悪役令嬢の契約解除(婚約破棄)、所定の違約金を請求します!

黒猫かの

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「カロリーナ・バーンスタイン! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」

王城の大広間。

きらびやかなシャンデリアの下、王太子エドワードの声が盛大に響き渡った。

周囲の貴族たちが息を呑み、静まり返る。

音楽隊も演奏を止め、グラスのカチャリという音さえ消えた静寂の中、エドワード殿下は私の顔を指差して勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。

その隣には、ピンク髪の小柄な令嬢、ミミ男爵令嬢が怯えたように殿下の腕にしがみついている。

典型的な、断罪イベントの光景だった。

私は手にしていた扇をゆっくりと閉じ、眼鏡の位置を指先で直す。

そして、深く静かに息を吐いた。

「――承知いたしました」

「……は?」

エドワード殿下の口が、間の抜けた音を漏らす。

私は事務的な所作で懐から手帳を取り出し、さらさらとペンを走らせた。

「本日の日付、時刻、場所、そして証言者の数。すべて記録いたしました。これにて、王太子殿下より正式に『婚約破棄』の意思表示がなされたと判断いたします」

「お、おい待て! なんだその反応は! もっとこう、泣き崩れるとか、縋り付くとかあるだろう!?」

「殿下。公的な場での発言は、すべて公式記録に残ります。ましてや次期国王となる方の言葉です。撤回は許されませんよ?」

私は手帳を閉じ、冷徹な視線を彼に向けた。

悲しみ? 絶望?

まさか。

私の胸に去来していたのは、圧倒的な『解放感』のみである。

(やった……! ついに、ついにこの無能上司……ではなく、王太子殿下のお守りから解放される……!)

私の脳内では、歓喜のファンファーレが鳴り響いていた。

幼い頃から王太子妃教育と称して叩き込まれた帝王学。

本来ならば殿下が学ぶべきそれを、彼が遊び呆けている間に代わりに習得し、ここ数年は実質的に私が国政の書類決裁を行っていた。

学園の課題も、外交の挨拶文も、予算の計算も。

すべて私が裏で処理してきたのだ。

いわば、私はこの国の『影の宰相』であり、殿下はただの『飾り』に過ぎない。

それが、ようやく終わる。

今日から私は、ただの公爵令嬢に戻れるのだ。

「ふ、ふん! 強がりを言うな! どうせ心の中では泣いているのだろう! このミミへの嫉妬に狂って、彼女に数々の嫌がらせをしてきたことは調査済みだ!」

エドワード殿下が、震えるミミ嬢を抱き寄せながら叫ぶ。

「教科書を破いただの、階段から突き落とそうとしただの! そんな性根の腐った女は、王妃にふさわしくない!」

「そうですぅ、カロリーナ様、怖かったですぅ……」

ミミ嬢が嘘泣きをしながら、殿下の胸に顔を埋める。

やれやれ、と私は内心で肩をすくめた。

その程度の嫌がらせをする暇があったら、私は溜まっている治水工事の予算案を片付けている。

「殿下。その調査報告書を作成したのは誰ですか?」

「なっ……そ、それは、ミミの証言と、側近たちの報告だ!」

「つまり、物的証拠は一つもないということですね。裏取りもせず、一方的な証言のみを鵜呑みにする。王となる者がそのような杜撰な情報処理能力でどうするのですか」

「な、なんだと!?」

「まあよいでしょう。今の私には、冤罪を晴らすことよりも優先すべき事項がございます」

私はドレスの隠しポケットから、分厚い封筒を取り出した。

以前から、この日が来ることを予期して(というより期待して)準備していたものだ。

「これは?」

「請求書です」

「は?」

「婚約期間中に私が立て替えた、殿下の個人的な遊興費。ミミ嬢に贈られたプレゼント代。および、私が代行した公務に対する労働対価。さらに、一方的な婚約破棄に対する精神的慰謝料。これらを合算したものです」

