婚約破棄?夢見がちな悪役令嬢は「悲劇のヒロイン」を演じたい!

黒猫かの

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「マリー! 至急、服を用意して!」

朝食後。

私は自室に戻るなり、メイド長のマリーを呼びつけた。

「はい、ユーメリア様。今日はどのようなドレスを? やはり闇のような黒ですか? それとも血のような赤?」

マリーはすっかり私の好みを把握し、クローゼットから禍々しい配色のドレスを取り出そうとする。

しかし、私は首を横に振った。

「違うわ。ドレスじゃないの」

「え?」

「私が求めているのは……『機動力』と『忠誠心』を具現化した服よ!」

「はあ……?」

「具体的に言うと……そうね、執事服! あるいは軍服! とにかく『仕える者』の戦闘服を持ってきて!」

          *

数十分後。

私はギルバート様の執務室の前に立っていた。

身にまとうのは、男性用の燕尾服(を少し詰めてもらったもの)。

髪は後ろで一つに束ね、キリリと引き締めた。

手には白手袋。

鏡で確認したが、なかなかどうして、男装の麗人といった風情で悪くない。

「……よし」

私は気合を入れた。

今日から私は、ただ守られるだけのヒロインではない。

彼の盾となり、剣となり、そして彼の手足となって働く「最強の側近」になるのだ!

コンコン。

「入れ」

中からギルバート様の声がする。

私は背筋を伸ばし、扉を開けた。

「失礼いたします、閣下」

「……誰だ」

書類を見ていたギルバート様が顔を上げ、私を見てフリーズした。

「……ユーメリア、か?」

「いいえ。かつてユーメリアと呼ばれていた女は、昨夜の反省と共に消滅しました」

私はバサリと燕尾服の裾を翻し、彼のデスクの前まで歩み寄ると、片膝をついて恭しく頭を下げた。

「お初にお目にかかります、魔王ギルバート様。……本日より、あなたの忠実なる『下僕(しもべ)』として着任いたしました、コードネーム『ポチ』でございます」

「…………は?」

ギルバート様のペンが、手から滑り落ちた。

「ポチ?」

「はい。あなたの犬となり、影となり、邪魔な敵を排除する忠犬です。ワンと鳴けと言われれば鳴き、噛みつけと言われれば噛みつきます」

私は顔を上げ、真剣な眼差しで彼を見つめた。

「どうですか? 悪役令嬢よりも役に立ちそうでしょう?」

ギルバート様は、こめかみを指で押さえた。

「……また変な設定を持ってきたな。今度は『男装の執事プレイ』か?」

「プレイじゃありません! ジョブチェンジです!」

私は立ち上がり、熱弁を振るった。

「昨夜、私は悟ったのです。悪役令嬢というのは、所詮は『噛ませ犬』。物語の中盤で退場する運命(サダメ)にあります。……でも!」

私は机をバンと叩いた。

「ラスボスの側近なら! 魔王の右腕なら! 物語の最終決戦(クライマックス)まで、あなたの隣にいられるではありませんか!」

「……」

「私はあなたを守りたい。あなたに心配をかけず、むしろあなたが安心して背中を預けられる存在になりたい! だから……私は今日から、あなたの道具になります!」

どうだ!

この愛に溢れた(歪んでいるが)決意表明!

ギルバート様はしばらく無言で私を見ていたが、やがてふっと笑い、椅子の背もたれに体を預けた。

「……なるほど。最後まで俺のそばにいたい、と。そういうことか」

「ま、まあ、要約すればそうです」

「いいだろう。採用だ」

「本当!?」

「ああ。ちょうど雑用係が欲しかったところだ」

ギルバート様は、机の上に積み上がった書類の山を指差した。

「では早速、ポチ。……この決裁書類を種別ごとに仕分けろ」

「イエス・マイ・ロード! お安い御用です!」

私は意気揚々と書類の山に手を伸ばした。

ふふん、公爵令嬢としての教育を受けている私にとって、書類整理なんて朝飯前よ。

「見ていてください、この高速処理能力を! ……えーっと、これは『領地の税収報告』……これは『騎士団の予算申請』……」

私はパッパッと書類を分けていく。

「これは『隣国からの抗議文』……あら? 生意気ね」

ペラペラと中身を読む。

『貴国のスパイ対策が強引すぎる』だの『ギルバート公爵の態度が怖い』だの、文句ばかり書いてある。

「……却下ね」

ビリリ。

私は書類を破り捨てた。

「おい」

ギルバート様が低い声を出した。

「何をしている」

「え? 魔王軍(うち)に楯突く不届きな文書を処分したのですが」

「それは外交文書だ! 破るな!」

「でも、あなたの悪口が書いてありましたよ?」

「事実だからいいんだ! テープで貼って戻せ!」

「ちぇっ……心が広いのね」

私はしぶしぶセロハンテープで補修した。

「次! お茶を淹れます!」

私は名誉挽回とばかりに、ティーセットを用意した。

「最高級の茶葉を、私のオリジナルブレンドで抽出します!」

「……嫌な予感がするな」

「大丈夫です! 隠し味に『精力増強の秘薬(マムシドリンク)』を数滴垂らしておきましたから!」

「やめろ! 俺をどうする気だ!」

「元気になっていただこうと!」

「普通のを淹れろ! 普通のを!」



一時間後。

執務室はカオスな状態になっていた。

私が「良かれと思って」やったことが、ことごとく裏目に出ていたのである。

掃除をしようとして重要書類を吸い込みそうになり、肩揉みをしようとしてツボを外しすぎて「逆に痛い」と言われ、護衛のつもりで窓際に立っていたら「逆光で気が散る」と怒られた。

