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新しい指輪
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その日は、本当に慌しかった。タキは検査の為に医師達が来たタイミングで、病院を一旦後にした。タキ自身もだけれど、ルークが昨日の朝以来何も食べていないのを思い出し、通勤時間を少し過ぎた電車に飛び乗って、亀戸のアパートに帰った。部屋に入ると、ルークが大きな声で鳴きながら、足に絡み付いて来た。
「ごめん!ごめんねルーク!すぐごはんあげるからね」
多めにフードを盛ると、ルークは夢中で食べ始めた。その背を撫でながら、今度は母親の件で世話になった弁護士に電話を掛けた。すぐ繋がったものの、今は案件を多数抱えており手一杯との事で、一度は落胆しかけた。しかし、同じ事務所の弁護士をなんとか紹介してくれる事になった。その弁護士に事態をかいつまんで話すと、緊急性を理解してくれ、ひとまずの対応を色々とアドバイスしてくれた。数日後に新宿で会える事になった。
(良かった)
そのままタキは、湊に病院を移った旨を伝える。コンビニでお金を下ろし、さゆの着替えや日用品を、安いスーパーやドラッグストアをはしごして買った。思い付いて、安物の色鉛筆と画用紙も手に取る。最後に市役所へも寄って、書類をいくつか貰ったり申請したりした。
そのままもう一度電車で引き返して、さゆの病院へ戻った。さゆ本人の了承が得られたので、数人の医師から病状説明を聞いた。一番治療が大変そうなのは、鼻の骨折だった。暴行によって出来た膣の裂傷や全身の擦過傷など、他にも外傷が多い。全治二~三ヶ月。不幸中の幸いだったのは、眼や脳、手の機能には大きな損傷がなく、今後画家としての活動が出来なくなる心配は、ほとんど無い事だった。
しかし、やはりさゆには、「解離性健忘」という記憶が欠落する症状が見られた。十二歳以降の自分に関する記憶がほぼ無いらしい。「ひとまず一ヶ月ほど入院して様子を見ましょう」と医師には言われた。薬と催眠療法で治療を試みるが、記憶が戻るかはもう、なんとも言えないという事だった。本人には暴行については今の所は伝えないという約束もしてくれた。
その後は、病院付きの医療ソーシャルワーカーを紹介され、入院費やいずれ退院した後の介護の相談を色々とする事が出来た。さゆが親とのトラブルを抱え、弁護士にも相談しようとしている事。自分が治療費を払いたいけれど、非正規でお金が無い事など、包み隠さず話すと、ワーカーは様々な提案をしてくれ、ひとまずの治療費は、なんとか分割で払えそうな目標が立った。弁護士費用と合わせて結構な金額になるので、数年掛かりだ。
(この病院、もしかしたら、俺達の様な人が多いのかもな)
擦れ違う入院患者も、比較的若い世代が多い気がする。
なんにせよ、本当に助かった。野分の知り合いという事で、大分気を遣われているような気がする。
「あ、タキさん・・・」
夕方、ぐったりしたタキがさゆの病室に戻ると、さゆは眼だけを動かしてタキを見た。まだぼんやりしている気がする。
「さゆ、ご飯食べた?」
「うん。看護師さんが食べさせてくれた。にんじんスープ」
「そっか。良かった」
「タキさんは、ご飯は?」
「そうか、俺はまだだったな」
そこで、1日半以上自分が水しか口にしていない事に、タキは気付いた。
「うーん、でも・・・今日はいいかな」
「ご飯、大事だよ。買って来て、ここで食べれば?」
「そう?」
さゆの言葉に、今、自分が体調を崩すわけには行かないと思い直して、タキは一階で見つけたコンビニでサラダを購入した。さゆが良く飲んでいたオレンジジュースも手に取る。病室に引き返すと、タキを迎えたさゆが、僅かに微笑んだ気がした。その小さな変化に、タキは胸を突かれる。
