【R18】勇者の姉君は塔の上

千咲

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第一章

03.オルガと純粋な少年

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 朝から晩まで私を抱き潰すのはセドリックしかいない。大抵の男は、闇に紛れるようにやってきて、夜が深いうちに帰っていく。翌朝まで眠っていた男はいない。私を明るい光の中で抱くのはセドリックだけだ。
 翌朝、さすがに体中がだるかったので、朝食を摂ることもなく日が高くなるまで眠っていた。避妊薬と催淫薬だか媚薬だかを混ぜた薬が抜けると、ようやく起き上がることができるようになった。

「姉君様!」

 格子の向こうに、金髪の少年がいるのが見えた。椅子を持ち込んだのか、それに座っている。

「リュカ、どうして」
「姉君様が、心配で!」

 シーツの中に紛れていた赤色の服を着て、ゆっくりと格子に近づく。セドリックのもので白く汚れた箇所があるけれど、他に着替えがないのだから仕方ない。リュカは何かを大事そうに抱えている。

「昨日の朝から、ずっと悲鳴が聞こえていたので……姉君様の身に何があったのか心配だったんです」
「リュカ?」

 格子の間隔は、私の拳が通らない程度のものだ。その隙間から、リュカの様子を窺う。彼は、毛布を抱えたまま、涙を浮かべている。

「どうして、あんな獣のような男に、姉君様が傷つけられなければならないのですか? あの男が王族だからですか? 姉君様は、勇者様の姉君なのに! どうして、あんな酷い仕打ちを……!」
「落ち着いて、リュカ。私なら大丈夫だから。セドリック様をあの男呼ばわりしてはいけないわ。誰が聞いているかわからないもの。不敬罪に問われたら」
「でも、姉君様!」

 格子の隙間から手を伸ばそうとして、阻まれる。結界によって、私の指先すら、外に出すことができない。私のために泣いている少年を慰めることすらできないなんて、本当に情けない。
 けれど、それを見たリュカが駆け寄ってきて、格子の隙間から私の手を取った。結界は、私の脱走を阻むためのもので、外からの侵入は許可されている、ようだ。知らなかった。
 毛布をずっと抱きしめていたためか、初めて触れるリュカの手は暖かい。熱いくらいに、私の手を、心を、乱していく。

「セドリック、様の行為によって姉君様が傷ついているのなら……僕が癒やして差し上げたい」

 深い緑色の潤んだ目が、きらきらと輝く。そんなふうに澄んだ瞳で見つめられると、私の心がいかに汚れているかを自覚してしまう。彼を利用して脱走を計画しようか、なんて……考えるだけでも大罪だ。純粋な彼を共犯にできるわけがない。

「ありがとう、リュカ。気持ちだけで嬉しいわ」
「いいえ、気持ちだけでは納得できません! 姉君様のために、僕ができることはありませんか!?」

 リュカにできること。彼に頼みたいこと。こんなろくでもない塔の上で、リュカにしかできないこと。

「じゃあ、リュカが暇なときは、こんなふうにお喋りをしましょ」
「わかりました! お喋り、ですね!」

 リュカはパァと明るく笑い、頷く。同じ緑色の瞳なのに、セドリックとは全然違う笑顔だ。可愛らしくてたまらない。
 リュカはそっと私の手を引き、格子の近くにまで引き寄せる。何をするのかと思ったら、格子のギリギリのところで、リュカは私の手の甲に口づけたのだ。
 ……ちょっと、リュカ!?

「では、姉君様、湯浴みと着替えをすませてください。お食事をお持ちいたします」
「えっ、あっ、はい」
「毛布を持ってきたので、こちらに座って食べてくださいね!」

 動揺してしまった。手の甲にキスされるなんて、初めてなんだもの。もっといやらしいキスをしたことなんてたくさんあるのに、こんなことで年下すぎる少年にときめくとは、我ながら情けない。
 小窓から差し入れられた毛布は、とても暖かい。まるでリュカの心のようだ。そんな優しい子の目に、昨日のセドリックと私の行為はどんなふうに映ったのだろう。心を歪ませたり傷になったりしていないだろうか。
 去っていったリュカのことを思い、私は溜め息を吐き出した。



 母一人子一人で暮らしてきたリュカ。去年、彼の母親は街に発生した《瘴気の霧》によって亡くなったのだという。《瘴気の霧》は人体には毒だ。触れると肌がただれ、吸うと死に至る。その街では何人もの人が犠牲になったという。
 そして、その《瘴気の霧》を晴らしたのが、勇者になったばかりの――私の弟なんだそうだ。

「だから、僕は勇者様を尊敬しています! もちろん、その姉君様のことも!」

 リュカが私を特別な目で見ていることは、わかった。弟がリュカの住む街を救ったのだ。それは私にとっても誇らしいことではある。
 ただ、私が尊敬される理由にはならない。弟が立派に務めを果たしたからと言って、私まで立派な人だと思われるのは、少し違う。リュカには説明しづらいことだけど。