「……はあ、はあ」

私は部屋の隅で膝を抱えていた。

「おかしいわ……。完璧な執事になるはずだったのに……。これじゃあただの『お邪魔虫』じゃない……」

燕尾服も少し着崩れ、私の心は折れかけていた。

ギルバート様は、補修だらけの書類にサインをしながら、呆れ声で言った。

「……ポチ。お前、本当に不器用だな」

「うっ……面目次第もございません……。クビですか? 処分ですか?」

「いや」

ギルバート様はペンを置き、手招きをした。

「こっちに来い」

「……はい」

私はトボトボと彼のそばに行った。

彼は私の腰を引き寄せ、膝の上に座らせた。

「きゃっ!? か、閣下! 執務中ですよ!」

「休憩だ」

彼は私の背中に腕を回し、首筋に顔を埋めた。

「……はあ。お前がチョロチョロするおかげで、仕事が全然進まん」

「ご、ごめんなさい……。やっぱり向いてないみたいです、下僕……」

「だが」

彼は顔を上げ、私の瞳を覗き込んだ。

「退屈はしなかった」

「え?」

「殺伐とした書類仕事の中で、お前がアワアワしているのを見るのは……悪くない気晴らしだった」

「気晴らし!? 私は真剣だったのに!」

「分かっている。……お前のその、空回りする献身も、嫌いじゃない」

ギルバート様が優しく微笑んだ。

その笑顔は、昨夜の弱々しいものではなく、いつもの余裕と自信に満ちた「魔王」の顔だった。

「……っ」

私は胸が高鳴った。

「じゃあ……クビにはしない?」

「ああ。ただし、下僕としては三流だ。……やはりお前は、俺の『婚約者』として、ただ座って笑っているのが一番役に立つらしい」

「むぅ……それはそれで悔しいわ」

「ふふ。……まあ、たまにはこういうコスプレも悪くないがな」

ギルバート様の手が、私の燕尾服のボタンに触れる。

「……男装というのも、妙な背徳感があってそそる」

「えっ」

「休憩時間は終わりだと言いたいところだが……少し延長するか」

「ちょ、ギルバート様? 目が据わっていますけど!?」

「『ワンと鳴けと言われれば鳴く』と言ったな?」

「い、言いましたけど、そういう意味じゃ……!」

「ポチ。……お手」

ギルバート様が手を差し出す。

私は抗えず、恐る恐る手を乗せた。

「……わん」

「よくできました」

彼は私の手にキスをし、そのまま私をデスクの上に押し倒――そうとした時だった。

バン!!

「失礼します、閣下! 緊急報告です!」

空気を読まない部下が飛び込んできた。

「うわあああ!?」

「……チッ」

ギルバート様が盛大に舌打ちをし、私は慌てて彼の膝から飛び降りた。

「な、なんだ! ノックもしないで!」

ギルバート様が怒鳴る。

部下は私(男装)とギルバート様を見て、一瞬「えっ、BL?」という顔をしたが、すぐにプロ意識で表情を引き締めた。

「も、申し訳ありません! しかし、急を要する事態でして!」

「なんだ! スパイの残党か!?」

「いえ、違います! 王宮からの使者が参りました!」

「王宮?」

部下は一通の封書を差し出した。

そこには、王家の紋章が押されていた。

「第一王子アレクセイ殿下より……『至急、ユーメリア嬢を連れて登城せよ』との命令です」

「……あいつか」

ギルバート様が顔をしかめる。

私も燕尾服の襟を正し、ギルバート様の背後から顔を出した。

「殿下が? 私に何の用かしら?」

「分かりません。ですが……どうやら、かなり切羽詰まったご様子で……」

部下は言い淀んだ。

「『助けてくれ』と仰っていたそうです」

「は?」

私とギルバート様は顔を見合わせた。

あのプライドの高い俺様王子が、元婚約者に助けを求める?

「……面白そうね」

私の「物語センサー」が反応した。

「ギルバート、行きましょう! 下僕としての初仕事、王子のトラブル解決よ!」

「……お前、懲りないな」

ギルバート様はため息をついたが、その口元は少し笑っていた。

「いいだろう。俺の忠犬を連れて、散歩にでも行くとするか」

「ワン!」

こうして。

私の「魔王の下僕」デビュー戦は、予想外の方向へと転がり始めた。

王子が泣きついてくるなんて、一体どんなトラブルが待っているというのか。

まさか、「復縁したい」なんて言い出すんじゃないでしょうね?
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