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71.巧妙な仕掛け
「ジルダが――」
カインの呟きにロメオは頷いた。
「魔力吸収の時に注意深く探っていたそうだ。魔法の残滓だと気付いたが、確証はなかったんだろうね。僕に君の魔力を渡してイレリア嬢が反応するか確かめてほしいと言ってきた。もしジルダがイレリア嬢にカインの魔力を使って魔法をかけたならそんな事はしないだろう」
ロメオの話では、ジルダは春の舞踏会の前から気が付いていたという。
イレリアが社交を始めるのを狙って、魔法の解析に長けたアバルト侯爵夫人にイレリアを見るよう願い出たのだ。
「だから――叔母上はイレリアを招待していたのか」
ただ単に、カインの恋人だから世話を焼いてくれているものだと思い込んでいた。
「ああ――何かがあるのはわかっていたが、非常に巧妙に隠された魔法陣な上に、まさか精神を操る魔法が存在するなんて思ってもなかったからな」
だから見つかるのが遅くなった――と、謝るロメオだったが、カインはなぜロメオが謝る必要があるのかと情けなくなった。
全ては自分の不甲斐なさから起きたことなのに。
「しかしカイン――これは単なる色仕掛けなんかじゃない。とても周到に張り巡らされた仕掛けだよ」
ロメオは真剣な顔でカインを見た。
カインがイレリアと恋に落ちる為には、出会わなければならない。
いくら魅了の能力があろうと、魔法陣を埋め込もうと、イレリアがカインと出会わなければ全ては意味をなさない。
「自然に出会わせるなら貴族の娘を使うのが一番手っ取り早いのに、それをしなかった」
「できなかった――じゃないかと僕は思うよ。君はジルダと婚約しているわけだし、そもそも魅了の能力を持って魔法陣を埋め込めるだけの、その……尻軽な令嬢なんてそうはいないからね。それなら、平民と出会わせる方が楽だ」
ロメオの言うことをはもっともだった。
「カインの魔力を考えると、出会ったくらいでは魅了にかかるとも思えない。そもそも魅了の能力は相手が自分に好意か関心がないと――」
ロメオは言いながら、はっとした。同時にカインもロメオを見た。
「街道の魔法陣――」
カインの言葉に、ロメオは頷いた。
命を救われた状況で、わずかでも好意を持たない方がおかしい。
カインは、貧民街に行ったあの日、イレリアを美しいと思ったことを鮮明に覚えている。
母の寝顔以外には、誰にも抱いた事の無い感情を――それすらが作為的に引き起こされたものだったというのか。
「しかし、イレリアは偶然通りかかったと言っていた」
「イレリア嬢にとっては偶然だろうが、仕組んだ奴にとっては必然なんだろうよ」
カインの中で、まだイレリアを信じたい気持ちがあったのを、ロメオが一刀両断する。
この一年の自分の気持ちや行動が、仕組まれたことだったと思いたくはなかった。だが、この状況の全てが、そうだと言っているようだった。
「カイン。忘れるなよ。イレリア嬢も被害者だ。お前を裏切ったわけでも騙したわけでもない。――ただの道具だったんだ」
その言葉がカインには一番の衝撃だった。
そうだ。何を僕は被害者ぶってるんだ。イレリアも僕を好きになるよう操られ、運命を捻じ曲げられたんだ。
カインは膝の上で拳を握り締めた。
「とにかく、君はこれ以上イレリア嬢と会わない方がいい。また取り込まれては大変だ」
ロメオは、イレリア嬢には自分から聞くと胸を張った。
「僕は君と違って心が弱くないからね。あの程度の魔法にはかからないさ」
親友の意地の悪い笑顔を見て、やはりティン=クェンの従兄弟だなとカイン改めて思った。
「それで――」
ロメオは茶を飲みながら、カインを見つめた。
「君が話したい事を聞こうか」
カインは、農場で会った貧民街の女性との会話をロメオに言って聞かせた。
「イレリアがいなくなってすぐに、炊き出しが開始されたそうだ。彼らは最初はイレリアが寄越したと思っていたそうだが、イレリアなら自ら出向いて、手ずから炊き出しを行うはずだと」
イレリアでない事はすぐに気付いたが、それでも篤志家の支援は細やかで、貧民街の住民相手でも丁寧な態度で一人一人の様子を見て回り、必要な支援を調査していった。
一時凌ぎの食べ物だけではなく、住居や仕事を与えてくれたというのは本当だったらしい。
