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第三十三話 神の棲家
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期限が来た。私の時が刻まれ始める。
顔が日差しで照らされて、眩しくて目を覚ました。
…………ここは、どこ?
棺桶の中ではない。
ローデント侯爵邸の、私の部屋でもない。
アロイス様の私邸の客間でも、森の隠れ家でもなさそうだ。
天井も、壁も、床も、半透明の白いすりガラスのような素材で、光がよく通る。初めて見る建物。
絹で作られたような、柔らかく、すべすべの、大きなクッションの上に、私は寝かされていた。
「ようやく起きたか。小賢しい術をかけた者がいるな。おかげで随分と待たされた」
足元の方から、聞き覚えのある声が聞こえた途端、緊張感で全身が固まる。
これは……赤い髪の神様……そう、ゾンネ様だ。
「そんなに固くなる事はない。用があるのは、その小僧だけだ」
赤い獅子の痣がある手の、人差し指を立て、彼は、私のお腹を指差した。
小僧……ノエルのこと? そうか、ノエルは男の子だったのか。
私は無意識にお腹を庇うような手つきになる。
「エルデの居場所を教えろ」
ゾンネ様は、ドスの効いた声で、ノエルに凄んだ。
「それなら私が知ってます。隣国で会いました。
エストリールの首都、クレストの東の町外れにある、アパートメントの二階です。
建物の屋根は青で、入り口に小さな木の看板があって、『ウィルアパートメント』と刻まれています」
「そうか」
私が答えるなり、ゾンネ様は部屋を飛び出していく。その直後、半透明の壁の向こうを、赤い光が飛び去って行くのが見えた。そんなに奥さんに会いたかったのだろうか。エルデさんが言うには、ずっと彼女を放置していたらしいのに……
それより、ここから逃げることを考えなくては。
ゾンネ様は気まぐれな感じがする。今は無事でも、次に戻ってきた時に機嫌が悪かったら、何をされるか分からない。
私はクッションから下りて、部屋を出た。
この建物は、部屋も、廊下も、どこもかしこも、同じように白い半透明の天井、壁、床が続く。ときどき見かけるクッションや椅子らしき物も、一様に白い。気を付けなければ、すぐに迷いそうだ。
そろりそろり、音を立てずに進んでいると、一カ所だけ、あまり光を通さない部屋が見えた。
そっと近付き、中を覗き込むと、そこにあったのは、積み上げられた書物の山、山、山……
そのほとんどが埃をかぶっている。
山の片隅にある、黄色いハードカバーの分厚い本が、ふと目に入った。埃もなく、まだ持ち込まれて日が浅い様子だ。
表紙の文字はエストリール語だった。
これは……セプタ教団から持ち出された経典なのでは……?
私は急ぎ、パラパラとページをめくる。言い回しは古いけれど、何とか読めそうだ。
ふと、あるページに目が止まる。
【星の呪いについて】
地底の女神・マーモアの放つ『星の呪い』は、呪いの対象の生命力と精神力の大半を奪う。
そして呪いの対象の精神の軸に最も大きな傷を与える。
対象が最も愛し、必要とする存在から遮断される。
その姿を見る事はできず、声を聞くことは叶わず、触れようにも、手が素通りする。
存在そのものを感じ取ることができなくなる。
呪いの鍵を外さぬ限り、それは永遠に持続する。
星の呪い……
逆流星のことが頭に浮かぶ。
エルデさんは、この呪いを受けたと言っていた。
だから、夫であるゾンネ様と連絡が取れなくなっているんだろうか。
ダン……!
建物が揺れた。少し向こうに赤い光が見える。ゾンネ様が帰ってきてしまった。大股で、こちらへ歩いて来るのが見える。
慌てて本を閉じて、元あった場所に戻すと、部屋に大声が響いた。
「おい! どういうことだ! エルデはいなかったぞ! どこにもいなかった!」
空気がビリビリと震える。
「あの……『星の呪い』のせいではないのでしょうか?」
「呪い!? あやつが放った最初の星はエルデに命中したが、二度目の星を私は避けた。髪の先にかすりはしたが、呪いに触れた髪は、即座に切った。だからこうして、力も失っていない」
神は手近にあった書物を一冊手に取り、即、燃やしてみせた。
「かすったのですか」
「……そこの黄色い書物を見せろ」
経典を彼に渡すと、おそらくさっき私が見たページを読み返している。
「そんな馬鹿な……ほんの一束の髪の先でも、触れたら呪われるのか?
