朝凪の海、雲居の空

朝霧沙雪

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永遠の朝焼け

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霧雨が眠る夜の街に降り注ぐ中、ワンボックスカーは無事に茨城の病院へ着いた。裏口に車をつけ、タキだけが降りて職員に事情を説明していた、ら。
「どうも、お世話になっております。野分泰成と申します。こちらの理事長さんと仲良うさせて貰ってまして、申し訳ないんですが、知り合いが急病で診察して頂けないかと思いまして」
 野分が下りて来て、横から声を掛けた。
「あ、少々お待ち下さい!」
 受付の中年の男性が、上擦った声でどこかに内線を掛ける。しばらくして、ストレッチャーの音が遠くから聞こえるのと同時に、年配のスーツ姿の男性が裏口に姿を見せた。
「理事長、夜遅くに無理言いまして、ほんまに申し訳ないです。大事な知り合いなもんで、面倒見ていただけたら助かります」
「いえいえ、野分さんにはいつも大変お力添えを頂いておりますので・・・」
 どうも、野分はこの病院に継続して多額の寄付をしているようだ。二人が話すのを聞きながら、タキは看護師らを車に案内して、さゆをストレッチャーに乗せて貰った。そのままさゆに付いて病院内を歩く。
(なんか、新しいな)
 先程までいた病院よりも、院内がピカピカで綺麗だった。エレベーターに乗り、通されたのは個室だった。ベッドに移されても未だ眠ったままのさゆに、看護師が点滴を替え、医師が診察しているのを、壁際に立ったまま見守る。
(さゆ、眠りが深いな)
 彼女の眠りはいつも浅くて、すぐに起きてしまうのに、今日はずっと眠ったままだ。
「昼過ぎ頃から詳しい検査を予定しておりますので、また後程ご説明致します」
 医師はタキにそう告げると、看護師と共に部屋を出て行った。
「こちらの都合で個室にして頂いたので、差額ベッド代は頂きません。また、そちらにつきましてもご説明致します」
 医師の後ろにいた職員も、タキに丁寧にそう言うと部屋を後にする。
 いきなり静かになった部屋の中で、タキはさゆの枕元に椅子を近づけ、ドサリと腰を下ろした。まだ、全てが、夢のようだ。
(ここで、ゆっくり傷を癒そう、さゆ)
 不安を抱えながらも、ドッと疲れが押し寄せて来た。野分がどうしたか気になって、スマフォを見ると、このまま帰るというLINEが来ていた。丁寧に返信を打って送ると、もうタキも限界で、そのままベッド脇に突っ伏してうつらうつらした。どれ位眠っただろう。鳥の声で眼を覚ますと、カーテンが開いたままだった窓の向こうに、閑静な住宅街と、良く晴れた、静かで重い色彩の朝焼けが見えた。
 その朝焼けの色を、タキはずっと、永遠に忘れる事のないような気がしていた。

 またしばらく座ったまま浅く眠ったタキは、眼を覚まして心臓が跳ね上がった。
(あ)
 さゆの、眼が開いている。部屋には朝の柔らかな光がたっぷりと降り注いでいる。
「あ、おはよう、さゆ。良く眠れた?」
 つとめて自然に声を掛ける。さゆは部屋をゆっくり見回した後、小さく頷いた。
「・・・・昨日の、ピンク色の髪のお姉さんは・・・?」
 少しさゆの呂律が怪しい。
「夜になったから一度帰ったよ。また、来ると思う。・・・・さゆ、ちょっと急だけど病院変わったんだ。びっくりしたよね」
 さゆはまたしばらくぼんやりしてから、小さく首を振った。
「・・・・ありがとう・・・・」
 礼を言われるとは思わなかったタキは、胸が熱くなるのを感じた。タキは精一杯微笑んで、頷いた。
「守ってくれたんでしょ?」
「・・・・・・・」
「昨日、病室に来たひと、なんだかすごく怒鳴ってて、嫌な感じがした。あの人たちから、守ってくたんでしょ?ありがとう」
 タキは何度も何度も頷いた。記憶が混濁していても、さゆはなんとなく状況を理解しているのだ。もっと意思疎通が困難かもと不安に思っていたタキは、少し安心した。
「あの・・・」
 さゆがその時、すまなそうに口を開いた。
「えっと・・・な、なまえは・・・」
「俺?俺はタキだよ」
「その、タキさんは私の・・・・?」
「――――付き合ってるんだよ、俺達。もう出会って二年になるかな?」
 その時、タキが嘘を吐いたのは、決してさゆの為ばかりでなく、タキ自身のエゴでもあった。さゆが動揺したように瞳を揺らした。
「あ、あ、あ・・・やっぱり、そう、なの・・・・」
 リアクションがやっぱりさゆだなと、タキは思う。
「無理に思い出さなくても良いよ。俺が傍にいても平気?」
「うん、大丈夫。あ、あの、ね・・・」
「?」
「私、どうしてこんなに酷い怪我したのかな?お腹すごく痛いんだけど、なんでなのかな?どうして顔も口の中もこんなに腫れてるの・・・?」
 段々さゆは涙声になり、呼吸が速くなる。
「さゆ、さゆ大丈夫、大丈夫だから、ね?」
 タキはさゆの手を取り、髪を撫でながら言い聞かせる。
「この病院でなら、きっと安全で、すぐ良くなるから。さゆね、俺との赤ちゃんが出来てたんだけど、階段から落ちてダメになっちゃったんだ。お腹が痛いのはそのせいだよ」
 咄嗟にタキはそう嘘を重ねる。さゆは暫く嗚咽していたけれど、やがて泣き止んだ。そこで、配膳係が朝食を持って来てくれた。食べ易いように、お粥や野菜がペースト状になっている。起き上がろうとするさゆに、タキは手を貸した。ゆっくりなんとか上体を起こしたさゆだけれど、今度は手や肘が痛くてスプーンが握れないようだった。
「食べさせてあげるよ」
 タキはさゆからスプーンを受け取ると、お粥をゆっくり掬った。さゆの口に運ぶと、ゆっくり食べる。タキは、その光景になんだかじんわりしていた。さゆは照れているようで、少し顔が赤い。さゆの口元にスプーンを運びながら、タキは、こんな日が来るなんて、と今までの二人の上に流れた時間や、出来事の数々を思い出していた。
 そして、ふと、気付いてしまった。さゆがもう、このまま記憶を喪ってしまったとしたら。二人で何度も古本のイベントに出た事も。新宿の展望台や色んな美術館を訪れた思い出も。東京駅で語り合った事も。鎌倉で初めてキスをした事も。世界が変容する前からの、あの日々の、幸せだった思い出の全てが、もう、自分一人の中にしか、無くなってしまったのだ。
 タキには、それが、とてつもなく、苦しかった。

 
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