私は封筒から一枚の羊皮紙を取り出し、殿下の目の前に突きつけた。

そこには、目が眩むような金額が記載されている。

「な、なんだこの金額は!? ふざけているのか!?」

「いいえ、至って適正価格です。まずはこちら。殿下が先月、ミミ嬢に贈られた『幻の宝石』のネックレス。あれは王家の予算ではなく、私の個人資産から立て替えております。領収書もここに」

「ぐっ……」

「次に、こちらの項目。『特別公務代行手当』。本来、殿下が行うべき決裁業務を私が深夜まで残業して処理した時間外労働分です。深夜割増と休日出勤手当も含めて算出しております」

「そ、そんなものが認められるわけがないだろう! 婚約者なのだから、支えるのは当然だ!」

「婚約者という立場は、あくまで『契約』に基づく関係です。契約解除(婚約破棄)となれば、これまでの貢献に対する精算を行うのは当然の権利。いわば、これは『退職金』代わりとお考えください」

私は淡々と、しかし有無を言わせぬ圧力を込めて説明を続ける。

「さらに、殿下の杜撰な金銭感覚の尻拭いのために発生した、私の精神的苦痛に対する慰謝料。これでも、長年の幼馴染としての情けで二割ほど割り引いてありますのよ?」

殿下の顔色が、赤から青、そして白へと変わっていく。

周囲の貴族たちも、ざわつき始めた。

「おい、あの金額……国家予算並みじゃないか?」

「カロリーナ嬢が公務を代行していたというのは、本当だったのか?」

「そういえば、最近の政策決定の署名、殿下の筆跡にしては整いすぎていたような……」

不穏な空気を察したのか、側近の一人が慌てて声を上げる。

「き、貴様! 殿下に対して無礼であろう! 金の話など、浅ましい!」

「浅ましい? 正当な労働対価を求めることがですか? 無償の愛などで国は回りません。数字と実績こそが全てです」

私は眼鏡を押し上げ、きっぱりと言い放った。

「エドワード殿下。貴方様は私を解雇(婚約破棄)されました。私はそれを受理しました。これにて、私と王家の雇用関係(婚約)は終了です」

私はにっこりと、営業用の完璧な笑みを浮かべる。

「つきましては、こちらの書類にサインをお願いいたします。お支払いは一括で。分割のご相談には応じかねますので、あしからず」

「く、くそっ……! こんな、こんなはずでは……!」

エドワード殿下はわなわなと震えながら、私が差し出した高級万年筆を睨みつけた。

ミミ嬢は状況が理解できていないのか、「え? お金? 王子様なのにお金払うの?」と場違いなことを呟いている。

ああ、清々しい。

肩の荷が下りるとは、まさにこのことだ。

私はこれからの自由な生活に思いを馳せた。

領地に帰って、大好きな統計学の本を読みながら、のんびりと農業改革でもしよう。

誰の世話も焼かず、誰の尻拭いもせず。

自分の能力を、自分のためだけに使って生きるのだ。

「さあ、殿下。震えていないで、サインを。明日からの業務引き継ぎ資料は一切ございませんので、ご自身で頑張ってくださいませ」

「……お、覚えていろよ、カロリーナ!」

殿下は捨て台詞と共に、乱暴にサインをした。

私はそれを素早く回収し、インクが乾くのを確認してから、大切に懐にしまう。

「ありがとうございます。確かにお引き受けいたしました。――では、皆様。夜会のお楽しみ中、お騒がせいたしました。私はこれにて失礼いたします」

優雅にカーテシーを行い、私は踵を返す。

背後で殿下が何か喚いていた気がするが、もう私には関係ない。

大広間の扉を開けると、夜風が心地よく頬を撫でた。

「さて……まずは帰って、祝杯でもあげましょうか」

月明かりの下、私は誰にも見せない小さなガッツポーズをした。

これが、私、カロリーナ・バーンスタインの、新しい人生の幕開けである。

まさか翌日、血相を変えた騎士団長が実家に乗り込んでくることなど、この時の私はまだ知る由もなかった。
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