侯爵家の婚約者

やまだごんた

文字の大きさ
23 / 90

23.親友の叱責

しおりを挟む
「アバルト公子がお見えになりました」
 扉の向こうからアレッツォの声が静かに響いた。
「ロメオが?」
 ――先触れもなく、何の用だ。
 ここで言ったところで仕方ない。答えはすでに到着しているのだ。
「すぐに支度する。待たせておけ」
 隣でぐったりと眠るイレリアを起こさないようベッドから抜け出すと、カインは寝具から出ているイレリアの手をそっと握った。
 あれだけ荒れていた手は、すっかり柔らかくなっている。
 カインは微笑むとイレリアの手を、そっと寝具の中に潜らせた。

 できる限りゆっくり支度を済ませたのは、ロメオへの嫌がらせだけではなかった。
 イレリアの肌の感触を反芻していたのだ。
 ロメオさえ来なければ、今頃はまだ彼女の柔らかい胸に顔を埋めていられたのに。
 そう思うとサロンの扉を開ける手に力が入ってしまった。
「やぁ、親友」
 眉間に皺を寄せたカインとは対照的に、ロメオは明るい笑顔でカインを迎えた。

「君の休日を邪魔しないよう午前中にしたんだが、それでもまだお邪魔だったかな」
 皮肉を込めてロメオが右手を差し出すと、その手を握り返しながら「なんのことだか」とカインは笑ってみせた。
「貧民街には顔を出していないようだな。ようやく諦めがついたと思いたいんだが」
 勧められずともソファに腰掛けながら、ロメオは単刀直入に尋ねた。
「僕が彼女を諦める時は、僕が死ぬ時だけだ」
「どうかしている」
 ロメオはため息をつきながら吐き捨てるように言った。
「愛妾を持つ事はどうでもいい。僕の父上だって、今でさえ愛妻家を気取っているが、僕が幼い頃には別棟に女を隠していたのを知っている。だが、君はまだ結婚前だろ」
 ロメオの苛立ちは当然だった。
「結婚前だから何だというんだ?」
 カインは不機嫌さを隠そうともせずに、目の前に置かれた茶を口に運んで顔を顰めた。
 いつもカインが好む花の香りがする茶ではない。
 ジルダが来る時はいつもあれなのに……そうか、これはロメオが好きな茶か。
 まったく、茶の味まで僕を苛立たせるんだ。この男は。
「君が貴族のしきたりにここまで疎かったとは驚きだよ」
 ロメオは、もう一度わざとらしくため息をつくと、目の前の茶を飲んだ。
 柑橘の香りと爽やかな渋みのある、ロメオの好きな茶の味に、自然と顔が緩みそうになる。
「アレッツォ、君の未来の主人に貴族の結婚とは何かを教えてやってくれ」
「黙れロメオ」
 アレッツォが口を開こうとするのを、カインは睨みつけた。
 