その細やかな心配りと慈悲に、貧民街の住民達は顔も知らない篤志家を慕うようになっていったという。
「年に数回は、貴族の方がこれ見よがしに炊き出しだ、古着だとしてくれるんですよ。施しをすることで社交界とやらで自慢できるんでしょうねぇ」
女性の言葉に、カインは夜会でどこぞの貴族が自慢していたことを思い出した。
「でもあの方――うちらはそう呼んでるんですよ――は、そんなんじゃなくてね。家名も明かさずに来ては、よくしてくださってね。いつも来て手配してくださるのはね、品のいい中年の男性だったんですよ。でも、あの日来られたのは違う人だったんですよ」
「申し訳ないが夫人。僕は今日は調査に来たわけじゃない」
早く走りたそうなポッチを宥めながら、女性の話を聞いていたが、どうやらカインを治安維持の調査で来たと思っているようだと、カインは理解した。
「ああ、すみません。違うんですよ」
女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あたしは、ここで仕事をもらうほかにも、エスクード侯爵さまの商団にも手伝いに行かせてもらってまして」
商団が貧民街の人間に仕事を与えていたことは初耳だった。
もっとも、カインはまだ商団の運営に関わっていないのだから、仕方がないのかもしれない。
「すみません。あたしは話が下手なもんで」
「構わない。不得手なのに話したいことがあるんだろう」
そう言うと、カインはポッチから降りた。見下ろしていては話しづらいだろうと判断したからだ。
カインが降りると、ポッチは一瞬だけ不服そうにカインを見たが、すぐに納得したのかその場に座り込んだ。
「ありがとうございます。その、商団の手伝いをする時にいたんですよ。あの男が」
「それは、暴動のきっかけになった炊き出しの?」
「ああ――いいえ、いえ、はい。ただ、違うんですよ。あの人は、確かに声は大きいし話し方も怖い人ですが、心根はとても優しくていい人なんですよ」
草竜から降りても、まだ見上げないといけないカインの顔を真っ直ぐに見ながら、女性は真剣な表情で続けた。
「あたしが広場に行った時には、誰かが水をぶっ放して騒ぎが収まった後なんですがね。走っていく男達の中に、その旦那さんの顔を見まして……でも、それは誰にも言ってません。エスクードの坊ちゃんだからお伝えしたんですよ」
「うちの人間が――」
そうなのであれば、イレリアの言う通りジルダが暴動を扇動した張本人なのか。
カインの胸に疑念が広がる。
「違うんですよ。旦那さんはいい人なんです。時々しか首都においでになりませんが、暴力も振るわれた事ありませんし、仕事終わりにはパンやら干し肉やらを分けてくださるんです」
人間扱いと言うには粗末だが、それでも貧民街の人間だからと虫けらのように扱うような人ではないのだと、女性は熱心に言った。
「あの暴――いや、騒動の原因は」
カインがやっと口を開くと、女性は首を振った。
「確かに、あの人達が用意したものは私らには持て余すもんでしたがね――平民だったら涙を流して喜ぶ様なもんばかりでしたよ」
あの男は貧民街の暮らしをわかっていなかった。だから平民の感覚で食い物を選んだりしていただけなのだろうと、女性は付け加えた。
「あの場にいた奴らから話を聞いたんです。みんなイレリアの名前を出されて頭に血が昇ったんだと言ってました。きっと、ちょっと気持ちが行き違っただけなんですよ」
「イレリアの――名を?」
カインの中で、何かが決定的となった。信じたくはないことだった。
「坊ちゃんじゃないですか。ご無沙汰しております」
女性から話を聞いて、商団の倉庫を覗きに行ったカインは、商団の番頭のセズンに声を掛けられた。
数年ぶりに会うというのに、一目でカインだと気付いた。抜け目のない男だ。
「今日は侯爵はお見えになっておりませんよ?」
「父に用ではない。――近くに来たから顔を出しただけだ。ところで、何人か酷い怪我をしているようだが、事故でもあったのか?」
「ああ、あいつらですか。私は今日首都に来たばっかりだから知りませんが、なんでもヨルジュから頼まれごとをした帰りに、酒に酔って喧嘩したそうですよ……まったく、血の気の多い連中はこれだから」
番頭の話に、頭が真っ白になったカインは、急いでアバルト侯爵邸に向かった。
「うちの人間だったよ――」
