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聖女の休日

057.聖女、エレミアスと対峙する。

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 月に一度、十五日にあるという大聖樹会は、奇しくもわたしの「休日」となっている。皆その支度で忙しくしているため、わたしの部屋には最低限の宮女官の出入りしかない。朝食も冷たかった。きっと料理人も大聖樹会の準備をしているんだろう。敬虔な信者たるウィルフレドは、鐘の音が鳴るずっと前に、早々に帰っていった。
 もちろん、ラルスも来ない。彼は紫の国へ向かう準備もあるだろうから、わたしの顔を見る余裕なんてないんだろうな。気まずいし。
 二週間ぶりに一人ぼっち。部屋が広く感じられる。今日の服は白。髪だけ、リヤーフがくれた簪で留めてある。一人で香茶を淹れて適当にジャムを入れて飲む。

 ……あぁ、寂しいな。

 わたし、一人のときは何をしていたんだっけ?
 元の世界では、生きていくために必死で働いていた。学がないから正社員に登用されず、休みなくバイトを詰め込んで、休日なんて年に何回もなくて。その休日すら、ずっと眠っていたんだった。
 こんな何もない日、何をすればいいんだろう。
 趣味もなければ、夢もない。やりたいことなんて思いつかない。
 オーウェンがいたら体術を、ヒューゴがいたら勉強を、リヤーフからは文字を、それぞれ教えてもらえるんだけどなぁ。皆、今日はこっちに来られないし、時間がきたら聖樹殿に向かうだろうし。

 一人って、こんなにつまらないものだったんだなぁ。
 ソファに座って溜め息をつく。二週間連続で夫たちの相手をするのは大変だったけれど、それはそれで充実していたのかもしれない。見知らぬ世界で一人じゃないということは、すごく恵まれていたことなんだと今さら気づく。

「聖女様、いらっしゃいますか」

 ノックとともに現れたのは、レナータだ。女官服の裾に黄色い刺繍をして、手には白いベールを持っている。正装だ。

「あれ、レナータ。大聖樹会っていつから?」
「二つ時からです。が、その前に少しだけ時間があると総主教様が仰せです。総主教様にお会いいたしますか? ご案内いたしますよ」

 あのおじいちゃんに会う? 会って何を話す? 前の聖女のこととか、世間話? えっ、どうしよう?

「歴代総主教様の手記が収められている書庫の鍵は、総主教様と副主教様が持っておられます」
「へぇ、そうなんだ。なるほど、鍵かぁ。あ、でも、こっちの文字はまだ読めないや。レナータは大聖樹会に行くでしょ?」
「大聖樹会が終われば時間がございます」
「じゃあ、先に鍵だけ借りに行くかなぁ」

 どうせ暇だしね。テレサは存在しないと言っていたけど、奇跡的に日本人の聖女の日記とかがあったら読めるかもしれないし。わたしは香茶のカップを置き、レナータに「案内して」と頼む。
 警戒心がなさすぎることを何度もラルスから叱責されてきたというのに、本当にバカだと思う。ただ、注意力が足りないというよりは、別に何をされてもいいと考えているからなのかもしれない。警戒するほど、自分を大切だと思っていない。誰かに裏切られることも暴力を振るわれることも日常茶飯事だったから、すべてを諦めているのかもしれない。元の世界とは立場が違うというのに、本当の意味では理解していなかった。
 結局、ラルスにもオーウェンにも相談しないまま、レナータの後ろをついていく。彼女がどんな表情をしているのかなんて、知らないで。



 聖職者たちが仕事をしている「本部」は、聖女宮から少し離れたところ、聖樹殿の隣にある。そのほうが行き来しやすいんだろう。
 その本部内は真っ白な衣装を着た人々が行き交い、大変賑やかだ。既にベールをつけた人、まだつけていない人、まちまち。慌ただしくしていてもぶつかったり怒号が聞こえたりはしないのは、さすがに聖職者が集まるところだなぁと感心していると。

「おい、女官が何の用だ?」

 白い衣服を着た金髪の男が、レナータとわたしの前に立ち塞がる。腕を組み、わたしたちを見下すような視線を向けている。緩く結われた長い金髪。黄の国の人だろう。
 ん? この声、この甘い匂い。間違いない、こいつ――。

「聖女様を総主教様のお部屋にご案内差し上げているところでございます」
「はん。お前が聖女か。この忙しいときに、わざわざ総主教様にお会いするだと? 聖女様は常識というものをご存知ないようだなぁ!」

 エレミアスの言葉に、あちこちで失笑が起こる。やっぱり、こいつ、ムカつくなぁ。うぅ、殴ってやりたい。
 しかし、笑っているのが金髪の男たちばかりだというところから、そうじゃない考え方の人もいるのだと知る。それは大きな収穫だ。聖職者は皆エレミアスみたいな男ばかりだと思っていたから。
 周りにいる他の国の人たちが味方なのかはわからない。けれど、証人にはなってくれるはずだ。じゃあ、手は使わないで殴ってみよう。そうだなぁ……高飛車なお金持ちのクラスメイトみたいな喋り方だといい感じになるかな。

「あら。月に一度の大聖樹会ならば、事前に準備できるもののほうが多いのではなくて? それなのに忙しいだなんて、余程段取りが悪いのかしら。それとも、ここには無能が多いのかしら」
「せ、聖女様」

 レナータは慌てるが、もう遅い。発言しちゃったもんねー。
 さて。売られた喧嘩は買う聖女なんだけど、果たしてエレミアスの煽り耐性はいかほどのものだろう。あれだけの嫌味をラルスにぶつけておいて、まさか自分がその立場になるとは思っていないとか? まさかねー? 殴られるわけがないとでも、言い返されるわけがないとでも、思ってた?

