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「ただいま戻りました」
王立学園のパーティ会場を後にし、私は深夜のローゼンバーグ公爵邸の門をくぐった。
馬車から降りると、玄関ホールにはすでに父と母、そして使用人たちが整列して待っていた。
通常、婚約破棄されて帰ってきた娘を迎える空気といえば、お通夜のように暗いものだろう。
母親は泣き崩れ、父親は激怒し、使用人たちは腫れ物に触るように接する。
それが一般的な貴族の反応だ。
しかし、我が家は違う。
「お帰りなさい、お嬢様! それで、戦果はいかほどで!?」
出迎えた執事のセバスチャンが、目を輝かせて第一声を上げた。
「……セバスチャン。挨拶より先に決算報告を求めるのは、この家の悪い癖よ」
「失礼いたしました。しかし、屋敷の者一同、賭けをしておりまして。お嬢様がふんだくる……いえ、正当に請求される慰謝料の額についてですが」
「賭け?」
「はい。『金貨千枚以下』に賭けた者はおりません。『国家予算規模』に賭けたのが、旦那様と私です」
「……ふっ。さすがはお父様ね。相場観が鋭い」
私は口元を緩め、奥から歩み出てきた両親に向き直った。
父、ローゼンバーグ公爵。
この国の経済界のドンであり、私の金銭感覚の師匠でもある。
母、公爵夫人。
かつて社交界で「歩く宝石箱」と呼ばれたが、その宝石はすべて投資目的で保有しているという強者。
「アイーダ。報告を聞こうか」
父は重々しく口を開いた。
「ロベルト殿下との『長期投資案件』についてだ」
「はい、お父様。本日付で、当該案件の『損切り』を決行いたしました」
私が簡潔に述べると、父は満足げに頷いた。
「賢明な判断だ。あの王子の浪費癖と無能ぶりは、すでに減価償却の限界を超えていたからな。これ以上保有していても、資産価値は目減りする一方だ」
「ええ。そこで、契約解除に伴う違約金および慰謝料を請求してまいりました。こちらがその明細の写しです」
私は懐から、あの長い羊皮紙のコピー(控え)を差し出した。
父はそれを受け取り、眼鏡の位置を直しながら目を通す。
母も横から覗き込む。
「あらあら……『青春返還費用』ですって? うふふ、アイーダらしいユニークな項目ね」
「まあ、精神的苦痛の算出根拠としては妥当なラインでしょう?」
「ええ、もちろんよ。あら、ここの『王妃教育費用の利息計算』……複利計算にしてあるじゃない。さすがだわ」
「単利ではインフレ率に負けますから」
両親はニコニコしながら、私の請求書を「素晴らしい絵画」でも見るように鑑賞している。
「うむ……合計額、国家予算三年分か。少しふっかけすぎな気もするが、交渉のスタートラインとしては悪くない」
父が顔を上げ、ニヤリと笑った。
「で、回収の目処は?」
「そこが一番のポイントです、お父様。ロベルト殿下個人には支払い能力がありません。そこで――」
私は一拍置き、勿体ぶって宣言した。
「債権回収業務および債権の買い取りを、クラウス・フォン・ベルンシュタイン公爵に委託することで合意いたしました」
その瞬間。
父の目が、チャリーン! という音を立てて金貨の形になった(ような気がした)。
「なっ……! あの『氷の宰相』にか!?」
「はい。しかも、即金での支払いを確約いただきました」
「素晴らしい……! マーベラスだ、アイーダ!」
父は興奮して私の肩を掴んだ。
「あの堅物で有名なクラウス公爵が、不良債権を肩代わりするとは! 一体どんな魔法を使ったんだ!?」
「魔法ではありません。交渉(ディール)です。その代わり、私は明日から彼の補佐官として働くことになりました。……まあ、実質的な『人質』のようなものですが」
「人質上等! クラウス公爵といえば、次期国王の最有力候補とも噂される実力者。しかも、その資産管理能力は私ですら舌を巻くレベルだ。そんな男の懐に入り込めるとは……!」
父は天井を仰ぎ、感動に打ち震えている。
