【R18】勇者の姉君は塔の上

千咲

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第二章

17.リュカの決断

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 星降祭りが始まる前から、聖教会本部は慌ただしくなってきた。地方から聖職付きの貴族がやって来るので、その接待をしなければならないし、儀式用の聖衣の試着や修繕をしなければならない。聖職者もその世話係も、右往左往しながら何とか準備に勤しんでいる。
 もちろん、僕も。
 総主教様の部屋、衣装部屋と給湯室の場所は把握した。給湯室には鍵のかけられている棚があることも、ロランから聞いた。おそらく、そこに媚薬と避妊薬が収められているのだろう。鍵の場所はわからないが、儀式の最中も総主教様が持ち歩くとは限らない。
 成人の儀の前後で、総主教様の部屋に入ることができれば、鍵のありかもわかるはずだ。成人の儀で鍵の奪取に失敗したとしても、翌日には婚約披露宴がある。総主教様も王城に招待されているため、一日彼は不在となる。その日もいい機会となる。
 総主教様の日程は、完全に把握した。これで、何とかオルガ様と――。

 逃げる?
 僕はふと、考える。
 オルガ様と、逃げる?
 それとも、オルガ様だけ、逃がす?

 僕は未成人だ。逃げたところで、何ができる?
 成人だと年齢を偽り、職を探すのはさほど難しくないだろう。成人か未成人かを判断する材料なんて、見た目だけだから。家を借り、畑を借り、慎ましく二人で生活するのもいいだろう。その場合、オルガ様には貧乏を強いることになる。聖教会からの追っ手に怯える日々を過ごすことになる。
 まるで薄氷の上の生活。それは、オルガ様にとって、幸せなことだろうか。

 僕は、僕だけの幸せを考えていた。それが最善だと考えていた。
 それは、果たして、僕たちの幸せになるのか? オルガ様の幸せになるのか?
 オルガ様とキスをするのは、すごく幸せだ。何か欠けたものが満たされていくような気がする。オルガ様も同じ気持ちだと思っていた。
 けれど、それは、刹那的な感情ではないのか?
 僕は、もう少し先のことを考えなければならない。逃げた先の、二人の幸せを、考えなければならない。

 星降祭り四日目。
 いつものようにオルガ様とおしゃべりをしたり踊ったりしていたら、階下から足音が聞こえてきた。瓶はジョエルから受け取っていない。誰かが薬なしでやって来たと考えると、ゾッとした。
 オルガ様には相手が薬を持っていない可能性を考え、その対処法を伝えておいた。薬を持っていないようなら、総主教様の部屋に薬を取りに行かなければ。それができるのは、僕しかいない。
 不安がるオルガ様を一人残し、僕は階下へ降りる。心苦しかったけれど、彼女の窮地を救えるのは僕しかいないのだ。

「……まだいたのか」

 大きな瓶とグラスを持って階段を上ってきた男に、思わず足を止めた。セドリック王子――父だ。小さな赤色の瓶は持っていない。

「小瓶をお持ちいたしましょうか?」
「いや、必要ない。今夜は交わる予定ではない」
「そう、ですか」

 疑いの目を父に向ける。何しろ、オルガ様を騙してここに監禁している男なのだ。彼の言うことを信じることはできない。薬なしでオルガ様を犯さない保証はない。

「念のためにお持ちいたします」
「お前のために、か?」

 試すような視線に、僕は冷や汗をかきながら「まさか」と必死で笑みを浮かべる。

「もちろん、姉君様のお体のためです」
「オルガを気に入っているようだな。あれの中に母親を見たか」
「そんな、畏れ多いことは、ございません」
「ならば、復讐の糸口でも見つけたか? そして、私からオルガをも奪うか。ジャスミーヌのように」

 あぁ、そうか。
 父は、僕のことを知っている。僕が息子だと、知っている。知っていて、僕がオルガ様のそばにいることを許している。オルガ様が自分から離れていくはずがないと、ここから出られるはずがないと、高をくくっている。
 愚かな男だ。オルガ様の心はもう、僕のものであるというのに。復讐の糸口どころか、既に復讐はほぼ完成しているというのに。なんて、愚かな男。

「……何のことやら」
「まぁよい。今宵は気分が良い。子ねずみがいたことは不問とする。早く立ち去るがいい」
「……いえ、薬をお持ちいたします」
「ふん、好きにしろ。どうせ必要のないものだ」

 そう捨て置いて、父は階段を上っていく。僕は、反対に階段を降りていく。
 初めての父との会話がこんなものになるなど、母もきっと予想していなかったに違いない。感動的な初対面とは程遠い。お互いに父子であることを認め、しかしオルガ様を巡り、決定的な敵対関係にある。馬鹿馬鹿しい対立だ。
 それより、早く薬を持ってこなければ。あの男がオルガ様を抱く前に。
 僕は走り出していた。総主教様の部屋を訪れるための理由を手に入れたことを、父に感謝しながら。



