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篠宮小夜の受難(二十一)

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「風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな 」

 ――あなたに、振り向いて欲しい。

 と、言われましても。
 今は振り向けません。ちょっと難しいです。現在の状況からも、心理的な観点からも。

「小夜先生、好きです」

 首筋に唇。何度も、何度も、何度も、肌を求めてくる熱。
 唇で上手に髪をよけて、うなじに、キス。何度も、何度も、執拗にキスが繰り返される。
 そのたびに、体が、腰が、震える。

「……っ、んっ、駄目っ」

 泡を、落とさなきゃ。落として、手を拭いて、何してるのって、やめてって、言わなきゃいけないのに。いけないのに。

「小夜先生、好きにしていいって言いました」
「こういう、ことじゃ……ないっ」

 こういうことじゃない!
 確かに、好きにしてください、とは言ったけど!
 それは、部屋の中で好きに過ごしてくださいって意味で……意味で……いや、断じて……こういうことじゃ……っ、あー、もう!

 里見くんの指がするすると動く。結んでいたはずの指が外れて、お腹のあたりを撫でるように。
 最近の私の体は、求められることに慣れていない。最後に礼二に触れられてから、何ヶ月たったか忘れてしまうくらい、刺激に飢えている。
 相手が誰だとか関係なく、ただ「求められている」ことに、体は、拒絶を示すことなく――悦んでいる。

「だ、めっ」

 それは、駄目だ。
 下腹部の疼きに、まだ理性が勝る。
 それは、里見くんに失礼だ。誰でもいいわけじゃない。
 その疼きに流されてしまったら、それこそ、淫乱だ。

「小夜先生、お願い」

 左肩のあたりに熱い吐息。ぬるく濡れた舌が押し当てられると、体が悦びに震える。
 だから、駄目だって、言ってるのに。
 舌がゆっくり肩を這い、指が腰のあたりを撫でる。
 だか、ら。

「流されて、いいから」

 流されていいなんて、体が欲しいなんて、里見くんが望んじゃ駄目でしょ。
 心から手に入れるんじゃなかったの? 作戦変更?

「小夜先生」
「……っん」

 唇を噛み締める。
 緩く、程度の低い刺激で、腰が揺れるなんて。声が漏れるなんて。
 羞恥より恐怖だ。恥ずかしいとかじゃない。ただ、怖い。
 里見くんが望んでいることを、私の体は受け入れようと準備を始めた。それが怖い。
 頭の中では駄目だってわかっているし、駄目だって言っているのに、快楽を覚えている体は、どこまでも欲望に忠実で、貪欲だ。

「お願い、受け入れて」

 駄目だよ、里見くん。
 君は私の教え子で、五歳も年下で、今は実習生で、学生で、だから。

『なんで駄目なの?』

 智子先生から聞かれて、私は答えられなかった。
 なんで、駄目なんだろう?
 私は、たぶん、向き合うのが怖いのだ。だから、問題を五年先に先延ばししたに過ぎない。確固たる想いがあるわけじゃない。
 ただ、逃げているだけだ。

 だから、怖い。
 逃げても逃げても追いかけてくる里見くんが、怖い。
 いつか追い詰められそうで――それが、今、現実になろうとしているのが、怖い。

 好きでもないのに、それは、どうかと、思う……好きでもないのに。好きでもないのに。
 好きでも、ないのに?

「小夜先生?」

 ……うん?

 私は手早く泡を落とし、タオルで手を拭く。
 里見くんは、いきなり体を弛緩させ、両手を自由に使えるようにした私に驚いている。
 けれど、腕、指を離さないのはさすが。むしろ、力づくで逃げようとする私を警戒してか、ぎゅうぎゅうに私を締めつける。本当に困った人だ。

「里見くん」
「……はい、すみません。ちょっと調子に乗りました」

 ちょっとどころじゃなく、だいぶ調子に乗りましたよね、君。調子に乗って胸も揉んだでしょ。お腹も揉んだでしょ。本当に、もう。

「怒っていますか?」
「ええ、まあ」
「でも、小夜先生が頑固だから駄目なんですよ」
「あ、それなんですけど」

 私は身を捩って里見くんのほうを向こうとするけど、逃げられると思ってか、里見くんがぎゅうと抱きしめてくる。
 く、苦しい……。

「里見くん、逃げないので、ちょっと」
「逃げませんか?」
「はい」
「本当に?」
「本当に」

 渋々腕を少し緩めてくれたので、抱きしめられたまま、里見くんのほうを向く。目の前に里見くんの唇が見えてぎょっとする。
 ……近い。これ以上上を向いたらキスしてしまう。
 はぁとため息をついて、里見くんの肩に額をつける。息を吸い込んで、里見くんの匂いを嗅ぐ。
 香水などはつけていないみたいだ。トマトソースを作ったときのものか、ちょっとニンニク臭い。そして若干汗臭い。
 あんまりいい匂いとは言いがたいけど……悪くない。体に拒否反応は、ない。
 ということは、生理的に里見くんは受け入れられるということだ。

「小夜先生?」
「ちょっと確認しているんです」

 里見くんの指が背中と腰を撫でる。ブラのホックの位置を撫で、その形跡がないことに気づいたのか、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。うん、よく、聞こえる。
 ブラトップにホックはないので、驚いたのかもしれない。服の上からホック外しをされなくて良かった。
 そのまま我慢してくださいね。

「何の確認ですか?」
「里見くん、黙って」

 何の確認かって、そんなの決まっている。

 私が、里見くんを、どこまで許容しているのか――それが知りたい。

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