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Chapter3
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酒を飲み干した濱田は、綾瀬を見つめる。
受けた綾瀬は、貼り付けた笑顔で応戦した。
何をしたいのか、わからない。
『お前みたいなやつが一番嫌いだ』と言ったのは、濱田のはず。
それならさっさと店を去ればいい。なのに、その後も酒を数杯頼み。挙げ句の果てには。
「ピアノ。弾いてくれよ、俺のために」
と。無理難題、といっても過言ではない要求をする。
ピアノを弾くことはできる。曲をリクエストしてもらえれば。しかし。
『俺のために』
綾瀬の想いを知ってこう告げるのは、もはや嫌味としか言いようがない。
真澄も「良いのよ、断って」と小声で告げている。それでも、綾瀬はリクエストに応えることにした。
選んだのは、元はクラシック曲。
通常なら、その人のために選び、思いを乗せて奏でるが、今回はすべて封じる。
あくまでスタンダードなナンバーを、マニュアル通りの弾き方で。
「……つまんねぇな」
戻ってきた綾瀬に、濱田は言い放つ。
「さっきはまだ聴けたのに。何だよっ、その平坦な弾き方はっ!」
ムスっとする彼に、綾瀬の心のどこかが音を立てるが、それは聞かなかったことにする。
「ご期待に添えることができず、申し訳ありません」
その一言を、淡々と紡ぐだけ。
それを受けて濱田は苛立ちを覚えたのか、舌打ちとともに立ち上がり、店を出ていく。
「なんかわかんないけど……、ゴメンっ! 綾瀬くんっ」
笹本達は、慌てふためきながらも綾瀬に謝罪し、濱田の後を追った。
彼らの後ろ姿が完全に見えなくなるまで、綾瀬は笑みを浮かべていたが。
「く……っ」
小さく、呻いたのと同時。
「ナオちゃんっ!」
その場に、崩れ落ちる。
疲労困憊。
その言葉が一番ふさわしい。
床に座り込んだ綾瀬は、肩で大きく呼吸を繰り返し、瞼はキツく閉じられたまま。
「ナオちゃんっ、大丈夫っ!? もう良いわ、今日はこれであがって」
「だい、じょ、ぶ……。ちょ、と。休め、ば」
心配し、そう提案する真澄を、綾瀬は瞳を開くこともできずに、制しようとしたが。
「それで『大丈夫』って、お前よく言えるな。ママ。もういいんだろ? 俺が連れて行く」
急に降ってきた声に、驚き。
その方を、ぼんやりと見つめる。
カウンター越し。
身を乗り出すように様子をうかがっているのは……、間宮。
(どうして……?)
いつもなら、店が終わった後か、『客』としても、人がほぼいない時間を見計らってやってくるのに。今は、これから店がにぎやかになる時間だ。そんなときにこの場にいたら。
「もちろんかまわないわ。今すぐにでも連れて行って休ませてあげて。事情は後で話す。……あなたにも、聞いて欲しいことだから」
綾瀬の心配をよそに、真澄はそう告げると。まだ立てずにいる綾瀬を抱き上げ、間宮に受け渡す。
「ちょ……っ、ママっ!」
「だって、ナオちゃん、歩くのはもちろん立つこともできないでしょ? だったらこれ以外ないじゃない。後は、任せるわ。……途中でナオちゃん落としたら、ただじゃおかないからねっ!」
「わかってるって。俺、そんなにヤワにできてねぇよ」
その言葉を最後に。
間宮は、綾瀬を抱き上げたまま店を出た。
「ケガしたくなかったら、抵抗するなよ」
そう、言われ。
恥ずかしさはかなりあったが。綾瀬はおとなしく、間宮の腕に収まることに。
……そうして、気づく。
先ほどまで、息苦しさと押さえつけられるような感覚に、呼吸さえままならなかったのが。
今度は別の意味で。呼吸を整えるのが、難しくなっていることに。