ベッドサイドに座り、ストローを差した紙パックをさゆの口元に運んで、時々ジュースを飲ませながら、タキはサラダを食べる。味があまりしない気がして、自分が緊張しているのを思い知る。さゆは、自分の事やタキの事をぽつぽつと尋ね、タキは話せる範囲で嘘の無い回答をした。自分が工場で契約社員をしている事、さゆは絵を良く描いていた事、ルークという猫を飼っている事・・・。もう自分とさゆの間では当たり前になっていた数々の事を、もう一度さゆに一つづつ話して聞かせるのは、不思議な気分だった。食事が終わって落ち着いた所で、
「さゆ、話があるんだ」
タキは、そう切り出した。
「?」
さゆは不思議そうな顔をしている。
タキは、そっとさゆの手を握った。ぼんやり首を傾げるさゆに、意を決して口を開いた。
「俺に、君の事を守らせて欲しい・・・・俺と、事実婚して欲しい」
「・・・うん?じじつこん、て?」
「結婚よりも、ゆるく、俺と家族になるって事、かな。さゆの為にこれから、色々手続きしたりしなくちゃいけないんだ。そのために、今は、事実婚をするのが一番良いと思う・・・もし、いつかさゆの記憶が戻って、やっぱり解消したいと思ったら、その時は解消しよう」
「・・・タキさんは、それで良いの?」
「うん。俺は今まで色々あって、さゆにも迷惑を掛けたから、大丈夫」
いずれまた、さゆに、自分がAVに出ていた事などを話さなければいけないなと、タキは暗澹たる気持ちになる。
「さゆ、事実婚しよう」
さゆは少しの間、戸惑ったように視線を揺らして黙った。
やがて。
まだ、状況を上手く飲み込めないような表情で、静かに、頷いた。
「ありがとう、さゆ」
タキはさゆの手を、そっと擦った。
「ごめんね、指輪も無くて。今度買ってくるから」
以前買って、机の奥深くにしまったままの指輪は、これを機にもう、捨ててしまおうと思う。
「俺、今のアパートをもうすぐ引っ越さなくちゃいけないんだ。どこか、海辺の静かな街に部屋を借りて、しばらく二人で穏やかに暮らそう」
「・・・・タキさん、どうして私にそこまでしてくれるの?」
不意にさゆにそう問いかけられて、タキは一瞬、面食らってから、心からの言葉を返した。
「愛してるからだよ、さゆのこと」
「ごめん!ごめんねルーク!すぐごはんあげるからね」
多めにフードを盛ると、ルークは夢中で食べ始めた。その背を撫でながら、今度は母親の件で世話になった弁護士に電話を掛けた。すぐ繋がったものの、今は案件を多数抱えており手一杯との事で、一度は落胆しかけた。しかし、同じ事務所の弁護士をなんとか紹介してくれる事になった。その弁護士に事態をかいつまんで話すと、緊急性を理解してくれ、ひとまずの対応を色々とアドバイスしてくれた。数日後に新宿で会える事になった。
(良かった)
そのままタキは、湊に病院を移った旨を伝える。コンビニでお金を下ろし、さゆの着替えや日用品を、安いスーパーやドラッグストアをはしごして買った。思い付いて、安物の色鉛筆と画用紙も手に取る。最後に市役所へも寄って、書類をいくつか貰ったり申請したりした。
そのままもう一度電車で引き返して、さゆの病院へ戻った。さゆ本人の了承が得られたので、数人の医師から病状説明を聞いた。一番治療が大変そうなのは、鼻の骨折だった。暴行によって出来た膣の裂傷や全身の擦過傷など、他にも外傷が多い。全治二~三ヶ月。不幸中の幸いだったのは、眼や脳、手の機能には大きな損傷がなく、今後画家としての活動が出来なくなる心配は、ほとんど無い事だった。
しかし、やはりさゆには、「解離性健忘」という記憶が欠落する症状が見られた。十二歳以降の自分に関する記憶がほぼ無いらしい。「ひとまず一ヶ月ほど入院して様子を見ましょう」と医師には言われた。薬と催眠療法で治療を試みるが、記憶が戻るかはもう、なんとも言えないという事だった。本人には暴行については今の所は伝えないという約束もしてくれた。
