う、あ……」


彼は視線を泳がせ、そして隣のミミに助けを求めるように見た。


ミミは「えーっとぉ、ギル様、頑張ってー☆」と無責任に応援している。


「……こ、こほん」


ギルバートは咳払いをし、震える手で一枚の書類を取り出した。


「し、シューク。これは……国からの『復職要請書』だ」


戦いの火蓋は切られた。


私の平穏な老後(二十代)と、安眠を守るための、絶対に負けられない戦いが始まったのである。
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