辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた

文字の大きさ
18 / 50

18.事故

 水路の補修工事は順調だった。このままで行けば雪が降る前に終われそうだ。
 トールスはひと月前まで、崩れて土砂で埋もれていた水路を見て満足気に頷いた。
 イングリッド伯爵から派遣された年を取った水路技師は、ノームと言われても納得するほど小さくて偏屈だったが、トールスを気に入ったのか丁寧に技術を教えてくれた。
 細かな計算は弟のルイスが担当してくれるお陰で、トールスは工事の監督に集中することができる。
「トールスさん、追加の石材が到着しました」
「わかった」
 この石材を敷き詰めれば完成だ。
 トールスは、報告を受けるレオンが嬉しそうにマルグリットの肩を抱き寄せる姿を想像すると、疲れなど吹き飛ぶ気がした。
 荷車に山積みで運ばれた石材を確認し、作業を進めるよう指示を出すと、人夫達は我先にと石材を手に水路を埋めていく。
 週に銀貨3枚と食事――奥様が提示した条件は、人夫達のやる気を引き出すには十分過ぎる額だ。
 通常の貴族であれば、労働階級への支払いなどその日食えればいい程度と考える者も少なくない。
 トールスもそう考えていたから、賃金が高すぎると苦言を申し出た。
 しかし、奥様は違った。
「この領地の現状や財政を考えると、もっと少なくてもいいかもしれないわ。でも、この仕事も恒久的なものではないでしょう?田畑が生き返って彼らが自発的な収入を得るまでの間、準備ができるだけの資金を稼げるようにしてあげないと」
 トールスは、それがつい2ヶ月前まで王都で令嬢として生活してきた者の発言とは思えなかった。
 いや、令嬢でなくともそのようなことを言う貴族には出会ったことがなかった。
 初めは食い扶持を得たと喜んだが、マルグリットのその言葉を聞いて、トールスはヴァルデン辺境伯夫妻の下で働けることを誇りに思えるようになったのだ。

「トールスさん、すみません。こっちを見てもらえますか」
 人夫に呼ばれて、トールスは声の方に向かった。
「この石がはまらんのです。他の石は小さすぎるか大き過ぎるんですが、どうしましょう?」
 水路の底に敷き詰めた石が一箇所だけ空いている。
 トールスは笑って腰の道具入れから木槌をだした。
「こういうのはな、こうやって叩けば――」
 言いながら石に角度をつけて木槌で打ち付けると、石は吸い込まれるようにその場所に嵌っていく。
 人夫の感嘆の声に気持ち良くしたトールスは、最後まで石を打ち付けた。
 だが、その時。
 小さな地響きがしたと思ったら、トールスの足元の地面が抜けて足が落ち込むと、鈍い音と共に激痛が走った。
 それだけでは済まなかった。そのはずみで、絶妙な釣り合いで支え合っていた石たちが拠り所を失い、トールスの上に降り注いだのだった。

「それで、トールスの容態は?」
 報告に来たルイスに、レオンは尋ねた。
 冷静さを保とうとしているが、顔色は青い。
 マルグリットも不安げな顔で見ている。
「壁面につかってた石はこぶし大の大きさだったんで、大丈夫です。ただ、穴に足を取られたときに足の骨を負っちまったんです」
「すぐに医師の手配を――」
 マルグリットが言うと、「既に手配してます」と、オスカーが言ったが、マルグリットは小さく震えていた。
「骨折の状況は?」
 レオンはマルグリットの肩を抱来ながらルイスに尋ねた。
「幸い、骨は突き出てないようです。医者に診てもらってるところですが」
 ルイスの答えに、マルグリットは深く息を吐いた。
「なら、足を失わずに済んだのね」
「はい」
 ルイスが言うと、マルグリットは「よかった」と何度も呟いてレオンの胸に顔を埋めた。