その後は、病院付きの医療ソーシャルワーカーを紹介され、入院費やいずれ退院した後の介護の相談を色々とする事が出来た。さゆが親とのトラブルを抱え、弁護士にも相談しようとしている事。自分が治療費を払いたいけれど、非正規でお金が無い事など、包み隠さず話すと、ワーカーは様々な提案をしてくれ、ひとまずの治療費は、なんとか分割で払えそうな目標が立った。弁護士費用と合わせて結構な金額になるので、数年掛かりだ。
(この病院、もしかしたら、俺達の様な人が多いのかもな)
擦れ違う入院患者も、比較的若い世代が多い気がする。
なんにせよ、本当に助かった。野分の知り合いという事で、大分気を遣われているような気がする。
「あ、タキさん・・・」
夕方、ぐったりしたタキがさゆの病室に戻ると、さゆは眼だけを動かしてタキを見た。まだぼんやりしている気がする。
「さゆ、ご飯食べた?」
「うん。看護師さんが食べさせてくれた。にんじんスープ」
「そっか。良かった」
「タキさんは、ご飯は?」
「そうか、俺はまだだったな」
そこで、1日半以上自分が水しか口にしていない事に、タキは気付いた。
「うーん、でも・・・今日はいいかな」
「ご飯、大事だよ。買って来て、ここで食べれば?」
「そう?」
さゆの言葉に、今、自分が体調を崩すわけには行かないと思い直して、タキは一階で見つけたコンビニでサラダを購入した。さゆが良く飲んでいたオレンジジュースも手に取る。病室に引き返すと、タキを迎えたさゆが、僅かに微笑んだ気がした。その小さな変化に、タキは胸を突かれる。
ベッドサイドに座り、ストローを差した紙パックをさゆの口元に運んで、時々ジュースを飲ませながら、タキはサラダを食べる。味があまりしない気がして、自分が緊張しているのを思い知る。さゆは、自分の事やタキの事をぽつぽつと尋ね、タキは話せる範囲で嘘の無い回答をした。自分が工場で契約社員をしている事、さゆは絵を良く描いていた事、ルークという猫を飼っている事・・・。もう自分とさゆの間では当たり前になっていた数々の事を、もう一度さゆに一つづつ話して聞かせるのは、不思議な気分だった。食事が終わって落ち着いた所で、
「さゆ、話があるんだ」
タキは、そう切り出した。
「?」
さゆは不思議そうな顔をしている。
タキは、そっとさゆの手を握った。ぼんやり首を傾げるさゆに、意を決して口を開いた。
「俺に、君の事を守らせて欲しい・・・・俺と、事実婚して欲しい」
「・・・うん?じじつこん、て?」
「結婚よりも、ゆるく、俺と家族になるって事、かな。さゆの為にこれから、色々手続きしたりしなくちゃいけないんだ。そのために、今は、事実婚をするのが一番良いと思う・・・もし、いつかさゆの記憶が戻って、やっぱり解消したいと思ったら、その時は解消しよう」
「・・・タキさんは、それで良いの?」
「うん。俺は今まで色々あって、さゆにも迷惑を掛けたから、大丈夫」
いずれまた、さゆに、自分がAVに出ていた事などを話さなければいけないなと、タキは暗澹たる気持ちになる。
「さゆ、事実婚しよう」
さゆは少しの間、戸惑ったように視線を揺らして黙った。
やがて。
まだ、状況を上手く飲み込めないような表情で、静かに、頷いた。
「ありがとう、さゆ」
タキはさゆの手を、そっと擦った。
「ごめんね、指輪も無くて。今度買ってくるから」
以前買って、机の奥深くにしまったままの指輪は、これを機にもう、捨ててしまおうと思う。
「俺、今のアパートをもうすぐ引っ越さなくちゃいけないんだ。どこか、海辺の静かな街に部屋を借りて、しばらく二人で穏やかに暮らそう」
「・・・・タキさん、どうして私にそこまでしてくれるの?」
不意にさゆにそう問いかけられて、タキは一瞬、面食らってから、心からの言葉を返した。
「愛してるからだよ、さゆのこと」
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