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43.漸次
夏蚕の糸が引ける頃に、バナンが完成させたのは足踏み式の糸車だった。
「これなら両手が使える上に、しょっちゅう止めて撚りが不揃いになることはありません」
バナンの説明通り、糸車に生糸を取り付けて踏み板を踏むと、驚くほどの速さで糸車が回り、生糸が撚りあげられていく。
「踏む力を調節したら、速さも調節できる」
バナンの言う通りだった。
「わたくしの思いつきで、ここまでのものを作ってくれるなんて……お礼を言わせていただくわ。ありがとう、バナン」
マルグリットが柔らかい微笑みを見せると、バナンは気恥ずかしくて俯いてしまった。
「俺だけの力じゃありませんぜ。――そこのトールスも手伝ってくれたんでさぁ」
「そうなのね。あなたにも感謝を」
微笑みを向けられたトールスは、このことがご主人様に知られると、バナン共々殺されてしまうのではないかと不安になった。
絹は素晴らしい素材だった。
「繭糸はほとんど捨てる部分がないんですよ。この蚕巣についた繭糸のクズでさえ集めて紡いだら糸になるんです。絹紡糸と呼びます」
そう言って差し出された糸は、生糸とは違う風合いだが、絹独特の柔らかさや艶があった。
「私どもの国では、靴下や中流階級の衣服に使われてました。この国でもそうなると思いますよ」
「絹の靴下なんて憧れるわ」
マルグリットはつい本音を漏らしてしまったが、技術者は笑顔で頷いた。
「私どもの国でもそうです。――まだ織り機がきていないのでお渡しできませんが、生地ができたら一番にお渡しいたしますから、靴下を縫ってみてください。きっと手放せなくなりますよ」
マルグリットは微笑むと、帰ったらレオニダスの足の大きさを図らなくてはと思った。
だが、すぐに機織り機がないことに引っかかった。
あの抜け目のないノーマンにしては、手際が悪い。
マルグリットはエマトンに遣いを出すよう、ロニに耳打ちした。
「いい加減にしてくれないか。大使どの」
国境地帯に張られた天幕で、汗を拭いながらレオニダスは苛つきを抑えることなく言った。
週に2回と決めて雪解け後から再開された交渉も、20回を超える。
そのたびに国境の取り決めや、捕虜の引き渡し、賠償金の支払いを話し合っているが、相変わらず答えは出ない――いや、出そうとしていないのか。
睨まれた大使は、神経質そうな顔を歪めて怯えながら国務大臣に助けを求めるように視線を投げている。
だが、うんざりしているのは国務大臣も同じだ。
「こ……こちらの要求は何度も申し上げている通り、アーサー・アンドリュー・ヘルハルト・ルセンディア伯爵の返還だ。それが受け入れられない以上はどのような要求も呑むことはできない」
「いい加減にしろよ」
レオニダスの低い声が大使の鼓膜を大きく揺らした。
「お前らが要求できる立場にないことは、始めから言っていることだ。返してほしいのなら少しなりとも誠意を見せるのが大事だとは思わんか」
「誠意は見せただろう。賠償金の一部は支払っている」
大使は国務大臣とレオニダスを交互に見たが、国務大臣ももうこの男を止めるつもりはないらしい。
「この4年もの間、お前らに無駄な時間を費やさられたんだ。今年の冬までになんの進展もなければ――」
レオニダスは大使の胸ぐらを掴むと自分に引き寄せた。
大使の足が地面を離れる。
「お前とルセンディア伯爵の首をお前の国に送ってやる」
レオニダスの手が離れた大使の体は、支えを失い地面に崩れ落ちるように尻餅をついた。
脅しだ――脅しに決まっている。
大使は自分に言い聞かせるように何度も胸の中で呟いた。
大丈夫。殺されはしない。もう少しだけ時間を稼ぐのだ。
大使は土の上で拳を握りしめた。
「これなら両手が使える上に、しょっちゅう止めて撚りが不揃いになることはありません」
バナンの説明通り、糸車に生糸を取り付けて踏み板を踏むと、驚くほどの速さで糸車が回り、生糸が撚りあげられていく。
「踏む力を調節したら、速さも調節できる」
バナンの言う通りだった。
「わたくしの思いつきで、ここまでのものを作ってくれるなんて……お礼を言わせていただくわ。ありがとう、バナン」
マルグリットが柔らかい微笑みを見せると、バナンは気恥ずかしくて俯いてしまった。
「俺だけの力じゃありませんぜ。――そこのトールスも手伝ってくれたんでさぁ」
「そうなのね。あなたにも感謝を」
微笑みを向けられたトールスは、このことがご主人様に知られると、バナン共々殺されてしまうのではないかと不安になった。
絹は素晴らしい素材だった。
「繭糸はほとんど捨てる部分がないんですよ。この蚕巣についた繭糸のクズでさえ集めて紡いだら糸になるんです。絹紡糸と呼びます」
そう言って差し出された糸は、生糸とは違う風合いだが、絹独特の柔らかさや艶があった。
「私どもの国では、靴下や中流階級の衣服に使われてました。この国でもそうなると思いますよ」
「絹の靴下なんて憧れるわ」
マルグリットはつい本音を漏らしてしまったが、技術者は笑顔で頷いた。
「私どもの国でもそうです。――まだ織り機がきていないのでお渡しできませんが、生地ができたら一番にお渡しいたしますから、靴下を縫ってみてください。きっと手放せなくなりますよ」
マルグリットは微笑むと、帰ったらレオニダスの足の大きさを図らなくてはと思った。
だが、すぐに機織り機がないことに引っかかった。
あの抜け目のないノーマンにしては、手際が悪い。
マルグリットはエマトンに遣いを出すよう、ロニに耳打ちした。
「いい加減にしてくれないか。大使どの」
国境地帯に張られた天幕で、汗を拭いながらレオニダスは苛つきを抑えることなく言った。
週に2回と決めて雪解け後から再開された交渉も、20回を超える。
そのたびに国境の取り決めや、捕虜の引き渡し、賠償金の支払いを話し合っているが、相変わらず答えは出ない――いや、出そうとしていないのか。
睨まれた大使は、神経質そうな顔を歪めて怯えながら国務大臣に助けを求めるように視線を投げている。
だが、うんざりしているのは国務大臣も同じだ。
「こ……こちらの要求は何度も申し上げている通り、アーサー・アンドリュー・ヘルハルト・ルセンディア伯爵の返還だ。それが受け入れられない以上はどのような要求も呑むことはできない」
「いい加減にしろよ」
レオニダスの低い声が大使の鼓膜を大きく揺らした。
「お前らが要求できる立場にないことは、始めから言っていることだ。返してほしいのなら少しなりとも誠意を見せるのが大事だとは思わんか」
「誠意は見せただろう。賠償金の一部は支払っている」
大使は国務大臣とレオニダスを交互に見たが、国務大臣ももうこの男を止めるつもりはないらしい。
「この4年もの間、お前らに無駄な時間を費やさられたんだ。今年の冬までになんの進展もなければ――」
レオニダスは大使の胸ぐらを掴むと自分に引き寄せた。
大使の足が地面を離れる。
「お前とルセンディア伯爵の首をお前の国に送ってやる」
レオニダスの手が離れた大使の体は、支えを失い地面に崩れ落ちるように尻餅をついた。
脅しだ――脅しに決まっている。
大使は自分に言い聞かせるように何度も胸の中で呟いた。
大丈夫。殺されはしない。もう少しだけ時間を稼ぐのだ。
大使は土の上で拳を握りしめた。
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