悪役令嬢は、婚約破棄に舞い踊る!

猫宮かろん

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「報告します! 国境付近にグランツ王国の軍勢を確認! その数、およそ三千!」


早朝の別荘に、国境警備隊長からの急報が飛び込んできた。


私は「天使のまどろみ(羽毛布団)」から這い出し、眠気眼をこすりながらリビングへ降りた。


そこには、すでに戦闘用装備――と言っても、いつもの軽装に剣を一本佩いただけ――のヴォルフが仁王立ちしていた。


「三千か。思ったより少ないな」


ヴォルフは不敵に笑う。


「我が帝国の精鋭なら、五百もいれば蹴散らせる数だ。……だが、妙だな」


「何がですか?」


私はセバスチャンが淹れてくれた「目覚めの超濃厚エスプレッソ」を飲みながら尋ねた。


「進軍速度が遅すぎる。それに、偵察部隊からの報告によると、軍列の中に『巨大な移動要塞』のような馬車があるらしい」


「移動要塞?」


「ああ。ピンク色に塗られた、悪趣味な装飾の馬車だそうだ」


ブーッ!


私はエスプレッソを盛大に吹き出した。


「……失礼。今、ピンク色とおっしゃいました?」


「そうだ。屋根には『愛』という文字の旗が掲げられているとか」


確定だ。


間違いない。あれは軍事車両ではない。


「ギルバート殿下とミミ様の専用馬車です。通称『ラブワゴン』」


「……名前のセンスが致命的だな」


ヴォルフが頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。


「つまり、総大将である王子自らが出張ってきたということか?」


「ええ。よほど切羽詰まっているのでしょう。……あるいは、旅行気分か」


「旅行気分で戦争を仕掛けられてはたまらん」


ヴォルフは舌打ちをした。


その時、伝令兵が追加の報告書を持ってきた。


「ほ、報告! 敵軍より、先触れの使者が到着しました! 書状を預かっております!」


「読め」


ヴォルフが短く命じる。


伝令兵は震える手で書状を開き、読み上げた。


『我々は平和的解決を望む。よって、まずは会談を申し入れたい。場所は国境の緩衝地帯にある迎賓館にて。……なお、シュークには筆記用具を持参させること』


「……は?」


私が声を漏らすと、伝令兵はさらに続けた。


『追伸:ハンコも忘れるな。あと、肩こりに効く湿布も欲しい』


シーン……。


部屋中が静まり返った。


ヴォルフがゆっくりと私の方を向く。


「……シューク。これは、どういう意味だ?」


私は空になったカップを置き、深い、本当に深いため息をついた。


「翻訳しますね。彼らの目的は『戦争』ではありません」


「ではなんだ?」


「『出張業務』です」


「……はい?」


「おそらく、王城に溜まりに溜まった未決裁書類を、馬車に積めるだけ積んで持ってきたのでしょう。『自分たちでは処理できないから、シュークにやらせよう』という魂胆です」


