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84話、弟。
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三限目が始まったくらいのときだった。俺は食堂で同級生たちと他愛もない話をしていたところだったのだけれど、母親からの着信に、同級生に断りを入れて、少し離れたところでその電話を受けたのだ。
「もしもし、どうしたの?」
『……っく、っく、ショウっ』
母親が泣きながら連絡してきたのに、狼狽えない息子はいないだろう。電話の向こうで、母親は号泣していた。
「ど、どうしたの、母さん?」
『マ、マドカが、マド、カがぁっ』
「姉ちゃんが!? なに!?」
思わず声を荒らげてしまった俺は、食堂内にいた学生たちの注目を集めてしまう。慌てて、食堂の外に出る。
「姉ちゃんがどうしたの、母さん!」
『ショウか? 今さっき、マドカの職場から母さんに連絡があって――』
電話口が父親に替わった。平日のこの時間に父親が電話をしているという状況に、嫌な予感しかしない。しかも、いつも冷静な父親の声が若干上擦っている。
姉ちゃんに、何が、あった?
『――マドカが、刺されたみたいなんだ』
「はあっ!?」
思った以上の声が出てしまう。
え? なんで? どういうことだ?
姉ちゃんが、刺された?
意味がわからない。
『若宮救急病院に搬送されたようだから、私たちもそちらに向かうよ。今、準備しているから……ショウは先に状況を……』
「若宮救急病院、だね。わかった。状態は? 誰に刺されたって?」
俺はもう走り出していた。
食堂に置いてあったリュックを引っ掴んで、同級生たちに四限目には出られない旨を伝え、構内を走る。講義中で廊下に学生が少なくて良かった。心置きなく全力疾走ができる。
『それが、状況が全くわからなくて……母さんの話だと、刺されて頭をぶつけたとかで』
「刺された上に!?」
『とにかく、状況がわからないんだ。ショウが先に確認しておいてくれると助かる』
「わかった、今からタクシーで向かうから!」
構内から飛び出て、タクシーがいそうな道路へ向かう。しかし、広い幹線道路に出ても、空車のタクシーがなかなかつかまらない。
若宮救急病院はここから五駅以上離れている。
電車か? 電車で行ったほうが速いか? タクシーを呼ぶか?
タクシーを待っている時間がもどかしくて、幹線道路沿いに駅へ向かって走り出す。駅の近くならタクシーも拾いやすいだろう。
姉ちゃんっ!
昨日、一日一緒に過ごせて幸せだった。
先週、姉ちゃんが俺の気持ちを受け入れてくれて、嬉しかった。
姉ちゃんっ!!
高校三年のとき、姉ちゃんと一緒に暮らせるよう、姉ちゃんの会社の近くの大学を受験した。短大を出た姉ちゃんが一人暮らしを始めたときから、それ以上姉ちゃんと離れて暮らすなんて、俺には耐えられなかったのだ。
どうか、無事で――!
中学時代は、何度も姉ちゃんに好きだと告白しようと思っては、次から次へと溢れてくる自分の欲の際限のなさに呆れていた。サカリのついた獣のような欲を、姉ちゃんにぶつけるわけにはいかなかった。
小さい頃から、姉ちゃんが大好きだった。
好きで好きでたまらなかった。
ただのシスコンでは片付けられないほど、いつの間にか俺の心は、姉ちゃんの笑顔で満たされるようになっていた。
「あっ!」
ちょうど目の前にタクシーが停車する。客を下ろしているのでそのまま待ち、すぐさま運転手に話しかける。
「すみませんっ、このまま乗っても大丈夫ですか?」
「おっ、いいよー」
「急いでください、姉が危篤なんですっ!」
運転手に行き先を告げると、タクシーは大慌てで走り出す。運転手は、俺の嘘を信じてくれたようだ。
呼吸を整えながらスマートフォンでニュースをチェックするが、まだ事件としての報道はされていないようだ。
姉ちゃん、どうか無事で――。
スマートフォンを手のひらで挟み込みながら、祈る。
どうか、傷は深くありませんように。
どうか、生きていますように。
どうか、また、俺に微笑みかけてくれますように。
俺はもう、姉ちゃんがいないと生きていけないのだから。
俺から姉ちゃんを奪わないで――。
「お釣りはいりません!」
若宮救急病院の正面玄関について、すぐに千円札を二枚置いたまま車外へ出る。一度は言ってみたい台詞だったけれど、今その機会が与えられても、何の感動もない。
「搬送された高梨マドカの家族です! 姉がどこにいるかわかりますかっ!?」
近くにあった受付に駆け込むと、女性が端末でぱぱっと検索をし、「五階の病棟に移られました。詳しくはナースステーションでご確認ください」と義務的に答えてくれる。
病棟、ということは、命に別状はないということか?