 貴族の結婚とは家同士の繋がりだ。初めからそこに愛など存在しない。
 お互いの努力で愛し合うようになる夫婦もいるが、多くは政略的な結婚に疲れて愛妾や情夫を迎え入れる。
 しかし、それは結婚をしているからこそ許されるものであり、カインのように婚約者がいる場合は、婚約者に尽くし結婚まで純潔を貫くことが貴族としての在り方である。
「だからと言って彼女をいつまでもあんな所で生活させるなんて無理だ」
「何も恋人を作るなと言っているんじゃない。もっとうまくやれって言ってるんだ」
 事実、結婚前に身分の低い女性や、婚約者以外の女性を恋人にする貴族も少なくはない。しかし、カインのように隠すこともなく、堂々と入れ込むのは婚約者を侮辱する行為であり、カイン自身貴族社会から嘲笑される事でもあった。
「僕は名誉なんかより、彼女の方が大事なんだ。彼女の存在を隠す必要なんてない僕は――」
「いい加減にしろよ!」
 ロメオは漸く声を荒げた。
 親友の話を冷静に聞き、何とか嗜めようと思っていたからこれまで我慢ができていた。
 だが、カインは一体どうしたというんだ。
 得体の知れない不安や気持ち悪さが、ロメオの感情を逆撫でていた。
「君はエスクード侯爵家の嫡男であり次期侯爵だ。おまけにそのとんでもない魔力量だ。国王陛下も君を手放すくらいなら色恋沙汰くらいいくらでも目を瞑るだろう。だけど、ジルダはどうなるんだ」
「ジルダなら――」
 カインはロメオをじっと見つめると、苦々しい口調で続けた。
「君も知っているだろ。ジルダは僕の気持ちを感じる事ができる。全て知っているさ。知っているのに何も言わない。せいぜいが、自分がいなければ生きていけないだろうと念を押す事くらいさ」
「そういう事を言っているんじゃない。君のせいでジルダは社交界のいい笑い者なんだぞ。彼女がなんと言われているか知っているのか」
 苛立たたしげに茶を一気に飲むと、ロメオはその器を叩きつけるようにテーブルに置き、カインを睨みつけた。
「ああ――なるほど。ジルダが君に泣きついたのか。それで君はナイトよろしくやってきたと言うのか」
 思いついたように、殊更芝居がかった言い方は、明らかにロメオを挑発していた。
「なにをバカな――彼女がそんなことを言うのなら、もっと早くにお前を殺してくれと頼んでるさ」
 ロメオが睨むが、カインは表情を変えない。
 ジルダのこととなるといつもこうだ。
 ロメオはゆっくりと息を吐いた。
「ただでさえ君との婚約で心無い事を言われているというのに、君の行動で更に彼女の評判は地に落ちたんだ」
 カインとジルダの婚約が王命であることは、当事者達だけが知るところだった。そのため、社交界ではシトロン伯爵家が娘の能力を盾にエスクード侯爵家に婚姻を要求したと、まことしやかに囁かれていた事はカインも承知していた。
 だが、ジルダは周りからどう思われていようが、3日に1度の魔力吸収のためにエスクード侯爵家を訪れては、務めを果たすと何も言わずに帰っていく。
 まるでカインの事など全く興味がないように。
 カインの脳裏にジルダの後ろ姿がよぎる。そして、その姿にあの人の後ろ姿が――いや、大丈夫だ。僕にはイレリアがいる。
 カインの胸に広がりかけた黒い熱が、イレリアを思う事で急速に冷めていくのがわかる。
 あぁ……やっぱり僕にはイレリアが必要なんだ。
 カインは安堵を抱きしめると、ロメオを冷たく見つめた。
「彼女は侯爵夫人になる事だけが目的なんだ。そうじゃなかったらこんな面倒な役割を黙ってやるわけがないし、イレリアの事も黙っていないだろ」
「君はジルダを何だと思っているんだ」
「なら君がジルダを妻に迎えればいい。そうすれば彼女が侯爵夫人になる事も変わらないし、君のそばでこの馬鹿げた仕事も続けられるんだ。幸せだろ」
「カイン!」
 ロメオは立ち上がるとカインの胸倉を掴み上げた。
「――僕は何があっても君の味方だ。例え今言った事が本気だったとしても、僕は君の味方であることをやめない。でも、ジルダを侮辱する事だけは許さない」
 胸倉を掴まれたままカインは抵抗もせずロメオを見上げていた。
 力だけならロメオの数倍の魔力量を持つカインが負けるわけがない。だからと言うわけではない。
 いつも温厚なロメオが感情を露わにするのはジルダが絡む時だけだった。
「君は――ジルダが好きなのか」
しおりを挟む
感想 68

あなたにおすすめの小説

夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。 だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。 失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。 どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。 「悪女に、遠慮はいらない」 そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。 「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。  王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」 愛も、誇りも奪われたなら── 今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。 裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス! ⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません

鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。 「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」 そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。 ——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。 「最近、おまえが気になるんだ」 「もっと夫婦としての時間を持たないか?」 今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。 愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。 わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。 政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ “白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!

