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「おい、待て! 待てと言っているだろう、カロリーナ!」
大広間を出て、夜風が吹き抜ける王城の馬車止め。
私が家の紋章が入った馬車に乗り込もうとしたその時、背後から騒がしい足音が近づいてきた。
振り返るまでもない。
元・婚約者のエドワード殿下と、その腰巾着……失礼、新・婚約者(予定)のミミ嬢だ。
殿下は肩で息をしながら、私の前に立ち塞がった。
「勝手に話を終わらせて帰るな! まだ僕の話は終わっていない!」
「先ほど、署名をいただきました。契約解除の手続きは完了しております。これ以上、何か業務上の連絡事項が?」
私が無表情で問い返すと、殿下はぐっと言葉に詰まる。
その横から、ミミ嬢がピンク色の頭をひょこっと出した。
「もう、往生際が悪いですぅ、カロリーナ様。本当は寂しいんでしょう?」
彼女は上目遣いで殿下の腕に絡みつきながら、勝ち誇ったように私を見上げる。
「強がって『お金』なんて言い出すから、ややこしくなるんです。素直に『殿下、捨てないで』って泣いて縋れば、殿下だってお優しいから、側室くらいにはしてくれたかもしれないのにぃ」
「そうとも! ミミの言う通りだ!」
殿下が我が意を得たりとばかりに頷く。
「あの法外な請求書も、結局は僕の気を引くための狂言だろう? 『こんな金額、払えるわけがない』と僕が君に相談を持ちかける……そうやって繋がりを持とうとする、浅ましい魂胆が見え見えだ!」
殿下は憐れむような目を私に向けた。
「素直になれ、カロリーナ。今なら、その可愛げのない眼鏡を外して土下座すれば、友人としてなら付き合ってやらんでもないぞ」
「……」
私は深い溜息を吐き出し、御者台で待機していた御者に視線で合図を送った。
そして、懐から愛用の携帯用計算機(魔導式)を取り出す。
「殿下。認識に重大な齟齬がございます」
「なんだと?」
「気を引く? 繋がりを持つ? とんでもない。私が求めているのは『債権の回収』。それ以上でも以下でもございません」
私は計算機を指先で弾き、パチパチと軽快な音を立てながら言った。
「先ほどの請求書、内訳をきちんとご覧になりましたか?」
「内訳だと? いちいち見るわけがないだろう。どうせ適当な数字を……」
「ご覧になっていない。やはり。経営者として失格ですね」
私は手元の控え書類を広げ、月明かりにかざした。
「では、口頭で補足説明させていただきます。まず、請求額の三割を占める『使途不明金補填』について」
「し、使途不明金……?」
「ええ。昨年五月、殿下が『視察』と称してミミ嬢と行かれた温泉旅行。あれは公務ではなく私的旅行と判断し、旅費全額を請求しております。公費で露天風呂付き客室を予約するのは横領にあたりますので」
「なっ……!?」
殿下の顔が引きつる。
「次に、昨年八月。殿下が癇癪を起こして破壊された執務室の壁および調度品の修理費。これも王家の修繕費ではなく、私のポケットマネーから出しております。『王太子の評判に傷がつくから』と、私が揉み消したのを忘れたとは言わせません」
「そ、それは……」
「さらに、現在ミミ嬢がお召しになっているそのドレス」
私はミミ嬢のひらひらとしたドレスを指差した。
「えっ? これ、殿下がプレゼントしてくれた私の勝負服ですけどぉ?」
「そのドレスの代金、まだ服飾店に支払われておりませんよね? 請求書が私の元に回ってきていたので、立て替えておきました。利子をつけて請求させていただきます」
「うそっ!? 殿下、これプレゼントじゃなかったんですかぁ?」
ミミ嬢が疑わしげな目を殿下に向ける。
殿下は脂汗をかきながら視線を泳がせた。
「ち、違う! 後で払うつもりだったんだ! ただ、ちょっと手持ちが……」
「王太子の『後で』は信用なりませんので。――さて、ここからが本題です」
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷ややかに告げる。
「慰謝料と解決金。これらは即刻お支払いいただきますが、現金のご用意は?」
「い、今すぐあるわけがないだろう! そんな大金!」
「でしょうね。想定の範囲内です」
私はパチンと指を鳴らした。
控えていた我が家の屈強な従僕たちが、殿下の背後にあった王家の紋章入り馬車を取り囲む。
「な、何をする!?」
「現金がないのであれば、現物支給で結構です。この馬車、最高級の木材と魔導エンジンを使用していますね。中古市場でもそれなりの値がつくでしょう」