ほっとしながら、目に入った階段を駆け上る。さすがに五階まで一気に駆け上ると、足がパンパンだ。
階段の目の前にナースステーションがあったので、看護師を呼んで確認してもらう。
「姉はどこですかっ!?」
「高梨さんは五〇三号室ですよ。あっ、廊下は走らないで……」
何の因果か、姉はここでも五〇三を引き当てたようだ。
看護師に注意されても聞かず、廊下を走り進んでいくと、面会謝絶のプレートのかかった五〇三号室を見つける。姉ちゃんの名前は書かれていない。
深呼吸をしてからノックをすると、「はい」と男性の声。姉ちゃんの声ではない。
俺は慌てて、病室の扉を引き開けた。
「姉ちゃんっ!!」
五〇三号室は広々とした個室で、大きめのベッドの上に術着のようなものを着た姉ちゃんがぼんやりと座っている。頭と手首が包帯で巻かれている。刺されたのは手首だろうか。点滴もしている。
――無事みたいだ。
姉ちゃんを取り囲むように、スーツ姿の男性が何人かと、白衣を着た人が立っていた。
「高梨さんの弟さんですか?」
「はい。姉ちゃん? 俺だよ、わかる?」
スーツ姿の男性の言葉の続きより、姉ちゃんが俺の顔を見ても無反応なのが気にかかる。慌ててベッドに駆け寄り、姉ちゃんの左手を取る。指先が熱い。熱でもあるのか。
いや、それより、姉ちゃんの様子が。
「姉ちゃん!?」
「頭を強く打って脳震とうを起こしているから、ちょっと記憶が」
「えっ、記憶喪失ですか!? 俺のこと忘れちゃったんですか!?」
ベッドの向こうにいる医者に縋るような目を向けてしまう。
姉ちゃんの記憶が?
俺のこと、忘れちゃったの?
「……んなわけないじゃん」
俺を見つめ、困ったように微笑む姉ちゃんは、その柔らかな唇で。
「ね、ショウ?」
やっと、俺の名前を呼んでくれた――。
「もしもし、どうしたの?」
『……っく、っく、ショウっ』
母親が泣きながら連絡してきたのに、狼狽えない息子はいないだろう。電話の向こうで、母親は号泣していた。
「ど、どうしたの、母さん?」
『マ、マドカが、マド、カがぁっ』
「姉ちゃんが!? なに!?」
思わず声を荒らげてしまった俺は、食堂内にいた学生たちの注目を集めてしまう。慌てて、食堂の外に出る。
「姉ちゃんがどうしたの、母さん!」
『ショウか? 今さっき、マドカの職場から母さんに連絡があって――』
電話口が父親に替わった。平日のこの時間に父親が電話をしているという状況に、嫌な予感しかしない。しかも、いつも冷静な父親の声が若干上擦っている。
姉ちゃんに、何が、あった?
『――マドカが、刺されたみたいなんだ』
「はあっ!?」
思った以上の声が出てしまう。
え? なんで? どういうことだ?
姉ちゃんが、刺された?
意味がわからない。
『若宮救急病院に搬送されたようだから、私たちもそちらに向かうよ。今、準備しているから……ショウは先に状況を……』
「若宮救急病院、だね。わかった。状態は? 誰に刺されたって?」
俺はもう走り出していた。
食堂に置いてあったリュックを引っ掴んで、同級生たちに四限目には出られない旨を伝え、構内を走る。講義中で廊下に学生が少なくて良かった。心置きなく全力疾走ができる。
『それが、状況が全くわからなくて……母さんの話だと、刺されて頭をぶつけたとかで』
「刺された上に!?」
『とにかく、状況がわからないんだ。ショウが先に確認しておいてくれると助かる』
「わかった、今からタクシーで向かうから!」
構内から飛び出て、タクシーがいそうな道路へ向かう。しかし、広い幹線道路に出ても、空車のタクシーがなかなかつかまらない。
若宮救急病院はここから五駅以上離れている。
電車か? 電車で行ったほうが速いか? タクシーを呼ぶか?
タクシーを待っている時間がもどかしくて、幹線道路沿いに駅へ向かって走り出す。駅の近くならタクシーも拾いやすいだろう。
姉ちゃんっ!
