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76.対峙
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「カインじゃないか」
聞き慣れない、しかし聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
「ナジーム……」
あからさまに不機嫌な顔でカインが名を呼んだ。
草竜に騎乗した、治安維持隊の隊服姿のナジームがそこにいた。
そういえばポンプの点検の時も治安維持隊と一緒にいたなと、カインは思い出したが、今はどうでもよかった。
「なにかあったのか?」
「お前には関係ない。僕は急ぐから失礼する」
そう言ってポッチを走り出させると、ナジームは背後にぴたりとくっついてきた。
「なんでついてくる」
ポッチを走らせながら、カインは苛立ちを隠そうともせずに大声で言った。
「お前さんが血相変えてるんだから大ごとなんだろ?一人じゃ危険だ。俺もいく」
「ダーシー卿に使いを出してる。お前は自分の仕事に戻れ」
「人手は多い方がいいだろう?」
ナジームの言うことはもっともだ。カインは唇を噛んだ。
「危険だと思ったらすぐに離れるんだ。いいな?」
「その時はお前が守ってくれ」
ナジームが笑うと、カインは少しだけ苛立った心が落ち着いた気がした。
貧民街に到着したカインは、その変わりように驚いていた。
倒壊したままになっていた瓦礫は綺麗に撤去され、いくつかの建物は修復されて人が住めるようになっていた。
なにより、あのすえたような匂いが随分と和らいでいた。
篤志家による支援が行われていたとは聞いたが、まさかここまでとは。
「これは――驚きましたね、隊長」
先程合流したダーシー卿も同じようだった。
イレリアを連れ帰ってから、時折食糧などは届けさせていたが、様子を聞くことはなかったし、興味すら持っていなかったことを、今更に恥じた。
「これは――カイン様。ご無沙汰しております」
貧民街に来ていた時に、時折話したことのある老人が深々と頭を下げた。
ダーシー卿が名を呼ぶ非礼を罰しようとしたが、カインはそれをやんわりと制した。
「マルコ爺は私の知人だ。構わない――随分と様変わりしたようだが」
草竜の上からカインが言うと、マルコは禿げ上がった頭を上げて、目を細めた。
「どなたかが、わしらに支援の手を差し伸べてくださっておりまして」
「その話は――聞いている。私はあれ以来ここに寄り付きもせず、ただ食糧を送ればいいと思っていた。あなた方に必要なことはなにかも考えずに……すまない」
カインは草竜から降りると、マルコに頭を下げた。
ダーシー卿が止めようとするのを、ナジームが無言で止めた。
「それは違いますぞ、カイン様。カイン様の分け与えてくださった食べ物のおかげで我々は生きる事ができたのです。まずは生きる事――これらのご支援は全て、カイン様のご慈悲の礎があってこそですのじゃ」
マルコのしゃがれた声は、カインの心に優しく浸み込んでいく。
「今もあなたは、こうやって地面におりて私に頭を下げてくださる。そんな貴族はこれまでおりませんでした。あなた様だけが、わしらを人間として扱ってくださっていたのですよ」
そんなことはない。
人間として扱っていたのなら、食べ物を与えておけばいいなど思わない。
それすら、イレリアがいたからなのだ。イレリアがいなかったら、カインが貧民街に目を向けることなどあり得なかっただろう。
「ありがとう、マルコ。私は――いや、エスクード侯爵家はお前達への恩を忘れることはないだろう」
カインはそう言うと、再びポッチに跨り先へと進んだ。
薬屋の扉を蹴破ると、中には薬師が一人でいた。
カインの登場に驚くでもなく、その姿を見るとニヤリと笑ってみせた。
間違いない。こいつだ――こいつが全ての黒幕なのだと、カインは確信した。
「身柄を拘束する」
足早にダーシー卿が薬師に近寄ると、薬師は手にしていたスクロールに魔力を流し込んだ。
「ダーシー卿!」
カインとナジームが叫ぶのが同時だった。
炎の矢が、ダーシー卿のわき腹を貫き、ダーシー卿はその場に倒れ込んだ。
ダーシー卿を貫いた炎が、部屋の隅の棚にぶつかり、小さな炎が上がった。
