【R18】勇者と魔女と、時々、魔王

千咲

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004.『あの娘を、孕ませてくれ』

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 翌朝、魔女は机に突っ伏して眠り続けている。「魔女様」と勇者が呼びかけても、揺すっても起きない。

「そりゃ、朝まで楽しんでいたんだから、起きられないよなぁ」

 勇者は魔女に毛布をかけ、足を引きずりながらも朝食の準備をする。教会で寝食することが多い勇者だが、野宿をすることもあるため、一通りの家事はこなせるのだ。
 魔女が作ってある野菜のスープ鍋を火炎石のコンロで温め、氷冷庫から出した肉を薄切りにして焼く。何の肉かはわからないが、焼けば何とかなるだろう。そんな適当さ溢れる、勇者料理だ。
 魔女は肉の焼ける香ばしい匂いでも目を覚ますことがない。勇者は一人で朝食をすませたあと、こっそりと小屋を出る。

 勇者は覚悟を決めて泉へと近づく。あの泉に魔王が棲んでいるのだろう。聖剣は小屋の中だ。魔王と邂逅しても、彼らが人間を襲うことはない。彼らが吐き出す『瘴気の澱』に注意をしなければならないだけだ。
 泉はとても澄んでおり、奥底まで見通すことができるのだが、そこには触手を持つ魔王はいない。姿形も、痕跡さえもない。ただ美しい泉があるだけだ。

「あれ、いない」

 おかしいなぁ、と頭をかいたあと、勇者はそっと水面に触れる。
 瞬間、目の前に異形の、巨大な化け物が見えた。

「えっ、うあっ」

 足を滑らせて、勇者はぼちゃんと泉に落ちる。カメのような甲羅に、巨大な藍色の球体がいくつもついている苔生した化け物だ。噛まれたらひとたまりもないだろう。勇者は手足をバタつかせて泉のほとりへと向かうが、なぜか岸から遠ざかる。

「わ、わ、おぼれ、っ」

 勇者は泳ぐのが得意ではない。泉の水をゴボゴボと飲んでしまい、うまく息を吸うことができない。もちろん、足もつかない。溺れているのだ。

「たす、たすけ」

 ごぼん、と勇者の体が泉に沈む。黄緑色の触手が迫ってくる。

 ――引きずり込まれる!?

 勇者が死を覚悟したとき、彼の体を、黄緑色の触手が水面へと押し上げた。

「げほ、っげ、うえっ」

 水面へと押し上げたあと、黄緑色の触手は勇者を泉の外へと引っ張り出す。その優しい感触に、勇者は驚く。魔王は、勇者を放り投げるでもなく、優しく丁寧に扱ってくれたのだ。
 魔王に敵意はない。勇者はそう理解した。

「あ……ありがとう、ございます」
『礼には及ばぬ』

 返答があるとは思っていなかった勇者は、紫紺の目を丸くする。ザバ、と音を立てて水面が割れ、カメのような顔がゆっくりと現れる。

「あ、俺、紫の国の勇者です。緋の国のお手伝いをしていて、『瘴気の澱』を浄化するために果ての森にやってきました。ええと、あの、あなたは魔王様ですよね?」

 カメの眼球は八つある。それぞれが勇者を映し、黒曜石のように輝いている。

『いかにも、我は魔王なり』
「わ、これ、魔王様の声? 頭に直接話しかけてきている感じ? え、どっちだろう?」
『我は汝にのみ話しかけている』
「なるほど、直接! すごーい!」

 勇者は興奮している。何しろ、意思の疎通ができる魔王は初めてなのだ。紫の国でも、緋の国でも出会ったことがない。

「ちゃんと話を聞いてくれる魔王は初めてだなぁ。憤怒さんも憂鬱さんも、ほんっっと言うこと聞いてくれなくて。あ、魔王様は何の魔王? 名前ある?」
『我の名を知ってどうする』
「単に識別のためだよ」