「姉君様は母にどことなく似ている気がします」
「へえ」
「腕は細いのに心は絶対に折れないところとか、負けず嫌いなところとか」

 あぁ……リュカは私に「母親」を見つけたんだ。母性を求めている。まだまだ子どもなんだなぁ。

「つまり、頑固だった、と?」
「それはもう大層な頑固者でしたよ! 結局、父のことも話してくれませんでしたし」
「お父様がいないの? だから、聖教会に?」
「はい。僕には父親がいませんでした。どこの誰だかもわかりません。母を亡くしたら一人ぼっち、孤児です。幸い、街に聖教会の教会があったので、半年前までそこで暮らしていました」

 私たちの両親は、弟が成人したあとで亡くなった。成人していた私は林檎農園で既に働いていた。だから、両親がいなくても何とか二人で暮らすことができた。
 未成人の子どもは、引き取り手がいなければ教会内で暮らすことになる。教会は、祈りを捧げるだけでなく、孤児の養子縁組を支援したり、孤児が成人するまで一人で生きていけるように育てたりする施設でもある。
 一般的には「良い」施設なのだ。私だって、そう信じていた。こうなるまでは。
 聖教会の本部内で勇者の姉が幽閉されているなんて、誰も想像すらしていないだろう。娼婦のように、本部を訪れる高貴な男たちの相手をさせられているなんて、誰も。

 リュカは格子の隙間から右手を差し入れ、私の左手を握っている。向かい合って椅子に座ったら、「お喋りをしている間はこうしていてもいいですか?」なんて上目遣いで懇願されてしまった。そんな可愛いおねだりを断ることなどできない。
 じっくり見てみると、十三歳のリュカは私と同じくらいの背丈だ。けれど、手は彼のほうが大きい。遠目では華奢で幼いと思っていたけれど、近くで見てみると、意外と筋肉質だった。

「本部に来たのは半年ほど前です。ずっと世話職だったので、家事――特に料理はうまくなりましたよ。さっきのパン、僕が焼いたんですよ」
「へえ、すごい! 言ってくれたらもっとちゃんと味わったのに」

 リュカは照れたように笑う。さっき食べた白いパンをリュカが焼いたなんて、知らなかった。今まで食べた料理の中に、もしかしたら彼が作ってくれていたものがあったのかもしれない。

「でも、裁縫は全然ダメです。僕、針を扱うより、ナイフや剣を扱うほうがずっと好きです」
「へえ。私、裁縫は得意なのよ。弟の服もちゃんと仕立ててあげていたんだから」

 リュカは「いいなぁ」と呟く。「僕も姉君様に服を仕立ててもらいたいです」なんて可愛いことを言う。
 さすがにここに布は持ち込めないので、リュカに服を仕立ててあげることはできない。ほつれを繕ってあげることくらいならできるけれど。

「あ、刺繍くらいならできるかも」
「刺繍ですか? 僕の服に刺繍をしてくれるんですか?」

 針と糸ならある。針で刺しても致命傷には至らないだろうと判断されて、それだけは使うことが許可されている。
 やってきた人に針を飲ませてやろうかと考えたことはあったけれど、失敗して針まで取り上げられてしまうと考えると、それは得策ではないように思えた。やめておいて良かった。

「僕、刺繍してもらいたい服を持ってきますね! 姉君様がここから出られたら、僕のために服を仕立ててくれませんか?」
「いいわよ。服だって料理だって作ってあげる」
「ありがとうございます。待ちきれないですね」
「そうねぇ」

 わかっている。私はたぶん、ここから出られない。
 弟が一人で世界中の《瘴気の霧》を晴らすことができるとは誰も思っていない。「勇者」は弟で六代目。今までの勇者は老いて体力が限界になるまで《瘴気の霧》を晴らし続けた。弟もそうなるだろう。私も、老いるまでここに幽閉され続けるはずだ。性的な相手ができなくなっても、聖教会にとっては「人質」の価値があるのだから。
 だから、リュカと夢を見る。幸せな夢を見るくらい、許してほしい。幸せな未来を想像するくらい、許してほしい。

「姉君様の得意な料理は何ですか?」
「故郷の林檎を使った料理かしら。林檎のパイも得意だし、ジャムも評判良かったわよ。林檎のグラタンも美味しいのよ。サリエヤギのチーズを乗せて焼くの」
「へえ、美味しそうですね! 食べてみたいなぁ」
「いつか、ね」
「そうですね。いつか……毎日でも食べられればいいなぁ」

 リュカは少し強く私の手を握り、「毎日」と呟く。
 毎日、好きな料理を食べることができたら。毎日、好きな裁縫をすることができたら。毎日、好きなように生きられたら、どれほど幸せなことだろう。

「姉君様と毎日一緒に過ごせたらいいのになぁ」

 リュカの笑みに、私も応じる。そうだね、そんな幸せを少し夢見るくらい、いいよね。ちょっと、だけだもの。
 来ることがない未来に、私は、私たちは、ただ焦がれるだけなのだ。


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