「んなっ」
「あーら、図星? 無能であっても聖職者にはなれるのねぇ。試験はないの? 家柄が良ければなれるの? それとも、お金を積めば誰だって聖職者になれるものなのかしら? じゃあ、無能が紛れ込むのも仕方ないわねぇ」
「聖女様、口が過ぎます」

 エレミアスの顔が真っ赤になっていく。目が吊り上がり、頬がピクピク動き始める。ふむ、煽り耐性はないみたいだ。

「何を言っている、お前! この私を愚弄する気か!?」
「ふふ。『この私』? たかが末端の聖職者ごときが『この私』ですって? 総主教と同等の立場である聖女に、どういう口のきき方をしているの? 替えのきくただの聖職者でありながら、唯一無二の存在である聖女を愚弄しているのは、どちらなのかしら?」
「おっ、おま――」
「ねーえ、二年ぶりに聖樹に命の実が宿ったのは誰のおかげ? 子を待ち望む各国の夫婦に命の実を授けることができたのは、だ・れ・の・おかげ? あなたの力? それとも七聖教の聖職者の力?」

 高飛車なクラスメイトをイメージして煽ってみたんだけど、割と楽しくなってきちゃった。エレミアスは両手を握りしめ、ブルブルと震えている。あたりはすっかり静まり返っている。空気が凍っている。わたしとエレミアスを遠巻きに見つめる聖職者ばかりだ。
 かわいそうだね、誰も助けに来てくれないなんて。やっぱり人望がないんだね、エレミアス。レナータももうわたしを止めようとはしない。今まで、ラルスにだけじゃなく、周りの人にも同じような態度だったんだろうね。そりゃ、嫌われるよなぁ。

「突然異世界から喚び出され、右も左もわかっていないうちに七人の夫たちと結婚し、情を通わせ、この世界に命をもたらしたのは、このわたしよ。わたしが拒めば、あなたたちが大事にしている聖樹は、実をつけなくなる。聖女を怒らせたんだもの、七聖教聖職者の権威は失墜するでしょうね。そうなったら、新たな聖女をまた別の世界から喚び出す? その聖女がわたしみたいに肉食系……あぁ、好き者って言ってたわよね? 新たな聖女がわたしみたいに好色な女じゃないなら、次の実ができるまで何年かかるかしらね」

 エレミアスに対してはイライラが溜まっていたから、口が止まらない。止められない。止めるつもりもない。ラルスを侮辱したんだもの。わたしが侮辱し返してもいいでしょ。

「好き者の上に生意気な聖女でごめんなさいねー。ふふ。喧嘩を売る相手を間違えたわね。お気の毒様」
「貴様!」

 エレミアスが拳を振り上げる。レナータは「ヒィ」と言って顔を背ける。わたしは、微動だにしない。殴られても構わない。だって、この男がどれだけ取り繕おうが、これだけの証人がいるんだもの。聖女を殴った男として処罰されるんじゃないかしら。わたしはまさにそれを望んでいる。
 けれど、「エレミアス様!」と何人かの金髪の男たちが彼を羽交い締めにする。さすがに黄の国の人たちからは止められたみたい。激昂したエレミアスは「離せ! 許せん!」と叫んでいたけれど、何人かの男に引っ張られ、担がれ、フェードアウトしていった。
 あぁ、すっきりした。多少はね。

「じゃ、行こうか、レナータ」
「せ、聖女様!」

 レナータは慌ててついてくる。うん、前を行ってくれないと、総主教の部屋の位置わかんないんだけどね……と思っていたけれど、人垣がすぅっと開いていく。真っ白な聖職者たちが、皆、目を輝かせてこちらを向いている。エレミアスだけじゃなくて、聖職者全員をディスったのに、どうしたことだろう。
 え? 握手? いいよ、してあげるよ。あなたも? えっ、泣くほどのこと? エレミアスにいじめられていたの? そっか、それはつらかったねー。
「聖女様、聖女様」と握手をねだられ、頭を下げられるのを見るにつけ、エレミアスは余程人望がなかったみたい。やっぱりクズだったんだなー。

「聖女様、黄の国の聖職者を敵に回さないほうがよろしいですよ」とレナータが階段を登りながら苦言を呈してくれたけれど、それ、遅いよね。めっちゃ敵に回したと思うよ。でも、めっちゃ味方も見つけたよ。

「ふふふ」
「な、何がおかしいのですか」
「だって、レナータも黄の国出身じゃん」
「……そうでしたね」

 階段を登るレナータの表情はわからない。けれど、何となく、笑っているような気がする。レナータを笑わせるなんて、やるじゃん、わたし。ちょっとだけ、自分のことを誇らしく思ったよ。


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