「私に愛まで望むとは、強欲な女め」と罵られたレオノール妃の白い結婚

きぬがやあきら
恋愛
「私に愛まで望むな。褒賞に王子を求めておいて、強欲が過ぎると言っている」 新婚初夜に訪れた寝室で、レオノールはクラウディオ王子に白い結婚を宣言される。 それもそのはず。 2人の間に愛はないーーどころか、この結婚はレオノールが魔王討伐の褒美にと国王に要求したものだった。 でも、王子を望んだレオノールにもそれなりの理由がある。 美しく気高いクラウディオ王子を欲しいと願った気持ちは本物だ。 だからいくら冷遇されようが、嫌がらせを受けようが心は揺るがない。 どこまでも逞しく、軽薄そうでいて賢い。どこか憎めない魅力を持ったオノールに、やがてクラウディオの心は……。 すれ違い、拗れる2人に愛は生まれるのか?  焦ったい恋と陰謀+バトルのラブファンタジー。

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚
恋愛
「第二王子との婚約? でも殿下には平民の恋人がいるらしいんですけど? ――なら、私たち“白い結婚”で結構ですわ。お好きになさってくださいな、殿下」 自由気ままに読書とお茶を楽しむのがモットーの侯爵令嬢・ルージュ。 ある日、突然“第二王子リオネルとの政略結婚”を押しつけられてしまう。 ところが当の殿下は平民の恋人に夢中で、 「形式上の夫婦だから干渉しないでほしい」などと言い出す始末。 むしろ好都合とばかりに、ルージュは優雅な“独身気分”を満喫するはずが…… いつしか、リナという愛人と妙に仲良くなり、 彼女を巡る宮廷スキャンダルに巻き込まれ、 しまいには婚約が白紙になってしまって――!? けれどこれは、ルージュが本当の幸せを掴む始まりにすぎなかった。 自分を心から大切にしてくれる“新しい旦那様”候補が現れて、 さあ、思い切り自由に愛されましょう! ……そして、かの王子様の結末は“ざまぁ”なのか“自業自得”なのか? 自由気ままな侯爵令嬢が切り開く、 “白い結婚破談”からの痛快ざまぁ&本当の恋愛譚、はじまります。

誰も愛してくれないと言ったのは、あなたでしょう?〜冷徹家臣と偽りの妻契約〜

山田空
恋愛
王国有数の名家に生まれたエルナは、 幼い頃から“家の役目”を果たすためだけに生きてきた。 父に褒められたことは一度もなく、 婚約者には「君に愛情などない」と言われ、 社交界では「冷たい令嬢」と噂され続けた。 ——ある夜。 唯一の味方だった侍女が「あなたのせいで」と呟いて去っていく。 心が折れかけていたその時、 父の側近であり冷徹で有名な青年・レオンが 淡々と告げた。 「エルナ様、家を出ましょう。  あなたはもう、これ以上傷つく必要がない」 突然の“駆け落ち”に見える提案。 だがその実態は—— 『他家からの縁談に対抗するための“偽装夫婦契約”。 期間は一年、互いに干渉しないこと』 はずだった。 しかし共に暮らし始めてすぐ、 レオンの態度は“契約の冷たさ”とは程遠くなる。 「……触れていいですか」 「無理をしないで。泣きたいなら泣きなさい」 「あなたを愛さないなど、できるはずがない」 彼の優しさは偽りか、それとも——。 一年後、契約の終わりが迫る頃、 エルナの前に姿を見せたのは かつて彼女を切り捨てた婚約者だった。 「戻ってきてくれ。  本当に愛していたのは……君だ」 愛を知らずに生きてきた令嬢が人生で初めて“選ぶ”物語。

処理中です...