「ロベルト王子という『紙くず同然の株』を手放し、クラウス公爵という『超優良銘柄』に乗り換えるとは……! 我が娘ながら、恐ろしいほどの相場師の才能だ!」
「あらあなた、褒めすぎですわよ。でも、本当にすごいわねぇ」
母もうっとりとしている。
「クラウス様なら、お顔もよろしいし、何よりお金持ち。アイーダ、絶対に逃がしてはダメよ? 補佐官という立場を利用して、外堀から埋めていきなさい。既成事実を作るのよ」
「お母様、気が早いです。まずは雇用契約の内容精査が先です。残業代の規定と、有給休暇の消化率については厳しくチェックしませんと」
「あら、そうね。愛より契約。それが我が家の家訓だものね」
家族団欒(?)の会話が弾む中、執事のセバスチャンが恭しくシャンパンを持ってきた。
「お嬢様の『大型契約成立』と『不良債権処理完了』を祝しまして、乾杯の準備が整っております」
「気が利くわね。ありがとう」
グラスを受け取り、私は両親と向き合う。
「それでは。私たちの輝かしい未来と、ロベルト殿下の哀れな労働生活に」
「「「乾杯(プロフィット)!」」」
カチン、とグラスが触れ合う音が、小気味よく響いた。
「ああ、美味しい。勝利の味がするわ」
シャンパンを飲み干し、私はふぅと息をつく。
婚約破棄された夜に、これほど美味しいお酒が飲めるとは思わなかった。
「さて、アイーダ。明日は早いんだろう? 早速、クラウス殿との契約書の草案を作らねばならん」
父がすでに仕事モードの顔になっている。
「はい。弁護士も呼んであります。徹夜で詰めるつもりです」
「よし、私も手伝おう。ローゼンバーグ家の法務部の総力を挙げて、一ミリも損をしない完璧な契約書を作成するんだ!」
「心強いです、お父様!」
こうして、私の「婚約破棄の夜」は、涙で枕を濡らすこともなく、六法全書と電卓を叩きながら更けていった。
窓の外では、月が静かに輝いている。
明日からの王城勤務。
待っていろ、クラウス公爵。
貴方が買ったのが、単なる「便利な計算機」ではなく、「維持費の高いモンスターマシン」だったことを、たっぷりと教えてあげるわ。
王立学園のパーティ会場を後にし、私は深夜のローゼンバーグ公爵邸の門をくぐった。
馬車から降りると、玄関ホールにはすでに父と母、そして使用人たちが整列して待っていた。
通常、婚約破棄されて帰ってきた娘を迎える空気といえば、お通夜のように暗いものだろう。
母親は泣き崩れ、父親は激怒し、使用人たちは腫れ物に触るように接する。
それが一般的な貴族の反応だ。
しかし、我が家は違う。
「お帰りなさい、お嬢様! それで、戦果はいかほどで!?」
出迎えた執事のセバスチャンが、目を輝かせて第一声を上げた。
「……セバスチャン。挨拶より先に決算報告を求めるのは、この家の悪い癖よ」
「失礼いたしました。しかし、屋敷の者一同、賭けをしておりまして。お嬢様がふんだくる……いえ、正当に請求される慰謝料の額についてですが」
「賭け?」
「はい。『金貨千枚以下』に賭けた者はおりません。『国家予算規模』に賭けたのが、旦那様と私です」
「……ふっ。さすがはお父様ね。相場観が鋭い」
私は口元を緩め、奥から歩み出てきた両親に向き直った。
父、ローゼンバーグ公爵。
この国の経済界のドンであり、私の金銭感覚の師匠でもある。
母、公爵夫人。
かつて社交界で「歩く宝石箱」と呼ばれたが、その宝石はすべて投資目的で保有しているという強者。
「アイーダ。報告を聞こうか」
父は重々しく口を開いた。
「ロベルト殿下との『長期投資案件』についてだ」
「はい、お父様。本日付で、当該案件の『損切り』を決行いたしました」
私が簡潔に述べると、父は満足げに頷いた。
「賢明な判断だ。あの王子の浪費癖と無能ぶりは、すでに減価償却の限界を超えていたからな。これ以上保有していても、資産価値は目減りする一方だ」
「ええ。そこで、契約解除に伴う違約金および慰謝料を請求してまいりました。こちらがその明細の写しです」