 総主教様の部屋の扉を叩く。「誰だ?」と不機嫌そうな表情でカンテラを差し出して来た総主教様に、素早く用件を伝える。

「夜分遅くに失礼いたします。セドリック王子が姉君様をお訪ねになりました。薬を持参していないので、総主教様のところから持って来るようにと仰せつかりました」
「セドリック王子が? また余計なことを」

 父がオルガ様を訪ねることは、聖教会からは歓迎されていないようだ。おそらく、オルガ様を幽閉しているのは父本人の命令なのだろう。聖教会は協力させられているだけ。暴かれては都合が悪い隠し事の共犯に仕立て上げられたわけだ。
 「待っていなさい」と不機嫌な総主教様から言われたけれど、もちろん黙って突っ立っている馬鹿ではない。するりと入室し、給湯室の扉の隙間からこっそりと中を覗く。
「あの方の気まぐれには困ったものだ」とブツブツ文句を言いながら、総主教様は右上の棚の引き出しから銀色の鍵を取り出し、左端の棚の鍵を開ける。その引き出しから、見慣れた赤色の小瓶を取り出す。そして、銀色と青色の瓶からそれぞれ計りを使って液体を小瓶に注ぐ。銀色と青色の瓶はどうやら媚薬と避妊薬のようだ。
 なるほど、総主教様が直々に薬を混ぜ合わせていたわけだ。それぞれ単独で調合されているなら、世話係に媚薬だけを飲ませることができるもんな。まぁ、避妊薬入りのものを少年たちに飲ませても、結果は変わらないけどさ。

 そうして、僕は薬を手に入れて塔に戻ったのだけれど、信じられないことになっていた。父が、オルガ様を押し倒し、犯している最中だったんだ。
 慌ててオルガ様の名を呼んでも、答えてはくれない。おそらく、口を塞がれているのだろう。モゴモゴという音だけは聞こえる。

 薬がないのに、父はオルガ様を犯している。避妊をしない行為がどういう意味を持つのか、知らないわけではない。
 この男は、一体何なんだ?
 なぜ、そこまでしてオルガ様を苦しめる? 彼女が何をしたんだ?
 どうして、僕を苦しめる? 僕が息子だからか?
 どんな理由があって、僕たち二人の仲を引き裂こうとするんだ? 教えてくれよ、なあ。

 オルガ様を辱めている父に対し、心の奥底で昏い憎悪の念が浮かび上がる。
 父が憎い。殺してやりたいほど、憎い。
 最初から、そうすれば良かった。オルガ様を巻き込むことなく、直接父を殺してやればよかった。そうして、オルガ様を解放してやればよかった。
 僕は、順番を間違えた。
 馬鹿だな。
 死ぬよりつらい苦しみを与えてやろうだなんて、計画した僕が馬鹿だった。ただ殺してやればよかっただけなんだ。

 オルガ様がひどく暴れている。ベッドの上の白い四肢が見え隠れしている。美しく、綺麗な体だと思う。彼女は、何もかもが清らかなんだ。
 オルガ様は、抵抗している。父を受け入れてはいない。オルガ様が好きなのは、父ではない。僕だ。
 僕だ。
 僕だけなんだ。

「オルガ様!」

 愛のない行為に、何の意味がある?
 父のその行為は、虚しいだけのものじゃないか。馬鹿らしい。
 オルガ様は父に抱かれながら、今、僕の名前を呼んでいるはずだ。僕のことを考えているはずだ。
 子を成そうと思った女が、屈せずに他の男の名を呼ぶなんて、どんな気分だ? 愛のない行為しかできないなんて、どんな気分なんだ?

 見せつけられている行為が、反対の意味を持つ。父がオルガ様を抱けば抱くほど、僕と彼女の絆が深まるだけ。下らない自尊心を保つためにオルガ様を傷つけるなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
 昂ぶったものを扱くと、呆気なく出てしまう。本来はオルガ様の中で弾けさせたいものだったというのに。……弾けさせたい? それじゃあ、あの愚かな男と同じじゃないか。憐れな男と同じじゃないか。
 岩の床に落ちた白濁液を見下ろして、片付けなければ、と思う。オルガ様には見せられない。こんな情けないもの、見せてはいけない。

「リュカ!」

 一生懸命僕の名を呼ぶオルガ様を見て、いじらしいと思う。あぁ、なんて可愛い人。囚われ、嬲られているというのに、それを微塵も感じさせない、強い人。
 僕は、なんて、弱くて愚かなんだ。あいつと同じ。憎んだ父と、同じ。なぜ、今まで気づかなかったんだ。オルガ様と僕は違う。全然、違うんだ。
 小瓶を抱え、フラフラとしながら階段を降りる。オルガ様の声も聞こえない。

 オルガ様を解放しよう。
 そして、僕は、父を殺そう。
 そんな単純なことを、今、僕はようやく決意したんだ。


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