侯爵家の婚約者

やまだごんた

文字の大きさ
50 / 89

49.バルコニー

しおりを挟む
 ロメオがいなくなった途端、夜会はまるで祭りのような賑やかさに感じられた。
 さっきまでは気にならなかった音楽や、貴族達の喧騒が急に不愉快に思えた。
 ああ、違う。さっきまではロメオ様が側にいたからだ。
 世界に自分とロメオしかいないような錯覚に陥っていたのに、ロメオが離れた途端、現実が襲ってきたようだった。
「気分が悪いのかい?」
 ロメオが果実水を持って戻ってくると、イレリアの顔色の悪さを案じた。
「いいえ――あの、人の多さに酔ったようです」
 慌てて笑顔を作ると、イレリアはロメオから果実水を受け取って喉を潤した。
 冷たい液体が、乾いた喉と火照った体を潤してくれるようだった。
「こっちにおいで」
 ロメオが手を差し出したので、その手を掴むと言いようのない安心感と幸福感がイレリアを包み込んだ。
 まるでカインに感じるのと同じ感覚だったが、違うようでもあった。
 ロメオは、イレリアの手を引いて重いカーテンをかき分けてバルコニーに出た。
 夏の初めの爽やかな風が、イレリアとロメオの間を通り抜けていく。
 灯りで照らされていた広間とは違い、バルコニーは薄暗い。月明かりだけがイレリアの白い肌とロメオの少しだけ日に焼けた肌を神秘的に浮かび上がらせていた。
「ここなら静かだし誰もいないよ。落ち着くまでここにいよう」
 バルコニーの手すりに腰をもたれさせると、ロメオはイレリアの体を抱きかかえるように自分にもたれさせた。
「手すりは固いからね」
 耳元で囁くロメオの声に、イレリアの体は急速に熱を帯びた。
 顔が見えない分、背中から伝わる体温がカインのように感じられる。
 背中越しに胸の高鳴りが伝わってしまったらどうしよう。
 イレリアは今、ロメオにときめいているのか、カインにときめいているのか分からなかった。
「君とこうしてゆっくり話すのは初めてだけど、何故だろう。すごく安心するし、緊張する」
 ロメオのいたずらっぽい声が、少しだけ真剣みを帯びた気がした。
「――わたくしは……緊張しています」
 イレリアは身じろぎせず、ロメオの胸に体を預けていたが、果たしてそれが正しいのかわかっていない。
 頭では、カイン以外の男性に体を任せるなど、あってはいけないことだ。
 だが、ロメオはイレリアが混乱するほど、カインに似ている。
 いや、イレリアがそう思いたいだけなのかもしれない。
 背中から感じる体つきや匂いは、カインのそれとは全く異なる。だが、イレリアはカインに抱かれているような錯覚に陥っていた。
 部屋から漏れ聞こえる音楽が、ゆっくりとしたものに聞こえた。
「踊ろう――あの時は踊れなかったからね」
 春の舞踏会の事を言っているのはすぐにわかった。
 あの時は、初めての舞踏会とダンスに緊張して、エスコートしてくれたロメオに恥をかかせたのだ。
「でも――わたくしはこの曲を知りません」
「大丈夫」
 ロメオはそう言うと、体を起こしてイレリアを抱くように向き合った。
「ここには誰もいないから失敗しても問題ない。僕に体を委ねて――」
 カインとは違う大きな手が、イレリアを優しく抱いてリードする。
 ゆらゆらと揺れるように体を動かすと、ロメオがカインの面影を感じさせる笑顔で「その調子」と笑う。
「ロメオ――様」
「イレリア」
 イレリアの声に応えるように、ロメオが優しく名を呼んだ。

「最近は上の空だね」
 カインはイレリアの手を取りながらイレリアの顔を覗き込んだ。
 イレリアはカインとのお茶の時間だったことを思い出した。
「最近の君は様子がおかしいね。どうしたの」
 カインは優しい口調のまま、注意深くイレリアを見つめていた。
 今日はカインの休みの日だったのだ――久しぶりに2人で過ごせる日なのに、なぜ自分は考え事をしていたのだろう。それも――カインを目の前にしてロメオの事など――
「いいえ。ごめんなさい。最近お茶会や夜会に出すぎて疲れているのかも――」
「頑張りすぎだよ。貴族との付き合いは疲れるだけだ。どうしても断れない招待だけ受けるようにすればいい。その為のヨルジュだろう」
 カインが微笑むと、ヨルジュは「承知しています」と返事をする代わりに軽く頭を下げた。
 イレリアは、相変わらずカインが自分に触れないことに、苛立ちを覚えていた。
 前までは、イレリアの部屋でソファに並んで抱き合うように話し合っていた。
 だが、今は小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。
 近いのに――遠い。
 イレリアはロメオとの夜を思い出した。
 