昨日、一日一緒に過ごせて幸せだった。
先週、姉ちゃんが俺の気持ちを受け入れてくれて、嬉しかった。
姉ちゃんっ!!
高校三年のとき、姉ちゃんと一緒に暮らせるよう、姉ちゃんの会社の近くの大学を受験した。短大を出た姉ちゃんが一人暮らしを始めたときから、それ以上姉ちゃんと離れて暮らすなんて、俺には耐えられなかったのだ。
どうか、無事で――!
中学時代は、何度も姉ちゃんに好きだと告白しようと思っては、次から次へと溢れてくる自分の欲の際限のなさに呆れていた。サカリのついた獣のような欲を、姉ちゃんにぶつけるわけにはいかなかった。
小さい頃から、姉ちゃんが大好きだった。
好きで好きでたまらなかった。
ただのシスコンでは片付けられないほど、いつの間にか俺の心は、姉ちゃんの笑顔で満たされるようになっていた。
「あっ!」
ちょうど目の前にタクシーが停車する。客を下ろしているのでそのまま待ち、すぐさま運転手に話しかける。
「すみませんっ、このまま乗っても大丈夫ですか?」
「おっ、いいよー」
「急いでください、姉が危篤なんですっ!」
運転手に行き先を告げると、タクシーは大慌てで走り出す。運転手は、俺の嘘を信じてくれたようだ。
呼吸を整えながらスマートフォンでニュースをチェックするが、まだ事件としての報道はされていないようだ。
姉ちゃん、どうか無事で――。
スマートフォンを手のひらで挟み込みながら、祈る。
どうか、傷は深くありませんように。
どうか、生きていますように。
どうか、また、俺に微笑みかけてくれますように。
俺はもう、姉ちゃんがいないと生きていけないのだから。
俺から姉ちゃんを奪わないで――。
「お釣りはいりません!」
若宮救急病院の正面玄関について、すぐに千円札を二枚置いたまま車外へ出る。一度は言ってみたい台詞だったけれど、今その機会が与えられても、何の感動もない。
「搬送された高梨マドカの家族です! 姉がどこにいるかわかりますかっ!?」
近くにあった受付に駆け込むと、女性が端末でぱぱっと検索をし、「五階の病棟に移られました。詳しくはナースステーションでご確認ください」と義務的に答えてくれる。
病棟、ということは、命に別状はないということか?
ほっとしながら、目に入った階段を駆け上る。さすがに五階まで一気に駆け上ると、足がパンパンだ。
階段の目の前にナースステーションがあったので、看護師を呼んで確認してもらう。
「姉はどこですかっ!?」
「高梨さんは五〇三号室ですよ。あっ、廊下は走らないで……」
何の因果か、姉はここでも五〇三を引き当てたようだ。
看護師に注意されても聞かず、廊下を走り進んでいくと、面会謝絶のプレートのかかった五〇三号室を見つける。姉ちゃんの名前は書かれていない。
深呼吸をしてからノックをすると、「はい」と男性の声。姉ちゃんの声ではない。
俺は慌てて、病室の扉を引き開けた。
「姉ちゃんっ!!」
五〇三号室は広々とした個室で、大きめのベッドの上に術着のようなものを着た姉ちゃんがぼんやりと座っている。頭と手首が包帯で巻かれている。刺されたのは手首だろうか。点滴もしている。
――無事みたいだ。
姉ちゃんを取り囲むように、スーツ姿の男性が何人かと、白衣を着た人が立っていた。
「高梨さんの弟さんですか?」
「はい。姉ちゃん? 俺だよ、わかる?」
スーツ姿の男性の言葉の続きより、姉ちゃんが俺の顔を見ても無反応なのが気にかかる。慌ててベッドに駆け寄り、姉ちゃんの左手を取る。指先が熱い。熱でもあるのか。
いや、それより、姉ちゃんの様子が。
「姉ちゃん!?」
「頭を強く打って脳震とうを起こしているから、ちょっと記憶が」
「えっ、記憶喪失ですか!? 俺のこと忘れちゃったんですか!?」
ベッドの向こうにいる医者に縋るような目を向けてしまう。
姉ちゃんの記憶が?
俺のこと、忘れちゃったの?
「……んなわけないじゃん」
俺を見つめ、困ったように微笑む姉ちゃんは、その柔らかな唇で。
「ね、ショウ?」
やっと、俺の名前を呼んでくれた――。
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