「原因はアナグマの巣穴だった」
 ルイスを送りがてら、トールスの様子を見てきたレオンは、屋敷に戻るなりマルグリットに伝えた。
 マルグリットは、すっかり意気消沈してロニに付き添われていた。
「君のせいじゃない。遅かれ早かれあの水路は修復する予定だった。あの事故は起きるべくして起きたんだ」
「でも、一歩間違えればトールスは足を……いいえ。足だけじゃなく命を失っていたのですよ。わたくしがもっとちゃんと調査をさせていれば――」
 マルグリットの目に涙が浮かんでいる。
 戦場では四肢を失うことなど珍しくはない。だが、マルグリットは平和な王都にいたのだ。
 近しい人間が足を失うことになるかもしれなかった事実が、よほど恐ろしかったのだろう。
 だが、そばにいようと提案したレオンに「今は事故の原因究明が先です」と現場に向かわせたのは、他でもないマルグリットだった。
「戦争で増えたのは狐と狼だけではなかったのですね」
 マルグリットの背中をさすりながらロニが言うと、レオンは苦々しい表情で頷いた。
 自分がもっと早く戦争を終わらせていれば。
 レオンは自分の不甲斐なさを改めて悔いた。
感想 11

あなたにおすすめの小説

皇太子殿下は、幼なじみの頬しか触らない

由香
恋愛
後宮には、美しい妃が大勢いる。 けれど皇太子・曜は、誰にも触れないことで有名だった。 ――ただ一人を除いて。 幼なじみの侍女・翠玉。 彼女の頬だけは、毎日のようにつつき、摘まみ、抱き寄せる。 「殿下、見られてます!」 「構わない」 後宮中が噂する。 『皇太子は侍女に溺れている』 けれど翠玉はまだ知らない。 それが幼なじみの距離ではなく、皇太子の独占欲だということを。

恋は、母をやめてから始まる――正体を隠したまま、仮の婚約者になりました

あい
恋愛
両親を失ったあの日、 赤子の弟を抱いて家を出た少女がいた。 それが、アリア。 世間からは「若い母」と呼ばれながらも、 彼女は否定しなかった。 十六年間、弟を守るためだけに生きてきたから。 恋も未来も、すべて後回し。 けれど弟は成長し、ついに巣立つ。 「今度は、自分の人生を生きて」 その一言が、 止まっていた時間を動かした。 役目を終えた夜。 アリアは初めて、自分のために扉を開く。 向かった先は、婚姻仲介所。 愛を求めたわけではない。 ただ、このまま立ち止まりたくなかった。 ――けれどその名前は、 結婚を急かされていた若き当主のもとへと届く。 これは、 十六年“母”だった女性が、 もう一度“ひとりの女”として歩き出す物語。

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝🌹グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 そう名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  ✴️設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 ✴️稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

〖完結〗終着駅のパッセージ 

苺 迷音
恋愛
過去、使用人に悪戯をされそうになった事がきっかけとなり、分厚い眼鏡とひっつめた髪を編み帽で覆い、自身の容姿を隠すようになった女性・カレン。 その事情を知りながらも夫ローランは、奇妙で地味な姿の妻を厭い目を逸らし続けた。 婚姻してからわずか三日後の朝。彼は赴任先の北の地へと旅立ちその後、カレンの元へと帰省してきたのは、片手で数えるほどだった。 孤独な結婚生活を送る中。 ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。 始まりは、部下の家族を想う上司としての気遣いだった。 他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。 そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。 だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。 それから一年ほどたった冬の夜。 カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。 そこには彼の想いが書かれてあった。 月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。 カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。 ※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。 ※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。 稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

酔っぱらい令嬢の英雄譚 ~チョコレートを食べていたら、いつの間にか第三王子を救っていたようです!~

ゆずこしょう
恋愛
婚約者と共に参加するはずだった、 夜会当日── 婚約者は「馬車の予約ができなかった」という理由で、 迎えに来ることはなかった。 そして王宮で彼女が目にしたのは、 婚約者と、見知らぬ女性が寄り添う姿。 領地存続のために婿が必要だったエヴァンジェリンは、 感情に流されることもなく、 淡々と婚約破棄の算段を立て始める。 目の前にあった美味しいチョコレートをつまみながら、 頭の中で、今後の算段を考えていると 別の修羅場が始まって──!? その夜、ほんの少しお酒を口にしたことで、 エヴァンジェリンの評価と人生は、 思いもよらぬ方向へ転がり始める── 2月11日 第一章完結 2月15日 第二章スタート予定