「はあああ!? これは僕の専用馬車だぞ!?」
「債務不履行の担保として差し押さえさせていただきます。ああ、それから」
私は殿下の胸元に手を伸ばし、彼が身につけていたブローチをむしり取った。
「いっ!?」
「これも、先月私が海外から取り寄せた品でしたね。代金をいただいておりませんので、返品ということで」
「カロリーナ! 貴様、盗賊か!?」
「いいえ、債権者です」
私は奪い返したブローチをハンカチで丁寧に拭き、ポケットにしまった。
殿下が顔を真っ赤にして地団駄を踏む。
「お、覚えてろよ! こんなことをして、ただで済むと思っているのか! 父上(国王)に言いつけてやる!」
「どうぞご自由に。国王陛下には、既に先月の段階で『殿下の浪費癖と私の立替状況』についての詳細なレポートを提出済みです。『息子が迷惑をかけたら、好きにしていい』との言質もいただいております」
「父上ぇぇぇぇぇ!?」
殿下の絶叫が夜空に響く。
ミミ嬢は「馬車がないと足が痛くて帰れませんぅ~」と泣き言を言っているが、知ったことではない。
「それでは、残金は後日、指定の口座にお振込ください。振込手数料は殿下持ちでお願いいたします」
私は優雅に一礼し、自分の馬車に乗り込んだ。
「出せ」
短く命じると、御者が鞭を振るう。
馬車が動き出し、窓の外で呆然と立ち尽くす二人と、差し押さえられた王家の馬車が遠ざかっていく。
シートに深く身を沈め、私はほうっと息をついた。
「……ふう。多少強引でしたが、初動としては悪くありませんね」
手帳を開き、『婚約破棄対応および債権回収計画』の項目に『済』のチェックを入れる。
完璧だ。
予定通り、いや、予定以上にスムーズな滑り出しである。
「さて、次は……」
私は次のページをめくった。
『実家帰還および、これからの人生設計について』
公爵家に戻れば、父や母が心配して待ち構えているだろう。
「泣いて帰ってくる」と思われているかもしれないが、あいにく私の涙腺は、収支決算が赤字になった時以外には機能しない。
馬車の窓から見える月は、私の未来を祝福するように、どこまでも明るく輝いていた。
――はずだったのだが。
翌朝、私は自室のベッドの上で、とんでもない事態に直面することになる。
「……暇すぎる」
そう、長年ブラック労働に慣れきった私の体は、急に訪れた「完全な休日」というものに、適応できなかったのである。
大広間を出て、夜風が吹き抜ける王城の馬車止め。
私が家の紋章が入った馬車に乗り込もうとしたその時、背後から騒がしい足音が近づいてきた。
振り返るまでもない。
元・婚約者のエドワード殿下と、その腰巾着……失礼、新・婚約者(予定)のミミ嬢だ。
殿下は肩で息をしながら、私の前に立ち塞がった。
「勝手に話を終わらせて帰るな! まだ僕の話は終わっていない!」
「先ほど、署名をいただきました。契約解除の手続きは完了しております。これ以上、何か業務上の連絡事項が?」
私が無表情で問い返すと、殿下はぐっと言葉に詰まる。
その横から、ミミ嬢がピンク色の頭をひょこっと出した。
「もう、往生際が悪いですぅ、カロリーナ様。本当は寂しいんでしょう?」
彼女は上目遣いで殿下の腕に絡みつきながら、勝ち誇ったように私を見上げる。
「強がって『お金』なんて言い出すから、ややこしくなるんです。素直に『殿下、捨てないで』って泣いて縋れば、殿下だってお優しいから、側室くらいにはしてくれたかもしれないのにぃ」
「そうとも! ミミの言う通りだ!」
殿下が我が意を得たりとばかりに頷く。
「あの法外な請求書も、結局は僕の気を引くための狂言だろう? 『こんな金額、払えるわけがない』と僕が君に相談を持ちかける……そうやって繋がりを持とうとする、浅ましい魂胆が見え見えだ!」
殿下は憐れむような目を私に向けた。
「素直になれ、カロリーナ。今なら、その可愛げのない眼鏡を外して土下座すれば、友人としてなら付き合ってやらんでもないぞ」
「……」
私は深い溜息を吐き出し、御者台で待機していた御者に視線で合図を送った。
そして、懐から愛用の携帯用計算機(魔導式)を取り出す。
「殿下。認識に重大な齟齬がございます」
「なんだと?」
「気を引く? 繋がりを持つ? とんでもない。私が求めているのは『債権の回収』。それ以上でも以下でもございません」
私は計算機を指先で弾き、パチパチと軽快な音を立てながら言った。