星が来るまでは、世界中のどこにエルデがいても、居場所を察知できたのだぞ?」
ゾンネ様は蒼白になった。本気で自分に呪いがかかっていないと信じていたのだろう。
経典を床に叩きつけると、その場に膝をつく。
……しばらく無言で髪をかきむしっていた彼が、床に両手をつき、言葉を発した。
「お前達はもう用無しだ、出て行け」
「あの、経典にもう少し何か書いてあるかもしれません」
「それも、もう要らぬ。呪いの解き方は書かれてなかった。欲しいならくれてやる」
私は無言で、経典を拾い上げると「失礼いたします」とだけ答えて、その場を離れた。さっきゾンネ様が帰ってきた場所を玄関だと推測して、そちらに向かう。
だが、玄関まで行って、私は絶望した。目の前にはちぎれかけた雲があり、青い空がある。下を見ると、遥か下に積み木のような建物が見える。ここは空中の城なのだ。
少し不安はあるけれど、ノエルに転移魔法を使ってもらうしか、地上に戻る方法はないだろう。
「ノ、ノエル、聞こえる?大丈夫?」
お腹からの返事はない。さっきゾンネ神に脅されて、萎縮してしまったのかもしれない。
「どうしたらいいの……アロイス様、私……」
心許なくて、つい、彼の名前を呼んでしまう。
すると、ごく近くから、声がした。
「御令嬢、そこはグリスローダ上空だ」
「えっ」
私の死装束の胸元から、蝶が一匹、飛び出してきた。その蝶から、彼の声が聞こえてくる。
「私の使いをあなたの服に紛れ込ませた。多分、ノエルを起こせるだろう」
蝶は輪を描くように私のお腹の周りを舞うように飛ぶと、私のお腹の真ん中にとまった。
しばらくすると、蝶が光の粒となって消え、ノエルの目覚めを感じる。
一息吸って、お腹に話しかけた。
「おはよう、ノエル。寝起きに申し訳ないけれど、森の隠れ家に連れて行ってくれる?」
空の色が濃く、薄く、変化すると、空間が開いて、私を飲み込んでいく。
降り立った先は森に囲まれた、新しい私達の家。
玄関からパールが飛び出してきて、後からアロイス様がゆっくり歩いて来る。
「よかった……帰って来れた……」
目の前の光景に、心の底から安心感が湧き上がった。
これでようやく、私とノエルの新しい生活が始まるのだ。
顔が日差しで照らされて、眩しくて目を覚ました。
…………ここは、どこ?
棺桶の中ではない。
ローデント侯爵邸の、私の部屋でもない。
アロイス様の私邸の客間でも、森の隠れ家でもなさそうだ。
天井も、壁も、床も、半透明の白いすりガラスのような素材で、光がよく通る。初めて見る建物。
絹で作られたような、柔らかく、すべすべの、大きなクッションの上に、私は寝かされていた。
「ようやく起きたか。小賢しい術をかけた者がいるな。おかげで随分と待たされた」
足元の方から、聞き覚えのある声が聞こえた途端、緊張感で全身が固まる。
これは……赤い髪の神様……そう、ゾンネ様だ。
「そんなに固くなる事はない。用があるのは、その小僧だけだ」
赤い獅子の痣がある手の、人差し指を立て、彼は、私のお腹を指差した。
小僧……ノエルのこと? そうか、ノエルは男の子だったのか。
私は無意識にお腹を庇うような手つきになる。
「エルデの居場所を教えろ」
ゾンネ様は、ドスの効いた声で、ノエルに凄んだ。
「それなら私が知ってます。隣国で会いました。
エストリールの首都、クレストの東の町外れにある、アパートメントの二階です。
建物の屋根は青で、入り口に小さな木の看板があって、『ウィルアパートメント』と刻まれています」
「そうか」
私が答えるなり、ゾンネ様は部屋を飛び出していく。その直後、半透明の壁の向こうを、赤い光が飛び去って行くのが見えた。そんなに奥さんに会いたかったのだろうか。エルデさんが言うには、ずっと彼女を放置していたらしいのに……
それより、ここから逃げることを考えなくては。
ゾンネ様は気まぐれな感じがする。今は無事でも、次に戻ってきた時に機嫌が悪かったら、何をされるか分からない。
私はクッションから下りて、部屋を出た。
この建物は、部屋も、廊下も、どこもかしこも、同じように白い半透明の天井、壁、床が続く。ときどき見かけるクッションや椅子らしき物も、一様に白い。気を付けなければ、すぐに迷いそうだ。
そろりそろり、音を立てずに進んでいると、一カ所だけ、あまり光を通さない部屋が見えた。
そっと近付き、中を覗き込むと、そこにあったのは、積み上げられた書物の山、山、山……
そのほとんどが埃をかぶっている。
山の片隅にある、黄色いハードカバーの分厚い本が、ふと目に入った。埃もなく、まだ持ち込まれて日が浅い様子だ。
表紙の文字はエストリール語だった。
これは……セプタ教団から持ち出された経典なのでは……?
