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寄木細工の呪い箱編
14.根源
生まれた子供は夫の両親に取り上げられ、乳をやる僅かな間だけが我が子と会える時間だった。
子が乳離れすると、夫がまた寝室にやってきて行為を強いられる。
これらを繰り返しながら、貴子は12年かけて5人の子供を産む事となった。
唯一の救いは夫の両親が高齢になるにつれ、子供の面倒は辛いと、貴子の手に子供たちが返ってきたことだったが、祖父母に甘やかされて育てられた子供たちは、貴子を母親と認めず、女中のような扱いだった。
夫の両親や弟妹達がするように命令口調で話し、気に入らない事があると度々貴子に暴力を振るった。貴子の心は次第に擦り切れ、長男のいたずらで蠟が塗られた階段から転がり落ちた時、僅かに残っていた子供達への愛情も消え失せてしまった。
結婚から15年間、この地獄のような環境を絶えることができたのは、實への想いだけだった。
實は大学を卒業して、貴子を迎えるために一生懸命働いているに違いない。きっと今頃行方の分からなくなった貴子を探しているに違いない。
毎日言い聞かせては、貴子は實が迎えに来るまでの辛抱だとボロ雑巾のようになりながら働いていた。
やがて夫の父が倒れると、介護が貴子の仕事となった。
寝たきりとなった夫の父はやがて痴呆を発症し、貴子は昼も夜も休まる事なく、介護に追われていた。
奇しくも時代は太平洋戦争が開戦された頃だった。連日勝利のニュースが新聞やラジオを賑わしていた。
そんな折、目にした新聞に見覚えのある懐かしい顔を見つけた。實だった。
若くして政治家に転身した實は、若い頃の精悍な面持ちを保ったまま、立派な青年になっていた。
貴子は新聞記事を食い入るように一文字ひと文字読み拾い、絶望した。
實は大学を卒業するとすぐに華族の娘と結婚して、婿入りを果たしていたのだ。
最後の希望が失われ、貴子の心は完全に壊れた。
廃人のように目は虚ろとなり、誰とも目を合わせず言葉を発さず過ごすようになった。初めは貴子に苛立った家族や子供たちが貴子を叱りつけ、暴力を振るったが、貴子は何の反応も示さず、ただされるがままになっていた。
夜は自室で寄木細工の箱を大事に抱えてはずっと何かを呟いていた。
貴子が初めに産んだ娘は、唯一貴子を案じていた。
ある晩、貴子の様子を見に行くと、貴子は寄木細工の箱に向かって嬉しそうに話しかけていた。
電球すら使わせて貰えず、蠟燭の灯りだけの薄暗い部屋で、貴子は箱に向かってずっと家人を呪う言葉を吐きかけていた。
「お父さんは寝ながら腐ればいい。お母さんは裏の井戸で溺れればいい。あの人は足を引きちぎられてしまえばいい。正太郎は酷い子だから蛇に噛まれてしまえばいい。みち子は意地悪だから――」
薄暗い部屋の中で蠟燭の灯りに照らされて自分以外の家族の名前を出し、何度も何度も呪文のように繰り返される恐怖に、娘は耐えきれずにその場を急いで離れた。
祖父が亡くなったのはそれから二か月後の事だった。廃人のようになっても、壊れた機械のように貴子は介護をしていたので、誰も気が付かなかったが、祖父の背中には褥瘡が広がり、皮膚の殆どは壊死していた。
単なる偶然だと娘は、あの夜の事を思い出さないようにした。
やがて、戦争はアメリカの参戦により形勢が大きく変わり、日本は次第に追い詰められる。
やがて貴子の住む街にも焼夷弾が落とされる事となった。
命からがら逃げ延びた娘は、空襲が過ぎた後防空壕から出ると、すぐに母を探した。
防空壕に避難する時に手を引いて走ったのに、人に押されて手を離してしまった。
母を探そうと戻ろうとしたが、娘を案じた従業員が娘を抱えて防空壕に連れ込んだせいで、母がどうなったのかわからなかった。
近くの防空壕を周り、散々探したが見つからず、諦めて自宅に戻ると、娘の目に飛び込んできたのは父と祖母の悲惨な亡骸だった。
逃げ遅れた父は家屋の下敷きで、下半身が吹き飛ばされても生きていたのか、悶絶した表情で目を見開いて絶命していた。
姿が見えない祖母は、翌日井戸で見つかった。焼夷弾で体を焼かれ、死にもの狂いで井戸に飛び込んだのだろう。
着ていた着物は燃え落ち、体の半分は黒く焼け焦げていた。
自宅は半壊し、母の部屋があった場所は瓦礫の山と化していたが、母が大事にしていた寄木細工の箱は、倒壊を免れた壁に守られたように、瓦礫にも埋もれず無傷でそこにあった。
娘はそれを大事に取り上げると、あの日の母の言葉を思い出した。
「正太郎は酷い子だから蛇に噛まれてしまえばいい。みち子は意地悪だから全身の骨を折って体が動かなくなればいい。高次郎はすぐに癇癪を起すから喉を切られて声が出なくなればいい。さちは我儘だから指を切られればいい」
娘は半狂乱で弟達を探すと、次女のみち子が、真っ暗な防空壕の中で大人たちに踏みつけにされたのだろう、全身の骨を折って虫の息で発見された。
発見から五日後、みち子は満足な治療も受けられないまま9歳の短い生涯を終えた。
結局母は見つからなかった。
娘はなぜか寄木細工の箱を手放してはいけないと思い、毎年母の手を離した日を母の命日と決め、供養する事にした。
亨は目を開けると、起き上がって頭の横にあった洗面器に口の中の水を吐き出した。
口に含んでいただけだったのに、水は真っ赤な血の色に変色していた。
「これは――かなりキテんな」
