侯爵家の婚約者

やまだごんた

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77.回復

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 雨が降ってきたのか?頬に冷たいものが落ちてくる。
 ナジームは温かくて優しい魔力が流れ込んでくるのを感じながら、そう思った。
「しっかりなさい!あなたはアシャールの次の王でしょう?」
 聞き覚えのある声だ。ずっと聞いていたい。
 ナジームはゆっくりと目を開けた。
 そこには、涙で顔を濡らしたジルダがいた。
 ジルダはナジームの胸に手を当て、魔力を流し込んでいた。
 ジルダの後ろには、青い空と貧民街の建物が見える。
「天使かと思ったわ」
 ナジームの声を聞いて、ジルダは弾かれるように彼の顔を見た。生きてる。
「そんな顔すんなよ、あんたはツンと澄ましててくれないと、せっかく諦めかけてたのが無駄になっちまう」
「なにを――」
 ジルダは困惑の表情を隠そうともしていなかった。
 ナジームは取り繕った表情ではないジルダを見れたのが少しだけ嬉しくて、唇を緩めた。
「あんたの婚約者は?いいのか?放っておいて」
 俺を優先してくれたんだよな?
 ナジームは心の中で願うように付け加えた。
「カインは――今は治癒師が治療をしています。大丈夫……絶対に死なせません」
 その言葉は、小さなジルダには似つかわしくない程力強く、ナジームの小さな願いを完膚なきまで打ち砕いた。
「ですよねぇ……ダーシー卿は?」
 ナジームはゆっくりと体を起すと、ふらつく頭を押さえた。魔力が枯渇しただけだ。与えられた魔力が体に馴染むとすぐに動けるようになる。
「治癒師の治療を受けてすぐに王宮へ。侯爵に報告に行かれました」
「働き者だなぁ。俺も、行かないと」
 立ち上がろうとしたナジームの体を、ジルダが押さえつける。
「何を考えてるの?あなたは心の臓が停まっていたのよ?寝ていなさい」
 ジルダに言われて、ナジームはぞっとして胸を押さえた。動いている。
「ダーシー卿が意識を失われる前にジルダ様に魔力を飛ばしてたんだよ」
 煤けた顔でラエル卿がナジームを覗き込む。
「お前らは貧民――いや、ここの人達に助け出されてたんだ。近くに公女さまがいなかったらまとめて死んでたんだぞ」
「ラエル、その恰好――」
「ああ、焼け跡で探し物をしてたんだよ。それより、なんで死にかけるような無茶したんだ」
 ラエル卿が本気で怒っているのを見て、ナジームはすねたように唇を尖らせた。
「だって、見殺しにできないだろ。カインは森で俺達を助けてくれたんだぞ」