私は急ぎ、パラパラとページをめくる。言い回しは古いけれど、何とか読めそうだ。
ふと、あるページに目が止まる。
【星の呪いについて】
地底の女神・マーモアの放つ『星の呪い』は、呪いの対象の生命力と精神力の大半を奪う。
そして呪いの対象の精神の軸に最も大きな傷を与える。
対象が最も愛し、必要とする存在から遮断される。
その姿を見る事はできず、声を聞くことは叶わず、触れようにも、手が素通りする。
存在そのものを感じ取ることができなくなる。
呪いの鍵を外さぬ限り、それは永遠に持続する。
星の呪い……
逆流星のことが頭に浮かぶ。
エルデさんは、この呪いを受けたと言っていた。
だから、夫であるゾンネ様と連絡が取れなくなっているんだろうか。
ダン……!
建物が揺れた。少し向こうに赤い光が見える。ゾンネ様が帰ってきてしまった。大股で、こちらへ歩いて来るのが見える。
慌てて本を閉じて、元あった場所に戻すと、部屋に大声が響いた。
「おい! どういうことだ! エルデはいなかったぞ! どこにもいなかった!」
空気がビリビリと震える。
「あの……『星の呪い』のせいではないのでしょうか?」
「呪い!? あやつが放った最初の星はエルデに命中したが、二度目の星を私は避けた。髪の先にかすりはしたが、呪いに触れた髪は、即座に切った。だからこうして、力も失っていない」
神は手近にあった書物を一冊手に取り、即、燃やしてみせた。
「かすったのですか」
「……そこの黄色い書物を見せろ」
経典を彼に渡すと、おそらくさっき私が見たページを読み返している。
「そんな馬鹿な……ほんの一束の髪の先でも、触れたら呪われるのか?
星が来るまでは、世界中のどこにエルデがいても、居場所を察知できたのだぞ?」
ゾンネ様は蒼白になった。本気で自分に呪いがかかっていないと信じていたのだろう。
経典を床に叩きつけると、その場に膝をつく。
……しばらく無言で髪をかきむしっていた彼が、床に両手をつき、言葉を発した。
「お前達はもう用無しだ、出て行け」
「あの、経典にもう少し何か書いてあるかもしれません」
「それも、もう要らぬ。呪いの解き方は書かれてなかった。欲しいならくれてやる」
私は無言で、経典を拾い上げると「失礼いたします」とだけ答えて、その場を離れた。さっきゾンネ様が帰ってきた場所を玄関だと推測して、そちらに向かう。
だが、玄関まで行って、私は絶望した。目の前にはちぎれかけた雲があり、青い空がある。下を見ると、遥か下に積み木のような建物が見える。ここは空中の城なのだ。
少し不安はあるけれど、ノエルに転移魔法を使ってもらうしか、地上に戻る方法はないだろう。
「ノ、ノエル、聞こえる?大丈夫?」
お腹からの返事はない。さっきゾンネ神に脅されて、萎縮してしまったのかもしれない。
「どうしたらいいの……アロイス様、私……」
心許なくて、つい、彼の名前を呼んでしまう。
すると、ごく近くから、声がした。
「御令嬢、そこはグリスローダ上空だ」
「えっ」
私の死装束の胸元から、蝶が一匹、飛び出してきた。その蝶から、彼の声が聞こえてくる。
「私の使いをあなたの服に紛れ込ませた。多分、ノエルを起こせるだろう」
蝶は輪を描くように私のお腹の周りを舞うように飛ぶと、私のお腹の真ん中にとまった。
しばらくすると、蝶が光の粒となって消え、ノエルの目覚めを感じる。
一息吸って、お腹に話しかけた。
「おはよう、ノエル。寝起きに申し訳ないけれど、森の隠れ家に連れて行ってくれる?」
空の色が濃く、薄く、変化すると、空間が開いて、私を飲み込んでいく。
降り立った先は森に囲まれた、新しい私達の家。
玄関からパールが飛び出してきて、後からアロイス様がゆっくり歩いて来る。
「よかった……帰って来れた……」
目の前の光景に、心の底から安心感が湧き上がった。
これでようやく、私とノエルの新しい生活が始まるのだ。
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