侯爵家の婚約者

やまだごんた

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50.貧民街の篤志家

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 カインの胸に抱かれながら、イレリアの心はカインへの想いで胸が満たされるのを感じていた。
 カインもまた、イレリアへの熱い感情が頭を支配し、イレリアの体を愛おしく激しく貪っていた。
 二人が愛を確かめ合っている間に、昼下がりだった窓の外はすっかり夕陽が沈みかけていた。
 カインはベッドから起き出すと、眠っているイレリアを起さないように静かに身支度を整えた。
 あれだけ我慢していたのに、イレリアに触れると自制が利かなくなる。だが、ベッドに腰掛けてイレリアの寝顔を見ていると、愛しさが溢れてくるのが分かる。
 やはり自分はイレリアを愛している。
 カインは固く思うと、イレリアの寝顔に口付けを落とした。唇を離すとイレリアの長い睫毛が揺れて、目を覚ますのが分かった。
「起こしたかい」
 汗で湿ったイレリアの髪を優しく撫でながら、カインが尋ねた。
 ああ――私の知ってるカインだ。優しくて、私を愛していると全身で訴えかけてくれるこの人だ――
 イレリアの胸に幸福な感情が広がり、髪を撫でるカインの手を握ると、その手に口付けた。
「愛してるわ」
「僕もだよ。イレリア。君以上に大切な人なんていないくらいだ」
 カインの口付けを受けると、イレリアはようやくカインが服を着ている事に気付いた。
「もう戻るの?」
「ああ。この休みが明けたら首都の北に行かないといけない」
 首都の北には大きな湖と険しい山があるだけだと教師から教わった。一体なぜ――?
 まだ起ききれない頭でぼんやりと考えていたイレリアは漸く気が付いた。
「――揚水ポンプ?」
「そうだよ。首都周辺の水道の源だ。大きな魔法陣で動いていてね、年に1度の点検に行かないといけない。――と言っても魔方陣の点検は魔導士がやって、僕達は結界の張り直しや周辺の魔獣の駆除だ。――もっぱら汚れ仕事さ」
「あなたが汚れ仕事なんて――一番似合わない言葉ね」
 イレリアは可笑しそうに笑うと、上掛けを手繰り寄せながら上体を起こした。
「危険なの?」
 案ずるイレリアの緑色の瞳を見つめ返してカインは首を横に振った。
「あの辺は大型の魔獣が出るけど、僕にとってはネズミのようなものさ。――やつらよりも君の方が強敵だ」
「まぁ――」
 カインの冗談にイレリアはクスクスと笑った。
 イレリアの笑顔を微笑みながら見つめると、カインは少しだけ不服そうにこぼした。
「長くても10日ほどだ。もっと早く帰れるとは思うけど、そんなにも長い間君と離れるのはつらいよ」
「そんなに?ではジルダ様もご一緒なさるの?」
 イレリアは急に不安になったが、カインはジルダの名を聞いた瞬間、その美しい顔を険しく歪めた。
「ジルダは同行しない。女性が――それも貴族の女性が行くような場所ではないからね。魔獣を討伐する時は魔力を多く使うから吸収してもらう必要はないんだよ」
 カインの優しかった声が強張ったのを感じて、イレリアはジルダの名前を出したのを後悔した。
 しかし、カインはそんなイレリアの様子を察知してすぐに優しい笑顔を浮かべた。
「明日また一緒に過ごそう。今夜は父上がこちらにお泊りになるし、夜は資料を確認したい」
 そう言って立ち上がると、部屋の外で控えている侍女にイレリアの身支度をさせるよう声をかけて部屋を出て行った。

 イレリアは入浴を済ませると、自室で夕食を摂り、気だるさが残る体を持て余していた。
 久しぶりのカインとの逢瀬は、イレリアの心をカインで満たした。
 ――やっぱり私は寂しかっただけなんだわ。だから雰囲気が似ているロメオ様にカインを重ねて見ていたのね。だって、ロメオ様に触れられても胸が高鳴るだけだったのに、カインにならどこまでも委ねることができる――
 だが、一つだけ不満もあった。
 イレリアは春の舞踏会以来、侯爵とは会っていない。何度かカインが食事をと言ってはくれたものの、未だに実現したことが無い。
 その上、侯爵が邸に泊まる日は、カインは当然のように侯爵を優先する。
 平民が貴族と席を共にすることはできない事はイレリアも知っていた。
 侯爵ともなると尚更だった。だが、自分は侯爵自らが後見を公言している身だ。
 カインも、侯爵が自分との関係を認めたと言っていたではないか。
 いや――きっとそれはカインの勘違いで、侯爵は自分とカインの関係を認めていないのだ。
 だから、カインはシトロン公女との婚約を未だに解消できていない。
 せっかくアシャールの男がジルダに求婚しているというのに。
 社交界でのイレリアの立場は確かなものになっている手応えはある。
 参加する集まりでは、皆イレリアを取り囲み羨望し称賛する。
 だが、それだけでは足りないのだろう。
 ――侯爵の中では私はまだ卑しい平民なのだわ……
 社交界の立場だけでは足りないのだ。
「ヨルジュ。平民が貴族に認められるためには、どうしたらいいと思う?」
 イレリアは部屋の隅で招待状の仕分けをしていたヨルジュに問いかけた。
「貴族に――ですか。私のような使用人であれば仕事さえこなせば認めていただけますが、そう言うことではないんですよね」
 ヨルジュはそう言うと、少し考え込んでから口を開いた。
「例えば、平民でも何かしらの功績をあげたら、貴族と同等の地位をいただけたりしますね」
「功績――」
 声に出して呟いた時、イレリアに一つの考えが思い浮かんだ。

 ――貧民街の篤志家

 噂を本当にすればよいのだ。
 イレリアはヨルジュに、貧民街で行われている支援について調べるよう命じた。
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