カインは頭を抱えて絞り出すような声で言った。
「セズンは間違いなくヨルジュの名を出していた」
カインの呟きにロメオは頷いた。
「魔力吸収の時に注意深く探っていたそうだ。魔法の残滓だと気付いたが、確証はなかったんだろうね。僕に君の魔力を渡してイレリア嬢が反応するか確かめてほしいと言ってきた。もしジルダがイレリア嬢にカインの魔力を使って魔法をかけたならそんな事はしないだろう」
ロメオの話では、ジルダは春の舞踏会の前から気が付いていたという。
イレリアが社交を始めるのを狙って、魔法の解析に長けたアバルト侯爵夫人にイレリアを見るよう願い出たのだ。
「だから――叔母上はイレリアを招待していたのか」
ただ単に、カインの恋人だから世話を焼いてくれているものだと思い込んでいた。
「ああ――何かがあるのはわかっていたが、非常に巧妙に隠された魔法陣な上に、まさか精神を操る魔法が存在するなんて思ってもなかったからな」
だから見つかるのが遅くなった――と、謝るロメオだったが、カインはなぜロメオが謝る必要があるのかと情けなくなった。
全ては自分の不甲斐なさから起きたことなのに。
「しかしカイン――これは単なる色仕掛けなんかじゃない。とても周到に張り巡らされた仕掛けだよ」
ロメオは真剣な顔でカインを見た。
カインがイレリアと恋に落ちる為には、出会わなければならない。
いくら魅了の能力があろうと、魔法陣を埋め込もうと、イレリアがカインと出会わなければ全ては意味をなさない。
「自然に出会わせるなら貴族の娘を使うのが一番手っ取り早いのに、それをしなかった」
「できなかった――じゃないかと僕は思うよ。君はジルダと婚約しているわけだし、そもそも魅了の能力を持って魔法陣を埋め込めるだけの、その……尻軽な令嬢なんてそうはいないからね。それなら、平民と出会わせる方が楽だ」
ロメオの言うことをはもっともだった。
「カインの魔力を考えると、出会ったくらいでは魅了にかかるとも思えない。そもそも魅了の能力は相手が自分に好意か関心がないと――」
ロメオは言いながら、はっとした。同時にカインもロメオを見た。
「街道の魔法陣――」
カインの言葉に、ロメオは頷いた。
命を救われた状況で、わずかでも好意を持たない方がおかしい。
カインは、貧民街に行ったあの日、イレリアを美しいと思ったことを鮮明に覚えている。
母の寝顔以外には、誰にも抱いた事の無い感情を――それすらが作為的に引き起こされたものだったというのか。
「しかし、イレリアは偶然通りかかったと言っていた」
「イレリア嬢にとっては偶然だろうが、仕組んだ奴にとっては必然なんだろうよ」
カインの中で、まだイレリアを信じたい気持ちがあったのを、ロメオが一刀両断する。
この一年の自分の気持ちや行動が、仕組まれたことだったと思いたくはなかった。だが、この状況の全てが、そうだと言っているようだった。
「カイン。忘れるなよ。イレリア嬢も被害者だ。お前を裏切ったわけでも騙したわけでもない。――ただの道具だったんだ」
その言葉がカインには一番の衝撃だった。
そうだ。何を僕は被害者ぶってるんだ。イレリアも僕を好きになるよう操られ、運命を捻じ曲げられたんだ。
カインは膝の上で拳を握り締めた。
「とにかく、君はこれ以上イレリア嬢と会わない方がいい。また取り込まれては大変だ」
ロメオは、イレリア嬢には自分から聞くと胸を張った。
「僕は君と違って心が弱くないからね。あの程度の魔法にはかからないさ」
親友の意地の悪い笑顔を見て、やはりティン=クェンの従兄弟だなとカイン改めて思った。
「それで――」
ロメオは茶を飲みながら、カインを見つめた。
「君が話したい事を聞こうか」
カインは、農場で会った貧民街の女性との会話をロメオに言って聞かせた。
「イレリアがいなくなってすぐに、炊き出しが開始されたそうだ。彼らは最初はイレリアが寄越したと思っていたそうだが、イレリアなら自ら出向いて、手ずから炊き出しを行うはずだと」
イレリアでない事はすぐに気付いたが、それでも篤志家の支援は細やかで、貧民街の住民相手でも丁寧な態度で一人一人の様子を見て回り、必要な支援を調査していった。
一時凌ぎの食べ物だけではなく、住居や仕事を与えてくれたというのは本当だったらしい。
その細やかな心配りと慈悲に、貧民街の住民達は顔も知らない篤志家を慕うようになっていったという。