「カイン!だめだ――魔法陣が!」
ダーシー卿に駆け寄ろうとしたカインを、ナジームが止めようとしたが、遅かった。
店に足を踏み入れた途端、床に描かれていた魔法陣がカインを捕らえた。
魔法陣から魔力が吹き上がり、カインの体を片端から切りつけていく。
全身が切り裂かれる痛みに、カインは叫び声すらあげる事ができずに、ただ苦痛に顔を歪ませるだけだった。
「どうですか?自分の魔力で引き裂かれる痛みは格別でしょう?――ああ、ご安心を。すぐ死なないように治癒魔法も同時に発動するよう仕掛けています。傷つく端から癒されますので何度でも苦痛を味わう事ができるでしょう。心ゆく迄ご自身の魔力をご堪能下さい」
薬師はカインが今まで聞いた事がないほど、楽しそうだった。
その表情も愉悦に歪み、青白かった頬に血が通ったように見えた。
薬師はすぐに身を翻し店の奥に姿を消した。
「くそっ!カイン、今助ける」
ナジームは魔法陣から引き剥がそうと、カインの体を掴もうとしたが、溢れ出る魔力の圧力で近付くことができない。
こうしている間にもカインの体は切り裂かれ、その端から傷が癒えていくのを繰り返し、カインの衣服は無残なほどに赤く染まっていた。
その上、炎はいつの間にか勢いを増して、ダーシー卿に迫ろうとしている。
どうしたらいい――
ナジームは焦りを抑えて考えた。
魔法陣――カイン――魔力――
その時、隊長のティン=クェンが行っている、街道の魔法陣の事件を思い出した。
魔法陣に魔力をぶつけて壊したように見せかけていた――そうだ、魔力だ。
自分の魔力をありったけぶつければ――
ナジームは体中の魔力を集めた。これだけの量の魔力を一度に扱ったことがない。
全ての魔力を込めてぶつけると、狙い通り魔法陣はその動きを止めた。
「大丈夫か?カイン――ちょっと待ってろよ、先にダーシー卿を……」
その場に崩れ落ちるカインにそう声をかけると、ナジームは失いそうになる意識を必死でつなぎ止め、ダーシー卿を担いで外に連れ出した。
身体強化をできるだけの魔力を残しておけばよかった――ナジームはふらつく足でカインの元に戻り、その体を起そうとして、そのまま意識を失った。
聞き慣れない、しかし聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
「ナジーム……」
あからさまに不機嫌な顔でカインが名を呼んだ。
草竜に騎乗した、治安維持隊の隊服姿のナジームがそこにいた。
そういえばポンプの点検の時も治安維持隊と一緒にいたなと、カインは思い出したが、今はどうでもよかった。
「なにかあったのか?」
「お前には関係ない。僕は急ぐから失礼する」
そう言ってポッチを走り出させると、ナジームは背後にぴたりとくっついてきた。
「なんでついてくる」
ポッチを走らせながら、カインは苛立ちを隠そうともせずに大声で言った。
「お前さんが血相変えてるんだから大ごとなんだろ?一人じゃ危険だ。俺もいく」
「ダーシー卿に使いを出してる。お前は自分の仕事に戻れ」
「人手は多い方がいいだろう?」
ナジームの言うことはもっともだ。カインは唇を噛んだ。
「危険だと思ったらすぐに離れるんだ。いいな?」
「その時はお前が守ってくれ」
ナジームが笑うと、カインは少しだけ苛立った心が落ち着いた気がした。
貧民街に到着したカインは、その変わりように驚いていた。
倒壊したままになっていた瓦礫は綺麗に撤去され、いくつかの建物は修復されて人が住めるようになっていた。
なにより、あのすえたような匂いが随分と和らいでいた。
篤志家による支援が行われていたとは聞いたが、まさかここまでとは。
「これは――驚きましたね、隊長」
先程合流したダーシー卿も同じようだった。
イレリアを連れ帰ってから、時折食糧などは届けさせていたが、様子を聞くことはなかったし、興味すら持っていなかったことを、今更に恥じた。
「これは――カイン様。ご無沙汰しております」
貧民街に来ていた時に、時折話したことのある老人が深々と頭を下げた。
ダーシー卿が名を呼ぶ非礼を罰しようとしたが、カインはそれをやんわりと制した。
「マルコ爺は私の知人だ。構わない――随分と様変わりしたようだが」