 魔王はしばし考えたのち、『我は絶望の魔王だ』と答えた。
 勇者は頭を抱え、天を仰ぎ見て叫ぶ。

「古代の魔王! 初めて見――んぐ!」

 魔王は深緑色の触手を容赦なく勇者の口に突っ込んだ。冷たく、柔らかい。無味無臭。『静かにしろ』という意味だと理解してはいるが、勇者は別の意味で興奮していた。

 ――この触手、魔女様を犯していたやつじゃないかな? ちょっと嬉しい。

 勇者は少しばかり、自分の中でおかしな扉が開きかけているような気がするのだった。



「へぇ、魔王様、魔女様と一緒に暮らしているんだ?」
『魔女……あの娘が魔女だと名乗ったのか?』
「うん、そう。でも、たぶん『魔王の女』という意味なんじゃないかな」

 魔女は魔王のことが好きなのだろうと勇者も気づいている。そうでなければ、あんなに優しげな笑みを魔王に向けたりはしないだろう。自分には笑いかけてくれたこともないのだ。

「いいなぁ、羨ましい。魔王様、俺に二人のこと見せつけたでしょ? めちゃくちゃ羨ましかったんだけど!」
『汝も楽しんでいたではないか』
「一人で楽しむのと、二人で楽しむのは違うよ! わかる!? わっかんないだろうなぁ!」

 魔王には意味が通じなかったらしい。イチャイチャを見せつけられるのは苦行だと勇者は説く。独り身の侘しさを説く。しかし、理解してもらえたかどうかはわからない。

『だから昨夜の汝からは嫉妬や色欲の匂いが感じられたのか』
「いや、絶望そのものだよ」
『それは美味しそうではないか』
「待って、俺にそんな趣味はないからね! 覗き見をしながら絶望を吐き出すような趣味はないからね! 昨夜のは本当に例外だから!」

 絶望の魔王は目を細めてくつくつと笑う。勇者は溜め息をつく。

「争いの中で生まれた絶望の魔王はもう滅びたと思ってた。もう世の中は平和になったでしょ?」
『他の魔王のことは知らぬが、腹が満たされたのち、我はずっと眠りについていた。食すものがなければ魔王は眠り、いつしか目覚めぬまま滅びるのであろう』
「なるほどね。自然消滅かぁ」

 人間から負の感情がなくなれば、それをエサとする魔王も消える。自然の摂理だ。
 獣よりも知力の高い人間の感情のほうがエサになりやすいらしい。初めて得る知見に、勇者は驚く。聖教会の聖典に書き加えたいくらいだ。

『我が深い絶望に呼ばれて眠りから目覚めたのはほんの少し前のこと。絶望を食したのはそれきりゆえ、我は近いうちに消滅するであろう』
「消滅するの? 戦争がないもんね。でも、こんなに平和なのに、戦争時と同じくらい絶望した人がいたんだね。……魔女様、どんなつらい目に合ったの?」

 勇者の言葉に、魔王は驚いているようだ。真っ黒な瞳がチカチカと揺れる。

『汝は聡いな』
「魔王様に褒められると嬉しいな。へへへ」
『あの娘は、すべてを奪われたのだ。家族も純潔も、名誉でさえも』
「うわぁ、酷い」
『緋の国の聖職者とその仲間が、聖女だった娘から何もかもを奪ったのだ』

 勇者はようやく納得する。この数ヶ月間、緋の国民から肌で感じ取ってきた聖教会への不信感の理由を、ようやく知ったのだ。
 神託を授かった者は心身ともに清らかでなければならない。聖女も勇者も純潔でなければならない。純潔を失うことは、職を失うことと同義である。
 敬っていた聖女が、他ならぬ聖職者の手によって穢されたのだ。信徒たちの怒りはもっともで、聖教会への信頼が揺らぐのも理解できる。

「つらい思いをしてきたんだね、魔女様……かわいそうに」
『汝に頼みがある』
「うーん。緋の国を滅ぼす手伝いならできないよ。曲がりなりにも勇者だからね、俺。気持ちはわかるけど」
『そうではない。汝に頼みたいのは、あの娘を――』

 水面が揺れる。魔王が震えている。

 ――魔女様を森から連れ出す? できないことはないけど難しそうだよなぁ。一回断られているし。

 優しい魔王の頼みは、勇者の考えの斜め上を行っていた。

『あの娘を、孕ませてくれ』

 叫びそうになった勇者の口に、再度深緑色の触手が突っ込まれるのであった。


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