「年に数回は、貴族の方がこれ見よがしに炊き出しだ、古着だとしてくれるんですよ。施しをすることで社交界とやらで自慢できるんでしょうねぇ」
女性の言葉に、カインは夜会でどこぞの貴族が自慢していたことを思い出した。
「でもあの方――うちらはそう呼んでるんですよ――は、そんなんじゃなくてね。家名も明かさずに来ては、よくしてくださってね。いつも来て手配してくださるのはね、品のいい中年の男性だったんですよ。でも、あの日来られたのは違う人だったんですよ」
「申し訳ないが夫人。僕は今日は調査に来たわけじゃない」
早く走りたそうなポッチを宥めながら、女性の話を聞いていたが、どうやらカインを治安維持の調査で来たと思っているようだと、カインは理解した。
「ああ、すみません。違うんですよ」
女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あたしは、ここで仕事をもらうほかにも、エスクード侯爵さまの商団にも手伝いに行かせてもらってまして」
商団が貧民街の人間に仕事を与えていたことは初耳だった。
もっとも、カインはまだ商団の運営に関わっていないのだから、仕方がないのかもしれない。
「すみません。あたしは話が下手なもんで」
「構わない。不得手なのに話したいことがあるんだろう」
そう言うと、カインはポッチから降りた。見下ろしていては話しづらいだろうと判断したからだ。
カインが降りると、ポッチは一瞬だけ不服そうにカインを見たが、すぐに納得したのかその場に座り込んだ。
「ありがとうございます。その、商団の手伝いをする時にいたんですよ。あの男が」
「それは、暴動のきっかけになった炊き出しの?」
「ああ――いいえ、いえ、はい。ただ、違うんですよ。あの人は、確かに声は大きいし話し方も怖い人ですが、心根はとても優しくていい人なんですよ」
草竜から降りても、まだ見上げないといけないカインの顔を真っ直ぐに見ながら、女性は真剣な表情で続けた。
「あたしが広場に行った時には、誰かが水をぶっ放して騒ぎが収まった後なんですがね。走っていく男達の中に、その旦那さんの顔を見まして……でも、それは誰にも言ってません。エスクードの坊ちゃんだからお伝えしたんですよ」
「うちの人間が――」
そうなのであれば、イレリアの言う通りジルダが暴動を扇動した張本人なのか。
カインの胸に疑念が広がる。
「違うんですよ。旦那さんはいい人なんです。時々しか首都においでになりませんが、暴力も振るわれた事ありませんし、仕事終わりにはパンやら干し肉やらを分けてくださるんです」
人間扱いと言うには粗末だが、それでも貧民街の人間だからと虫けらのように扱うような人ではないのだと、女性は熱心に言った。
「あの暴――いや、騒動の原因は」
カインがやっと口を開くと、女性は首を振った。
「確かに、あの人達が用意したものは私らには持て余すもんでしたがね――平民だったら涙を流して喜ぶ様なもんばかりでしたよ」
あの男は貧民街の暮らしをわかっていなかった。だから平民の感覚で食い物を選んだりしていただけなのだろうと、女性は付け加えた。
「あの場にいた奴らから話を聞いたんです。みんなイレリアの名前を出されて頭に血が昇ったんだと言ってました。きっと、ちょっと気持ちが行き違っただけなんですよ」
「イレリアの――名を?」
カインの中で、何かが決定的となった。信じたくはないことだった。
「坊ちゃんじゃないですか。ご無沙汰しております」
女性から話を聞いて、商団の倉庫を覗きに行ったカインは、商団の番頭のセズンに声を掛けられた。
数年ぶりに会うというのに、一目でカインだと気付いた。抜け目のない男だ。
「今日は侯爵はお見えになっておりませんよ?」
「父に用ではない。――近くに来たから顔を出しただけだ。ところで、何人か酷い怪我をしているようだが、事故でもあったのか?」
「ああ、あいつらですか。私は今日首都に来たばっかりだから知りませんが、なんでもヨルジュから頼まれごとをした帰りに、酒に酔って喧嘩したそうですよ……まったく、血の気の多い連中はこれだから」
番頭の話に、頭が真っ白になったカインは、急いでアバルト侯爵邸に向かった。
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