私は懐から、あの長い羊皮紙のコピー(控え)を差し出した。
父はそれを受け取り、眼鏡の位置を直しながら目を通す。
母も横から覗き込む。
「あらあら……『青春返還費用』ですって? うふふ、アイーダらしいユニークな項目ね」
「まあ、精神的苦痛の算出根拠としては妥当なラインでしょう?」
「ええ、もちろんよ。あら、ここの『王妃教育費用の利息計算』……複利計算にしてあるじゃない。さすがだわ」
「単利ではインフレ率に負けますから」
両親はニコニコしながら、私の請求書を「素晴らしい絵画」でも見るように鑑賞している。
「うむ……合計額、国家予算三年分か。少しふっかけすぎな気もするが、交渉のスタートラインとしては悪くない」
父が顔を上げ、ニヤリと笑った。
「で、回収の目処は?」
「そこが一番のポイントです、お父様。ロベルト殿下個人には支払い能力がありません。そこで――」
私は一拍置き、勿体ぶって宣言した。
「債権回収業務および債権の買い取りを、クラウス・フォン・ベルンシュタイン公爵に委託することで合意いたしました」
その瞬間。
父の目が、チャリーン! という音を立てて金貨の形になった(ような気がした)。
「なっ……! あの『氷の宰相』にか!?」
「はい。しかも、即金での支払いを確約いただきました」
「素晴らしい……! マーベラスだ、アイーダ!」
父は興奮して私の肩を掴んだ。
「あの堅物で有名なクラウス公爵が、不良債権を肩代わりするとは! 一体どんな魔法を使ったんだ!?」
「魔法ではありません。交渉(ディール)です。その代わり、私は明日から彼の補佐官として働くことになりました。……まあ、実質的な『人質』のようなものですが」
「人質上等! クラウス公爵といえば、次期国王の最有力候補とも噂される実力者。しかも、その資産管理能力は私ですら舌を巻くレベルだ。そんな男の懐に入り込めるとは……!」
父は天井を仰ぎ、感動に打ち震えている。
「ロベルト王子という『紙くず同然の株』を手放し、クラウス公爵という『超優良銘柄』に乗り換えるとは……! 我が娘ながら、恐ろしいほどの相場師の才能だ!」
「あらあなた、褒めすぎですわよ。でも、本当にすごいわねぇ」
母もうっとりとしている。
「クラウス様なら、お顔もよろしいし、何よりお金持ち。アイーダ、絶対に逃がしてはダメよ? 補佐官という立場を利用して、外堀から埋めていきなさい。既成事実を作るのよ」
「お母様、気が早いです。まずは雇用契約の内容精査が先です。残業代の規定と、有給休暇の消化率については厳しくチェックしませんと」
「あら、そうね。愛より契約。それが我が家の家訓だものね」
家族団欒(?)の会話が弾む中、執事のセバスチャンが恭しくシャンパンを持ってきた。
「お嬢様の『大型契約成立』と『不良債権処理完了』を祝しまして、乾杯の準備が整っております」
「気が利くわね。ありがとう」
グラスを受け取り、私は両親と向き合う。
「それでは。私たちの輝かしい未来と、ロベルト殿下の哀れな労働生活に」
「「「乾杯(プロフィット)!」」」
カチン、とグラスが触れ合う音が、小気味よく響いた。
「ああ、美味しい。勝利の味がするわ」
シャンパンを飲み干し、私はふぅと息をつく。
婚約破棄された夜に、これほど美味しいお酒が飲めるとは思わなかった。
「さて、アイーダ。明日は早いんだろう? 早速、クラウス殿との契約書の草案を作らねばならん」
父がすでに仕事モードの顔になっている。
「はい。弁護士も呼んであります。徹夜で詰めるつもりです」
「よし、私も手伝おう。ローゼンバーグ家の法務部の総力を挙げて、一ミリも損をしない完璧な契約書を作成するんだ!」
「心強いです、お父様!」
こうして、私の「婚約破棄の夜」は、涙で枕を濡らすこともなく、六法全書と電卓を叩きながら更けていった。
窓の外では、月が静かに輝いている。
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