 バルコニーで踊った二人は、曲が終わってもしばらく抱き合ったまま見つめ合っていた。
 カインとは違うブルーグレーの瞳が、イレリアを見つめていた。
 イレリアが目を閉じると、ロメオの気配が近付いた。
 口付けされると思ったが、ロメオはイレリアに軽く頬ずりをすると、体を離した。
「すまない。つい――」
 顔を背けたロメオの言葉は最後まで聞こえなかった。

 あの時の二人の方が、今よりもよっぽど恋人のようだ。
 イレリアは目の前のカインをじっと見つめた。
「夜会は、しばらく休まないか?」
 カインが不安そうに言った。
「どうして――?」
 イレリアは苛立ちを抑えるながら言った。
 私が社交を頑張ってるのはカインのためなのに?カインの妻となった時に、みんなに認められるためなのに?
「君が疲れてまでやる必要はないんだ。それにエスコートを任せるロメオの負担にもなる」
「ロメオ様がそう言ったの?」
 自分でも驚くほど冷ややかな声が口から出て、イレリアはハッとしてカインを見た。
 カインの表情が強張っている。
 いけない――カインの気持ちが離れてしまう――
 焦りに似た気持ちが、イレリアの心を覆った。
「だって――だってカインは私に触れてくれないじゃない……口付けもしてくれなくなったじゃない……私にはカインだけなのに!」
 イレリアは緑色の瞳を涙で潤ませてカインを見つめた。
「イレリア……泣かないでくれ」
 カインは慌てて立ち上がると、イレリアの足元に跪いてその涙を拭った。
 堰が壊れるようにイレリアがカインにしがみつくと、カインは一瞬――ほんの一瞬だけ抗うように、体を強張らせたが、すぐにイレリアの体を抱きしめた。
 抱き合った二人は、お互いを見つめ合うと、久しくしていなかった熱い口付けを交わした。
 若い二人にはそれで満足ができるはずがなかった。
 使用人たちはいつの間にかいなくなっていた――
しおりを挟む
感想 66

あなたにおすすめの小説

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

誓いを忘れた騎士へ ―私は誰かの花嫁になる

吉乃
恋愛
「帰ってきたら、結婚してくれる?」 ――あの日の誓いを胸に、私は待ち続けた。 最初の三年間は幸せだった。 けれど、騎士の務めに赴いた彼は、やがて音信不通となり―― 気づけば七年の歳月が流れていた。 二十七歳になった私は、もう結婚をしなければならない。 未来を選ぶ年齢。 だから、別の男性との婚姻を受け入れると決めたのに……。 結婚式を目前にした夜。 失われたはずの声が、突然私の心を打ち砕く。 「……リリアナ。迎えに来た」 七年の沈黙を破って現れた騎士。 赦せるのか、それとも拒むのか。 揺れる心が最後に選ぶのは―― かつての誓いか、それとも新しい愛か。 お知らせ ※すみません、PCの不調で更新が出来なくなってしまいました。 直り次第すぐに更新を再開しますので、少しだけお待ちいただければ幸いです。

どんなあなたでも愛してる。

piyo
恋愛
遠征から戻った夫の姿が変わっていたーー 騎士である夫ディーノが、半年以上の遠征を終えて帰宅した。心躍らせて迎えたシエラだったが、そのあまりの外見の変わりように失神してしまう。 どうやら魔女の呪いでこうなったらしく、努力しなければ元には戻らないらしい。果たして、シエラはそんな夫を再び愛することができるのか? ※全四話+後日談一話。 ※毎日夜9時頃更新(予約投稿済)&日曜日完結です。 ※なろうにも投稿しています。

大好きな旦那様はどうやら聖女様のことがお好きなようです

古堂すいう
恋愛
祖父から溺愛され我儘に育った公爵令嬢セレーネは、婚約者である皇子から衆目の中、突如婚約破棄を言い渡される。 皇子の横にはセレーネが嫌う男爵令嬢の姿があった。 他人から冷たい視線を浴びたことなどないセレーネに戸惑うばかり、そんな彼女に所有財産没収の命が下されようとしたその時。 救いの手を差し伸べたのは神官長──エルゲンだった。 セレーネは、エルゲンと婚姻を結んだ当初「穏やかで誰にでも微笑むつまらない人」だという印象をもっていたけれど、共に生活する内に徐々に彼の人柄に惹かれていく。 だけれど彼には想い人が出来てしまったようで──…。 「今度はわたくしが恩を返すべきなんですわ!」 今まで自分のことばかりだったセレーネは、初めて人のために何かしたいと思い立ち、大好きな旦那様のために奮闘するのだが──…。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目の人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

私は彼に選ばれなかった令嬢。なら、自分の思う通りに生きますわ

みゅー
恋愛
私の名前はアレクサンドラ・デュカス。 婚約者の座は得たのに、愛されたのは別の令嬢。社交界の噂に翻弄され、命の危険にさらされ絶望の淵で私は前世の記憶を思い出した。 これは、誰かに決められた物語。ならば私は、自分の手で運命を変える。 愛も権力も裏切りも、すべて巻き込み、私は私の道を生きてみせる。 毎日20時30分に投稿

処理中です...