「先ほどの請求書、内訳をきちんとご覧になりましたか?」
「内訳だと? いちいち見るわけがないだろう。どうせ適当な数字を……」
「ご覧になっていない。やはり。経営者として失格ですね」
私は手元の控え書類を広げ、月明かりにかざした。
「では、口頭で補足説明させていただきます。まず、請求額の三割を占める『使途不明金補填』について」
「し、使途不明金……?」
「ええ。昨年五月、殿下が『視察』と称してミミ嬢と行かれた温泉旅行。あれは公務ではなく私的旅行と判断し、旅費全額を請求しております。公費で露天風呂付き客室を予約するのは横領にあたりますので」
「なっ……!?」
殿下の顔が引きつる。
「次に、昨年八月。殿下が癇癪を起こして破壊された執務室の壁および調度品の修理費。これも王家の修繕費ではなく、私のポケットマネーから出しております。『王太子の評判に傷がつくから』と、私が揉み消したのを忘れたとは言わせません」
「そ、それは……」
「さらに、現在ミミ嬢がお召しになっているそのドレス」
私はミミ嬢のひらひらとしたドレスを指差した。
「えっ? これ、殿下がプレゼントしてくれた私の勝負服ですけどぉ?」
「そのドレスの代金、まだ服飾店に支払われておりませんよね? 請求書が私の元に回ってきていたので、立て替えておきました。利子をつけて請求させていただきます」
「うそっ!? 殿下、これプレゼントじゃなかったんですかぁ?」
ミミ嬢が疑わしげな目を殿下に向ける。
殿下は脂汗をかきながら視線を泳がせた。
「ち、違う! 後で払うつもりだったんだ! ただ、ちょっと手持ちが……」
「王太子の『後で』は信用なりませんので。――さて、ここからが本題です」
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷ややかに告げる。
「慰謝料と解決金。これらは即刻お支払いいただきますが、現金のご用意は?」
「い、今すぐあるわけがないだろう! そんな大金!」
「でしょうね。想定の範囲内です」
私はパチンと指を鳴らした。
控えていた我が家の屈強な従僕たちが、殿下の背後にあった王家の紋章入り馬車を取り囲む。
「な、何をする!?」
「現金がないのであれば、現物支給で結構です。この馬車、最高級の木材と魔導エンジンを使用していますね。中古市場でもそれなりの値がつくでしょう」
「はあああ!? これは僕の専用馬車だぞ!?」
「債務不履行の担保として差し押さえさせていただきます。ああ、それから」
私は殿下の胸元に手を伸ばし、彼が身につけていたブローチをむしり取った。
「いっ!?」
「これも、先月私が海外から取り寄せた品でしたね。代金をいただいておりませんので、返品ということで」
「カロリーナ! 貴様、盗賊か!?」
「いいえ、債権者です」
私は奪い返したブローチをハンカチで丁寧に拭き、ポケットにしまった。
殿下が顔を真っ赤にして地団駄を踏む。
「お、覚えてろよ! こんなことをして、ただで済むと思っているのか! 父上(国王)に言いつけてやる!」
「どうぞご自由に。国王陛下には、既に先月の段階で『殿下の浪費癖と私の立替状況』についての詳細なレポートを提出済みです。『息子が迷惑をかけたら、好きにしていい』との言質もいただいております」
「父上ぇぇぇぇぇ!?」
殿下の絶叫が夜空に響く。
ミミ嬢は「馬車がないと足が痛くて帰れませんぅ~」と泣き言を言っているが、知ったことではない。
「それでは、残金は後日、指定の口座にお振込ください。振込手数料は殿下持ちでお願いいたします」
私は優雅に一礼し、自分の馬車に乗り込んだ。
「出せ」
短く命じると、御者が鞭を振るう。
馬車が動き出し、窓の外で呆然と立ち尽くす二人と、差し押さえられた王家の馬車が遠ざかっていく。
シートに深く身を沈め、私はほうっと息をついた。
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完璧だ。
予定通り、いや、予定以上にスムーズな滑り出しである。
「さて、次は……」
私は次のページをめくった。
『実家帰還および、これからの人生設計について』
公爵家に戻れば、父や母が心配して待ち構えているだろう。
「泣いて帰ってくる」と思われているかもしれないが、あいにく私の涙腺は、収支決算が赤字になった時以外には機能しない。
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