亨が吐き出した水を見て、御門が楽しそうに笑った。
子が乳離れすると、夫がまた寝室にやってきて行為を強いられる。
これらを繰り返しながら、貴子は12年かけて5人の子供を産む事となった。
唯一の救いは夫の両親が高齢になるにつれ、子供の面倒は辛いと、貴子の手に子供たちが返ってきたことだったが、祖父母に甘やかされて育てられた子供たちは、貴子を母親と認めず、女中のような扱いだった。
夫の両親や弟妹達がするように命令口調で話し、気に入らない事があると度々貴子に暴力を振るった。貴子の心は次第に擦り切れ、長男のいたずらで蠟が塗られた階段から転がり落ちた時、僅かに残っていた子供達への愛情も消え失せてしまった。
結婚から15年間、この地獄のような環境を絶えることができたのは、實への想いだけだった。
實は大学を卒業して、貴子を迎えるために一生懸命働いているに違いない。きっと今頃行方の分からなくなった貴子を探しているに違いない。
毎日言い聞かせては、貴子は實が迎えに来るまでの辛抱だとボロ雑巾のようになりながら働いていた。
やがて夫の父が倒れると、介護が貴子の仕事となった。
寝たきりとなった夫の父はやがて痴呆を発症し、貴子は昼も夜も休まる事なく、介護に追われていた。
奇しくも時代は太平洋戦争が開戦された頃だった。連日勝利のニュースが新聞やラジオを賑わしていた。
そんな折、目にした新聞に見覚えのある懐かしい顔を見つけた。實だった。
若くして政治家に転身した實は、若い頃の精悍な面持ちを保ったまま、立派な青年になっていた。
貴子は新聞記事を食い入るように一文字ひと文字読み拾い、絶望した。
實は大学を卒業するとすぐに華族の娘と結婚して、婿入りを果たしていたのだ。
最後の希望が失われ、貴子の心は完全に壊れた。
廃人のように目は虚ろとなり、誰とも目を合わせず言葉を発さず過ごすようになった。初めは貴子に苛立った家族や子供たちが貴子を叱りつけ、暴力を振るったが、貴子は何の反応も示さず、ただされるがままになっていた。
夜は自室で寄木細工の箱を大事に抱えてはずっと何かを呟いていた。
貴子が初めに産んだ娘は、唯一貴子を案じていた。
ある晩、貴子の様子を見に行くと、貴子は寄木細工の箱に向かって嬉しそうに話しかけていた。
電球すら使わせて貰えず、蠟燭の灯りだけの薄暗い部屋で、貴子は箱に向かってずっと家人を呪う言葉を吐きかけていた。
「お父さんは寝ながら腐ればいい。お母さんは裏の井戸で溺れればいい。あの人は足を引きちぎられてしまえばいい。正太郎は酷い子だから蛇に噛まれてしまえばいい。みち子は意地悪だから――」
薄暗い部屋の中で蠟燭の灯りに照らされて自分以外の家族の名前を出し、何度も何度も呪文のように繰り返される恐怖に、娘は耐えきれずにその場を急いで離れた。
祖父が亡くなったのはそれから二か月後の事だった。廃人のようになっても、壊れた機械のように貴子は介護をしていたので、誰も気が付かなかったが、祖父の背中には褥瘡が広がり、皮膚の殆どは壊死していた。
単なる偶然だと娘は、あの夜の事を思い出さないようにした。
やがて、戦争はアメリカの参戦により形勢が大きく変わり、日本は次第に追い詰められる。
やがて貴子の住む街にも焼夷弾が落とされる事となった。
命からがら逃げ延びた娘は、空襲が過ぎた後防空壕から出ると、すぐに母を探した。
防空壕に避難する時に手を引いて走ったのに、人に押されて手を離してしまった。
母を探そうと戻ろうとしたが、娘を案じた従業員が娘を抱えて防空壕に連れ込んだせいで、母がどうなったのかわからなかった。
近くの防空壕を周り、散々探したが見つからず、諦めて自宅に戻ると、娘の目に飛び込んできたのは父と祖母の悲惨な亡骸だった。
逃げ遅れた父は家屋の下敷きで、下半身が吹き飛ばされても生きていたのか、悶絶した表情で目を見開いて絶命していた。
姿が見えない祖母は、翌日井戸で見つかった。焼夷弾で体を焼かれ、死にもの狂いで井戸に飛び込んだのだろう。
着ていた着物は燃え落ち、体の半分は黒く焼け焦げていた。
自宅は半壊し、母の部屋があった場所は瓦礫の山と化していたが、母が大事にしていた寄木細工の箱は、倒壊を免れた壁に守られたように、瓦礫にも埋もれず無傷でそこにあった。
娘はそれを大事に取り上げると、あの日の母の言葉を思い出した。
「正太郎は酷い子だから蛇に噛まれてしまえばいい。みち子は意地悪だから全身の骨を折って体が動かなくなればいい。高次郎はすぐに癇癪を起すから喉を切られて声が出なくなればいい。さちは我儘だから指を切られればいい」
娘は半狂乱で弟達を探すと、次女のみち子が、真っ暗な防空壕の中で大人たちに踏みつけにされたのだろう、全身の骨を折って虫の息で発見された。
発見から五日後、みち子は満足な治療も受けられないまま9歳の短い生涯を終えた。
結局母は見つからなかった。
娘はなぜか寄木細工の箱を手放してはいけないと思い、毎年母の手を離した日を母の命日と決め、供養する事にした。
亨は目を開けると、起き上がって頭の横にあった洗面器に口の中の水を吐き出した。
口に含んでいただけだったのに、水は真っ赤な血の色に変色していた。
「これは――かなりキテんな」
亨が吐き出した水を見て、御門が楽しそうに笑った。
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