 カインの意識は3日経っても戻らなかった。
 魔力の回復が遅いうえ、塞がったはずの傷口から絶えず魔力が漏れ出していたので、ジルダはずっと付きっ切りでカインに魔力を与え続けていた。
「ジルダ――あまり無理をすると君まで死んでしまうよ」
 見舞いに来たロメオがジルダの肩に手を置き、声を掛けた。
 「ロメオ――カインが死んだような言い方はやめて」
 ジルダはロメオに恨めし気な視線で口を歪めた。
 その顔を見てロメオは微笑んだが、その顔には心配の色が浮かんでいた。
「カインから吸収した魔力ももう尽きるだろう」
「いいえ。まだ大丈夫。だてに10年間も吸収し続けていたわけではなくてよ」
 ジルダは強がりを言っているのはよくわかっていた。
 なにせ、カインが死にかけたのはこの1年間で三度目なのだ。
 その度にジルダはカインに魔力を戻し続けていた。
「もし、魔力が必要なら言ってくれ。伯父上は勿論、僕もティン=クエンも魔力は人より多いんだからね」
 そう言うと、ジルダは弱々しく微笑むだけだった。
 ロメオは手近な椅子をジルダの隣に置くと、腰掛けてジルダの頭を撫でた。
「こいつは――ずっと君が好きだったんだよ」
 ロメオの言葉にジルダは反応を見せなかったが、ロメオは続けた。
「君への態度が頑なになったのは――僕のせいなんだ」
 ロメオは7歳の誕生日に起きた事を言って聞かせた。
「子供だった僕は、伯母上の事情なんて知らなくてね。領地に来てはいつも僕にカインの事を聞かせてくれてたんだ。カインが好きな本を読み聞かせてくれて、カインがどれほど可愛くて素晴らしい子かを、同じ年の僕にずっと自慢して――あれは相当な親馬鹿だったね」
 ロメオの言葉にジルダは思わず噴き出してしまった。
「あなたも聞かされていたの?――私もよ」
 二人は顔を見合わせて声を上げて笑った。
「純粋だった僕は、まだ見ぬ従兄弟がどれだけ愛されているのかと羨ましくなったよ。もちろん、僕の両親も僕を溺愛していたけどね。――だから、まさか伯母上があのような事情を抱えて、カインに冷たくあたっているなんて知らなかったんだ」
 ロメオの表情に深い後悔が浮かぶ。
「僕はそんな事も知らずに、無神経にもカインに伯母様に本を読んでもらったり、お話をしてくださった事を言ってしまったんだ。君の話を伯母上から聞いていたんだよと言いたかっただけなんだけど」
「それで……カインの中の何かが壊れたのね」
 ジルダは、あの魔力暴走で流れ込んできた、カインの悲痛な叫びにも似た心の声を思い出した。
「暴走を起した後、カインはその事を覚えていなかった。それをいい事に僕はしれっとカインの親友の座に納まったってわけさ。でも、その感情まで忘れてたわけじゃなかったんだな」
 アルティシアの危篤を知らせる従者が名を呼んだのはジルダだった。
「あれで、全ての感情を君にぶつける事になってしまったんだと思う」
 ロメオはジルダの頭を撫でていた手を止めると、その頭を引き寄せ、胸に抱いた。
「僕のせいだ――すまない」
 ジルダはロメオが泣いているのが分かった。
 この10年間誰にも言えない胸の内を、漸く吐き出し懺悔している幼馴染を、カインの手を握っていない方の片手でそっと抱き締めた。
 ジルダが口を開こうとした時、ジルダの手の中でカインの手が小さく動いた気がした。
「――ロメオ、やっぱり君はジルダが好きなんだろ」
 カインが掠れた声が耳に入り、ロメオとジルダは驚いてカインを見た。
 薄く目を開けたカインは、眉間にしわを寄せて抱き合っているロメオとジルダを見つめていた。
 ロメオは涙を流しながらカインに飛びついた。
 まだ回復しきっていない体でロメオの体重を受け止めたカインが激痛に悲鳴を上げるのを、ジルダは目に涙を浮かべながら見つめていた。

 「暴走の時の記憶は――実は戻っていたんだ」
 アレッツォが持ってきた蜂蜜水を飲み終えると、カインは二人の会話を聞いていた事を恥ずかしそう話し、最後にそう付け加えた。
「母の死後しばらくして、ロメオが貸してくれた本を読んでいた時に思い出したんだ。だが、今更ロメオに怒りをぶつけるには仲良くなりすぎていて……それでジルダに――すまない」
「カイン様がそのまま拗らせていらしたのは存じていましたわ」
 カインの謝罪にジルダは平然と答えた。
 カインは唖然とした顔でジルダを見つめていた。
「元々、家族にもそういう扱いでしたから、特に傷ついていませんでした。それに傷ついたところでお役目がありますし、嫌でも顔を合わせますでしょう?なら気にせず子供の癇癪と流しておく方が楽でしたし」
 ジルダはカインが飲み干した蜂蜜水のグラスを受け取ると、新しいおかわりを注いで手渡した。
 ロメオはその様子を見て声を殺して笑っていた。
「完全に相手にされてなかったって事だな。子供の癇癪って――」
「ロメオ、黙れ」
「なんだよ。僕は邪魔者ってか?――まぁそうだよな。イレリア嬢にかけられた魔法で操られている間も君はジルダと仲がいい僕達に嫉妬してたくらいだもんな」
 ロメオの言葉にカインはカッとなり、枕を掴むとロメオに叩きつけた。
 投げる前に動きを察知したジルダが体を伏せ、カインの投擲を邪魔しないのはさすがだとロメオは感心した。
「イレリアの魔法と言えば――彼女は?」
「薬師の関係者だからね。無罪放免とは行くまいよ。とりあえず全貌が判明するまで侯爵家の自室に幽閉されることになったよ」
 ロメオは受け止めた枕を抱えて、カインが眠っている間の事を話して聞かせた。
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