「…………」


ヴォルフが絶句した。


「ま、待て。つまり、あいつらは国境を越えて、わざわざ『仕事』をデリバリーしに来たのか?」


「ウーバー・ワークですね」


「ふざけるなッ!!」


ヴォルフの怒号が響き渡り、窓ガラスがビリビリと震えた。


「俺の女……じゃなくて、我が国の重要人物を、なんだと思っている! 便利な事務処理マシンか!?」


「その通りだと思っているから来たのでしょうね」


私は冷静だった。


怒りを通り越して、その浅はかさが哀れですらある。


「どうしますか、ヴォルフさん。無視して追い返しますか?」


「いや」


ヴォルフはニヤリと笑った。


その笑みは、捕食者が獲物を見つけた時の、獰猛なものだった。


「会ってやろうじゃないか」


「え?」


「向こうがノコノコ出てきたんだ。好都合だ」


ヴォルフは腰の剣を撫でた。


「外交交渉の場で、徹底的に分からせてやる。奴らが失ったものがどれほど大きく、そして二度と取り戻せないものかをな」


「……物理的に分からせるのはナシですよ?」


「安心しろ。俺は言葉でも人を殺せる(論破できる)タイプだ」


嘘だ。筋肉で解決する気満々だ。


でも、私も少しだけ、興味があった。


今の彼らが、どれほど落ちぶれ……いや、困窮しているのかを、この目で見てみたい。


そして、かつての私とは違う、「自由で幸せな私」を見せつけてやりたい。


「分かりました。行きましょう、迎賓館へ」


私は立ち上がり、ドレスの裾を払った。


「ただし、筆記用具は持っていきません」


「ああ、必要ない」


ヴォルフが私の肩を抱き寄せる。


「代わりに、俺という『最強の盾』を持っていけ。どんな理不尽な要求も、すべて俺が跳ね返してやる」


「頼もしいですね。……では、セバスチャン」


「はい、お嬢様」


「一番派手で、高そうで、幸せオーラ全開のドレスを用意して。あと、最高級の美容液もね」


「承知いたしました。戦闘用ドレスですね」


「ええ。元婚約者に『逃がした魚は大きすぎた』と後悔させてやるための、最高の武装よ」


***


翌日。


国境の緩衝地帯にある迎賓館。


かつては両国の友好の証として建てられたその白亜の建物は、今や緊張感に包まれていた。


ヴォルテア帝国の屈強な近衛兵と、グランツ王国の疲れ切った騎士たちが対峙している。


その中央を、一台の馬車が進んでいく。


ヴォルフと私が乗る、皇帝専用馬車だ。


「……シューク、緊張しているか?」


隣に座るヴォルフが、私の手を握る。


「いいえ。むしろワクワクしています」


私は窓の外を見た。


向こう側に停まっている、例のピンク色の馬車が見える。


窓からミミが顔を出し、「あー! シュークお姉様だぁ~! 元気~?」と手を振っているのが見えた。


相変わらずの能天気さだ。


その隣で、ギルバート王子が青白い顔をして何か叫んでいる。


「……やつれているな、あいつ」


ヴォルフが憐れむように言った。


「生気が感じられん。ゾンビ映画のエキストラか?」


「書類の山に埋もれて、生気を吸い取られたのでしょう」


馬車が止まる。


扉が開かれる。


ヴォルフが先に降り、私に手を差し伸べた。


「さあ、行こうか。俺の皇后……予定」


「予定は余計です」


私は彼の手を取り、地面に降り立った。


その瞬間、無数の視線が私に集まる。


驚愕、羨望、そして後悔。


今の私は、かつての地味で目つきの悪い悪役令嬢ではない。


十分な睡眠と栄養、そしてストレスフリーな生活によって肌は輝き、眉間のシワは消え、自信に満ち溢れた「最高にイイ女」になっているはずだ。


「シューク……!」


迎賓館の入り口で、ギルバート王子が私を見て息を呑んだ。


「き、貴様……なんだその格好は! それに、なんだその……幸せそうな顔は!」


「ごきげんよう、殿下」


私は優雅にカーテシーをした。


「お久しぶりです。随分とお疲れのようですね。目の下のクマが、立派な勲章のようですよ?」


「なッ……嫌味か!」


「事実です」


ギルバートの背後から、ミミが飛び出してきた。


「お姉様ぁ~! 会いたかったですぅ! もう、いじわるしないで帰ってきてくださいよぉ~!」


彼女は私に抱きつこうとしたが、


ガシッ。


ヴォルフの太い腕が、彼女の額を押さえて止めた。


「……誰に触れようとしている?」


ヴォルフが見下ろす。


その圧倒的な威圧感に、ミミが「ひゃうっ」と固まる。


「私の大事なシュークに、菌が移る。近寄るな」


「き、菌!?」


「貧乏神と疫病神のハーフみたいな顔をしやがって」


「ひどいですぅ! ギル様ぁ、この人怖いですぅ!」


ここから、歴史に残る(主に笑い話として)会談が始まる。


元婚約者vs現・溺愛皇帝。


そして、社畜時代の私vsニート(富豪)の私。


勝負の行方は、火を見るよりも明らかだった。
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