草竜の上からカインが言うと、マルコは禿げ上がった頭を上げて、目を細めた。
「どなたかが、わしらに支援の手を差し伸べてくださっておりまして」
「その話は――聞いている。私はあれ以来ここに寄り付きもせず、ただ食糧を送ればいいと思っていた。あなた方に必要なことはなにかも考えずに……すまない」
カインは草竜から降りると、マルコに頭を下げた。
ダーシー卿が止めようとするのを、ナジームが無言で止めた。
「それは違いますぞ、カイン様。カイン様の分け与えてくださった食べ物のおかげで我々は生きる事ができたのです。まずは生きる事――これらのご支援は全て、カイン様のご慈悲の礎があってこそですのじゃ」
マルコのしゃがれた声は、カインの心に優しく浸み込んでいく。
「今もあなたは、こうやって地面におりて私に頭を下げてくださる。そんな貴族はこれまでおりませんでした。あなた様だけが、わしらを人間として扱ってくださっていたのですよ」
そんなことはない。
人間として扱っていたのなら、食べ物を与えておけばいいなど思わない。
それすら、イレリアがいたからなのだ。イレリアがいなかったら、カインが貧民街に目を向けることなどあり得なかっただろう。
「ありがとう、マルコ。私は――いや、エスクード侯爵家はお前達への恩を忘れることはないだろう」
カインはそう言うと、再びポッチに跨り先へと進んだ。
薬屋の扉を蹴破ると、中には薬師が一人でいた。
カインの登場に驚くでもなく、その姿を見るとニヤリと笑ってみせた。
間違いない。こいつだ――こいつが全ての黒幕なのだと、カインは確信した。
「身柄を拘束する」
足早にダーシー卿が薬師に近寄ると、薬師は手にしていたスクロールに魔力を流し込んだ。
「ダーシー卿!」
カインとナジームが叫ぶのが同時だった。
炎の矢が、ダーシー卿のわき腹を貫き、ダーシー卿はその場に倒れ込んだ。
ダーシー卿を貫いた炎が、部屋の隅の棚にぶつかり、小さな炎が上がった。
「カイン!だめだ――魔法陣が!」
ダーシー卿に駆け寄ろうとしたカインを、ナジームが止めようとしたが、遅かった。
店に足を踏み入れた途端、床に描かれていた魔法陣がカインを捕らえた。
魔法陣から魔力が吹き上がり、カインの体を片端から切りつけていく。
全身が切り裂かれる痛みに、カインは叫び声すらあげる事ができずに、ただ苦痛に顔を歪ませるだけだった。
「どうですか?自分の魔力で引き裂かれる痛みは格別でしょう?――ああ、ご安心を。すぐ死なないように治癒魔法も同時に発動するよう仕掛けています。傷つく端から癒されますので何度でも苦痛を味わう事ができるでしょう。心ゆく迄ご自身の魔力をご堪能下さい」
薬師はカインが今まで聞いた事がないほど、楽しそうだった。
その表情も愉悦に歪み、青白かった頬に血が通ったように見えた。
薬師はすぐに身を翻し店の奥に姿を消した。
「くそっ!カイン、今助ける」
ナジームは魔法陣から引き剥がそうと、カインの体を掴もうとしたが、溢れ出る魔力の圧力で近付くことができない。
こうしている間にもカインの体は切り裂かれ、その端から傷が癒えていくのを繰り返し、カインの衣服は無残なほどに赤く染まっていた。
その上、炎はいつの間にか勢いを増して、ダーシー卿に迫ろうとしている。
どうしたらいい――
ナジームは焦りを抑えて考えた。
魔法陣――カイン――魔力――
その時、隊長のティン=クェンが行っている、街道の魔法陣の事件を思い出した。
魔法陣に魔力をぶつけて壊したように見せかけていた――そうだ、魔力だ。
自分の魔力をありったけぶつければ――
ナジームは体中の魔力を集めた。これだけの量の魔力を一度に扱ったことがない。
全ての魔力を込めてぶつけると、狙い通り魔法陣はその動きを止めた。
「大丈夫か?カイン――ちょっと待ってろよ、先にダーシー卿を……」
その場に崩れ落ちるカインにそう声をかけると、ナジームは失いそうになる意識を必死でつなぎ止め、ダーシー卿を担いで外に連れ出した。
身体強化をできるだけの魔力を残しておけばよかった――ナジームはふらつく足でカインの元に戻り、その体を起そうとして、そのまま意識を失った。
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