その理由を綾瀬は必死に考えたが、答えは全く浮かばなかった。
受けた綾瀬は、貼り付けた笑顔で応戦した。
何をしたいのか、わからない。
『お前みたいなやつが一番嫌いだ』と言ったのは、濱田のはず。
それならさっさと店を去ればいい。なのに、その後も酒を数杯頼み。挙げ句の果てには。
「ピアノ。弾いてくれよ、俺のために」
と。無理難題、といっても過言ではない要求をする。
ピアノを弾くことはできる。曲をリクエストしてもらえれば。しかし。
『俺のために』
綾瀬の想いを知ってこう告げるのは、もはや嫌味としか言いようがない。
真澄も「良いのよ、断って」と小声で告げている。それでも、綾瀬はリクエストに応えることにした。
選んだのは、元はクラシック曲。
通常なら、その人のために選び、思いを乗せて奏でるが、今回はすべて封じる。
あくまでスタンダードなナンバーを、マニュアル通りの弾き方で。
「……つまんねぇな」
戻ってきた綾瀬に、濱田は言い放つ。
「さっきはまだ聴けたのに。何だよっ、その平坦な弾き方はっ!」
ムスっとする彼に、綾瀬の心のどこかが音を立てるが、それは聞かなかったことにする。
「ご期待に添えることができず、申し訳ありません」
その一言を、淡々と紡ぐだけ。
それを受けて濱田は苛立ちを覚えたのか、舌打ちとともに立ち上がり、店を出ていく。
「なんかわかんないけど……、ゴメンっ! 綾瀬くんっ」
笹本達は、慌てふためきながらも綾瀬に謝罪し、濱田の後を追った。
彼らの後ろ姿が完全に見えなくなるまで、綾瀬は笑みを浮かべていたが。
「く……っ」
小さく、呻いたのと同時。
「ナオちゃんっ!」
その場に、崩れ落ちる。
疲労困憊。
その言葉が一番ふさわしい。
床に座り込んだ綾瀬は、肩で大きく呼吸を繰り返し、瞼はキツく閉じられたまま。
「ナオちゃんっ、大丈夫っ!? もう良いわ、今日はこれであがって」
「だい、じょ、ぶ……。ちょ、と。休め、ば」
心配し、そう提案する真澄を、綾瀬は瞳を開くこともできずに、制しようとしたが。
「それで『大丈夫』って、お前よく言えるな。ママ。もういいんだろ? 俺が連れて行く」
急に降ってきた声に、驚き。
その方を、ぼんやりと見つめる。
カウンター越し。
身を乗り出すように様子をうかがっているのは……、間宮。
(どうして……?)
いつもなら、店が終わった後か、『客』としても、人がほぼいない時間を見計らってやってくるのに。今は、これから店がにぎやかになる時間だ。そんなときにこの場にいたら。
「もちろんかまわないわ。今すぐにでも連れて行って休ませてあげて。事情は後で話す。……あなたにも、聞いて欲しいことだから」
綾瀬の心配をよそに、真澄はそう告げると。まだ立てずにいる綾瀬を抱き上げ、間宮に受け渡す。
「ちょ……っ、ママっ!」
「だって、ナオちゃん、歩くのはもちろん立つこともできないでしょ? だったらこれ以外ないじゃない。後は、任せるわ。……途中でナオちゃん落としたら、ただじゃおかないからねっ!」
「わかってるって。俺、そんなにヤワにできてねぇよ」
その言葉を最後に。
間宮は、綾瀬を抱き上げたまま店を出た。
「ケガしたくなかったら、抵抗するなよ」
そう、言われ。
恥ずかしさはかなりあったが。綾瀬はおとなしく、間宮の腕に収まることに。
……そうして、気づく。
先ほどまで、息苦しさと押さえつけられるような感覚に、呼吸さえままならなかったのが。
今度は別の意味で。呼吸を整えるのが、難しくなっていることに。
その理由を綾瀬は必死に考えたが、答えは全く浮かばなかった。
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